君だけが大好きなただ一人の友   作:夢見 双月

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愛城恋太郎だけが大好きなただ一人の青井春人

 それは、警告音声。

 

 俺達に対してではなく、花園家の人々に向けたものだった。

 

 

 

「羽香里——————」

「恋太郎君!? 唐音さん!? どうして……」

 

 唐音が扉を開けた先には、羽香里がいた。

 やっと、見つけた。見つけたんだ。

 

 しかし。

 

『羽香里様が逃亡しました!!』

 

 

 

 目覚ましのベルよりもけたたましい音が響き、予め設定されていたであろう音声で警告が発される。

 

 困惑する唐音を他所に、足音が迫ってきている。

 

 マズイ。

 

(——————自分の子供に……そこまで……ッ!!)

 

 考えてるヒマはない。

 必死に手を伸ばす。

 

「迎えに来たんだ! 一緒に逃げよう羽香里ッ!!」

 

 

 

「無駄よ」

 

 

 

 つららを差し込まれたかのような、冷たい感覚。

 

 

 

 そこには羽香里の母親である花園羽々里と。

 拳銃を携え構える、メイド達の姿があった。

 

「くっ、もう囲まれた……っ!」

 

 唐音が歯噛みする。

 銃を持ち出されれば、何をしようと無理だ。

 

 俺が出来るのは精々、体を張って後ろの彼女達を守るくらい。

 その後は確実にダメージで動けなくなると想定すれば、今暴れたところで意味がない。

 

 

 

「羽香里はここで隔離しておいて。二人は連行して付いて来させなさい。私が直々に話を付ける前にやる事があります」

 

 俺たちに命令が下される。

 銃に囲まれてしまえば、大人しく従う他ない。

 

「貴方達は人質です。忌まわしくチョロチョロする貴方の友達を止めるためのね」

 

「くっ……」

 

 

 

 早々に、羽香里を離されてしまった。

 扉を閉められる直前の羽香里の顔は絶望に歪んでいた。

 

 ごめん、羽香里……ッ! 

 

 

 

 

 

「恋太郎、視界はどうなの?」

 

「ダメだ、まだ効果は切れない」

 

 楠莉先輩の点眼薬——————『赤外線が見えるようになる薬』のデメリットとして、赤外線以外の光を遮断して見えなくなる特性がある。今の俺は微かな音や風を感じる程度しか出来ず、唐音の手助けがなければ目的地には迎えない。

 

 そんな状態じゃ、どうやったって足手まといだ。

 

「……私一人がここで暴れてもどうしようもないわね。春人がどうなってるか予想出来る? 向こうもかなりマズイ状況の可能性はない?」

 

「分からない。少なくとも俺の近くでは、拳銃が出てくるような事件は無かったから……」

 

 逆を言えば、ある程度の事件ならハルはよく巻き込まれていた。それを切り抜けて来たからこそ、俺もハルを信じていられる。

 

 

 

「観念することね。あの子が如何に強くても、物量に勝つことは出来ないわ。それにもしもの時に備えて……実弾も用意してあるのだから」

 

「あ、アンタ!? 春人を殺す気なの!?」

 

「殺すつもりはないわ。ただ、あんな男一人の命よりも身内の命とは思わないのかしら。元気過ぎて困るくらいなら脚の一つや二つは覚悟しておくべきだと思いますけどね」

 

「そこまで……っ! 春人が何をしたってのよ!? アイツは羽香里の為に命を投げ出してんのよ!?」

 

 

 

「……何をしでかしていたのか、知らないのかしら?」

 

「!?」

「はぁ!? 知らないって何よ……!」

 

 羽々里さんの影が差した表情が、少し怪訝になった。

 

「恋太郎とか言ったわね。貴方は知ってるかしら?」

 

「沢山の暴力団をたった一日、たった一人で潰した事件の事ですか……?」

 

 

 

 

 

「違うわ」

 

 

 

「な、なんだってのよ……っ! 春人が何をしたってんのよ!!」

 

 

 

 羽々里さんが答えたのは、俺の知らない……いや。

 

 中学時代。

 生徒全員が、彼を忌避してた時期。

 

 ハルが俺と出会うまで、不登校だった原因。

 俺がハルに対して、わざと聞かなかった事件の方だった。

 

 

 

「殺人。彼は、私のメイドの血縁を殺していた男よ」

 

 

 

 

 

 だって。

 人殺しの噂だけは、決してハルの周りから消えることはなかったから。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

『生きて』

 

 暗闇の中を歩く。

 

 歩くたびに、ピチャピチャと水音が跳ねる。

 水位の低い川の中を歩かされてるみたいで。

 

 

 誰かの願いが、声が聴こえる。

 どうして、こんな所にいるのだろう。

 

『生きて』

 

 

 

 私は、凪乃さんと楠莉さんと一緒に居たはずなのに。

 

 

 

 

 

 あれは確か、外で待機している時の事だ。

 

 家の中の状況が分からないまま数十分経とうとしていたところで。

 痺れを切らした楠莉さんが中に行こうとするのを、すかさず制止する凪乃さんに加勢しようとしていた時だった。

 

 自分の小指が、締まっている感覚がしたのを覚えている。

 

 

 黒く煤けた、ボロボロの糸が絡まっていた。

 今にも千切れそうに腐り落ちている。

 

 

 

 

 

 幻のようだと思った。

 でも、放ってはおけなかった。

 

 助けなきゃ、と思った。

 

 

 

 私には、これが春人君の糸だと。

 

 彼の辿る運命の暗示だと。

 

 最初から分かっていたみたいだった。

 

 

 

 糸が、碧く光る。

 

 瞬間、体が持っていかれる。

 そして気付けば、この不思議な空間に投げ捨てられていた。

 

 

 

「……?」

 

 何も見えない訳ではないが、周りが全て黒色で。

 正しい方向に進んでいるのかさえ分かっていない。

 

『生きて』

 

 先程から聞こえるこの声はなんだろう。

 女の子の声だけれど、聞き覚えがない。

 

 

 

 

 

『なんで喋れないの!?』

 

 その言葉に、肩が思いっきり震える。

 

 こちらは聞き覚えがある。

 だからこそ……怯えてしまう。

 

『喋ってみなさいよ! ……喋れ……っ!!』

 

(お母さん……? なんで?)

 

『喋りなさい!!』

 

 

 

 モニターが宙に浮いているように、映像が映っていた。

 

 私の視点だ。私の目が見た景色だ。それが映っている。

 見たくないほどに、お母さんの鬼気迫る表情が心を乱す。

 

 突然、映像が消えた。

 

 

 

 そして、次は奥の方に映像が現出する。

 

 私は勇気を振り絞って進み始めた。

 

『お兄ちゃぁーん! うわぁぁぁ!!』

 

 女の子が泣いていた。

 

(あ……)

 

 

 

 

 

『ごめんな、なつき。体調崩しちゃって』

 

 この子は見覚えがある。この男の子の声は聞き覚えがある。

 

 

 仏壇の写真で見た春人君の妹だ。そして彼の声。

 

『具合はどうだ? ハル』

 

()は大丈夫だよ、父さん。せっかく家族で出かけるんだから、僕一人でも留守番出来るし……置いて行ってきても……』

 

『お兄ちゃんと! 遊園地に! 行きたいの!!』

 

『……だってさ。母さんもきっと同じ気持ちだよ。遊園地なんていつでも行ける。元気になったら、また予定を組んで行こう』

 

『……ごめんなさい』

 

『こんな事で謝らなくて良いわよ。貴方は元々体が弱いんだから無茶しちゃダメ。パパ、薬局に行きたいのだけど。薬が無くて……』

 

『分かった。ハル、悪いけど行ってくるよ。一眠りしているといい』

 

『なつきも行くー!』

 

