今回も幕間のお話となります。
おかしい……。先週の土日には殆ど書き上がっていた筈なのに、ここまで投稿が遅れるとは……。
天之河光輝が率いる勇者一行は、忌まわしい記憶が残る『オルクス大迷宮』へと再び挑んでいた。
ただし、その人数は前回の半分程度である。
今回迷宮へと訪れた生徒は、光輝達勇者パーティーと、檜山大介率いる小悪党組、そして永山重吾という大柄な男子生徒が率いる五人のパーティーだけだった。
そして、今回もメルド団長と数人の騎士団員が迷宮攻略に付き添っていた。
――迷宮の攻略を開始してから六日目。
現在彼らがいる階層は、六十階層。
記録に残っている、人類の最高到達階数まで後五層である。
今彼等の目の前には、『あの時』飛ばされた場所と同じような断崖絶壁が広がっていた。
先へ進むには、目の前の崖に掛かった吊り橋を進む必要がある。
忌まわしい記憶を思い出したのか、彼らの表情は暗い。
その中でも雫と香織は、まさに奈落といえる崖下に広がる闇をしばらく見つめるのだった。
「――香織」
「――うん、分かってるよ、雫ちゃん」
二人は、一言だけ声を掛け合い、自分達の覚悟が揺らいでいないことを確かめる。
端的に発された言葉に、他の者はその言葉に込められた内容を読み取れない。
真剣な顔を見合わせる二人に、光輝が近付く。
彼の目には、崖下の闇を見つめる幼馴染達の姿が、クラスメイトの死を思い出して嘆いているように映ったのだ。
『あの日』の出来事に、雫と香織は今も苦しみ続けているのだと。
それ自体は間違っていないのだが、その後に彼が口にした言葉は、やはり二人の気持ちとはズレていた。
「香織、雫……君達の優しいところが俺は好きだ。でも、クラスメイトの死に、何時までも囚われている訳にはいかない! 前へ進もう。……きっと、南雲達もそれを望んでる」
「……あのね、光輝……」
勘違いが進んでいる光輝の考えを訂正するため、雫が口を開く。しかし、それは光輝にとって無理をしているように解釈されたらしい。
「大丈夫、言わなくていい。俺が傍にいる。俺は死なない。そして、もう誰も死なせない。約束するよ」
「……はぁ、何時もの暴走ね」
「あはは……。……ええっと、光輝くん。言いたいことは分かったから、大丈夫だよ」
「そうか、分かってくれたか!」
嬉しそうに頷く光輝の姿に、疲れたようにため息を吐く雫。
これには、香織も思わず苦笑いした。
既に、光輝の中でゼオンとハジメは死んだことになっているのだ。
今の彼に何を言っても、現実逃避していると解釈されかねない。
(……ほんと、思い込みが激しいのは相変わらずね)
雫は、昔から苦労を掛けられている幼馴染を見て、思わず心の中で呟く。
小さい頃から、光輝の思い込みの激しさが原因で振り回される事が多かったのだ。
大切な幼馴染ではあるが、もう少し落ち着いてほしいと願う雫だった。
「……香織ちゃん、私は応援しているから。出来ることがあったら言ってね」
「そうだよ、鈴もカオリンの味方だからね!」
光輝との会話を聞いていて、同じパーティーの中村恵里と谷口鈴が香織に話し掛ける。
二人と香織は高校に入ってからの付き合いだが、とても仲の良い関係を築いている。
二人は、ハジメ達が奈落の底へと落ちた日の香織の様子から気持ちを悟り、香織の目的にも賛同してくれている。
「――恵里ちゃん、鈴ちゃん、ありがとう」
二人の言葉を受け、嬉しげに微笑む香織。
