轟家長女の紡ぐ日々   作:雛と卵

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轟家長女とその原点【中】

 

 

 

 

 これからの私たちにとって、とても大切な計画を立てたその夜。てっきりお夕飯の時には帰ってくるだろうと思っていたお父さんは未だに外で仕事に追われているらしく、肩透かしを食らったような気分で私は縁側に腰を下ろしていた。万が一にも凍傷の痕が残らないように入念に湯船に浸かってきたせいで茹だるくらい熱を帯びていた体も、きりりと冷たい夜風にすっかり元に戻っている。それどころか、この体はとことんポンコツなようで、少し冷え込んできただけでもう体温が下がり始めている。

 

(……これはもう、日付が変わるまでには帰ってこないかも)

 

 吐き出した息は、白く濁りながらゆっくりと宙を泳ぐ。何をするでもなくぼんやりと月を眺め続けるのも馬鹿馬鹿しいし、そろそろ就寝の準備に移ろうかと立ち上がったその時。

 

「……今日はもう諦めた方が良いんじゃねえの、ひぃちゃん」

 

 予想もしていなかった声が後ろから投げかけられて、私は勢いよく首を回した。お風呂から上がったばかりなのだろう、ふわふわと柔らかな毛先はしっとりと潤んでいる。

 

「そんなとこでぼーっとしてたってしょうがないだろ。大体ひぃちゃんは体質のせいで寒さに弱いんだからさ」

 

 ツンと口を尖らせながら見下ろしてくる燈矢の瞳は、あまり感情が読めない。そう、確かに燈矢の言う通りだ。現に私はもう体の芯まで寒さが染みるように思うのに、髪が生乾きで今にも風邪を引きそうな燈矢の方がけろりとしている。────お母さんの体質を、強く受け継いだから。

 

 ひゅう、と音を立てて吹き込んできた風にカチリと歯が鳴る。ねえ、燈矢、どうしてお母さんの体質を持って生まれたのが私じゃなかったんだろうね。どうしてお父さんの体質を受け継いだのが、燈矢じゃなくて私だったんだろうね。お互いの個性は残したまま、いらない遺伝子をそっくりそのまま取り替えられたらよかったのに。

 瞼を閉じて、開いて。冴えた銀色の光を放つ月を見上げて、立ち上がる。深く息を吸い込んでもう一度振り返ると、煌めく湖が追いかけるように私を見据えてくる。

 

「……言われなくても、もう寝ようかと思ってた。でも、せっかく見に来てくれたから」

 

 「特別だよ」って、囁いて庭に飛び降りた。ざらりとした感触が裸足の足をくすぐって、伸ばしっぱなしの髪がふわりと巻き上がる。

 いつかお父さんは、何を言っても諦めない燈矢に「時間はたっぷりある」と言った。「先は長いのだから外の世界を見ろ」と、何度も何度も繰り返し言い含めた。分かっているよ、確かに私たちまだこの世界に生まれたばっかりで、たった一つに決めつけて生きるのはきっと愚かなことなんだろう。この世には本を書いて暮らす人もヨーヘイくんのお父さんのように会社を経営して暮らす人もいて、向いていないことが分かりきっているヒーローに拘り続けたって意味なんかないことはうんざりするくらい分かっている。

 

(でも、そんなものは詭弁だ)

 

 柔らかな草に埋もれた土を踏みしめて、正面に向けて手を伸ばす。どんな綺麗事を言われたって、もう、今更止まれないから。悩んでいる暇も迷っている暇も、私にはないの。

 

 ダンッ、と両足を踏み鳴らすのと同時に冷気を噴出する。キィンと耳鳴りにも似た音が鼓膜を震わせて、急激に温度を下げられた空気が次々と波のように伝わって草木を凍らせていく。1秒、2秒、3秒。頭の中のカウントがちょうど5になった辺りで、近所では中々見かけないような立派な庭がすっかり丸ごと氷に包まれる。

 震えながらこぼれた息が、月と同じ白銀に染まる。それでも一仕事終えたような達成感が体の中心で渦を巻いて、後ずさりながら呆然と見つめてくる大切な片割れに向かって、何かに急き立てられるように口角を吊り上げる。

 

「ねえ、どう? これならさ、お父さんも認めてくれそうじゃない?」

 

 気を抜いたらガタガタと酷い音を立ててしまいそうな歯を噛みしめて、燈矢の反応を待つ。限界まで見開かれた鮮やかなパライバトルマリンは、まるで暗闇に閉じ込められたように色褪せたままちっとも元に戻らなくて。途端に、湧き上がってきた高揚感がすうっと冷めていくのを感じた。

 

「……凄くない? この程度じゃ、全然、役に立たない?」

「ッ、ちが、別にそんなこと言ってないだろ、」

「じゃあ何? なんでそんな、私がおかしいみたいな顔するわけ? ……ああそっか、燈矢はお父さんと同じ炎の個性だもんね。同じ氷の個性の、お母さんと冬美ちゃんなら分かってくれるかな……」

 

 あはは、と乾いた笑いが漏れる。ねえ燈矢、私たち、真逆だったらよかったね? そうしたらきっと今頃、こんなにもお互い分かり合えないことはなかったはずだもの。

 

「分かった、もう良いよ。燈矢はもう分かんなくて良いから、お母さんたち呼んできて? たぶんまだ寝てないはずだから」

「……俺が言えたことじゃねえのは百も承知だけどさ、お前、ちょっと落ち着けよ……自分が何言ってんのか本当に分かってんの……?」

「だからさ、どうしてさっきから私のこと異常者みたいに扱うの? 至って正気だよ私は、冷静さを欠いてなんかない、その上でお母さんたちに見てほしいから呼んできてってお願いしてるだけでしょ、それの何がいけないの?」