『はいはい、じゃあなつきは春人の飲み物を選んでくれるかしら?』

 

 

 

『……いってらっしゃい』

 

 

 

 その目は少し寂しそうだったが、柔らかな笑みだった。

 今よりも随分と穏やかだ。

 

 家族のいる春人さんは、今とは似ても似つかない。

 

 これは春人の記憶が映像になっているのだろうか。

 

 でも、さっきは私の記憶だった。

 どうなっているんだろう。

 

 

 

 新たな記憶が、奥に現れる。

 

 そこに居たのは、春人の後見人の唐島朝日さんだ。

 

 

 

『これであんたの親権は一応アタシのものだ。だが、無理にあんたを縛る気はないよ。後、葬式の時は親戚のバカ連中が迷惑かけたね。居心地良くはなかったろう』

 

『…………ねぇ、おばちゃん』

 

『なんだい』

 

『ごめんね、みんな外に出てていないんだ。しばらくしたら帰ってくるから。先に飲み物を出すよ……と言ってもお茶しか無いと思うけど』

 

『あんた、何言ってんだい』

 

『父さんも、母さんも、なつきも。きっと帰ってくる。……そうだ、そうだよ! 仕事が忙しいんだ! 母さんだって買い物に行ってるし、学校には部活だってある! だからなつきは今頃、どの部活にするか悩んでて、それで遅くて……!』

 

『あんたの家族は……交通事故で亡くなった。……それは変わらないよ』

 

『……っ!』

 

『非は向こうにある。あんたの家族は何も悪かない。強いて言うなら、間が悪かった。ただそれだけさね』

 

『そ、そんなはずないだろ!?』

 

『……』

 

『だって言ってたんだ! みんなで遊園地に行くんだって! 返せよ! 返せぇ! 僕がっ、身体が弱いせいで! 学校には友達も居なくて! 家族だけだったんだ! 父さんも、母さんも、なつきも!! ……大好きだったんだ。僕が、身体が弱いせいで、僕のせいで事故で……みんな、いなく……」

 

 

 

 

 

『あんたも、何も悪くないよ』

 

 

 

 

 

『…………うぐっ、ひぐっ……会いたい。家族に会いたい。なつきと一緒にベッドに潜り込んで、またみんなで抱き合って眠りたいよ。母さんの手料理が食べたい。なつきの学校の思い出話をずっと聞いていたい。父さんとゲームをして笑いながら負けたい……ねぇ、おばちゃん』

 

『なんだい』

 

『死んじゃったら、家族に会えるかな』

 

 

 

 

 

『そんな事を……』

 

『僕、強くなるよ』

 

 

 

 

 

『……あんたの家族が、望む訳ないさね』

 

『そうすればきっと、自分を殺せるでしょ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初からいないのと、後から失うの。

 一体、どちらが辛いのだろう。

 

 私には分からない。

 私は、最初から持っていなかったから。

 

 

 

 話す勇気を、初めから持っていなかったから。

 

 

 

 ここまで大事な友達なんていなかった。

 貴方に出会うまで。

 

 同じ目線で、分かった気にはなれない。

 そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 次の物語が語られる。

 

 

 

【その昔、青井春人は酷い失恋をした】

 

 

 

『ごめんなさい』

 

 

 

【相手が対応が酷かった。ということじゃなかった】

 

 

 

『好きな人がいるの』

 

 

 

【その後の関係が悪化した。ということもなかった】

 

 

 

『これまで通り、友達として接してくれると嬉しいかな』

 

 

 

 

 

 

 

 病院の一室にて、ベッドに腰掛ける少女が笑顔で告げる。

 

 

 

 

 

 その笑顔は——————仮面だ。

 私でも分かる。

 

 彼女はウソを言っている。

 

 

 

 

 

 そもそも彼女は誰なのだろうか。

 先程までの『生きて』という言葉の主と声色が似ている。

 

 当然、私の近くにこんな人は居なかった。

 

 つまり。

 

 春人君の友達で……。

 

 

 

 

 

 

 

 春人君が恋をした女性。

 

 

 

 

 

 しかし、映像の春人君は。

『そうか』と、彼女のウソを受け入れていた。

 

 

 

「……ぁ……!!」

 

 思わず届かない手を伸ばす。

 

 

 

 

 

 違う。

 

 気付いて。

 

 その子の言葉はウソで……! 

 

 

 

 

 

 映像が次々と切り替わる。

 

 

 

 フラッシュバックするように、多くの場面が僅かな時間で切り替わる。

 

 彼の地獄へ、切り替わる。

 

 

 

 

 

 彼は家族を失う前に、とある女の子と知り合う。

 

 病弱の彼に、プリントを届けに来る。家が近いだけの女の子。

 

 

 

 やがて妹に懐かれた女の子は、その活発な性格で春人と接していた。

 

 

 

 いつしか、プリントを渡し続けた彼女も【家族】になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ある時、彼女以外の【家族】が消えた。

 

 

 

 春人は狂った。

 春人は何よりも【家族】が大好きだったから。

 

 

 

 たとえ会えるのなら、死んでも構わないと。

 

 泣き叫び、感情が消え去り、幻覚を見始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 唯一の【家族】は春人を抱きしめた。

 

 

 

『【家族(わたし)】だけのために、生きて』と願った。

 

 

 

 数年後、春人は変わった。

 

 愛の全てを彼女に向けた。力も、知性も、心も。ただひたすらに彼女のみに捧げ始めた。

 

 病弱だった男の子は鳴りを潜め。絡む不良や不都合な教師にさえ牙を向く。

 

 

 

 たった一人の【家族】を守るために。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、守れなかった。

 それだけの話だった。

 

 

 

 大人の暴力に押し潰された彼女は。

 

 青井春人の【家族】であることを拒否した。

 

 

 

 身体が震えながら、病室でウソを吐く。

 出来る限りの優しさを込めて。

 

 春人は受け入れるしかなかった。

 

 彼女は男性恐怖症を発症していた。

 

 

 

 彼女にとって、春人は恐怖そのものだった。

 

 

 

 

 

 自分を嬲り、人形にした大人。

 そして、その大人を肉塊にした【家族】だった男。

 

 二つの暴力が、彼女を運命から奈落へ突き落としたのだ。

 

 

 

 

 

 何もかもを失った男が、自死のために暴走するようになるまで遅くはなかった。

 

 

 

『生きて』『いきて』『イキテ』

 

 ダレかのそのおまじないは、呪いに。

 

 

 

「誰かっ、ダレかァァアア!!」

 

 絶望した男に、自殺は許されなかった。

 

 

 

 

 

()をっ、おおっ!! ()()をっ、殺してくれぇェェエエ!!!!」

 

 罪を背負い、罰を受けられなかった男は。

 

 自身を傷つけながら断罪を待つ。

 

 

 

 

 

 時は流れる。

 

 掠れた声が出なくなり、目の奥はとうに濁りきっていた頃。

 

 凶暴性が抑えられ、感情が抜け落ちた時。

 後見人から不登校の解消を提案される。

 

 青井春人、中学3年、春の頃である。

 

 

 

 桜が舞った。

 新しい学年が始まる。

 

「……青井、春人」

 

「す、座っていいぞ。次の生徒、自己紹介を……」

 

 多くの生徒が、春人を見ていた。

 

 しかし教師が恐れからか、流すために次を促す。

 

 

 その時、僅かな光が差した気がした。

 

 

 

「愛城恋太郎です。よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は食い入るように見つめ、頭の中で反芻させていた。

 

 こんな悲しい物語はない。

 春人君はまだ、何も救われていない。

 

 無理矢理理屈を付けて救われた事にして、全ての悲しみに蓋をして……取り繕っているだけだ。

 

 

 

 彼は、死にたがっている。

 

 

 

 彼が特別強い理由が少し、理解できた気がした。

 