鈴達によって明るくなった空気の中、その後も談笑する。
時折暴走する鈴を恵里が諌めるという、いつものやり取りに、女性陣は楽しそうに笑っていた。
ふと、会話の中で恵里の『降霊術』の話になり、鈴が心配そうに声を掛ける。
「……エリリン、やっぱり《降霊術》は苦手? せっかくの天職なのに……」
「……うん、ごめんね。使いこなせれば、もっと役に立てるのに……」
申し訳無さそうにする恵里に、雫が声を掛ける。
「恵里、誰にだって得手不得手はあるわ。それに、恵里は魔法の適性が高いんだから、気にすることないわよ?」
「そうだよ、恵里ちゃん。天職って言っても、その分野の才能があるだけで、好き嫌いはまた別なんだから。恵里ちゃんの魔法はいつも的確で正確だから、皆助かってるよ?」
「……うん、でもやっぱり頑張って克服するよ。……もっと、皆の役に立ちたいから」
二人の言葉に微笑み、決意を表す恵里。
雫達は、友人が頑張る姿に嬉しそうにする。
そんな女子四人――正確には香織を、檜山大介は暗い瞳で見つめていた。
彼は王都に戻ってしばらく経った頃、落ち着きが戻ってきたクラスメイト達に厳しく批難された。
やはり、『あの日』の窮地を招いた檜山の立場は、クラスメイト達の中でも特別に悪くなっていたのだ。
しかし、檜山はあえて光輝の目の前で土下座し、謝罪することでそれを乗り切った。
光輝であれば謝罪する自分を許し、クラスメイトとの仲も執り成してくれると予想しての行動である。
檜山の狙い通り、光輝は檜山のことを皆の前で許したため、檜山に対する批難は何とか収まった。
(……もう少しだ。『アイツ』に付いて行けば、もう少しで香織は俺の……)
下衆な考えを巡らせ、思わず口元に笑みを浮かべる檜山に、冷たい視線が突き刺さる。
その正体は雫である。
雫は、皆の前で光輝に謝罪した檜山の狙いに気が付いており、幼馴染を都合良く利用したことに嫌悪感を抱いていた。
また、雫の中であの時ゼオン達を落とした犯人候補として、一番可能性が高いと思っているのも檜山であった。
檜山が香織に気があるのは、明らかだ。
それは、香織が気にかけていたハジメのことを疎ましく思う動機があるということ。
さらにゼオンとの確執、二人に当たった《火球》……檜山が犯人であれば、全ての辻褄が合う。
しかし、証拠がないことと、『あの事件』に関する詮索はもはやタブーとされていることから、まだ確信には至っていない。
やがて雫の視線に気付いた檜山は、誤魔化すようにパーティーメンバーと会話を行う。
「……雫ちゃん? どうしたの?」
しばらくその姿を冷たく睨んでいた雫だったが、香織に話し掛けられたことで表情を戻し、再び迷宮の先を見据える。
「……何でもないわ。……行きましょうか」
そうして一行は、様々な事情を抱えながらも、迷宮の奥へと進んでいくのだった。
◆◇◆
あれから迷宮攻略は特に問題も発生せず、勇者一行は遂に歴代最高到達階層である六十五層に辿り着いた。
「――皆、気を引き締めろ! この階層のマップは不完全だ。何が起こるか分からんからな!」
メルド団長の声が辺りに響く。
光輝達は表情を引き締め、未知の領域へと足を踏み入れて行く。
しばらく進んでいると、大きな広間へと出た。
皆が嫌な予感を感じながらも広間に侵入すると、部屋の中央に魔法陣が浮かび上がる。赤黒く脈動するその魔法陣は、この場にいる全員が見覚えのあるものだった。
「……まさか、アイツなのか!?」