「〜〜〜〜ッッ、分かった、そんなに言うなら呼んできてやるよ、でもその前に自分の体ちゃんと見ろよ!! そんな酷い怪我してても気付いてないなら、お前どっかおかしいよ!!」

 

 吠えるように詰ってくる燈矢の声が静まり返った夜に反響する。痛い、頭が割れるように痛んで仕方ない、なんで、どうして、私だけがまともじゃないっていうの? 何一つ成せないまま生き続けることが苦しくて、だからこの人生にしがみついて良い理由がほしくて、どうしようもないからがむしゃらに藻搔いていることがそんなにも罪深いことだというの。

 

「…………分からないよ、だってもう感覚なんかとうに無くなってる、でもそんなの燈矢だって同じでしょ? いつも火傷なんか我慢できるって駄々こねてたじゃん、」

「そう、だけど、ひぃちゃんのそれはちょっと違うだろ!? そりゃあ火傷だって痛くないとは言わないけどさ、でもそれ、酷くなると手ェ腐っちゃうんだぞ!?」

「……そんなこと知ってるけど、それが何?」

 

 唸るように低く呟くと、今度こそ燈矢は絶句した。どうしてだろう、そんな顔をさせたいわけじゃなかったのに、なんでそんなに怯えたように私を見るの? 今の私の力なら、きっと全てが元通りになるはずだったのに。この地獄みたいな運命に苦しめられてきた君なら、分かってくれると思ったのに。

 

「……燈矢、冰織? 2人とも、さっきから何をそんなに言い争って……」

 

 緊迫した空気を壊すようにパタパタと廊下を駆けてくる音が響いたかと思うと、寝巻きのまま後ろに冬美ちゃんや夏くんを連れてお母さんが現れる。夜空を埋め込んだみたいな深い漆黒の瞳が氷漬けになった庭にとまって、言いかけていた言葉が小さな悲鳴に飲み込まれる。

 

「ひ、冰織姉、腕が、病院行かなきゃ、」

「……冰織、お前まさか、ずっと隠れて……?」

「……お母さん、冬美ちゃん。そんなこと私も分かってるからさ、庭を見て? これ、全部私が凍らせたんだよ」

 

 じわじわと喉元に込み上げてきた苛立ちを抑えるように努めて柔らかく問いかければ、お母さんも冬美ちゃんも見る見るうちに顔を真っ青にさせていく。状況を理解出来ていなさそうな夏くんさえおろおろと私と皆の間で視線を彷徨わせて、いよいよひりつくような焦燥感が鎌首をもたげてくる。

 

「そう、分かった。誰も、“失敗作”に成り下がった私なんか認めてくれないっていうんだね」

「ちがう、そうじゃないよ冰織姉、」

「お願い冰織、まずは母さんたちの話を聞いて」

「悪いけど私はもう話すことなんかない、良いよもう、時間取らせてごめんね? お父さんが帰ってくるまでここで大人しく待ってるから、皆はもう寝ていいよ」

「だっ、からさあ! なんでここまで言われて分かんねえんだよひぃちゃん! 良いからお前こそ早くこっち来いよ!」

「冰織ねぇ、もうやめようよぉ……僕、怖いよ……」

 

 ぐるぐる、ぐるぐる。視界が回って、頭の裏側で皆の声が濁流のように迫ってくる。芯まで貫く寒さが、手足の痛みが、ない交ぜになって地に足がついていないような錯覚を覚える。

 分からない、分からないよ。私だけがずっと、選択肢を間違え続けているというの。一度レールから足を踏み外した人間は、何をしたってもう二度と這い上がれないの? だったら、本当に、

 

「…………私の全部、何もかも、意味なんかなかったの?」

 

 ぽろりと舌先からこぼれ落ちた瞬間、ガチャリと扉の開く音が不意に耳を打ってハッとした。今のって、もしかして。待ち望んでいた可能性がパッと閃光のように頭に過ぎって、私は一も二もなく縁側に駆け上った。急に動いた私に驚いた様子の皆を放って、悴んでほとんど感覚のない両足でひたすらに床板を蹴っていく。それでも思ったように体が動かなくて、もつれて転びそうになりながら玄関を上がったばかりの大きな影に向かって力の限り叫ぶ。

 

「お父さん!!」

「……冰織? お前、こんな遅くまで何をして、」

 

 久しぶりに間近で聞いたお父さんの声は、石を投げ入れられたみたいに不自然に途切れた。暗がりの中でも力強く輝く碧い瞳が、揺れながら私だけに一心に注がれる。

 

「お父さん、聞いて、お願いがあるの」

「…………お前、何をしたんだその腕は……」

「仕事で疲れて帰ってきたところ悪いんだけど、私の作った氷に向かって技を打ってみてほしいの」

「何を、言っているんだ、冰織」

「もちろん確証はないんだけどね、たぶん、赫灼熱拳を一度くらいなら防ぎきれるから。もしお父さんが技を打っても私の氷が溶けなかったら……もう一度、私に訓練をつけて」

 

 逸る気持ちを抑えきれずに畳み掛けると、お父さんはひゅっと喉を鳴らした。ああ、まずいな、ちょっと結論を急ぎすぎたかも。落ち着いて、私がお父さんの野望を託すに値する人間だってこと、きちんと証明しなきゃ。

 

