「何をやっているのかしら?」
青ざめている青井春人をよそに花園羽香里の母、花園羽々里が羽香里の部屋の中で佇む。
その姿は静かに、されど確かな怒りを込めて唯一の男を瞳で射貫いていた。
それは、羽々里が娘の部屋に来る少し前に遡る。
「友達を招きたいだなんて、ねぇ。高校生活は今のところ順調のようで安心したわね」
羽々里は銘戸からの友人が訪問したという報告を聞いて、少しの安堵を見せていた。
羽々里にとっては目に入れても痛くないほどに溺愛して育て上げた娘だ。しかし学園生活では何があるか分からない。ちょっとした感性の違いから仲違いを起こしてイジメに発展するなど、考えたくはないが可能性がないわけではない。
それに羽香里は羽々里から見ても自分自身によく似ている。それは外見だけではなく内面もそうだろうと認識していた。
いつかの自分のように、盲目的に男に迫っていたら。
銘戸の淹れてくれた紅茶を飲んで一息つく。今日もとても美味しい。素晴らしい出来に思わず頬が緩む。
銘戸からの友人の様子を聞いて、思わず失笑する。
かなり挙動不審な動きをしていて、受け答えをするたびにぎこちなかったという。
「確かにこの屋敷は普通の学生には広すぎるから驚くでしょうね。それでも出来る限り礼儀正しくいようと頑張ってくれているなら私から言うことは何もないでしょう」
「はい。羽香里様も特に気兼ねなく接しておられるご様子でしたので、学園生活でも気軽に話しかけられる男子なのかと」
「そうなのね、良かったわ。羽香里はひいき目なしに見ても美人だし、男の悪い虫に捕まらないかが心配で……ん?」
そこで、止まった。
「どうされましたか?」
「……あれ? 銘戸、今『男子』って言った?」
「はい。礼儀正しくあろうとしている男子です、と」
「……オトコノコ?」
「……失礼しました。羽香里様のご友人は男です」
自分の非に気づいたのか、深々と頭を下げる銘戸。だが羽々里は、心配していた事柄をあらかじめ伝えなかったという失態を自分もしていると考えているので決して責めはしない。
「排除しますか?」
「いやしないわよ!? でも、どんな男の子かは知る必要があるわね……」
「では羽香里様の部屋へ。共通の友人にお誕生日のサプライズを計画しておいでです」
「……分かったわ。向かいましょう」
ティーカップを置く音が大きく響く。
部屋へ向かう羽々里の後ろに銘戸が続き、二人は愛しき羽香里の部屋に辿り着いた。
「というか、普通異性の友達と遊ぶのに自分のプライベート空間に案内するかしら? 同性ならまぁ……まだ分かるけども」
「羽香里様はあまり家にご友人様を招くことがありませんでしたので……距離感が近いのでしょうか」
「……もしかして、彼氏???」
「可能性は低いかと。ご本人様自らが『友人です』とおっしゃられていたのと、それに対して羽香里様も特に訂正している様子も見られませんでしたから」
「そうなの……。こんなたった数日で親しい仲に? ……あまり想像出来ないわね」
※実際は、親しい友人どころか彼氏が出来ています。(ただし別の男子)
「余程の絆が深まる出来事があったのでしょうか?」
※実際は、絆よりも愛が深まっています。(ただし遊びに来た男子でない)
「まぁいいわ。きっと紳士的な男の子なのでしょう」
羽々里は思う。羽香里には今まで優しくも厳しい教育を施してきたつもりだ。娘がどんな方向に育つとしても、決して世間に恥ずかしくない子に育て上げた。けれど、だからこそ自分には分かる。どのような教育方針であったとしても、血は争えないのだ。
一人の女性として男の魅力に目覚めたのなら、きっと羽香里は歯止めが効かない。やがては大人として非情な判断を下さなければならないほどに。
それも同時にこうも思う。もしもの話。友人としてここにいる男の子が男女の心の在り方や節度を教えてくれるような気高い友人であれば。羽香里の暴走を止めてくれるかもしれない。恋患いからくる無謀は大きな後悔を迎えることになることさえ知ってくれれば。私と同じ苦しみを味わうことがなくなるかもしれない。
部屋の扉を小さく叩く。返事がないのが少し気になるが、少し間を開けて扉を開ける。
そこで見たのはベッドの奥で倒れている羽香里の足。そして、そこから艶めかしい表情で顔を上げる男の子の姿だった。
さて、どうしよう。と春人は考えた。