光輝が額に冷や汗を浮かべて叫ぶ。
他のメンバーも驚愕を露わにする中、メルド団長の声が響いた。
「迷宮の魔物の発生原因は、未だ解明されていない。一度倒した魔物と何度も遭遇することもあり得るんだ。――皆、気を引き締めろ! 退路の確保を忘れるな!!」
いざと言う時でも確実に逃げられるように、まず退路の確保を優先するメルド団長。
光輝がそれを聞いて不満そうに口を開く。
「メルドさん、俺達はあれから、何倍も強くなったんだ! もう負けはしない! 必ず勝ってみせます!!」
「……へっ、その通りだぜ。何時までも負けっぱなしなのは性に合わねぇ。リベンジマッチだ!」
龍太郎も不敵な笑みを浮かべ、光輝の言葉に同調する。
「……全く、お前達は……。良いだろう、だが油断はするな、全力で倒すんだ!!」
メルド団長は肩を竦めて呆れるが、確かに今の光輝達の実力ならば勝てるだろうと、不敵な笑みを浮かべて号令をかける。
そして、遂に魔法陣から、『あの日』の悪夢が再び現れた。
「――グゥガァアアア!!!」
咆哮を上げて、地を踏み鳴らす異形。
ベヒモスが、光輝達を鋭い眼光で睨む。
全員に緊張が走る中、二人の少女はベヒモスの威圧には動じず、真っ直ぐに睨み返す。
「――香織、準備は良い?」
「――うん、雫ちゃん。……もう誰も奪わせない。乗り越えて、私は彼の元へ行く」
雫と香織は、強い意志の力を宿らせながら戦闘態勢に入る。
そうして、あの日の弱かった自分を乗り越える戦いが始まった。
◆◇◆
先陣を切ったのは、光輝だった。
「万翔羽ばたき、天へと至れ《天翔閃》!」
光の斬撃が一直線に突き進み、ベヒモスへと直撃する。
「――グゥルガァアア!?」
悲鳴を上げて後退するベヒモスの胸は切り裂かれ、赤黒い血を滴らせている。
それは、あの時とは違い、光輝の力がベヒモスに通用していることを意味していた。
「――いける! 俺達は確実に強くなってる! 前衛はベヒモスを囲んで攻撃を仕掛けるぞ! 後衛は魔法の準備を!」
光輝の指示に従って皆は一斉に動き出し、ベヒモスを包囲した。
陣形を組み、暴れるベヒモスを後衛の所に行かせないために、防衛線を張る。
「グルゥオオオ!!」
囲まれたベヒモスは、包囲網を突破するために突進の体勢に入る。
「させるかよ!」
「行かせん!」
パーティーのタンク役を担う、坂上龍太郎と永山重吾が二人がかりでベヒモスへと飛び掛かる。
二人は身体能力を強化する魔法を使い、地を滑りながらもベヒモスの突進を受け止めた。
そこへ、雫が抜刀術の構えで接近する。
「――全てを切り裂く至上の一閃――《絶断》!!」
鞘へと収められた剣が勢いよく抜刀され、ベヒモスの角に直撃する。
魔法による強化が施されていた一撃は、角の半ば辺りまで食い込んで止まった。
今の雫が出せる全力の一撃だったが、ベヒモスの頑強な角を切断するには至らなかった。
しかし、雫の攻撃はまだ終わっていない。
雫は角に食い込んだ剣を素早く抜くと、《縮地》でベヒモスの側面へ回り込む。
そして、加速した勢いのままに再度剣を振るった。
――ギャリッ!
斬撃が再び角へと当たり、ベヒモスの前を高速で通り過ぎる雫。
そして次の瞬間には再び《縮地》でベヒモスの眼前を横切り、角へと斬撃を見舞う。
《縮地》の連続使用によって、雫はどんどん加速しながら斬撃を浴びせていく。
雫の姿が霞むほどに加速した時、遂にその瞬間は訪れた。
――バキィンッ!