「お父さん、最近知ったんだけれど、私と燈矢みたいに一卵性の双子で性別が違うことって普通あり得ないらしいね。世界的にもほとんど例が見られない、まさに天文学的な確率の現象なんだって本に書いてあった」

 

 ようやく黙って話を聞くつもりになってくれたらしいお父さんに向かって、精一杯の笑顔を浮かべてみせる。いつの間に追ってきたのか、背後に迫ってくる足音を遮るように唾を飲み下して口を開く。

 

「ねえお父さん、考えてみてほしいんだけど、お父さんの望む“最高傑作”が都合よく生まれてくる確率って一体何%なんだろうね? 冬美ちゃんと夏くんのことを考えれば、本当は薄々察しがついてるんでしょう? 奇跡は二度も起きないかもしれないって考える方が自然だと思わない?」

「…………何が、言いたい……」

「つまりね、お母さんが子どもを産める内に生まれてくることが保証できない最高傑作を待つより、私と燈矢を育て上げることに注力した方が良いんじゃないかって思うの。元々お父さん、燈矢の火力には随分期待してたでしょ? 私もやっと追いつけたから、これで、オールマイトを超えられるね?」

 

 はくりと、唇が震える。嫌だな、涙なんかもう誰にも見せたくなかったのに。涙腺が弱いヒーローなんて、情けなくてとんだお笑い種だろうに。

 喉がひくひくと引きつれて、ほろりと目尻から溢れた雫が頬を伝う。感情がどうしようもないくらい昂って、雑音みたいに口々にかけられる声が責め立てるようで、指先から冷気が漏れ出してくる。

 

「……ねえ、だから私、」

 

 くしゃりと、シャツの襟ぐりを掻き乱して問う。

 

「生まれてきた意味、あるよね?」

 

 膜を張ったように目の前がぼやけた次の瞬間、とんでもない衝撃に脳がぐわんと揺さぶられた。吹っ飛ばされた体がゴロゴロと廊下を転がって、遅れてじんと熱を帯びた頬に思いきり張り倒されたのだと思い至る。

 

「〜〜〜〜ッッ、何故、分からない……!!」

 

 絞り出すような叫びに、のろのろと顔を上げる。燈矢と言い争っていた時とは比にならないくらい激昂するお父さんに、胸の奥がどん底まで冷え込んでいく。

 

「それだけの怪我を負って、そこまで俺の意図を察していて、何故分からないんだ冰織!!」

 

 ぷつ、と何かが引きちぎれたような音が鼓膜のずっと下で響いた。何を、言っているんだろうこの人。だって、全部貴方が始めたことなのに、それなのに、ただ生まれてきただけの私たちに上手くいかなかった責任をなすりつけるの? 届かない頂点に向き合い続けることに疲れたから私たちを作ったくせに、望む結果が得られなかったから、今更匙を投げるの? ────なんて、身勝手な人なんだろう!

 

 あはははっ! と、弾かれたように笑い出す。そう、そっか。本当に今までの全部、何一つ意味なんてなかったんだ。毎日毎日気が狂いそうなくらい悩んでいたことも、それでもいつかはこんな日々も報われると信じてひたすらに努力を重ねたことも。何もかも、結局無駄だったわけだ。

 亡霊のように、ふらつく足で立ち上がる。煮えたぎるように全身が沸々と茹っていくのに、どうしてか澄んだ青空みたいに心は晴れやかだ。そうだ、どうせ、無意味で無価値な命なら。「嫌なもの全部丸ごと凍らせてしまいなよ」と、誰かの囁く声がした。

 

 

 

 

 

 叶わない夢を追い続けることに、どうしようもなく疲れたのはいつだっただろう。

 

「氷叢もかつては名家と呼ばれた由緒ある家柄にございますゆえ、トップヒーロー様の伴侶としましては十分に釣り合いがとれるものと……」

 

 媚びへつらう様を隠しもしないような声を右から左に流しながら、目の前の女をじっと見据える。冷というらしいその女は、まさにその名の通りまるで氷のように触れれば消えてしまいそうに見えた。今にも空気に混ざって溶けゆくような儚さすら感じたのに、どこか強さを孕んだ冴えた顔つきをしているのが不思議だった。

 「あとは若いお2人で……」と言い残してそそくさと去っていく影を見送って、冷と庭を歩く。自分は個性柄寒いより暑い方が得意だが、氷の個性を有している彼女は逆にこの厳しい冬の寒さが心地良いのだろうか、などと詮無い思いつきが脳裏を過っていた。

 

 歩いている間、俺たちは一言も言葉を交わさなかった。他に誰もいないことも相まって、しんとした灰色の世界に足音だけが響いていた。見合いといっても所詮は政略結婚、緊張がなかったと言えば嘘になるがそれでもこんなものかと少し意識をよそに飛ばしていると、不意に差し掛かった池で冷が足を止めているのが目に映った。目線を辿ってみると、池のほとりに群青に染まった花が幾らか咲いている。

 

「……花が好きか」

「はい。とても綺麗」

 

 それが、後に妻となる女と交わした最初の言葉だった。

 

 

 

 

 

 籍を入れて程なくして、冷は2人の子を身籠った。一卵性の双子なのに性別が違うという、この超常社会でも未だ解明されていない奇跡に満ち溢れた稀有な子たちだった。「これはまさに天文学的な確率ですよ」と興奮した様子の医者に早口に告げられても、結婚した目的など重々承知していたはずの冷が素直に喜んでいるのに対して、俺は自分が父親になるという実感など湧かないままひたすらに職務を全うしていた。せめてどちらかだけでも己の体質の弱点を補うような優れた子であれば良いと、それだけを考えていた。

 