羽香里を組み伏せたところに丁度よくご家族が乱入。羽香里によく似たお方……多分お姉さんかな? とにかく『大きな羽香里』そのままな印象の人が、おれに対して殺意を込めたオーラを纏っているために、現在正座中である。
花園羽香里の家族、ご立腹。
このままだと何かしらのエグイ処刑までついてきそうな勢いであった。
「羽香里の友人だからこの程度で済んでいると思いなさい。貴方には聞きたいことがあります」
「お嬢様に危害を加えた事が発覚次第、即刻排除させてもらいます。命令ですので」
「精々覚悟してくださいね。さっきの鬱憤はここで晴らさせてもらいます!」
「いや待て待て待て待て」
「何かしら?」
「なんで羽香里が「は? 羽香里? へぇ呼び捨てなのねぇ?」 ……羽香里さんがそちら陣営なのが納得できませんが!?」
「私語は慎みなさい」
「ハイ……スミマセン」
やばい、羽香里に対しての呼び方だけでお姉さんの目の中にあるはずだったハイライトが消し飛んだ。
だが、おれだけが目の敵にされているのは何故だ。羽香里もじゃれあってたんだぞ。確かにちょっとしたノリもあって押し倒した体勢になってしまっていたのは確かだけど。……いや待てよ。
(くそっ、まさかそう言うことか!? 考えが甘かった! たったそれだけでも家族に近づいた事が許せないんだ。羽香里だって言っていたじゃないか、家族が過保護なんだと)
頭を抱えたくなる。入って早々、こんなバカな馴れ合いが致命的なミスになり得ることさえ想定できなかったとは……!
(なら、今のおれが出来ることは……!)
決して危害を加えていない、とは言えなくともギリギリ許されるハードルを見極めて許しを請う。そして最低限の友人関係を隔離されないように今は立ち回るしかない!!
(何が何でも、如何わしいことをしていたなんて疑いを持たれないように動くしかない!!)
(羽香里に対しての姿勢とこの男の本性、そしてなにより羽香里自身の気持ちをつまびらかにするべきね。でなければ、あの場で顔を近づけてあまつさえキスするに至った経緯が分からないわ!)
(さっきのおでこコツンは一体何なんですか!? 春人くんのくせに生意気ですよッ!! 何人もの乙女を殺してきたような微笑まで浮かべて何なんですか本当に!?)
(今日はお赤飯様を炊きましょうか)
~現在の状況~
春人←押し倒したのがいかがわしい判定になり、怒られていると思っている。
羽香里←おでこコツンでの恥ずかしさと共に、意図を知りたがっている。
羽々里←ベッドで見えなかったが、キスするほどの関係だと思っている。
銘戸←キスしたと思っているので献立を考えている。
なお、春人は気づいていないが、花園家の面々は顔に赤みがかっていたりする。
「聞いてください、おれは
「 彼 女 ? ? ? 」
「違いますっ! えぇっと、そう! 恋人関係じゃないんですよ! 銘戸さんは聞いてましたよね!? おれと羽香里さんは友達です、って!」
「はい、確かに聞いておりました」
「なら、あくまで勘違いって分かりますよね!?」
「はい、お夕飯はお赤飯でよろしいでしょうか」
「だぁかぁら違うッッ!!! まともに告白すらしてないわ!!」
「こっ、こここ告白もせずにあんなことを……!?」
「押し倒したのは事実ですけど、どうしてそこまで青ざめてんですか!? 羽香里……さんも、何とか言ってくれ!!」
「凄い……ドキドキしました」
「おれの求めているフォローが一切返ってこない!? なんで羽香里はそんなに赤くなってんだよ!! おいやめろ俯くなそこまでの事をした覚えはない!」
「やっぱりそういう関係じゃないの……! お互いに柔らかい感触を確かめあっていたんでしょう!?」
「いえ、あの……。どちらかと言うと、音が鳴るくらい硬かったような……?」
「えっ、硬っ……硬い!? どういうこと!? あなたたちの身体はどうなっているの!?!?」
「……もしかして(地面に)強く当たったのか? すまない羽香里、頭に怪我はしてないか!?」
「怪我するほど強く(唇同士を)当てたの!? あなたたち、私が言うのもあれだけどもっとやさしくなさい!?」
「全然(おでこは)痛くなかったですよ!? そんなことより、なんであんな事したんですか?」
カオスなお祭り騒ぎがいったん静まる。花園家の二人はどういうことかいまいちわからないようで眉をひそめる。
当然、どれの事かおれもすぐに浮かばない。
