「――ゼオン、ゼオンってば」
聞き慣れた声と、体が揺すられる感覚で目が覚める。
どうやら夢から覚めたようだ。
まだボヤけた視界の中、見慣れた部屋が目に入る。
そして、先程オレに声を掛けていた人物もそこにいた。
「む……、ハジメか?」
「やっと起きた……。大丈夫? うなされてたみたいだけど」
「……ああ、問題ない」
どうやら、オレのことを起こしてくれたらしい。
オレの目の前にいる黒髪の少年は、
オレが厄介になっている南雲家の一人息子であり、困っている存在に手を差し伸べられる優しい心の持ち主だ。
――そして、オレの命の恩人である。
「珍しいね。ゼオンがこんな時間まで寝てるなんて」
そう言ってハジメは、部屋に掛けられた時計に目をやる。
オレもそれに釣られて時間を確認するが……。
「八時……だと?」
普段のオレでは考えられない程、遅い起床時間だ。
更に今日は月曜日。普通に登校日だ。このままでは遅刻になってしまう。
よく見ると、ハジメは既に制服を着ている。
足元にカバンが置いてあることから、これから家を出るところだったのだろう。
「家を出ようとしたら、玄関にゼオンの靴がまだあったからさ。まさかと思って部屋に来たら寝てるんだもんなぁ」
苦笑いしながら、ハジメはカバンを手に取った。
「ゼオンの支度が終わるまで、待ってようか?」
こちらを気遣う声。
だが、唯でさえ寝坊という無様な姿を見せたのだ。これ以上ハジメに迷惑は掛けられない。
そう思ったオレは、首を横に振る。
「いや、オレのことは気にするな。先に行っていてくれ」
「そう? ちょっと待つくらい僕は構わないけど」
「今でも時間ギリギリだろう。大丈夫だ、オレは走って追い付く」
そう言うと、ハジメは納得したようだ。
「分かったよ。じゃあ先に行ってるね」
「ああ、事故に気を付けろよ」
「ゼオンもね。いってきます」
ハジメが出掛け、玄関のドアが閉まる音を聞きながら、オレは窓から差し込む朝日を眺めた。
そして、ふと先程見た夢の出来事を思い返す。
「憎まれているだけの子……。『いらない子』、か」
思わず呟いてしまった言葉は、自分以外誰もいない部屋に消えて行った。
◆◇◆
月曜日。それは一週間の中で最も憂鬱な始まりの日。
きっと大多数の人は、これからの一週間に溜息を吐き、前日までの天国を想うだろう。
僕――南雲ハジメもそれは例外ではない。
ただし、僕の場合は面倒というだけでなく、今まさに向かっている学校の居心地が悪い故の憂鬱さが多分に含まれているのだけれど。
更に、今日はもう一つ気になることがあった。
つい先程、十年来の付き合いである同居人が見せたあの表情。
(ゼオン、大丈夫かな。問題ないとは言ってたけど、何だか元気もなかったし……)
あの自分に厳しい完璧超人が寝坊するなど、今日は槍でも降るのだろうか?
今までゼオンが寝坊したところなんて、見たことがない。
いつも日が昇るより早く起きて、体を鍛えたり、難しい本を読んだりしているのに。
(――そういえば、僕の家にゼオンが住むようになってから、もう十年になるのか……)
あの日――倒れたゼオンを見つけて家で保護してから、もうそんなに月日が経っていた。
記憶が無いため、家が何処かも分からず、家族も見つからなかったゼオンに、父さんが『じゃあ、家に住みなさい!』と豪快に言ったことで、僕らは『家族』になった。
兄が欲しかった僕は、『お兄ちゃんができた』って喜んでいた覚えがある。
ゼオンは、何だか『お兄ちゃん』って感じがするのだ。なんとなくのイメージだけど。
まぁ、十七歳の高校生にもなって『お兄ちゃん』なんて呼ぶのは恥ずかしいから、今は名前で読んでるんだけどね。
そんな事を考えながら、いつものように始業チャイムがなるギリギリの時間に登校し、教室の扉を開けた。
その瞬間、教室の男子生徒の大半から舌打ちやら睨みやらを頂戴する。
女子生徒であっても友好的な表情の人は殆どいない。無関心ならまだ良い方で、あからさまに侮蔑の表情を向ける人もいる。
極力意識しないように自席へ向かおうとするが、毎度のことながらちょっかいを出してくる者がいる。
「――よぉ、キモオタ!! また徹夜でゲームか? どうせエロゲでもしてたんだろ?」
「うわっ、キモ~。エロゲで徹夜とかマジキモイじゃん」
一体何が面白いのか、ゲラゲラと笑い出す男子生徒達。
声を掛けてきたのは
近くでバカ笑いをしているのは
檜山の言う通り、自分はオタクだ。
とは言ってもキモオタと罵られるほど身だしなみや言動が見苦しい訳ではないと思う。