 産気づいた冷が連れて行かれた病室の外で待つことかれこれ数時間。まるで永遠のようにすら思えた時間の果てにとうとう上がった産声に、居ても立っても居られず駆け込んだ日のことを今でも鮮明に覚えている。出産の疲労感からか中央に置かれたベッドの上でぐったりとしていた冷の隣に、俺と同じ赤い髪の子と冷と同じ白い髪の子がこじんまりと並んでいて、皺くちゃな顔で懸命に呼吸をしている様があまりにも弱々しかった。

 息子となる子はまさに火がついたように激しく泣き喚き、反対に娘となる子は冷に似たのか、か細い声で控えめにぐずっていた。生まれたばかりだというのに既に互いを唯一無二の片割れだと認識しているのか、力を込めればうっかり握り潰してしまいそうなほど小さい指がしっかりと絡まり合っている光景に、柄にもなく微笑ましさを覚えた。例え望んだ個性を持たなくともこの子らのために自分は戦えると、そう思った途端空に雷が閃くように唐突に痛いくらい胸が締めつけられた。

 

「名前、何にしましょうか」

 

 休んで少し落ち着いたらしい冷に問いかけられて、俺は数日前から考えていた候補を率直に伝えた。男の子は燈矢で、女の子は冰織。放たれた矢のように真っ直ぐ歩み共に輝かしい未来を織りなしてほしいと、そんな願いを込めていた。名付けをするなど生まれて初めてだったものだから、どうしても自信が持てずにこっそり冷の顔を伺えば、ほんのりと口元を緩めて笑っている。「素敵な名前」と呟いた声が、慌ただしさの残る病室にぽつりと浮かんだのが胸をくすぐった。

 

 

 

 

 

 赤子というのは存外手のかかるものだった。始まった子育てはヒーローとしての生き方しか知らなかった俺には想像もしていなかったトラブルの連続で、四苦八苦しながらも何とか日々を駆け抜けていたその年の冬に、次女となる冬美が生まれた。「励まし合える兄妹がいた方が良いと思うの」と冷が希望したことで、生まれてきた子だった。

 

 妻と3人の子に囲まれた生活は、随分と穏やかなものだった。活発で負けん気の強い燈矢が大人しく無用な争いを好まない冰織をあちこち連れ回し、時々まだ首の据わっていない冬美を構いに行く。双子といえどやはり生まれ持った気質はそれぞれ異なっているようだったが、子供たちの間に特に大きな揉め事はなく、家の中は終始和やかな空気を保っていた。

 その内季節はまた一巡りし、上の2人は2歳になると同時に個性を発現した。予想していた通り燈矢は炎の個性、冰織は氷の個性を受け継いでいて、当初望んだ俺たち2人の強みを持ち合わせたものではなかったが俺は子供たちに早速訓練をつけ始めることにした。

 

 燈矢は、齢2歳にして既に一端の炎使いだった。柔らかくむっちりとした小さな腕から自由自在に炎を繰り出しては、元気よく走り回っていた。その大きく煌々と紅い炎は大人になる頃にはきっと、いや間違いなく、俺を凌ぐようになるだろうと思われるほどだった。

 対して、冰織は生み出した氷を不器用に形作るので精一杯に見えた。こちらの期待したほどは上手く扱えていない様子にほんの少し落胆する気持ちはあったが、しかし俺はその頃には冰織が全く別の才能に恵まれていることに気がついていた。

 

 最初に違和感を覚えたのは、双子が1歳の誕生日を迎えた時だった。将来雄英に通わせることを考えれば必要な教育は十分に施しておくに越したことはないのだが、しかしそれは2人が小学校に上がってからでも遅くはないだろうと俺は考えていた。結局のところ雄英に通うことはあくまでヒーローとして歩む覇道の通過点でしかなく、それにあまり時間を割きすぎるよりは今の内からなるだけ個性を伸ばしてやることを優先すべきだと思ったのだ。

 そういうわけで、俺も冷も双子に何か特別な教育を施すことはしていなかった。そのはずなのだが、1歳の誕生日を迎えた日、蝋燭を1本立てた小さなケーキを囲んでいた俺たちの元に冰織が徐に絵本を持ってきた。最初は食卓に関係ないものを持ってきたことを注意しようと思ったが、差し出された絵本の表紙を見て俺はそれが間違いであることを悟った。

 

「たんじょーび、おめでと、だね?」

 

 にっこり微笑んだ冰織が持っていた絵本には、「おたんじょうびおめでとう!」とのタイトルが記されていた。そう、冰織は誰に教わらずとも既に文字を読むことが出来ていた。誕生日を祝う俺たちの言葉からすぐさま関連する絵本を連想出来るほど、幼児にはただの記号に過ぎないであろう文字と人々の発する音が対応していることを熟知していたのだ。

 

 翌日連れて行った病院で、冰織はいわゆる“ギフテッド”であるとの診断を受けた。言語能力、処理速度、あらゆる検査項目で平均的な水準を遥かに凌駕していた。考えてみれば発話が燈矢より格段に早かったことも、冰織が特別賢い子であることを如実に示していたのだろう。

 思ってもみなかった娘の才能に、俺は内心歓喜することを抑えられなかった。ヒーローはただ個性が強ければ良いというものではない、特にチャート上位に安定して入り続けるような者は常に試行錯誤を繰り返しながら己の力を最大限に高めている。オールマイトという例外もいるが、一般的にはチームアップをする上でも優れた思考力は武器になるのが常だ。

 