しばらく銘戸さんを除く全員が息を切らしたのを鎮めつつ、おれは続きを促した。
「あんな事って?」
羽香里は続けた。
「私はてっきり言葉の弾みで怒らせてしまったのかと」
そこで合点がいく。おでこを当てた時の行動、その発端だ。おそらくは急に伏し目がちになったおれを見て驚いたのだろう。
「ん? あー……あんなんで……いやっ、まぁ、あれはなんというか言いにくい話題なだけで、怒ったりはしないよ。仮に嫌な話題だとしても、その矛先を羽香里にわざわざぶつけたりするものかよ」
「春人さん……」
「……青井……春人様。お二人とも、仲がよろしいのですね」
「ん? まぁそうっすかね? 出会って少ししか経ってはいないけど、ケンカしたこととかはないよな?」
「つまり、貴方はあれから……」
「ん?」
「いえ、お気になさらず」
銘戸さんが何か言いたそうにしていたが、無表情過ぎて何を考えているのか分からない。
また赤飯の事でも考えているのか。
「ところで、あなたは羽香里の……あぁいや、羽香里さんのお姉さんですよね? あの……」
「え?」
「え?」
「え?」
「……えっ?」
全員順番にリズムよくこっちを見る花園家一同。こういうところはみんな花園家だから何だろうか。
「私ですか? 私はメイドなので……」
「いや、銘戸さんの事じゃなくて……」
「私ですか? 私は一人っ子なので……」
「どう考えてもお前ではないだろ。話の流れ的に」
「……もしかして、私の事かしら?」
「………………マジで?」
とりあえず、ここでやっとおれの勘違いが一個修正された。
「自己紹介がまだだったわね。私は花園羽々里。羽香里の母親です」
「とんだ勘違いをすいません。おれは……」
「私語は慎みなさい!」
「うわぁ、びっくりしたぁ!?……ってか、名乗ることすら許されないの!?」
「あなた……少しこちらへ。芽衣、羽香里と一緒に部屋へ戻っておいて」
「かしこまりました」
「お、お母様……!?」
「安心なさい。悪いようにはしないわ。ただ、一つ聞かせて」
羽々里が羽香里を正面に捉える。その視線は羽香里の奥底を覗いているように薄暗くて。
「あなたにとって、この子はどんな存在?」
複雑な感情を織り交ぜた、何とも言えない想いを子供に振り撒かぬように鉄面皮で覆っていた。
「…………」
羽香里が僅かに震えながら、一瞬だけこちらを見る。
おれが言えることは何もない。あくまでおれは恋太郎が間にいる間接的な関係なのだ。取り繕おうと、本心を伝えようとかまわない。
どう答えたところで、関係が変わることはない。
しばらく考えて、羽香里は口を開く。
「大事な、友達です」
「分かったわ。……ついてきなさい」
「わ、分かりました」
おれと羽々里さんは羽香里から振り返り、案内されるままに奥へ向かう。
彼女の逡巡は、おれとの関係が複雑ゆえに言葉を詰まらせたものだろう。そうでなければ、唯の友人であると言えば済む話だ。
青井春人は『友達』という言葉の裏にあった羽香里の感情を見落としたまま、進んでいく。
こんな人が『友達』だと。自分のためにここまで動いてくれる人が『ただの友達』であるわけがないと。
あなたにも嫌われたくない、そんな彼女の心に塞ぎ込む壁が生まれていることなど……振り向かない少年が気づくはずもないのだ。
「いい匂いですね」
廊下を歩いている最中。春人が羽々里に向けて言い放つ。
「私語は慎みなさい。羽香里の友人としてまだ認めた訳ではありません」
「大分嫌われてるじゃないですか……」
「当たり前ね。大事な娘の次は私を口説くつもりなのかしら?」
「……香水の類なんてあなたはつけてないでしょう。でなけりゃ、こんなやさしい匂いは漂ってこない」
「何が言いたいのかしら?」
あからさまな敵意に物怖じすることなく答える。
「お父さん、亡くなられているんですね」
「……」
それは、羽々里の歩きを止めるには十分な言葉だった。
「おれも少し前までこの線香に似た匂いの品を買ってたんですよ。作法なんかはよくわかんないし、かといって家族の好きな線香なんて分からないし。……まぁ線香の好みなんざ聞きたくもないけど。だから色々な種類を試しに買った時期がありまして。これは買った覚えのある匂いだったな」
羽々里は止めた足を動かし、また進み始めた。
「あなたも……親御さんを?」
