「だからさぁ、あれはダメでしょ!」
千束は、リコリコの営業時間後に豪語した。ヒメコちゃんが再びDAの任務をこなせるようになったのは良い事だし、またリコリコに足繁く通ってくれる事も嬉しい。けれど、どう見たって幸せそうに見えないのだと千束は怒る。怒る。とても怒る。
「ヒメコちゃんは、苦いのが嫌いで、先生が特別に淹れる苦味の弱いアメリカンコーヒーと、バターの風味が楽しめるショートブレッドクッキーが好きなの!」
しかし、ヒメコはリコリコに来店する度に、強烈な苦味のブラックコーヒーと、ダークチョコレートを注文するようになってしまった。確かに初めの内は、普段とは違った注文をしてくれて嬉しいとは思った。けれど、まるで自分を苦しめるようにコーヒーを口にする姿は、とても見ていられない。そう千束は胸を痛めていた。
「あれはね、救われてるって言わないの! 痛む傷口に、ナイフを突き立てて痛みで痛みを誤魔化すような、そんなやけっぱちだよ!」
「それは……そうかもしれないっすけど……」
「人間は、もっと素敵で幸せでなきゃいけない。苦しむ事を良しとなんて、しちゃいけない。人生が、勿体無い!」
スミレはまるで説教をされるように、座敷席で正座をさせられて千束につめられていた。ミカやミズキ、たきなやクルミといったリコリコの面々も、苦い顔をしながら沈黙している。
「でも、それでも先輩はDAの任務をこなせるようになったっす」
「だから何! そんなに任務が大事!?」
「だ、だって、任務をこなせないとクビになっちゃいますし……」
「もぉ〜! スミレちゃんにとって大事なのは、DAの任務じゃないでしょ! 相棒のヒメコちゃんが、心配なんでしょ!?」
「っ……」
スミレは俯いて黙り込む。彼女は何も言い返せなかった。
「確かに、あれでは他のお客さんも心配してしまいます。実際、常連の後藤さんや伊藤さんもヒメコさんの事を心配していました」
「だが、本人から直接助けを求められた訳でもないんだ。業務外だし、お節介だろう」
たきなは他の常連客との付き合いも考えて、ヒメコを助けるべきだと口にする。クルミも口では冷たく正論を吐くが、その表情からは心配の色が見て取れた。
「何処まで行ってもリコリスの任務は人殺しだ。だが、ヒメコは真面目な子だ。人を殺す事を生業としながら幸せに生きられるような子じゃない」
ミカもかなり悩んでいた。ヒメコは、その才能と実力故にファーストとなり、DAの任務をこなし続けている。それは、千束に殺人任務を続けさせるような所業だ。
「そっか〜。千束が重なって見えるか」
ミズキは酒をかっくらいながら言う。もし自分が千束の我儘を聞かずに喫茶リコリコを始めなかったら。シンジのように千束の才能だけを見て任務を続けさせていたら。きっと千束は今のヒメコのようになっていただろうと。
「放っておけないんでしょ。やるなら早くやりなさいよ。じゃないとあの子、その内壊れちゃうわよ」
だが、スミレは俯いて答えない。
「……先輩は、アレで良いんすよ。私と一緒にちゃんと任務をこなしたり、リコリコに来たり、人間みたいに泣いたり笑ったり。悪い事なんて一つもないっす」
「お前っ!」
スミレの胸倉を掴んで、千束は彼女に怒りを伝えた。たきなが止めに入ろうとしたが、ミズキに袖を引いて止められる。
「先輩は悪くない。だから──助けて」
自らの胸倉を掴む手に縋るように、スミレは手を伸ばした。
「馬鹿だなぁ。もっと早く縋れば良かったんだよ。君たちの周りには、味方しかいないんだから」
その手の力を緩めて、千束は悲しみが入り混じった微笑みを浮かべる。また千束が儲からない仕事を取ってきたと、クルミは押し入れに戻って行った。