 2人なら超えられる、と俺は確信した。欲を言えば炎と氷を同時に扱える子が生まれてくることが望ましかったが、しかし適切な訓練をつければ例え片方の個性しか持たずとも互いに補い合えるはずだ。それは父親である俺が努力すればどうとでもなる。燈矢と冰織こそが俺の燻り続けた野望を叶えてくれると────無責任にも、そう信じていた。

 

 

 

 

 

 ささやかな希望は再び打ち砕かれた。2人は個性に体質が合っていなかったのだ。俺の個性を受け継いだ燈矢は冷の体質を持ったせいで熱に弱く、冷の個性を受け継いだ冰織は俺の体質を持ったせいで寒さに弱い。つまり、個性を使う度に絶えず自身の体を傷つけてしまうのだと2人の検査を担当した医者は気まずそうに言葉を濁しながら告げた。それがヒーローを目指す上で────オールマイトを超える上で、いかに致命的な欠陥であることか! 考えるだけで俺は目の前が暗く澱んでいくような心地がした。

 

 翌日、俺は子供たちにもう個性を使って訓練してはならないと言い聞かせた。幼い2人を個性の使用による怪我から、ひいてはこのままではいつか必ず根を生やしてしまうに違いない絶望感から守るためには、例え俺自身が憎まれようとも避けては通れないことだった。

 2人を説得するにあたり、案の定問題になったのは燈矢の方だった。幼いながらも既に物事の道理が分かっているらしく大人しく引き下がった冰織と違って、燈矢は何度も何度も個性を使っては俺に訓練をつけろとせがみ続けた。柔らかく小さな体に痛々しい火傷の痕が増えていくのを見るにつけ、言い表しようのない苦さを湛えた感情が喉元にせり上がってくるのを感じた。

 

「そんな、あんまりだよ……! あの子たちはもう貴方が子供に何を求めているか知っている!」

 

 新しい子を作ることを提案した俺に冷は珍しく声を荒げて反対した。ああそうだろうとも、確かにあの2人は自分たちが何のために産み落とされた命なのかをよく分かっている。だからこそ……“最高傑作”を作ることがいずれ燈矢の抑止力になる。

 

「……何度言っても、燈矢は新しい火傷をつくってくる……バカなところも俺に似た……! 諦めさせるにはそれしかない……」

 

 絞り出すように告げると、冷は静かに目を瞠ってとうとう口を噤んだ。口にせずとも内心では俺への不満を抱えていることは明白だった。それでも俺には、俺たちには、最高傑作を作る以外に道はなかった。あの2人では、どうやってもオールマイトを超えられないのだから。

 次に生まれた子は、冰織や冬美と同様に冷の個性しか受け継がなかった。実際に個性が発現するのはまだ先の話だが、冷譲りの白い髪を見れば自ずと結果は知れるというものだった。半ば無理矢理子作りに付き合わせた冷の視線は既に冷えきっており、薄らとこの家の歪さを感じ始めたらしい冬美は俺を見るとそそくさと逃げるようになっていった。反対を押しきってまで産ませた夏雄は望んだ最高傑作ではなく、相変わらず燈矢は体中火傷だらけになって俺の帰宅を待ち伏せていた。それが、今の轟家だった。

 

 どうしようもない疲れが泥のように纏わりついていくのを俺は感じていた。家庭に罅が入ろうと敵は止まってくれるはずもなく、休む間もなく任務で酷使した体には突き刺さるような妻の視線や幼児特有の甲高い声で詰ってくる長男は酷く煩わしかった。己の野望を子に託すと決めてから既に幾年も経過していることにも、知らず知らずの内に焦りが募っていた。

 唯一の救いは、冰織だった。賢いあの子が変わらずにいてくれることだけが、崩壊寸前の家を何とか繋ぎ止めていた。冷を手伝い、冬美や夏雄の面倒を見て、そうして保育園で出来たらしい友人と交流を深めている様子に次第に疲弊した心が慰められていった。年齢以上に大人びた顔が穏やかに微笑んでいる姿を見ることだけが、俺を奮い立たせてくれていた。

 

 傷ついていないわけではないことは、勿論分かっていた。事実、体質の判明した日から冰織は俺を見なくなった。身勝手に己を振り回した愚かな父親を見限ったことは火を見るより明らかだったが、それでも構わないと心から思った。俺を憎み切り捨てることで優しく聡明なあの子がいつか幸せを掴み取れるのなら、それで十分だった。

 いつしか、暗く影の落とされたような日々の中で弟妹と楽しげに笑い合う冰織の様子を密かに盗み見ることが支えになった。俺の押しつけた夢に囚われることなく見識を広め、充実した毎日を送っているらしいことが犯した罪の免罪符になってくれるような気がした。冰織さえ心穏やかに過ごせていれば、それが放ったらかしにしている家族が幸せであることを証明しているのだと祈るように思い込もうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────その先に何が待っているかなど、考えることすら放棄した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パキリと、何かが無惨にへし折れる音が聞こえた。それはきっと、いや間違いなく、薄氷の上に必死に積み上げていた張りぼての平穏が崩れ去った音だった。

 

 その日は、朝から妙に胸騒ぎが止まなかった。そこに在るだけで肌が粟立つような得体の知れない何かがひたひたと背後に忍び寄ってきているような、そんな感覚だ。おかげで仕事中もどこか集中力を欠いてしまい、サイドキックたちに揃って常より早い帰宅を促される羽目になってしまった。

 もはや意地だけで何とか通常業務を終えて帰路を辿っている間も、じりじりと急き立てられるような感覚は消えなかった。もう年の瀬だというのに薄っすらと背に汗が滲む。もしや家族に何か良からぬことでも起きたのだろうか、などと緊張感を持ちながら玄関を潜り抜けた時、俺はすぐさま図らずもその予想が的中していたことを知ることになった。