髪は短めに切り揃えているし、寝癖もない。別にコミュ障という訳でもないから、積極性こそないものの受け答えは明瞭だ。大人しくはあるが陰気さは感じさせない。単純に創作物、漫画や小説、ゲームや映画というものが好きなだけだ。
本来ならオタクであることが知られても、嘲笑程度はあれど、ここまで敵愾心を持たれることはない。
では、なぜ男子生徒全員が敵意や侮蔑をあらわにするのか。
その答えが、彼女だ。
「――南雲くん、おはよう!! 今日もギリギリだね。もっと早く来ようよ」
ニコニコと微笑みながら歩み寄ってくる少女。
このクラス、いや学校の中でもフレンドリーに接してくれる数少ない例外であり、この事態を引き起こしている原因でもある。
彼女の名前は
学校では二大女神と言われ、男女問わず絶大な人気を誇るとてつもない美少女だ。
いつも笑顔の絶えない彼女は、非常に面倒見がよく責任感も強いため、学年を問わずよく頼られる。
そんな白崎さんは、なぜか事ある毎に自分に話しかけてくるのだ。
徹夜のせいで居眠りをすることが多い自分は周りに不真面目な生徒と思われているため、人気者の彼女がそんな存在を気に掛けているのが気に入らないのだろう。
そんな感じで、僕こと南雲ハジメは男子生徒からは平凡なくせに女神に話し掛けられる嫉妬の対象。
女子生徒からは白崎さんに面倒を掛けている不快な存在と認識されているのである。
……まぁ、女子に関してはもう一つ思い当たる理由があるんだけど。
「ああ、おはよう白崎さん」
周囲からの殺気が込められた視線に晒されながら、白崎さんに挨拶をしていると、三人の男女が近寄って来た。
「南雲君、おはよう。毎日大変ね」
「香織、また彼の世話を焼いているのか? 全く、本当に香織は優しいな」
「全くだぜ、そんなやる気ないヤツには何を言っても無駄だと思うけどなぁ」
三人の中で唯一挨拶をしてくれた女子生徒の名前は
香織の親友で、ポニーテールにした長い黒髪がトレードマークである。
女子にしては高い身長と引き締まった体、凛とした雰囲気は侍を彷彿とさせる。
彼女の実家は八重樫流という剣術道場を営んでおり、彼女自身も剣道の実力者である。
ちなみに、ゼオンも一時期その剣術道場に通っていた。
ゼオンは相当強く、小学生の間に全試合無敗の伝説を叩き出していたのだが、それは別の話だ。
次に、臭いセリフで白崎さんに声を掛けた男子生徒が
いかにも勇者っぽいキラキラネームの彼は、容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能の完璧超人だ。
サラサラの茶髪と優しげな瞳、高身長に細身ながら引き締まった体。
誰にでも優しく、正義感も強い。ただし思い込みが激しい。
小学生の頃から八重樫道場に通う門下生で、雫と同じく全国クラスの猛者だ。
八重樫さんとは幼馴染で、ダース単位で惚れている女子生徒がいるらしい、正真正銘モテ男だ。
最後に投げやり気味な言動の男子生徒は
短く刈り上げた髪に鋭さと陽気さを合わせたような瞳、熊の如き大柄な体格、見た目に反さず細かいことは気にしない脳筋タイプである。
彼は努力とか熱血とか根性とかそういうのが大好きな人間みたいで、僕のように学校に来ても寝てばかりのやる気がなさそうな人間は嫌いなタイプらしい。
「おはよう、八重樫さん、天之河くん、坂上くん。……はは、まぁ、自業自得とも言えるから仕方ないよ」
まだ周囲の視線が突き刺さっているが、八重樫さん達に挨拶を返す。
「それが分かっているなら直すべきじゃないか? いつまでも香織の優しさに甘えるのはどうかと思うよ。香織だって、君に構ってばかりはいられないんだから」
天之河くんがそう言って、こちらを厳しい目で見る。
彼の目にも、自分は白崎さんの厚意を無下にする不真面目な生徒として映っているようだ。
「いやー、あはは……」
笑ってやり過ごそうとしていると、白崎さんが爆弾を落としてきた。
「……? 光輝くん、何言ってるの? 私が南雲くんと話したいから話してるだけだよ?」
ざわっと教室が騒がしくなる。
男子達はギリッと歯を鳴らして、呪い殺さんばかりにこちらを睨む。
先程まで以上に視線に込められた殺気が強くなった気がする。
「……えっ? ……ああ、ホント、香織は優しいよな」
どうやら天之河の中では、先程の発言は僕に気を遣ったものだと解釈されたようだ。
彼は確かに何でもできる完璧超人なのだが、そのせいか少々自分の正しさを疑わなさ過ぎるきらいがあった。
「……ごめんなさいね? 二人共悪気はないのだけど……」
八重樫さんが、こっそり謝罪してきたので、苦笑いで返す。
「……それと、ゼオンがどうしてるか知らない? 今日はまだ来ていないみたいなの」