わずか数秒の間に相当数の斬撃を受けた角は、遂に蓄積したダメージに耐えきれず、半ばから断ち切られた。
「グオォオオオ!?」
角を切り落とされたベヒモスが怒りに任せて暴れ出し、前衛組が吹き飛ばされる。
それを見た香織は、素早く詠唱を行う。
「――優しき光は全てを抱く――《光輪》!」
前衛組は勢いよく地面に叩きつけられそうになるが、直前で香織が放った光の網が体を包み込み、無事に着地できた。
間髪入れず、香織は回復魔法を唱える。
「――天恵よ、遍く子らに癒しを――《回天》」
前衛組の体が優しい光に包まれ、ベヒモスに負わされた傷が癒されていく。
前衛達が体勢を立て直している間、光輝が突きの構えを取り、ベヒモスに真っ直ぐ突進する。
そして、先程聖剣の一撃で与えた傷口に向かって聖剣の先端を突き出した。
「グガァアア!!」
ズブリ、と聖剣がベヒモスの体に差し込まれると、怒ったベヒモスが光輝を叩き潰そうと腕を振り上げる。
ベヒモスが腕を振り下ろす直前、光輝は既に詠唱を終わらせていた魔法を発動させる。
「――《光爆》!!」
直後、聖剣から膨大な魔力が傷口へと流れ込み、激しく発光して大爆発を起こした。
「――グギャァアアア!?」
爆発によって傷口を抉られたことで悲鳴を上げたベヒモスだったが、直ぐにギラリと光輝を睨み付ける。
そして、胸から大量の血を流しながらも、腕を横薙ぎに振るい、光輝を吹き飛ばした。
「――ぐぅっ!?」
地面を滑りながら呻き声を上げ、咳き込む光輝。
だが次の瞬間には彼の体が光に包まれ、一瞬で傷が回復する。
「――天恵よ、彼の者に今一度力を――《焦天》」
その理由は、香織の回復魔法だ。
状況によって的確に使い分けられる回復魔法により、彼らはダメージを受けても直ぐに戦闘へと復帰できているのである。
光輝が前衛達に合流しようとすると、ベヒモスが前衛を衝撃波で吹き飛ばし、先程折られた角を赤熱化させていく。
「角が折れても出来るのね……。――皆、来るわよ!!」
雫の警告と同時に、準備を終えたベヒモスが跳躍する。
前衛は皆一斉に身構えるが、ベヒモスは前衛達をも跳び越え、後衛達に向かって落下してくる。
予想外の行動に前衛達は慌てるが、後衛にいた谷口鈴が一歩前に出て詠唱を開始する。
「――ここは聖域なりて、神敵を通さず――《聖絶》!!」
必殺の威力を誇るベヒモスの着弾を、鈴が発動した光のドームが受け止める。ぶつかった瞬間に凄まじい衝撃波が辺りへと広がり、周囲の石畳にも蜘蛛の巣状のヒビが入った。
だが、鈴が咄嗟に発動した《聖絶》は、本来では四節の詠唱を二節で無理やり展開したため、本来の力が発揮できていない。
――ギギギギィ!!
障壁が軋み、所々にヒビが入り始める。
『結界師』の天職を持つ鈴でなければ、攻撃を受け止めた瞬間に破られていただろう。
「――ぅうう!! ……負ける、もんかぁ!!」
鈴が必死に叫びながら持ち堪えるが、もう限界だった。このままではあと十秒も持たないだろう。
破られる、と鈴が思った瞬間、後ろから声が響いた。
「――天恵よ、神秘をここに――《譲天》」
直後、鈴の体が光に包まれ、《聖絶》に注がれる魔力量が跳ね上がる。
原因は、香織が発動した回復魔法《譲天》だ。
本来は他者の魔力を回復させる魔法だが、応用することで《譲天》を受けた者が発動している魔法を強化することが出来る。
「――これなら……!! カオリン、愛してるっ!!」
鈴は魔力が流れ込むと同時に、完璧な《聖絶》を張り直す。
崩壊寸前だった障壁のヒビが瞬く間に修復され、より強固となってベヒモスの攻撃を受け止めた。
そして遂にベヒモスの固有魔法である角の赤熱化が止まり、突進力を失ったベヒモスは地に落ちる。
同時に《聖絶》へと込められた魔力も切れたため、障壁が消滅する。
「はぁ、はぁ……」
ベヒモスは肩で息をする鈴に向かって腕を振り上げるが、次の瞬間その腕が切り裂かれる。
――ザシィッ!!
