あまりにも平日に執筆時間が取れないので、この土日で来週分のストックを作ろうと思ってます。
「――グルゥオオオオオオオ!?」
迷宮内の通路に、爪熊の絶叫が響き渡る。
――『バルギルド・ザケルガ』
ゼオンがその『呪文』を唱えた瞬間、爪熊がまず感じたのは『痛み』だった。
ゼオンの掌から放たれた雷に触れた瞬間、意識を失う程の激しい『痛み』が全身を襲い、思わず絶叫する。
大抵の魔法は防げる自慢の毛皮など関係なく、全身を焼いてくる雷によって地面へと膝を付き、直後に倒れ込む。
「ルォオオ……!!」
何とか立ち上がろうともがく爪熊は、自分にこんな無様を晒させた存在を睨みつけるため、顔を上げる。
自分はこの階層の『王』だ。自分以外の存在は、全て『獲物』なのだから。
しかし、爪熊は倒れ伏す自分を見る『獲物だった存在』の目を見て、硬直する。
――そこには、闇が渦巻いていた。深淵の如き暗い瞳の中に、怒りと憎しみが渦を巻いている。
先程まで見下していた相手に、今は自分が見下されている。そんな事など気にならなかった。
自分は、絶対に敵に回してはいけない存在に手を出したのでは、と。
その時、初めて爪熊は『恐怖』を感じた。
「――グァオオ……!?」
爪熊が激しく暴れだす。
一刻も早く目の前の存在から逃げるために。
しかし、逃げようとした瞬間に激しくなる痛みに、再び絶叫する。
それから、どれだけの時間が過ぎただろうか。
何度も意識が飛びそうになるが、その度に痛みで強制的に意識を覚醒させられる。
次第に精神がすり減り、叫び声すら上げられなくなっていく。
爪熊の心には、抗えない『恐怖』が刻み込まれていた。
◆◇◆
――憎い。
オレの目の前に這いつくばるコイツが。
オレから大切な『家族』を奪った敵が。
――腹立たしい。
無様に地面をのたうち回っているコイツが。
何より、こんな奴に負けそうになっていた自分自身が。
――虚しい。
どれだけコイツを苦しめても、満たされない心が。
コイツを殺しても、ハジメは戻ってこないから。
胸の内で暴れ回る感情の渦。
その想いが強くなるほど、掌から放たれる雷撃も強まっていく。
そして、電撃が強くなるほど、自分の中の『何か』がヒビ割れ、崩れていく。
こんなに強力な魔法を使い続ければ、とっくに魔力は尽きている筈なのに、電撃が止まることはなかった。
気が付けば、爪熊は抵抗を止めていた。
時折ビクリと体が震えて小さく鳴いていることから、まだ生きてはいるようだ。
胸に渦巻く暗い衝動に従い、このまま殺してやろうかと考えた時、雷が鳴らす激しい音の中で、かすかにキィンと甲高い音が聞こえた。
ふと足元を見ると、何か光るものが転がっていた。
どうやら、オレの足にぶつかったらしい。
(――)
爪熊がもがいている時に、吐き出したのだろうか。そこには、ハジメが付けていた指輪型の魔道具が輝いていた。
まるで、今のオレを静かに見つめるように。
(ハジ、メ……)
フシュ、と雷の放出が止まる。
同時に、体が鉛のように重くなった。
「ル、オォオ……?」
唐突に止んだ攻撃に、困惑する爪熊。
爪熊は動くようになった体を引き摺って、少しずつオレから離れていく。
だが、そんな事は目に入らず、オレは足元に転がった指輪を拾い上げる。
「……ハジメ、すまない……」
ギュ、と指輪を握りしめて呟く。
ハジメが食われた時の事を思い出し、再び心に激しい怒りと後悔の念が押し寄せるが、ふと頭の中に引っ掛かるものがあった。
……何だ? オレは、何を気にしている……?
高速で思考が回り始め、徐々に頭が冷静になっていく。
思い出すのは、オレがハジメの声がした場所に辿り着いた時の光景。
通路の中央に佇む爪熊の後ろ姿。
近くの地面は何箇所か抉れており、所々に血痕も残っていた。
――そして、ハジメの『左腕』を咥えて、嗤う爪熊。
そこまで考え、ハッとある可能性に思い至る。
(――『左腕以外』は、どこにあった?)
そう、オレはハジメの左腕以外を確認していない。
あの時、既に全身食われた後だった?
いや、それにしては周囲の血痕や、爪熊に着いていた返り血も少なかった。
それに、ハジメの悲鳴が聞こえてからオレが現場に駆け付けるまで、十秒程度しか経っていない。もしその間に、ハジメが爪熊から逃げていたら?
「……まさ、か」
ドクン、と心臓が大きく音を鳴らした。
(生きて、いるのか?)