八重樫さんからそんなことを言われて、僕は思わず今朝あったことを伝えてしまった。
僕らの周りには、まだ聞き耳を立てている生徒が大勢いるというのに。
「ああ、ゼオンなら今日珍しく寝坊してさ、後から追い付くって言ってたから、そろそろ来ると思うけど」
再びざわっと教室が騒がしくなる。
今度は、男子だけでなく女子もこちらをみてヒソヒソ何かを話している。
「ゼオンが寝坊?」
「あのストイックを擬人化したような完璧超人が?」
「ゼオンくん、体調でも悪いのかしら」
「あのゼオン様に限って? ありえない……」
そして、とある男子生徒の声が教室に響く。
「もしかして、あのキモオタが徹夜のゲームに付き合わせたとか?」
ギロリ、と今日一番の殺気が込められた視線が突き刺さる。
「確かに、ありえそう」
「ゼオン様、なんでかあのクズに甘いから……」
「じゃあ、本当に?」
「うわっ、サイテー……」
ざわざわ、ざわざわと生徒達の話し声は大きくなっていく。
そして、それが遂に爆発しそうになった時、教室の扉が音を立てて開いた。
「――朝から騒々しいな。何を騒いでいる?」
銀髪紫眼の少年、今まさに話題となっていたゼオンが教室に入ってきた。
その瞬間、教室内の空気が切り替わった。
男子生徒はゼオンと目を合わせない様に逸らし、女子生徒も直前まで僕のことを糾弾していたことを隠すかの様に大人しくなった。
ゼオンは一通り教室内を見回すと、一度鼻を鳴らし、こちらに歩いてきた。
「……フン、毎度毎度、下らんことで騒げるものだ」
「ゼオン、助かったよ。それと、始業時間には間に合ったね」
「ああ、ハジメが起こしてくれたおかげだ。ありがとう」
ゼオンが現れたことで、表向き僕に対する不満をぶつける人はいなくなった。
虎の威を借る狐の様で情けないが、正直助かった。
そこに、八重樫さんが近付いてくる。
「ゼオン、おはよう。珍しいわね、あなたがこんなギリギリに登校するなんて」
「雫か。ああ、少し疲れが溜まっていたのかもしれん」
「気を付けなさいよ? 今日は約束通り、道場に顔を出してもらうんだからね」
「分かっている。約束は守るさ」
ゼオンと八重樫さんが何事かを話していた。
あの二人、相変わらず仲が良いなぁ。
そんなことを思っていると、始業のチャイムが鳴り教師が教室に入ってきた。
教室内の生徒は皆、自分の席に戻り、授業が開始される。
そうして、またいつも通りの日常が始まった。
◆◇◆
キンコーン、カンコーン
午前の授業の終了を告げる鐘を聞きながら、オレは教材を机にしまい、席を立つ。
ハジメの席を見ると、いつもの様に居眠りをしていたようだ。
机に突っ伏したまま微動だにしなかった体が、ムクリ、と急に起き上がる。
眠そうな顔をしながら、カバンに手を突っ込んで今日の昼食を取り出した。
十秒でチャージできる、ハジメの定番昼食だ。
――じゅるるる、きゅぽん!
あっという間にエネルギーをチャージしたハジメは、再び机に突っ伏した。
起こすのは忍びないが、流石に昼食があれだけでは栄養が足りんだろう。
購買で適当な惣菜パンでも買って来るかと思っていると、ハジメの元に白崎が近付いていた。
どうやらハジメと一緒に昼食を食べたいらしい。
何やらハジメはあたふたして、こちらに助けを求めるような視線を送っている。
人の恋路を邪魔する奴はなんとやら。
ここでオレがでしゃばると白崎にも悪いと思ったが、あまりにもハジメが必死に視線を送るので、思わず苦笑しながら助け船を出すことにした。
「ハジメ、これから購買に行くんだが、一緒に来るか?」
ハジメはコクコクと激しく頷いた。
オレは少し白崎が不憫に思ったが、許せ。オレにとってはハジメの方が優先度が高い。
白崎のもとに天之河達も集まってきたので、オレは一言告げ、ハジメと教室を出ようとした。
――その時、教室の空気が変わったのを感じた。
感じたことがない、しかし何処か懐かしい感覚。
それは、天之河の足元から発生した。光り輝く円環。俗に言う魔法陣は輝きを増しながら教室全体を覆う程の大きさとなった。
輝きを増す魔法陣に、教室内の生徒達が悲鳴を上げたのを最後に、視界が真っ白に塗りつぶされる。
「――皆、教室から出て!!」
次の瞬間、張り上げられた教師の声を最後に、教室内にいた人間は一人残らず跡形もなく消え去った。
読んで頂いてありがとうございます。
長かった……。まだ物語の導入部分なのに、アホほど執筆に時間が掛かりました。
毎日投稿している方たちの凄さを身をもって感じました。
次回から、ようやく異世界トータスに行けます。
書きたかった内容も色々ありますので、頑張って表現できればと思ってます。
では、次話もよろしくお願いします。