 彼の死さえも厭わない肉体の酷使。ただの人間が稼働限界を越える事で、英雄にさえ肉薄出来うる瞬間を創り出せる。いわば死滅願望。

 

 彼を蝕む『生きて』と願われるおまじない。願われ続ける限り、生存の方法を思考し続ける。自殺は論外、可能性が0%になるまで足掻く事を強制される。それは生存本能の暴走。

 

 

 

 そして。

 空っぽの存在に奇跡が起きなければ。

 

 

 

 彼ら二人が出会えていなければ、青井春人はここに居ることさえ許されなかった。

 

 もし、恋太郎君が家族と思われていなければ。

 空虚の果てに、待っているのは残酷な運命だったはず。

 

 

 

 しかしその奇跡でさえ、表面的な救済でしかない。

 

 恋太郎君ですら、仮の器のようなものだ。

 空いた心の穴に別物のピースをはめ込んで、かろうじてゆっくり溢れてしまうかのような応急処置。

 

 本当の意味で心を癒してくれる存在は、みんな遠くへ行ってしまっている。

 

 なら、誰にも治す事は出来ないだろう。

 

 

 

 

 

 やっぱり。

 

 私は、春人君を助けたい。

 心の底からそう思った。

 

 黒に染まった世界が、私を中心に少し白い世界へ変わる。

 

 

 

 一歩。

 

『なんであなたはそんなに変な子なのッッ!!』

 

 頭に響く。痛い。

 

 つま先が白く光る。

 

 

 

 一歩。

 

『好本』

 

 構わない。大丈夫。

 

 靴を中心に、白い世界が波紋と共に広がる。

 

 

 

 一歩。

 

『ちゃんと喋ってくれない? 気持ち悪いんだけど』

 

 痛いけど、大丈夫。

 

 やがて、水面が白く輝き出した。

 

 

 

 一歩。

 

『それがお前の本来の喋り方、なんだな』

 

 あの微笑みは、きっと彼の本音だったのだから————! 

 

 全てが、白い空間へ。

 

 

 

 

 

 一歩。

 

 あの日の夕暮れの、私達のように。

 

 

 

 

 

『うぅっ、はぁ……! はぁ……っ!』

 

『(やっぱり! 『キスをしたくてたまらなくなる薬』を春人君は毒味の時に飲んでた……! 呼吸が荒いから、どうにかしないと……!)』

 

 

 

 

 

 

 

『(……っ、ごめんなさい春人さん! 私の口づけで少しでも症状が楽になるなら……!! 私のことを許さなくていいから……!)』

 

 

 

 手を伸ばす。

 

 私が、守らないと。

 

 

 

 

 

 私が。

 

 

 

 助けないと!! 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 花園邸、大広間にて。

 

 僅かに、瞼を開ける。

 

 

 

「こ、これは……」

 

「なんで、あの弾痕の位置じゃ……!?」

 

 意識が無い時の事も少しだけ覚えてる。

 

 わざと心臓を狙わせた銘戸に、妹が困惑しながら実弾についての説明を求めていた辺りぐらいだけれど。

 この記憶は意識を飛ばす前だったか、目覚めた後だったか。そこまでは流石に分からないや。

 

 

 

 そして、やっと。

 

 切り札が起動し始めた。

 

 

 

 まず、副作用について。

 

 この薬は特性上、肉体が再構成される。身体の表面から内臓まで全てがガラリと変わる、すなわち『変身』ではなく『変態』に近い。……そういう意味でじゃないぞ。虫の蛹の時のアレってことだぞ。

 そして、変態というのは見た目よりも精神的負担が酷くかかる。

 脳みそまで再構成されるのだ。記憶や経験が消える訳ではないが、再構成されてる間は意識が飛ぶ。

 

 要は、一旦死ぬ。

 そして、再構成であれば。

 

 最低限の負傷なら再構成における行程の中で、傷が塞がったり脆くとも骨が繋がる事ぐらいなら出来る。

 複雑骨折なら兎も角、実弾が体内を通って行った程度の怪我ならまず間違いなく正常な所まで持って行けるのだ。

 

 ざっくり言えばDr.ST●NEの石化復活反応に近い。それの劣化版のイメージ。

 ある程度ならついでに修復される。完治する程ではない。

 

 さらに言えばこの薬を飲んだ時点で、1回目の死亡は確定するのだ。

 つまり銃弾で力尽きた事もついでに無かった事になって復活する。最高のタイミングである。

 

 まぁ、副作用1番のキモも一旦死ぬことに他ならない。

 人間というのは、誰しも幽体離脱出来る訳でもなし。魂の状態で意識を無くしてしまえばそのまま成仏もあり得る。そういった死の境目を感じることができるのは、普段から死にたいと考えるような人間の……いわば慣れみたいなものだろう。

 

 

 

 故に、成功例であるおれだけが使える専用試験薬。

 ちなみに楠莉の姉さんは使用して成仏しかけた側の人間だ。『打ち消しの薬』でなんとかなったのが救いだった。

 

 

 

 そして、本来の効能。

 

 周りを青く輝かせ、その形を……輪郭をなぞり直す。

 肉体はガラスのように透き通り、その内部は物質の反応によって全身に光の粒が眩く瞬いている。まるで人の形をした銀河。

 

 全身が曲線になり、身長が縮み、より細くなる。

 

 衣服さえも変質し、その身体に見合う装いへ変化していく。

 脱ぎ捨てられた青いパーカーのみが、その変化を静かに見守っているようだった。

 

 髪が腰まで伸びた頃。

 変態が完了したかのように、青い髪が最後にワサリとクセがつく。

 

 肌の青白い光が消え、本来の白磁のような肌が晒される。

 

 

 

 ベージュのカーディガンの下に白いワイシャツを身につけ、下のスカートは袴着のように二又に別れている。

 

 見開いた目は、紺碧に染まっていた。

 

 

 

 これが、おれだけが使える。

 

 

 

『女になる』

 ただそれだけの薬だ。

 

 

 

「……」

「春人……様……? いや、雰囲気どころか見た目すら別人……!」

「さっきまでボロボロだった春人さんが……!」

 

「……」

「貴方は、一体何者ですか……っ!?」

「お姉様! 無理に動くと……!」

 

 

 

「……」

「……っ!」

「……っ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……(ピョピョピョ)」

「喋ってくださいませんか」

「ピョピョピョじゃないですよ!? 何微笑みながら突っ立ってるんですか!?」

 

 

 

「……(とても分かりやすいジェスチャーで『おれは青井春人だ』と言っている)」

 

「な、なんてわかりやすいおジェスチャー……!」

 

「これは理解せざるを得ないですね……!」

 

 

 

「「とはならないでしょう!!」」

 

 

 

 なんでか知らんが、この状態では口が聞けないらしい。

 以前はこんな事は無かった。

 

 髪が長くなっているのは前も同じだったが、髪色は男の時と同じブロンド崩れの金髪みたいな色だったはず。今回は濃い青色だ。

 

 それに服も変わっている。

 こんな秋を感じるコーデになった覚えはない。以前は変わらなかった覚えがある。

 

(何か条件が変わった……? 試行回数自体がそんなに多くなかったしな。数える程しか試験出来てないなら、まだ解明されてない部分が出てきてもおかしくないのか?)