 

「お父さん!!」

「……冰織? お前、こんな遅くまで何をして、」

 

 言いかけた言葉は虚しく空気に溶けた。眼前に広がった信じがたい光景に、脳が焼き切れるような錯覚を覚えた。

 久方ぶりにまともに相対した娘の腕は、抜けるような白から一転して濃鼠に腫れ上がっていた。その異様さに思わず視線を彷徨わせれば、もつれそうになりながら床板を軋ませていた足も同じように痛々しく変色しているのが見て取れる。

 

「……お前、何をしたんだその腕は」

 

 急速に乾きだした舌先を何とか動かして問いかけるが、しかし聞くまでもなく冰織が個性を使用したことはあまりにも明白だった。体質が判明してから今日までそんな素振りなど一度も見せなかったのに、何故今になって?

 

「仕事で疲れて帰ってきたところ悪いんだけど、私の作った氷に向かって技を打ってみてほしいの」

「何を、言っているんだ、冰織」

「もちろん確証はないんだけどね、たぶん、赫灼熱拳を一度くらいなら防ぎきれるから。もしお父さんが技を打っても私の氷が溶けなかったら……もう一度、私に訓練をつけて」

 

 こちらの問いかけに答える代わりに空恐ろしいほど無邪気な声音で告げられたそれに、今度こそくらりと眩暈がした。俺は前提から履き違えていた────この子が個性を使ったのは、今日が初めてではない。

 ああ、ああ、こんなことが現実であって良いのだろうか。冰織は、我が娘は、決して諦めてなどいなかった! 良くも悪くも素直で向こう見ずな燈矢を隠れ蓑に、今日までずっと、密かに爪を研ぎ続けていたのだ!

 

 ざあっと砂浜から波が引くように体から血の気が失せていく。不本意ではあるが、オールマイトに次ぐNo.2としてこの数年間一線を率いるに相応しいだけの実力は持ち合わせていたつもりだった。しかし、ああ、何ということだろう。現実には俺は、冰織が家族皆を欺き通し未だにヒーローという夢にしがみついていたことなど一切知ることもなく仕事にかまけて日々を浪費していたのだ。

 何と凄まじい執着なのだろう。賢い子だとは思っていたが、よもやこれほどまでに突出しているとは想像さえしていなかった。家にいる時は冷や冬美たちと変わらぬ日常を送っているように見せかけて、その実裏では再び俺に現実を思い知らせるための手筈を粛々と整えていたのだ。齢5歳とは思えぬほどの計算高さに、俺は情けなくも束の間怯まずにはいられなかった。

 

「ねえお父さん、考えてみてほしいんだけど、お父さんの望む“最高傑作”が都合よく生まれてくる確率って一体何%なんだろうね? 冬美ちゃんと夏くんのことを考えれば、本当は薄々察しがついてるんでしょう? 奇跡は二度も起きないかもしれないって考える方が自然だと思わない?」

「…………何が、言いたい……」

「つまりね、お母さんが子どもを産める内に生まれてくることが保証できない最高傑作を待つより、私と燈矢を育て上げることに注力した方が良いんじゃないかって思うの。元々お父さん、燈矢の火力には随分期待してたでしょ? 私もやっと追いつけたから、これで、オールマイトを超えられるね?」

 

 言っていることがまるで理解出来なかった。否、鼓膜に流れ込む言葉の羅列に意味をつけることを脳が拒んでいた。不自然なくらいに口角を上げて笑ってみせている目の前の子どもが、己に与えられた罰の形であることを認めることが恐ろしかった。

 

「……ねえ、だから私、」

 

 くしゃりと、シャツの襟ぐりを掻き乱しながら冰織が唇を震わせる。

 

「生まれてきた意味、あるよね?」

 

 ぽろりと黒曜石のような瞳から2つ、3つと透明な雫が転がり落ちたのを見た瞬間、俺は冰織の頬を張り飛ばさずにいられなかった。腕を振るった勢いのまま床を転がる小さな体に後悔が脳裏を刺し貫いたが、それでも沸々と湧き上がる衝動を抑え込むことは到底出来そうになかった。

 

「〜〜〜〜ッッ、何故、分からない……!!」

 

 引きつれたように不規則に震える喉から呻き声にも似た声が絞り出される。そうだ、お前は、お前だけは全てを承知しているはずだったのに。俺の醜い羨望も、その為にお前たちを巻き込んだことも、それでも尚体の奥底で火が燻り続けていることも。全て理解した上で家族を繋いでくれていると思っていたのに、何故今更のようにこの歪んだ箱庭に横たわった罪を暴き立てようとする。

 

 夜空にも似た漆黒が虚ろに揺れて闇のように濃く立ち込める。走って追いかけてきたらしい子供たちの声が恐怖に抗うように口々に耳をつんざく。

 パキリと、笑ってしまうほど軽やかな音を立てて何かが崩れ落ちた。それはきっと、もう二度と戻らない虚構の安寧を悼む合図だった。

 

 

 

 

 

「────は、あははっ、」

 

 頭の割れそうな沈黙に終わりを告げたのは、砂のようにどこかざらついた笑い声だった。ふらつく足で立ち上がった影はゆらりと蠢き、底の見えない伽藍堂が一拍遅れてこちらに向けられる。

 

「…………ふざけてるの?」

「何だと、」

「ッッッ、冗談じゃないって言ってるのが分からないの!!??」

「っ、子供たちを連れて下がれ冷!!」

 