前衛達の中で最も素早い雫が、いち早く戻って来てベヒモスの腕に剣を振るっていた。雫が振り抜いた剣は淡い光を放っており、ベヒモスの角に一撃を与えた際の強化魔法が施されている。
「――グガァアア!?」
腕を切り裂かれたベヒモスは悲鳴を上げ、大きく仰け反る。
「後衛は下がれ!前衛はまたコイツを取り囲むぞ!!」
その隙に、雫に次いで現れた光輝の指示によって後衛達は後退し、前衛達が再びベヒモスを取り囲む。
その後も暴れるベヒモスを相手に持ち堪え続け、遂に後衛の詠唱が完了する。
「――皆、下がって!!」
後衛代表の恵里から合図が出され、光輝達はそれぞれ渾身の一撃をベヒモスに放ちつつ、一斉に距離を取った。
直後、後衛達が用意していた魔法が放たれる。
「「「「「――《炎天》」」」」」
後衛五人による炎系上級魔法。
ベヒモスの頭上に現れた炎は球体となり、太陽のように周囲を照らしながら落下した。
超高温の炎がベヒモスを襲い、逃げる暇すら与えずにその身を焼き尽くしていく。
「グゥルゥオオオオ!!!」
ベヒモスの断末魔が部屋に響くが、その叫びも次第に燃え上がる炎の中へと消えていく。
やがて魔法が消滅すると、ベヒモスがいた所には黒い残骸だけが残っていた。
「――か、勝った……のか?」
「……勝ったんだろ……?」
「……勝っちまったよ……」
「……マジ、か?」
「……マジで?」
皆が呆然と呟きながら、ベヒモスがいた場所を眺めていた。
その中でもいち早く我を取り戻した光輝が、聖剣を頭上へと掲げて宣言する。
「――そうだ! 俺達の、勝ちだ!!」
その声にようやく勝利を実感したのか、一斉に歓声が上がる。それぞれが仲間と共に喜び合う姿に、メルド団長達も感慨深そうだ。
そんな中、先程までベヒモスのいた場所を眺めている香織に、雫が声を掛ける。
「香織、大丈夫?」
「……雫ちゃん。……うん、大丈夫。……ねぇ、雫ちゃん――私達、ここまで来たんだね」
「――えぇ、そうね」
かつて、弱かった自分達では倒すことができなかった魔物。それを倒せるくらいに強くなったことを実感し、感慨に浸る二人。
「……もっと先へ行けば、南雲くん達に……会えるよね?」
「……えぇ、きっとね。そのために頑張ってきたんだから」
「――うん。えへへ、そうだね」
一瞬弱気になった香織の手を雫が握り、その言葉を肯定する。
香織もその手を握り返し、笑みを見せた。
そんな二人の所へ光輝達が集まってくる。
爽やかな笑みを浮かべ、香織と雫を労う光輝に応える二人だったが、続いて光輝が発した言葉に表情が暗くなる。
「これで、南雲達も浮かばれるな。――『自分を突き落とした魔物』を、守ったクラスメイトが討伐したんだから」
「「……」」
光輝の発言により、二人は気が付いた。
光輝の中で、ゼオンとハジメを奈落に落としたのはベヒモス、ということになっているのだと。
確かに、彼らが落ちた原因の『一つ』は、ベヒモスが暴れて石橋が崩落したからだ。
だが直接的な原因は、撤退している二人に『誰かの』魔法が撃ち込まれたことである。
今となっては、クラスメイトの間で『その時』の話はタブーになっているが、事実は変わらない。
雫と香織は、まるでその事実を忘れてしまったかのような光輝の発言に少し失望した。
一応言うと、今の光輝の発言は本気で悪気がない。