 

 

 

 ともかく、これで全快。

 

「……」

 

「……う、くっ……!」

 

 

 

 

 

 ——————だったら、良かったんだがなぁ。

 

 

 

 正直見た目だけのハッタリだ。

 身体が変化した途端に気付いてしまった、否が応でも分かってしまう事実。

 

 

 

 殴らなくても分かる。今のおれ、めちゃめちゃ弱い。

 

 びっくりするほど弱い。

 

 さっきまでのおれが持ってた達人オーラみたいなのが消し飛んでる。前話までは背景を歪ませるくらいの描写があったはずなのに。

 今はもう53万から5になったくらい気の小ささを感じる。

 

 なんなら精神面もやばい。

 戦闘モードとなってるおれの隣に、ビビり散らかしモードになってるおれがいる。まるでおれが二人いるみたいだ。

 コイツのお陰でさっきから足の武者震いが止まらない。マジで止まらない。昭和のスケバンレベルの長いスカートで助かった。

 

 

 

 さらに言えば、傷は塞がったが治りきった訳じゃない。

 

 あくまで再構成。

 塞がっただけで、ダメージは無くなった訳じゃない。骨折していた所は異様に脆くなっているし、限界まで動こうとすれば動く前に全ての傷が開くだろう。肺に溜まっていた血液の一部に至っては再構成されずに喉の方へ逆流してきた。そこは無理矢理飲み込んで胃袋へ押し込んで事なきを得たが。

 

 

 

 

 

 なので、今動くわけにはいかないのだ。

 

 戦った所で勝てない。それが分かっているから、敢えて何もしない事で時間を稼ぐ。

 

 

 

 

 

 最も、時間を稼ぐ必要も無くなったようだが。

 

 

 

「か、身体が……!?」

 

「お姉様!?」

 

「……」

 

 

 

 身体がクソ弱くなったのは誤算だが、怪我が治りきらないのは想定内だった。

 

 今までで詳しく検証した事のない部分を都合の良いように見てると、後々酷い目に遭う事になるからな。

 

 だから、痺れ薬を仕込んでおくのは当然の事だ。

 

 

 

「……(『さっきの煙幕はただの煙じゃない、効き目は薄いが数十秒なら確実に痺れさせる毒を混ぜ込んだものだ。喉元過ぎれば無害に変わるが、少し吸っただけで効果は覿面だったな』という手話)」

 

「なっ……!? 麻痺毒ですって……!?」

 

「……(『決着だ』と言いたいが、自分も耐性があるとはいえめちゃくちゃ吸い込んでたので痺れて手話が出来ていない)」

 

 

 

「急にふざけるのやめてください」

 

「……(不服な顔)」

 

 多少は痺れているが、所詮は手が震えたりする程度。

 目の前の敵達とは痺れの酷さが違う。

 

 この手で銘戸の細い首を掴むくらいは造作もない。

 

 

 

「やめろ」

 

 

 

 銘戸の息が掠れた声が聞こえた途端、反射で手を離す。

 そのまま銘戸はドサリと落ちて倒れた。

 

 全員が張り詰めた空気の中、動けない。

 

 

 

 初めて、この状態で発声する事ができた。

 随分と高い声だ。明らかに男のそれではない。

 

 

 

 

 

「芽衣! ……こ、これは!?」

 

「春人、大丈夫! ってアンタ……!? 誰!?」

 

「ハル! ……っ、ごめん唐音、今どうなってる!?」

 

 

 

 全員が突入して来たのは、まさにこのタイミングだった。

 ドアが大きく開き、見慣れた顔が揃い踏みとなる。

 

 

 

 おれの手が、激しく震えている。

 

 恋太郎や院田、羽々里さんの事なんて考えていられなかった。

 

 

 

 おれの身体は、まだ銘戸芽衣を殺そうとしているのだから。

 

 

 

「それは、ダメだ。やめてくれ」

 

 小声で、諭すように。声を掛け続ける。

 

 手の震えは、怖いからじゃない。

 殺そうと手を伸ばす意志を、殺してはならないと抑えつけているからだ。

 

 

 

 気付けば、左目から涙を流していた。

 

 おれの為に。

 おれを知っている誰かが。

 

 おれと融合して、おれを理解して。

 おれのキズを知って本気で怒っている。

 

 おれの代わりに、泣いてくれている。

 

 

 

 涙はおれじゃない、もう一人の感情によって流されたもの。

 その殺意はおれじゃなく、もう一人の怒りによって溢れたもの。

 

 

 

 そうだとしても、人を殺すことはいけないことだ。

 分かってほしい。手を汚す必要はない。

 

 今まで、散々後悔した事だ。

 

 

 

 やがて、手の震えはなくなった。

 羽々里さん達の方へ向き直る。

 

 

 

「私めを……殺さないのですか? 蘇生する手段があったとはいえ、その心臓を貫いたのは事実です」

 

「なっ……! 芽衣ッ! どういう事よ!? 何故貴女がそんな判断を……っ!?」

 

「お許しを受け取るつもりはございません、羽々里様。これは私めという個人の問題なのです。私めは然るべき処遇の後に自首致します。……それよりもお聞かせください、青井様。私めを殺すのか否か」

 

 

 

「ぁ、あー……。うん。大丈夫だな」

 

 少しだけ発声を確認する。よし、喋れる。

 もう一人は鳴りを潜めてくれたようだ。今、主導権はおれになっている。

 

「なんとなく、アンタのやりたい事が分かってきた。……少しずつだがな。アンタの知り合いがおれの所為で大変な事になってたなら、そんな危険な男は排除してでも守りたいだろう……アンタの身内がどんな人間でも」

 

「……っ、分かって……いたのですか?」

 

「いや。要領を得た訳じゃないから、あくまで予想だ。アンタみたいに恨みを持っているヤツなんざ、ちょっと心当たりが多すぎるもんでな」

 

 そう言いながら、おれは上半身を脱ぎ始める。

 

「だが、自首するにも証拠ってのは必要だ。アンタが実弾をおれの心臓にぶち当てた証拠はどこにある?」

 

「ちょ!?」

 

 おれの奇行に、唐音が叫ぶ。

 

 ワイシャツを開いても、銃の痕はどこにも無い。

 当然だ。回復や修復ではなく再構成。傷跡なんかは無かったことになる。物証なんてものはとっくに消え去っていたのだ。

 

「あ、アンタねぇ! いきなり何してんのよ!?」

 

「銘戸芽衣。……勝ち方も、負け方も。これでどうやら全て目論見から外れたようだな」

 

「……」

 

 

 

(おれ)の完全勝利、だな。じゃ、敗者は大人しくくたばっておけ。これ以上お前さん一人がどう足掻いたって無様を晒すことになるだけだからな、あぁ残念残念」

 

 

 

「……くっ」

 

 おれとの銃撃戦。実弾までの仕込み。

 全ての勝ち筋を叩き折った。

 

 自分の立場を犠牲にしてでも行った凶行。

 忠誠心とやらがどこまでのモノかは知らないが、羽々里に顔向けするつもりは無かったのだろう。外道に堕ちる事さえ覚悟して。

 それすら、叩き割った。

 

 なら、もう充分だろう。

 何もかも思い通りにならなかった事が、銘戸さんにとっての最悪の敗北だから。

 

 

 

「さて、羽々里さん。随分と顔色が悪いご様子。悪いが銘戸さんへの説教は後回しにしてもらおうか」

 

「貴方は……いえ、貴女は本当に青井春人なの.……?」

 

「……どう見てもそうだろう」

 

「「いや、そうはならんだろ」」

 

「貴女の仲間達がこう言っているのだけど」

 

「どう見ても愛城恋太郎の隣にいる、あの最強無敵の彼女——————ん?」

 

 

 

 言葉を、一旦止める。

 

 

 

「違う。……彼女! じゃない。彼女! じゃないっての!! あっ、いっ、ぼっ……! よしっ、言えるな。すぅ……彼女! いやなんでやねん!!」

 

「一人で何をやってるのかしら」

 

 

 

 くそぅ、一人でコントしてるみたいになった。

 

 違う、違うんだ。

 もう一人のボク……らしき誰かが、頑なに自分の立場を固辞し続けてるだけで……っ! 