「おれを残してみんないなくなっちゃいました。離れに住んでた遠い親戚のおばあちゃんが家にたまに来てくれます。難しい書類関係とかも根気よく付き合って……いや、そんな話は良いか」
「そう……」
「おれが言いたいのはあれです……それでも羽香里さんは一男子高校生として憧れるくらいの令嬢に育てられているのが分かります。彼女はちゃんと愛されてるんだなってこともです。そりゃおれみたいなやつは除け者扱いもされるというか……納得ですね」
たはは、と薄ら笑いを春人は浮かべる。
扉を開ける。ここに来るまでにメイドや執事は誰一人としてすれ違わなかった。おそらく人払いされている。羽々里か銘戸のどちらかの手引きであることは明らかだと春人は感じた。
大きな部屋だった。奥にあるのは高級そうな椅子のみ。
春人はその正面に立ち、羽々里は椅子に座る。
「じゃあ、始めましょうか」
「その前に自己紹介させてもらいます。お花の蜜大学附属高校一年、青井春人。以後お見知りおきを、オカアサマ?」
「害虫が吠えるんじゃないわよ」
羽々里の顔はさっきまで一切、春人には見えていなかった。それは当然ながら春人の前を歩き続けていたためだ。しかし面と向き合って見た彼女のその顔は、嫌悪に近い。
春人は理解していた。
……自分は今、最悪の事態に陥っていると。
この数日で距離を縮め、あまつさえ娘の部屋に潜り込み。強く接触する事が出来る存在。それはつまり外敵である。
友人であるならば。この青井春人という人間が友人であるのならば。この男はすなわち『恋人』ではない。それでも外敵である。
娘の事は何よりも誰よりも、分かっているのは自分だ。
恋を知ったのならば盲目的に、執拗に。羽香里が我を忘れる程に向かって行かなければ、羽香里が好きになったとは思えない。
羽香里は分かりやすい。羽々里はそう思っているからこそ、最後に質問をしたのだ。
羽香里をそのように育てたのは他でもない羽々里なのだから。
そして、花園羽香里は『大事な友達』と答えたのだ。
結果として春人は勘違いをした。羽々里は決して春人の存在を嫌悪したわけではない。
羽々里は一概に友人とは言い切れないほどの信頼がこの男に向けられていることに。その関係がたった数日で構築されていることに。それに対して言いようもない感情を抱いている自分自身に嫌悪していた。
この男の眼には、私にはない何かがある。
私が決して手に入れられることの無い何かを。
ないものねだりの嫉妬に近い思いが羽々里の胸中を揺らす。それが呼応するように、羽々里の口は春人への拒絶を吐き出した。
この男は、まだ『恋人』でないだけ。これからそう変化する可能性は大いにあり得る。
羽々里はそう結論付けたのだ。
羽々里は少しの時間、目を閉じ。
そして告げる。
「単刀直入に言います。貴方は……羽香里と」
羽々里は言葉を詰まらせる。しかしゆっくりと告げた。
「羽香里と結ばれたいと近づいたの?」
その問いに。
「え? あっ、いや、全然」
春人はあっけらかんと返した。
「はっ?」
「え?」
結果、二人揃っての肩透かしが起きた。
「えっ、羽香里に魅力がないって馬鹿にされてる? イマ、ワタシ?」
「違う違う違いますが!? 魅力はもちろんありますけどっ、ほんとにただの友人だし恋人になる気もないっ!!」
春人からすれば、恋太郎から奪っていく略奪愛ルートである。断固として否定した。
むしろ、恋太郎と羽香里の仲を取り持つのが目的だ。そんな馬鹿げたことはしていられない。
「信用しろと? たかだか学生の言葉を鵜呑みに出来るほど馬鹿じゃないわ。軽はずみな行動で娘を悲しませられたらこちらも相応の対応を取らざるを得ないもの」
「分かりました。ではこれから花園羽香里とおれの恋人関係が裏で発覚した時、おれはその時点であなたの好きなようにしてください。そのくらいの覚悟はあります」
怪訝な顔色を僅かに浮かべたのは羽々里の方だ。
この男はあくまで、友人として誠実を貫くと言う。
「……恋人になる気はない、と?」
「はい。少なくともおれからアプローチすることはありません。彼女から気があることが分かり次第、まず羽々里さんに連絡を入れます。必要であれば、羽香里さんとの間を調査される事も受け入れます。……それで納得してくれますか?」
「分からないわ。なぜそこまでして羽香里の近くに居ようと必死になるの?」
「大事な友人と、命にかえても近くに居たいと思うのは、いけないことですか」
青井春人は、花園羽々里に対し、言い切った。