確証はない。
あの強さの魔物に出会した時点で、生存は絶望的だろう。しかし、まだ可能性が残っている。
――小さな希望が、胸に灯った。
「グルル……!」
そこまで考えた所で、魔力の高まりを感じ、視線を向ける。
そこには、オレから数十メートル程離れた位置まで移動し、立ち上がってこちらを睨む爪熊がいた。
あのまま逃げることは出来た筈だが、奴のプライド的にただ逃げ帰るのは許せなかったらしい。
奴の爪には、先程戦った時以上の魔力を感じた。どうやら、残った魔力を全て込めてでも、オレを仕留めたいらしい。
「グルァアアア!!!」
爪熊が腕を横薙ぎに振るう。
直後に放たれた風の刃が、通路の壁を削りながらこちらに向かってきた。
確かに、今のオレでは避けられない攻撃だ。先程の呪文のせいか、体が重くて碌に動けない。
爪熊の顔が喜びに歪む。
オレが攻撃を避けられないと気付いたのだろう。
だが、今のオレは、死ぬわけにはいかないのだ。ハジメが生きている可能性があるのだから、まだ諦める事はできない。
オレは迫りくる風の刃を真っ直ぐ見つめながら、『呪文』を唱える。
「――第六の術、ラウザルク!」
次の瞬間、天から落ちてきた雷がオレの体を包み、体がキラキラと発光する。
そして、先程まで鉛のように重かった体が、動かせるようになった。
既に眼前にまで迫った風の刃に、――オレは腕を振り上げ、拳を叩きつける。
――ギギギギィ!!
風の刃と拳が衝突し、金属同士がぶつかり合う様な音が響く。
そんな事は構わず、オレは全力で腕を振り抜いた。
「――おぉおおおっ!!」
――バキィンッ!
一瞬の拮抗の後、振るわれた拳によって風の刃は砕け、オレの左右にある壁を抉りながら通り過ぎていく。
「ル……ォ……?」
爪熊が、理解できないものを見るように唖然とした声を上げる。
「……グ、ルォオオオ!?」
そして、オレの視線に気が付くと、叫び声を上げながら逃げていく。
爪熊の姿が通路の先に消えたとほぼ同時に、オレの体を包む光が消えた。
再び重くなった体に、思わず地面に膝を付く。
「ハァッ、ハァッ……! 流石に、限界か……」
既に、魔力も体力も尽きていた。
だが、かすかな希望だけは残っている。
(――ハジメ、生きていてくれ)
重い体を引き摺り、壁に背を預けてオレは上を見上げる。
視線の先には相変わらず先の見えない闇が広がっていたが、オレの心が沈むことはなかった。きっと、ハジメは生きていると信じることができたから。
静かな迷宮の中、オレはしばらくその景色を見続けるのだった。
◆◇◆
――ぴちょり、と頬に水滴が当たる感触で目が覚める。
「……う、くっ……。ここ、は……?」
うめき声を漏らしながら、周囲を確認するも、暗くて何も見えない。
そして、その理由を思い出す。
自分は、あの爪熊から逃れるために《錬成》で穴を掘って逃げたのだと。
(……まだ、生きてる? ……あれだけ、血が出ていたのに)
そして、思わず左腕のあった場所に触れようとするも、そこには何もなかった。
自分が左腕を失ったことを思い出し、その瞬間、無いはずの左腕に激痛を感じた。
「う、ぐっ……」
痛みによって反射的に左腕を押さえたことで、気が付いた。
切断された腕の断面に肉が盛り上がり、傷が塞がっている。
「一体、どうして……?」
疑問に思っていると、ぴちょり、と再び頬に水滴が当たる。
その水滴を口に含むと、体に活力が戻った気がした。
「……まさか、この水が?」
また意識が薄れつつある中、本能に従って水滴が流れる方へ右腕を突き出し《錬成》を行う。
少しずつ、少しずつ掘り進み、遂に水源に辿り着いた。
「――これは……?」
そこには青白く発光する美しい鉱石が存在しており、水を滴らせていた。
引き寄せられるように鉱石へと口を付け、そこから流れ出る水を飲むと、先程まで感じていた幻肢痛や倦怠感が治まっていく。
やはり、自分が生き残れたのは、この水が原因らしい。どういう物かは分からないが、強い治癒作用がある液体のようで、腕以外の怪我や出血の弊害は、瞬く間に回復していく。
しかし、体の傷や魔力は回復しても、心の傷はそう上手く治らない。
たとえ外に出ても、あの爪熊がまた襲ってくる。そう思うと、体の震えが止まらない。
「もう、嫌だ……。誰か、助けて……」
残った右腕で震える体を抱き、蹲る。
先程まで目前に迫っていた『死』への恐怖から逃れたくて、強く目をつぶる。
「怖い、怖いよ……」
独り呟いた言葉が消えていく。
――ハジメの心は、折れていた。
読んで頂いてありがとうございます。
今回短くてすみません。
今日は夜にもう一話投稿しますので、許してください。
では、次話もよろしくお願いします。