 

 お前っ。

 なんとなく誰か分かった気がするけど本当にお前か!? 

 

 自己主張こんなに強かったっけ!? 

 

 あっ!? お前今目ェ逸らしたか!? 意識の中で目ェ逸らしたよな!? 

 

 

 

「ともかく、こちらには動けないメイドが二人。そちらには恋太郎と唐音。お互い膠着状態ってところだな。さて、それじゃ取引の時間といこう」

 

「貴方に主導権を握らせた覚えはないわ」

 

「なら、実力行使を継続するか? それこそメイドらの命は保証出来ないし、羽々里さんの後ろにいるメイド達の銃はゴム弾だろう? 数発なら当たっても死にはしないし、実弾に切り替える時間を与えるつもりもない。……人質をどうこうしても痛み分けにすらならないぞ」

 

「……」

 

「聡明なアンタなら……この状況を分からないはずがない、と思うが。どうだ?」

 

 

 

 忌々しげにこちらを睨む羽々里。

 そんな視線を無視して、おれは銘戸さんの拳銃を拾い上げる。

 

 弾があるかどうか。そんなのは関係ない。

 

 

 

 取引を持ち込む相手は、もう一人。

 

 

 

「そして恋太郎、唐音。お前らも動くな」

 

 

 

 

 

「アンタ……!?」

 

「悪いが、このまま駆け落ちなんぞされるとここまで動いた意味が無くなるからな。花園家との諍いがどうなろうと、お前らは必ず止めるつもりでいた」

 

「……最初から、ってワケね」

 

「当たり前だ。分かってたろ、恋太郎は言っても止まらないことくらい。なら、無理矢理でも止める。【唐音】の身体がどうなってもいいなら……動いてみろよ、恋太郎」

 

「……動けるわけないだろ、ハル」

 

 恋太郎が身構える体勢をやめ、力無く直立する。

 抵抗しても状況が良くならないと判断したのだろう。

 

 唐音の方は……一瞬だけ目を見開き、すぐさま睨みつけてきた。

 

「どういう事よ、ハル! アンタだって羽香里を助けるためにここに来たんじゃなかったの!?」

 

「当然、【羽香里】のために来た。だが、お前らとはゴールが違うってだけの話だ」

 

 

 

 

 そう言って、羽々里に向き直る。

 恋太郎側の説得は終了した。

 

 いや、意図は通じた。厳密には唐音に通じた。

 

 

 

「……貴方達は、仲間ではなかったの?」

 

「言ったはずですよ羽々里さん。『おれは羽香里の意思だ』と。男側の理想と女側の理想が何故同じだと言えるんですか」

 

 羽々里さんはここで、初めて気付いたようだった。

 

 当たり前だ。分かるわけがない。

 

 

 

 

 

 ここにいるおれだけは……目的が違う。

 

 初めから、おれの目的は『羽香里の奪還』では無かったのだ。

 

 

 

 

 

 恋太郎達の目的。

 それは『羽香里の家の支配から助け出し、駆け落ちする』こと。

 

 だが、それには大きな問題がある。

 羽香里がいつでも連れ戻される、というよりももっと大きな問題が。

 

 

 

 それを知っているのは。

 

 おれだけだった。

 

 

 

 ここからはおれの予想。

 でも、間違っていないと思う。

 

 花園羽香里という女が、何故青井春人に助けを求めたか。

 

 これは手段としてではなく、目的の話。

 

 

 

 以前も考えたが、おれに直接相談を持ち掛けるのはそうそう起こる事じゃない。羽香里であれば真っ先に頼るのは恋太郎だろう。

 

 だが、恋太郎は今。

 駆け落ちしてでも羽々里さんから引き離す勢いだった。

 

 

 

 羽々里さん達は言わずもがな。

 おれの命を奪うまでは想定外だったようだが、排除の意向に変わりはない。

 

 

 

 

 二人の結論は、もう片方に壁を作り……断絶させる。

 やっていることはおれから見ればどちらも変わらない。

 

 恋太郎側は歩み寄る姿勢があったかも知れないが、最終的に駆け落ちという手段を取ったのは恋太郎自身だ。

 

 そして。

 二人が出した結論は、羽香里にとっては許せないものだった。

 

 

 

 もし、羽香里が望みさえすれば。

 どちらも諦めが悪いとは言え、片方へ状況を傾けさせる事は出来た。

 

 それをしなかったのは単純。

 

 

 

 羽香里がどちらも愛していたから。

 ただ、それだけだろう。

 

 または、どちらからも同じくらいの愛を受け取っていたから。

 そんな人達に泥を付けるような真似が出来なかった。

 

 繋いでくれた手を自ら離す、そんな行動を起こせるワケがない。

 

 

 

 おれの一方的な考えを敢えて言うなら。

 

 羽香里はきっと……前例を知っていたから諦めなかった。と、思う。

 

 

 

 他ならぬ自分がその前例だった。

 恋太郎に対し、牽制し合っていた院田唐音と自分が。今では互いに1番の良き理解者となっていた事。

 

 なら、みんなだって分かり合える。

 そう信じたかった。

 

 

 

 そうだ。

 花園羽香里の願いとは。

 

「あいつの望みは……羽々里さんと恋太郎が手を取り合えなくとも、互いを認められるように。敬意と親しみを持って、仲良くなって欲しい。いつだってあいつはそう願ってました」

 

「認める……!? 仲良しに……!? そんな事……ッ!」

 

「出来ないなんて言わせねぇ。少なくとも羽香里は出来ると信じていた。ほんの少しでも可能性があるなら、それは『出来ない』だとか『ありえない』なんて言葉で片付けちゃいけねぇ! ……おれが、絶対に言わせない」

 

「……っ!!」

 

 

 

「おれが求めるのは停戦と、話し合いだ。アンタだって恋太郎を見定めようとしてたんじゃないのか。恋太郎のことだ、きっと最初から駆け落ちなんぞ考えずに話し合おうとしていなかったか。……まだ血は流れてねぇ、はじめからやり直せるとは思わないか」

 

「ちょっと春人……!」

 

「何度でも言ってやる。血は……どこにも流れちゃあいないんだよ。それでもまだ聞く気が無けりゃ無理矢理聞く耳持たせんぞ。さぁ、どうするっっ!!」

 

 

 

 両手を握り込む。

 その覚悟に反して、おれの顔は随分と悲痛な顔だったと思う。

 

 

 

「頼む……羽々里さん。頷いてくれないか」

 

 自然と、頭を下げていた。

 

 全員が固唾を飲んでいる。全ての視線は羽々里さんに注目されていた。

 

 

 

 彼女が漸く、静かに首肯するのに。

 

 

 

 ……ああ。

 随分と時間がかかった。

 

 

 

 やっと、肩の荷が少し減る。

 

 

 

 

 

 

 花園家と青井春人の戦い、これにて決着。

 

 勝者——————なし。

(膠着状態が続くため)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら春人、手を貸すわよ」

 

「要らん。それより恋太郎の動きがおかしいぞ、何があった」

 

「赤外線が見える目薬って分かる?」

 

「理解した。目が見えないんだよな、やっぱり恋太郎に付いててやれ」

 

「……大丈夫なの?」

 

「大丈夫に見えるか?」

 

「……片目以外はそう見えるわ」

 

 

 

 随分前から……いや、変態直後から右目は見えないまま、か。

 

 それどころか再出血したらしい。

 感覚器官から血が流れる。なかなかにショッキングな光景だろう。

 

 痛みはないが……よほどグシャグシャだったらしい。治りきらなかった。

 もうひとりのコイツ共々、一人から二人に戻った時にどうなるかは分からないけど。期待はしないほうがいいだろうな。

 

 まぁ、眼帯のデザインくらいは考えてもいいかもな。

 

 

 

「お、お姉様……」

 