 弾かれたように叫んだ途端、眼前に鋭い切っ先が迫り上がった。咄嗟に後ろに飛び退いて、ほとんど脊髄反射で壁のように炎を繰り出す。じゅわりと溶けて空気に混ざる白銀の更に奥に必死に目を凝らすと、冷が元より生白かった顔から一層血の気を引かせてこちらを驚愕に染まった瞳で見つめてくるのが目に映った。寝巻きに包まれた足元には子供たちも纏わりつくように縋っていて、ひとまず誰一人として被害に遭わなかったことに安堵する。

 

「やめろ冰織、お母さんたちまで傷つけるところだったんだぞ!」

「あ゛〜〜〜〜ッッうるさいうるさいうるさい煩わしいんだよ全部消えろ!! 中身のない心配もお門違いな説教も何もいらない、だってどうせ無意味で無価値な命だもの!!」

「冰織ッ!!」

 

 言葉が出ない。一度割れてしまった器に水を注ぐことなど出来ないように、もはやどんな言葉も今の冰織には届かないのではないかと思わされる。

 

「ああもう全部嫌だ、こんな思いしてまで生きてる意味って何? せめて生き方くらいは自分で選ぼうと毎日毎日毎日毎日いっそ狂えた方が楽かもしれないって思いながら頑張ってたのに、それすら無駄な努力だったって言いたいの? 忘れろ? 他にも道はある? 勝手なこと言わないで!!」

 

 ガギギッ! と天井や壁を削り取りながら氷が再び迫り来る。感情の昂りに比例するように室内は一層冷え込んでいき、濃鼠に腫れた手足に霜が降り始める。

 

(その場凌ぎでは切りが無いか……!)

 

 覚悟を決めるようにすう、と息を吸い込んで、吐き出すのと同時に炎を纏わせた足を一歩前に踏み出す。しかし踏み込んだ側からすぐさま螺旋のように氷が突き出し、揺らめく紅蓮の間からこちらを切り刻まんと猛威を振るう。その勢いはまるでチェーンソーでも振り回しているかのようで、俺は身を低くしてその場を退かざるを得なかった。尋常ではない氷の量だ、いや、量が問題なのではない。生半可な熱ではその輪郭を崩すことさえ出来ないほど、極低温に研ぎ澄まされた刃。この子は一体いつ、これほどの高みへ到達していたというのだろう。

 ほんの一瞬の躊躇を嗤うように、冰織の足元を中心に盛り上がった氷壁が脳髄を引っ掻き回しながら更に天井を侵食していく。沁み出した冷気は見る見るうちに伝った箇所から障子や壁に這い寄り、その領域を広げて花開かんとこちらを窺う。気を抜けば頭から丸ごと呑まれてしまいそうな冴えた切先に、下がり続ける気温に身震いする体を叱咤して無理矢理開いた喉に全身で力を込める。

 

「冷!! 子供たちと一緒に裏口から逃げろ!!」

「逃げろってそんな、冰織を置いて行けっていうの!?」

「そうだ!! お前の気持ちは分からんでもないが今は燈矢たちの無事を優先しろ、このままでは家中が凍りつく……!」

 

 尚も言い募ろうとする冷を目線だけでもう一度促すと、ようやく唇を引き結んで怯えきった顔で縋りついていた子供たちを連れてその場を離れる。4人分の足でバタバタと振動する床板を踏みしめながら、揺れの治まったタイミングで未だ勢いの衰える気配のない氷刃を押し戻すように真っ直ぐ炎を噴射する。踊るようにその残像を散らす紅はジュウウッ! と激しく音を立てて、目が眩むほどの白銀を透明に塗り替えていく。滴り落ちる前に空気に混ざって消えゆく蒸気に背中を押されて、今度は鎧のように全身を炎で包んでいったその時だった。

 

「…………燈矢たちがいないなら、もう、我慢しなくて良いよね?」

 

 ほとりと落とされたそれを咀嚼しようと口を開きかけ────俺は、地鳴りのように腰から背へ走り抜けた怖気に迷わず玄関を飛び出した。瞬間、爆発的に噴き出した冷気が追い立てるように布越しに肌の上を這いずり周り、下げるのが遅れた頭上を歪に形作られた塊が砲弾のごとく高速で掠めていく。凹凸の目立つアスファルトの上を遮二無二手を伸ばして一回転して、体勢を整える間もなく振り仰いだ視界に殴られたような衝撃が脳を揺さぶる。己の目が映し出す確かにそこにある光景が、あまりにも現実味を欠いていて気が遠くなりそうだった。

 

 まず目に入ったのは、玄関の扉から放射状に突き出す限りなく透明に近い月白の氷柱。先はどれも槍のように鋭利で、ゆっくりとされど着実に太さも長さも増していっているのが見て取れる。中心の、恐らく扉を最初に食い破ったと思われる氷柱からは更に幾つかの小槍が枝分かれしており、扉どころか天井まで突き抜けて雲がかかったせいか星明かりすら無い宵闇を臨んでいる。

 シチチ……と空気の凍りついていく音が鼓膜を震わせる。日中から雪が降り出していたことで元々常より冷え込んでいた大気は侵略を続ける仄白い渦に飲み込まれて、内から外から家屋を氷漬けにしていく。生み出されたそれは当然氷点下を優に下回っているのであろう、要塞のように聳え立ってはゆらりと光を屈折させてまるで陽炎が立ち昇っているようだ。

 