「実はな、ミカと千束からお前について相談を受けた」
「はい?」
ヒメコは司令室で首を傾げた。
「あの二人は、お前がリコリスとして任務をこなすには不適当だと伝えてきたよ。まあ、頷けなくもない主張だ」
「いえ、私は問題ありません」
「私の目を節穴だと思っているのか? というか、鏡を見ないのか? 酷い顔だ。日に日に酷くなっている。カウンセラーも匙を投げたぞ」
「それは……」
目の下を時折痙攣させつつ、隈を作った顔でヒメコは口籠る。どう見てもカフェインの過剰摂取で、寝不足で、体調不良だ。
「人を殺すのがダメらしいな。やはり、才能と適正は別物らしい」
楠木は溜息を吐きながら言った。
「本来、リコリスとしての勤めを果たせば、実績に応じて各種情報機関や諜報機関への進路が開ける。お前はもう十分だ。一抜けしておけ」
「は?」
ヒメコは楠木の言葉の意味が分からずに呆然とする。だが、彼女はそれを気にする事もなく言葉を紡ぎ続ける。
「丁度、DAの情報部に空きがある。以前のゴタゴタで退職者が出て穴が埋まっていない。これはスカウトだ。戸籍も用意しよう」
差し出された書類に目を通して、ヒメコは目を丸くした。
「リコリス達のサポートに回る、言わば裏方だ。銃を手にする事はないだろう。それに、これまでリコリスとして積み重ねた経験も腐りはしない。悪い話ではない筈だ」
「そう……ですね。しかし、こんな我儘を」
「ははは、我儘には前例がある。唐突にDAの支部を作りたいと言われた時に比べれば、些細なものだ」
「あはは……」
千束の事だな。ヒメコは苦笑して頭を掻く。
「返事は一週間以内だ。では、質問がなければ退出したまえ」
「いらっしゃいませ〜。わぁ、ヒメコちゃん!」
夕暮れ時に喫茶リコリコに入店してきたヒメコを見て、千束は目を丸くした。ヒメコは、スーツ姿だった。
「ご迷惑をお掛けしました」
「良いよ良いよ、気にしないで〜。で、最近調子どう? 就職したんでしょ?」
「ああ、まるっきり新人だ。覚える事も多いが、何とかやってるよ」
「くう〜、仕事帰りのOLになっちゃった! なんか先越された気分」
「ははは……」
カウンター席の一番奥から二番目の席に座り、ヒメコは注文を付ける。
「アメリカンコーヒーと、ショートブレッドを」
「ああ」
ミカは、その注文を聞き微笑みを浮かべる。ヒメコが久しぶりの好物を一人楽しんでいると、リコリコの扉が開いて常連客が来店してきた。スミレである。彼女は赤いファーストの制服を身に纏っていて、ヒメコの隣の席に無言で座る。
「……先輩、元気にやってますか?」
「ああ、悪くない。上手くやってるよ。スミレも昇進おめでとう」
「はい! ブイブイ任務こなして、先輩みたいに一抜けするっす」
元気良く言うスミレに、ヒメコも表情を明るくする。人は変わるものだ。楠木、本当に甘くなったな。ミカはそう、胸中で苦笑しながらスミレの為にもう一セットのアメリカンコーヒーとショートブレッドを用意する。
「しかし、スミレさんの先輩がヒメコさんですよね? で、ヒメコさんの就職先はミズキの前の職場。つまり──」
たきなの言葉でぐるりとミズキに顔を向ける二人。
「ミズキ先輩、よろしくお願いします」
「ミズキ大先輩、よろしくっす!」
「いや〜、ミズキったら後輩が増えて良かったねぇ〜」
ニヤニヤとする千束。ミズキは表情を引き攣らせて硬直するが、直ぐに持ち直して復活した。
「よっしゃ、後輩ども、合コンに行くぞ! 割り勘だ!」
クルミは、呆れ果てた様子でミズキの脛を蹴飛ばした。悲鳴を上げて蹲り、逃げるクルミを追いかけ始めたミズキを見て、ヒメコとスミレは声をあげて笑ったのだった。