「もう……大丈夫です妹、動けますっ……」

 

「め、芽衣! 怪我は無いのよねっ!?」

 

「羽々里様……」

 

「羽々里さん。おれが何発か当ててるし、麻痺毒でまだ痺れてるはずだ。命に別状はないとは思うがしばらくは安静にさせといてくれ」

 

 

 

「高いけどハル……の声、なんだよな? 声が少し掠れてるけど大丈夫か?」

 

「お前もか。心配しすぎ……んぐっ、なんだよ……」

 

「おい」

 

「今、途中で飲み込んだわね分かりやすく」

 

「気のせいだ」

 

「嘘つけ、絶対何かあったろ」

 

「肺に血が残ってるだけだ」

 

「やっぱ撃たれてんじゃん」

 

「当たり前だろ、死ぬほど痛かったんだから。コレ内緒な」

 

「内緒にしようがするまいがとっくにバレバレでしょ」

 

「バレバレだよ」

 

「……それもそうか」

 

 いつも通りの雰囲気に戻ったからか、少し口角が上がってしまう。

 やっぱり出来る事なら恋太郎も唐音も……そして羽香里も、危険な目には遭わせたくない。彼らには血生臭いモノとは縁遠くあって欲しいと切に願う。

 

 

 

「ねぇ……」

 

「どうした、唐音」

 

「……ごめん。なんでもないわ」

 

「……よく分からんが、あとで聞いてやる。今はもう少しだけ気張ってくれ」

 

 

 

 

 

「場所を変えましょうか」

 

 

 

 羽々里さんが銘戸さんを介抱してしばらく。

 

 流石に動けるようになったと思いきや、踵を返して一足先に扉から出て行く。

 その直後、羽々里さんが場所の移動を提案してきた。

 

 

 

 おれと唐音は目配せをする。

 少し怪しさを感じるのはお互い一緒。しかし、羽々里さんの語気が僅かに軟化していると感じたおれは不平を漏らす気はない。

 そんなおれの様子を見て判断したのか、唐音も従う事に決めたようだった。

 

 大分、以心伝心になってきたな。唐音とは考え方が似てる部分が多いのかもしれない。

 

 

 

 着いたのは、先程メイド2人とぶつかり合った大広間にそっくりな場所だった。間取りがほぼ同じだ。流石は豪邸、きっと似たような大部屋はまだいくつかあるのだろう。

 ……今更ながら銘戸さんとバチバチに闘り合ったとはいえ、随分と部屋をボロボロにしてしまったという罪悪感が胸の奥からじわじわと出てきた。人の家でなんて事を。

 

 

 

 さっきの銘戸さんは、おれだけでも追いかけるべきだったか? 

 

 いや、無理だ。

 今のおれはあくまで仲裁役。羽々里を説得させなければ根本的な解決にはならないとか以前に、おれが消えてしまえば話し合い自体がなくなりかねない。どう思考を巡らせようと動くことは不可能としか言えない。

 

 向こうの目的も……何か企てているように見えなかったのもあるだろう。

 羽香里や怪我人の様子を見に行ったのかも知れない。

 

 そして。

 

 羽々里さんと恋太郎。

 

 二人の問答が始まる。

 

 

 

「ところで、その目はなんなの? なにか発動しているのかしら」

「いえ邪眼的なものではなく」

 

 ……始まる。

 

 

 

 

 

 誠心誠意の言葉を告げる。

 

 愛城恋太郎という男は、こんな時だろうと変わらない。

 誠実に言葉を尽くす……いや、尽くすことすらしない。恋太郎はストレートに思いの丈を全力投球するのみだった。

 

 羽々里さんの目を見て、真正面から交際を認めてもらえないかと懇願する。

 

 

 

 その様子を唐音は固唾を飲んで見守り。

 

 おれの方は……見守りはしていた。だが、唐音の視線とは異なる部分が大いにある。

 

 

 

 単純な話、おれの視線が恋太郎の方に向いているだけで実際には何も見えてない。

 おそらくは薬による『女として』の活動限界。時間切れが迫ってきている合図が、おれの身体に負担をかけ始めていた。

 

 

 

 今大事なのは、女に変身している状態が『青井春人の強化形態』だと思われていること。

 現在実質弱体化しているのはそもそも想定外の効果だが、命の危機や体力が限界を迎えたときに限り性能を犠牲にして復帰することができるというのは本来の運用方法で従来と変わらない。

 

 ただでさえハッタリを効かせて対等に持ち込んだのに、このまま元に戻ってしまえば指一つ動かせない満身創痍のぼろ雑巾が現れる。

 それを抑えるのに必死で、会話すら途切れ途切れでしか認識できない。

 

 

 

 

 

「そんな綺麗事で、私の心を動かせると思って?」

 

 

 

 羽々里さんの主張は、おれからしてみれば正当に見える。

 

 おれは羽香里のために否定しなければならなかったけれど、娘を第一に考えて危険な芽を排除するという考え方は極端ではあるが……おれも似た考えだ。

 

 自身の経験というのはただ見知っただけの知識よりも深く鋭い。それが後悔なら猶更。

 正直、感情移入だけならおれなら羽々里さんの方に傾いてしまう。

 

 

 

「────だけど羽香里は()()()()()()()ではないし────決して()()()が埋められる事はなかった」

 

 

 

「……!」

 

 

 

 頭痛が重く響く。

 ああ、思い出したくもない。

 

 

 

『ハル』

『春人』

『お兄ちゃん!』

 

 

 

 おれも、一緒に死んでいれば。こんな苦しい思いを、『僕』は。

 

 

 

 ……なぜ、置いて行かれたのか。

 今だって、自分に問いかける事がある。

 

 

 

 羽々里さんもそうだったのかもしれない。

 

 

 

 きっと。

 

 

 

 欠けてしまったものが戻ることはきっと────。

 

 

 

 

 

「恋太郎ちゃん私と付き合ってちょうだいッッ!!!! ♥♥♥♥♥」

 

 

 

 

 

 ────ないのだろう、って…………え? あんれぇェェエエ!? 

 

 

 さっきまでの、ハナシは、どこへ!? シリアスはどこへ飛んでったの!? 

 

 

 

「あれ羽香里の母親よ!? 『彼女の親』なのよ!?」

 

 唐音でさえ、この世の光景とは思えない事態に叫んでいる。

 

 

 

 

「ま、まさか……羽々里様がこうなることさえ見越して春人さんは……っ!」

 

「なにそれ、しらん……っ」

 

 

 

 そんなわけないだろ! おれをなんだと思ってんだ後ろのメイドBは! 

 どう予想しろってんだこんなもん!! 

 

 

 

 

 

 まさか。

 まさかまさかまさか。

 

 運命の彼女とやらとの一目惚れが……たった今、起こったのか!? 

 

 母親だぞ。

 彼女の親だぞ。

 未亡人とはいえ、夫がいたんだぞ!? 

 

 そんな事さえ一目惚れってのは関係無いのか!? というか、いいのかそれは!? 