 止められない、とそんな愚かしい諦念が脳裏を過った。張り出した氷柱は何人たりとも寄せつけまいと威嚇するように一層牙を剥き、家の中心部では冴え冴えとした色味の薄氷が糸状に細長く垂れ下がって繭にも似た防壁を形作っていた。最高火力ではなかったもののそこらの炎熱系のヒーローより遥かに高温の炎を、一度ならず二度までも退けたあの子の執念にとてもではないが敵う気がしなかった。

 吹き飛ばされた勢いでアスファルトに膝をついたまま、呆然と胎動する氷塊の孤城を見上げる。きりきりと搾り上げるようにきつく収縮する内臓に、全力疾走でもした後のように呼吸が乱れた瞬間。

 

「お父さん!!!!」

「……とう、や?」

 

 暗がりでも分かるほど鮮烈な紅が、静寂を切り裂いてひらりと飛び込んできた。もう半分ほど白く色が抜けているというのに燃えるような夕景は煌々と闇を照らし、夜露に濡れたような湖面を湛えた瞳がキッとこちらを睨めつける。

 

「なあ、何してんだよ、なんでこんな所でぼーっとしてんだよ、早くひぃちゃんを助けろよ!!」

「燈矢、ここは危ない、何故ここへ来た!? お母さんたちと一緒に逃げなさい、」

「誰のせいでこんなことになってると思ってんだよ!!!!」

 

 ぐわんと脳髄を強か殴り飛ばした絶叫に息が詰まる。声にならない声で地団駄を踏んで、ぐしゃりと髪を掻き乱して、燈矢は俺の胸元に拳を打ち込む。

 

「クソ、馬鹿だ俺、なんであの時目逸らしたんだろう、お父さんが認めてくれないなら俺だけでも認めてあげなきゃいけなかったのに、なんで“怖い”なんて思っちゃったんだ、」

「燈矢、」

「うるさい馬鹿やろう全部お前のせいだエンデヴァー!! お前が身勝手に俺たちを巻き込んだから今こんなことになってるんだろ!? なんでずっと他人事みたいなツラしてんだよぉ……!!」

 

 2回、3回。繰り返し振り下ろされる拳が、皮膚を突き破らんばかりの痛みを伴って俺を責め立てる。嗚咽混じりの悔恨はじゅくじゅくと膿んでは指先をひりつかせて、どこからかサイレンの音が遠く耳を打った。

 

「……火が、消えないんだずっと。どこにいたって何をしてたって忘れられないし諦められないんだよ、だって火をつけたのはお父さんだ、それなのになんで今更他の道なんか見れるって言うんだよ? お父さんはずっとNo.1に拘ってお母さんに“最高傑作”を産ませようとしてるくせに」

 

 はらりと、大粒の涙を次から次へとこぼしながらもこちらを鋭く見据える燈矢の頭を小さな白い欠片が掠める。それはいつの間にか厚く垂れ込めていた灰色から舞い落ちた淡雪のようにも、相変わらず膨張を続ける孤城から剥がれた氷晶にも見えて、風穴の空いた心臓を音もなく吹き抜けていく。

 傷つけないために、遠ざけたつもりだった。己の身を痛めつけながらヒーローになったところで先なんてないと思ったから、何か他の道を見つけられれば良いと必要以上に関わることを避けた。俺は結局のところヒーローの世界しか見せることの出来ない人間で、無限に可能性が広がっている子供たちを導くには相応しくない存在だった。

 

 ────否、本当にそうだっただろうか?

 

「お父さんは逃げてるんだ、いつまで経ってもオールマイトを超えられないことも、俺たちがずっと期待に応えようと努力してたことも、都合が悪いから目ェ逸らしてんだ。自分が出来なかったから最高傑作に託そうって考え自体が間違いだったって認めたら、今までの努力が全部無駄になっちゃうもんな? 自分の我儘が皆を傷つけてるって、認めたくないんだ、」

「違う燈矢、俺は……」

「何が違うって言うんだよ!! もうこの際俺のことはどうでも良いよ、でもさ、ひぃちゃんが今日までずっとお父さんにもう一度見てもらいたくて頑張ってたことまで否定すんなよ!!」

 

 バキリ、と鈍い音に空気がひしゃげる。自重に耐えきれなくなったらしい小槍が崩れ落ちるのを横目に見ながら、俺は何一つ言葉に出来ないままひたすらに詰ってくる燈矢の拳を受け止めている。

 

「なあ、いつまで見ないふりするんだよ、頭の良いひぃちゃんが今でもわざわざヒーローに拘ってる理由が本気で分からないって言うつもりかよ! 何がヒーローだよ、自分のことばっかで家族のことは放ったらかすのがヒーローなら、俺はそんな最低な人間にはなりたくない、」

「………………燈矢……」

「言い訳なんか聞きたくない、本当にちょっとでも悪いって思ってんなら早くひぃちゃんを助けてくれよ、何のためにお父さんはエンデヴァーになったんだよ!!」

 

 夜が溶ける。輪郭が歪んで、晴れていたはずの空は再び粉雪を散らして、それら全てがツキリと確かな痛みでもってどうしようもなく俺を苛む。

 カラカラに乾いた喉で無理矢理唾を飲み下すと、引きつれた呼吸の間で一際大きく碧い瞳が波打った。パチパチと弾ける火花のように深い海はそこかしこに微かな光を反射させて、鋭い光線に射抜かれた体がどくりと重く打ち震える。

 

「もし、このままひぃちゃんが……冰織が死んだら、一生呪ってやるから」

 

 燈された熱が俺の胸を突いた。後悔とも焦燥ともつかない濁って澱んだ全てを綯い交ぜにした何かが、明けない暗闇で産声を上げていた。

 

 

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