基本的に人の善意を無条件で信じる光輝は、『あの状況』が故意に起こされたとは思わないのだろう。
雫は思わず拳を握ったが、堪えた。
あまりに無神経な光輝の発言には文句を言いたくなったが、彼に悪気がないのはいつものことだから。
それに、今は周りに喜びに沸くクラスメイト達がいる。この空気に水を差すようなことはしない。
しばし微妙な空気になったが、そこにクラス一番の元気っ娘な少女の声が響いた。
「――カッオリ~ン!」
変な呼び声を出して飛び掛かってきた鈴が、香織へと抱き着く。
「ひゃっ!?」
「えへへ~、カオリン超愛してるよ~! あの時カオリンが援護してくれなかったら、ペッシャンコになってたよ~」
抱きつきながら嬉しそうに語る鈴に、香織が苦笑した。
「も、もう、鈴ちゃん……。って、どこ触ってるの!?」
「げへへっ、ここがええのんか? ここがええんや――へぶぅ!?」
鈴が調子に乗って香織の体をまさぐり始めたので、雫が手刀で止める。
「……いい加減にしなさい。……香織、大丈夫?」
「し、雫ちゃん……」
感謝する香織の足元で、うごご、と痛みに呻いていた鈴だったが、それが雫と分かると再び飛び掛かった。
「――ッ!シズシズ~!!」
「きゃっ!?」
「シズシズもありがと~! 鈴を助けてくれた時のシズシズ、超カッコ良かったよ~!」
今度は雫に抱き着く鈴。
突然のことに反応できなかった雫は、悲鳴を上げて体を許してしまう。
「ち、ちょっと鈴、どこ触ってっ!?」
「ぐへへっ、おお、これはこれは……もしかして、カオリン以上の――むがっ!?」
「……鈴、いい加減に、しなさい。……全く……」
雫の肘打ちを脳天に食らい、頭から煙を出して倒れる鈴。
そんなやり取りで、いつしか微妙な空気は払拭されていた。
ふと、雫は皆と離れたところにいた恵里を見つけ、近付く。
いつもであれば、鈴のブレーキ役として近くにいるのだが、今は様子が変だった。
「…………」
恵里は、先程までベヒモスがいた地点を、ジッと見つめていた。
その後ろ姿は何だかいつもと違う雰囲気で、瞳は冷たい印象を受けた。
「……恵里?」
「……ああ、雫……ちゃん。どうしたの?」
雫の言葉に、恵里は振り返り笑顔を見せる。
その表情は雫が知っている、いつもの中村恵里だった。
(……気のせいかしら?)
そのあまりに自然な表情に、先程の冷たい表情は見間違いかと思う雫。
「……いいえ、何だか元気がないように感じたから。……何かあった?」
「……大丈夫、何もないよ。ちょっと、あんな怪物を倒せたんだなって思ってただけ」
どうやら、感慨に浸っていたようだ。
先程の自分もそうだったため、雫は納得したように頷いた。
「そう、私もその気持は分かるわ。――そろそろ行きましょう? 皆待ってるわ」
「うん、そうだね」
雫が先に皆の元へと戻っていく。
その背中を少し見てから、恵里は再度ベヒモスがいた地点へと振り返り、ポツリと呟いた。
「……そう、『何も』ないよ。……何も、ね……」
その呟きは迷宮の闇に消えていき、恵里は雫を追いかけて行く。
ここから先は、完全に未知の領域。
光輝達、勇者一行は迷宮の更に奥へと進んで行くのだった。
読んで頂いてありがとうございます。
という訳で、勇者一行のお話でした。
次回から本編に戻り、ゼオンくん視点のお話になります。
では、次話もよろしくお願いします。