 

 

 

 ワタワタと体裁を取り繕う羽々里におれ含めた全員は戸惑いながらも、審問は続く。

 

 

 

 一呼吸。

 なんとか全員が冷静を装う。

 

 しかし、仕切り直したとしてもコチラの優勢は変わらなかった。

 

 

 

 嘘発見器とかいうものを持ち出されたが、もはや関係無い。

 結果なんて分かりきっている。こっちは愛城恋太郎なのだから。

 

 様式美と言わんばかりに、羽々里さんの予測を上回っていく恋太郎。

 

 彼の言葉は欺瞞はない。上っ面だけの薄っぺらな愛などでは語れない。

 誰もその言葉を信じなくとも、『真実である』という事実が羽々里さんの心を貫いていく。

 

 だって恋太郎なのだから。

 羽々里さんと恋太郎。この二人の拒絶を許さず会話の席を設けた時点でほぼ勝ちだった。

 

 

 

 そんな事は。

 とっくに。

 

 面と向かいさえすれば、あいつは一人でも立ち向かえることなんて。

 

 

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ……もしも。

 

 

 

 羽香里が、おれを頼らなかった世界線だったら。

 

 

 

 おれ達は……恋太郎ファミリーはどうなっていただろうか。そう考えた事がある。

 

 

 

 一人で抱え込んで。

 対策は何も出来ず。

 転校する一歩手前。

 

 羽香里一人でこんな危機を乗り越えられるとは思えない。

 

 

 

 それでも。

 

 もしかしたら、恋太郎なら羽香里の手をギリギリでも取れたのかも知れない。

 全ての妨害に真っ向から立ち向かい、こうやって羽々里さんの目の前で身体を張って……絶対に連れ出そうとしていたかも。

 

 

 

 

 

 

 

 なら、おれのいる意味はあったのだろうか。

 

 おれの行動が。

 おれの保険が。

 おれの存在が。

 

 

 

 多数の警備を呼び寄せてしまった。とは、考えられないか。

 銃の必要性に繋がったとは思わないのか。

 

 

 

 そうだ。

 おれは、事態を人知れず悪化させてしまっていただけなのではないか。

 

 

 

 ……それは、マッチポンプだ。

 決して不幸な事柄ではない。完全な過失だ。

 

 おれの責任だ。おれの責任なんだ。

 

 自分が背負ってしまったマイナスを、みんなと共にゼロにしたところで感謝される訳にはいかないだろう。

 

 

 

 かえって、いるべきではなかった。

 そういう結論にもなり得る。

 

 

 

 羽香里に頼られたからと舞い上がって、このザマだ。笑うことすら出来ない。

 

 

 

 

 

 ああ、やっぱり。

 

 愛城恋太郎が、花園羽香里と院田唐音と結ばれた時。

 

 

 

(あの時おれが……いなくなってりゃ……こんなことにはならなかったんじゃねぇかなぁ)

 

 いなくても別に良かった。

 

 おれの予防線は、何の意味も持たず。

 

 おれの計画は、とうに瓦解していた。

 

 

 

 おれは。

 

 おまえらに。

 

 なにをしてやれたっていうんだよ。

 

 

 

「た、大変です羽々里様ッ!」

 

 

 

 ボロボロのまま、銘戸さんが飛び込んでくる。

 

「羽香里お嬢様がお部屋の窓から飛び降りようと……ッ!!」

 

 

 

 

 

 ────思考が、変わる。

 

(そうだ。後悔なんて後からしろ。なに終わった気でいるんだ、まだ何も終わっちゃいねェ!!)

 

 

 

 飛び降りか……まず可能性を考えろ。

 そして、どう動くのが最適解か。見極めるんだ。

 

 意図的な飛び降りかどうか。

 自殺願望はないはず。可能性があるなら、状況を見て恋太郎と結ばれない世界に絶望して選択したか。あいつなりの脅しも含めた選択もあり得る。恋太郎の説得ならきっと止められるはずだ。

 

 他人からの強要か。

 論外だ。ここにいる誰も、羽香里が死ぬことにメリットを感じる人間などいない。わざわざこのタイミングに仕掛ける必要性も感じない。ならば第三者の暗躍の可能性はゼロだ。

 

 事故による落下はあるか。

 …………大いにあり得る。羽香里の運動神経は並だが、落下の恐怖……つまり、高所恐怖症による足の震えで滑って落ちることはある。箱入り娘の気質があるなら本能から来る身体の反応に自制が利くとは思えない。体が思い通りに動かなくなるのは想像に難くない。

 

 

 

 おれがいるべきは……ここでも羽香里の部屋でもない。

 

 羽香里の────真下だ!! 

 

 

 

 唐音とおれが走り出すのは、同時だった。

 

 ただ、方向は違っていた。

 

 

 

 唐音は、羽々里さんの方へ。

 

 おれは、出口へ向かうべく廊下へ。

 

 

 

 唐音のやろうとしていることは、完璧に分かるわけじゃない。

 でも、恋太郎のために何かをやろうとしている。

 

 なら、それだけ分かっていればいい。

 

(任せたぞ、唐音────)

 

 

 

 

 

 

 

 廊下を疾走する。

 体は依然、女のままだ。

 

 体が軽すぎる。男の時のフォームだと足が地面を蹴るとき、半分以上の力が滑って空回りする。

 

 縮地の走り方をしようにも、足が走り方に追いつかない。

 

 

 

「ぜっ……! ぜっ……!」

 

 

 

 薬の影響がここで響いてくるとは……っ! 

 

 肺機能も筋肉も、著しく低下している。

 

 

 

 まだだ。

 最初の屋敷内での銃撃戦。そこで階段を上ってからメイド二人と戦闘、全員と部屋を移動したときに階段を使うことはなかった。

 

 つまり今いるのは二階。それでいて屋敷から出るには大広間の階段まで向かわないとならない。大部屋から大部屋への移動距離は長かったからショートカットをしたかったが、花園邸に来たのは数回。どれも自由に探索できる状況でもなかったし、非常階段の場所は把握していない。

 窓を割って飛び降りることも考えたが、弾丸が当たった窓の割れ方が強化ガラスのソレだ。余程都合のいい武器が見つからない限り、すぐに叩き割ることは不可能だ。

 

 だから、遠回りでもまずは大広間へ────。

 

 

 

「ごぷっ……! おえっ、かっ、ごほ……げぇほっ!」

 

 

 

(まずった…………!)

 

 

 

 血を吐いた……っ! 

 どこかの傷が、青井春人の傷だった箇所が開いたんだ。

 

 吐血を皮切りに、倦怠感が襲い掛かってくる。

 眩暈で視界が歪む。口内の血液に胃液が混ざり始めた。

 

 

 

 走れん……! 

 

 立っていられない……! 

 

 

 

「くそっ……!」

 

 

 

 前のめりに倒れるのが精々、右手をいくら伸ばそうと体はもう動かない。

 

 

 

 …………。

 

 

 

 いや、まだだ。

 

 足はまだ少し動く。膝を曲げて体をわずかでも押し出す。

 

 右手も動く。体を少しでも浮かせて引っ張っていく。

 

「まだ、だぁ……!」

 

 

 

 パキッ、とそんな音が後ろから聞こえた。

 

 

 

 直後、肩を引かれ仰向けにされる。

 

 …………目の前に、小瓶を持つ女井戸妹がいた。

 

 

 

「……警備員のおじさん達が時々飲んでる栄養剤です。あとでこっそり買い足しておくんで……とにかく飲んでください」

 

 わずかに目を合わせず、ぶっきらぼうにそう言った。

 

 

 

 奪い取るように受け取り、一気に飲み干す。

 どれほど効果があるかは分からないが、たとえプラシーボ効果でも動けるようになるなら構わない。

 

「どうしてコレを……?」

 

「深い理由はないです。それに味方になった訳でもないです。ただ……」

 

「……」

 

 

 

「銃の痕は消えても、貴方の右目は潰れたままだった。その責任だけ、取りに来ました」

 

 

 

 おれの右手を自分の首に回し、上体を引き上げる女井戸妹。

 

「いえ。……誰が何と言おうと、撃ったのは妹です。……どちらも」

 

 

 

 

 

「非常階段は?」

 

「ここまで歩けたら正面玄関の方が近いです。ところで、男の人ってこんなに軽いものなんですか? 思った以上に軽いんですけど」

 

「今は女だからな。重さもリンゴ三個分だ」

 

「冗談飛ばしてるほど余裕あるんですか? というか、女とはいえもはや別人に見えるんですが」

 

「薬のせいかは知らんが……おれとツレの一人が混ざったらしい」

 

 

 

「えっ、ゴジ●タってことですか?」

 

「どっちかっつーとベジ●トだ」

 

 

 

 そのまま半ば引きずられるように、大広間へ到達。

 もう限界が近いが、まだ動かないと。

 

「階段を下りてすぐの扉から出られます」

 

「あそこから入ったから知ってんよ。……ちんたら降りてたら間に合わん、そこから落とせ」

 

「はぁ!? ボロボロなのに何言ってんですか!?」

 

「羽香里が飛び降りたとき、何もできなかったって後悔するわけには……いかねぇんだ、よっ!」

 

「あっ……」

 

 

 

 妹の漏れた声は、おれの手を離したからか。

 

 どこまでも羽香里のために動いているのだと気づいたからか。

 

 それとも────。

 

 

 

 

 

 

 

「えっ?」

 

 

 

 

 

 ────飛び降りたはずの青井春人が、ふわりと浮いていたからか。

 

 

 

 

 

 ゆっくりと下降しながら、玄関の扉の方まで空間を滑っていく。

 

 当然、おれは飛び降りるつもりで着地の体勢を取っていた。それがなんだ。取り越し苦労とでも言うかのように『静か』に着地した。

 

 

 

「もしかして」

 

 

 

 扉から外に出る。

 

 

 

「おい貴様ァ!!」

 

 

 

 同時に怒号が響いた。

 

「他にもガキがいたか!」

 

「二度もやられはしねぇぜ!」

 

「お前だけでも捕まえさせてもらうぜ!」

 

 数十人によって、一気に包囲される。

 

 

 

「待ってください! 今は事情が変わって……」

 

「──いや、そうだ。……分かりかけてきた。このチカラは、単なる弱体化じゃないんだ」

 

「えっ?」

 

 

 

 ────強さとは、重さだ。

 

 単純な理屈。

 ボクシングや柔道が体重で区切られるように。相撲の世界に小兵が限りなく少ないように。

 500gの子供用バットと1000gの大人用バットを比べれば、飛距離が一目瞭然なように。

 

 戦闘の場において、身長以上に重要視されるのが重さだ。

 

 

 

 なら、今のおれは弱い。だからこその理屈があった。

 

 ここに、あった。見つけたんだ。

 

 

 

 強ければ強いほど、体は……重くなり。

 

 

 

 弱ければ。

 

 弱いほど。

 

 体は────。

 

 

 

「な……!?」

 

「なんだと……?」

 

「えぇ……!?」

 

 

 

「う、浮いた……」

 

 

 

 ────軽くなる。

 

 

 

 

 

 

 地面に両足を着いて、跳んで、一気に飛び上がる。

 

 たった数秒で花園邸の屋上より3mの高さまで到達した。

 

 

 

「これが……」

 

 

 

 これに追いつけられる人間は存在しない。

 

 警備の人間たちは呆然と立ち尽くしている。

 

 

 

「これが、(おれ)達のチカラ……どうせなら名前を付けるか」

 

 まるで月面にいるかのような浮遊感。

 それでいて、やろうと思えばどこまでも空を飛んでいけそうだ。

 

 

 

 

 

 

「これが……『シズ×ハル』のチカラなんだ」

 

 

 

 屋上を蹴って屋敷の真反対側へ。

 走るよりも、一回だけ蹴って飛んだ方が早い。

 

 この高揚感は一言では言い表せられない。

 

 

 

 だが、現を抜かしている場合じゃない。

 

 もうダメだ。

 分かる、後一回飛んだら、この合体は解除される。

 

 少し高めに飛ぶことで視界を取り、羽香里の状態を確認する。

 

 

 

「……っ、最後のわがままだ、もう少し付き合えよ静ァ!」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「離してください恋太郎君ッ!! このままじゃ二人とも──ッ!!」

 

「離さない……ッ!!」

 

 恋太郎の腕が、辛うじて羽香里の命を繋ぎとめる。

 しかし、それも時間の問題となっていた。

 

 発端は、羽香里が飛び降りようとしたところまで遡る。

 

 

 

 恋太郎の身を案じ、花園家の呪縛を解くには自分がいなくなるしかないと結論付けた。結論付けてしまった。

 

 羽香里には命を張る度胸などない。ただ恋太郎のためという一念のみだった。

 

 

 

 窓に足を掛けるのに、彼女にとっては十分な理由だったのだ。

 

 

 

 愛城恋太郎はそれを拒否する。

 

 羽香里のいない以上に不幸な人生なんてない。

 

 

 

 あなたを愛してます、と恋太郎は言葉を乗せて。

 

 

 

 そして自分の間違いに気づいた羽香里が……現実に戻るのに時間はかからなかった。

 

 奈落が、震える両足を吞み込んでしまった。

 

 

 

 絶命寸前の命の糸を、恋太郎はなんとか掴み取ったのだった。

 

 

 

 しかし、恋太郎の頬に冷や汗が流れる。

 

 咄嗟の判断で掴めたものの、引っ張り上げられる体勢をつくれていない。既に太股より上が窓の外に出てしまっている。片手で窓枠を掴んで耐えているが、あと数秒で落ちてしまうことは避けられない。

 

「やっと掴めたんだ……ッ、絶対に……二度と離すもんかッッ!!」

 

 

 

 指が弾かれるように、滑る。

 

 その瞬間、体が大きく傾く。

 

 恋太郎ごと羽香里は地面へ落ちていった。

 

 

 

 恋太郎は思考する。

 

(絶対に守る!!)

 

 精一杯、羽香里の腕を引っ張る。

 

(絶対に守る!!)

 

 自分の身体で羽香里を覆う。

 

(絶対に守る!!)

 

 羽香里の頭を手で守り……覚悟を決める。

 

 

 

 

 

 落下地点に助かる場所なんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────噴水なんて、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、────月の、兎」

 

 

 

 

 

 誰かが、言った。

 

 月光の中から、流星が降ってくる。

 

 

 

 

 

「羽香里!!」

「恋太郎!!」

 

 

 

 空を切った唐音と羽々里の手の先に。

 

 落ちるよりも迅く、青い影が駆け下りた。

 

 

 

 

 

 

 恋太郎の頭に手が添えられた。

 

 

 

 地面到達まで。

 

 

 

 89cm。

 

 

 

 53cm。

 

 

 

 39mm。

 

 

 

 2.4mm。

 

 

 

 0.01mm。

 

 

 

 

 

 愛城恋太郎が地面に激突する前に最後に見たのは。

 

 

 

 

 

『女』が剝がれた友人の、穏やかな笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────!!」

 

 

 

 

 

 

 

「────!!」

 

「────っ!!」

 

 

 

 ……。

 

 

 

「……『は──』〝さん〟!!」

 

「────っ!!」

 

 

 

 …………。

 

 

 

「────!! ────!!」

 

「────っ!!」

 

「芽衣──早────細動──!!」

 

 

 

 …………だれか、ちかくにいる。

 

 

 

 …………しずか、だ。

 

 そうか、おまえは無事でよかった。

 

 れんたろうもいる。

 

 

 

 なに、泣いてんだ。

 

 

 

 ははりさん。そんなに必死に叫んで、どうかしたんですか。

 

 

 

 大丈夫。

 

 だいじょうぶ。

 

 だいじょ────。

 

 

 

 おやすみ、な、さい────。













































【同期中……99%】

 ……。

 …………。

 ………………。










【同期中の世界に致命的なエラーが発生しました】
【同期を中止し、元の世界を復元します】
















【復元中……100%】
【世界の復元が完了しました】

【復元中……100%】
【検知したエラーを復元、修正しました】

【おはようございます 青井春人 さん】





 原作——————。

 g、ん作——————。



【エラーが修正されました】





 原作第二百九話、完結。

 第二部、開始。
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