「もし、羽香里を傷つけたのなら……」
「命をかけます」
即答である。さすがの羽々里も肩の力を抜いた。抜かざるを得なかった。
ここまで啖呵を切る春人という男の子も度胸があるし、ここまで言わせる自分の娘は何をしたのだろうか。
本当に、友達として。彼はここにいる。
花園羽々里は敗けたのだ。
正直、一人の女性として仲良くなりたい。と言われてもいいと思っていた。
その在り方は思春期の男子としては健全なものだ。それを見越して強くプレッシャーを与えるぐらいのつもりでいた。
なのにフタを開けてみれば、性的に見ることさえしないと誓いかねない生真面目な男だった。
じゃあ、娘の部屋でしたことは何だったのかと問い詰めたくはなったが……やめることにする。
きっと先ほどの混乱のような愚にもつかない言い訳が飛んでくるだけだろうし、この子が簡単に如何わしいことをするような子にはもう見えなくなっていた。
「羽々里さん」
「なにかしら」
だからこそ。
「もし、まだ信用ならないようでしたら……」
この後の言葉、春人が投下した言葉の爆弾に対応できず、ただただ羽々里は驚愕することになる。
春人が吐露したのは、保険。
自身の過去をほんの少し。けれどそれ一つで自身をどうとでもできる秘密を明かした。
内容も、手札の切るタイミングも。羽々里にとっては想定外以上の異端。
生真面目なんて言葉では到底表せられない、青井春人というある種壊れた男の一端を羽々里は覗かされた。
「…………あなたは……っ」
零れた呟きの先を、彼女は告げることはなかった。
おれは二度、傷害事件を起こしたことがあります。
「もう帰るんですか?」
帰り際、正門で羽香里と言葉を交わす。
「いやもう夜更けだろうが、大分長くいた気がするぞ」
「夕飯くらいご一緒しても良かったんですよ?」
「いんやぁ……今日はもうくたびれた。それに向こうの印象によっては何度も来ることになるかもしれないし」
これで良かったのかと一人反省会をしても仕方ない。自分の中でやれることはやった。
もし悪印象を抱かれても根気よくやっていくしかない。これからおれは羽香里と恋太郎を繋げる橋渡し役……を花園家に対して見せかけなければならない。そのためにはおれに対しての信頼度はマストだ。
「じゃあ、また学校で」
「また学校で」
そうはにかむ羽香里に、僅かだが華やかさを感じた。
これで少しは前進したことだし肩の荷が下りてくれたらいいが。
花園邸を後にして帰路に着く。
歩きながら考える。
恋太郎には、早めに連絡しておくべきだろうか。
いや、慎重に考えるべきだ。
おれとは違い、恋太郎には捻くれた考えはない。おそらくはおれの計画を知ってもなおストレートに突撃、二股が発覚しておじゃん……そんな展開になることは目に見えている。
だが反対に秘密裏に進めすぎても、恋太郎と羽々里さんに事実の齟齬が発生するのも十分にまずい。
伝えるべきか、否か。どちらを取るかは明白だ。
秘密裏に進めた方が、責任は首謀者であるおれの方に向く。ならば一択だろう。
その時は口裏を合わせなくともおれを犠牲にして動いてもらう。『彼女のいる恋太郎に惹かれた羽香里を見かね、無理やり後押ししている』というような計画に持っていければ、羽香里を口車に乗せたとしておれが裁かれることになるはずだ。
そのために、最後に切り札を置いてきたのだ。他ならぬ青井春人の弱点として。
おれが恋太郎に嫌われようが、羽香里に見捨てられようがかまわない。
二人には……いや、三人には幸せでいてほしい。
そのためなら喜んで泥を被ろう。
(おれもあいつらに毒されてきてるのかな。付き合ってまだ数日なのに、二股が段々と正常なものに思えてきておかしいんだよなぁ)
おれも少し冷静になって、客観的に見るべきなのかもしれない。
本人たちが幸せならオッケーです、といっても世間というフィルターを通して見たら大分ダメなのは依然変わらないからな。
そう、脳みそを取り出してまるっと洗うような感覚で常識を取り戻すんだ。自分の常識外れを修正していこう。
二股でもこんなに状況が悪くなるんだ。事態の悪化なんて考えたくもない。
次の日。
「…………と、言うわけで…………好本静ちゃんを新しい彼女として迎え入れさせて頂いてもよろしいでしょうか」
「「脳みそ腐ってんのかおめー!!!」」
院田と一緒に叫んだ。
「脳みそっ!!!!」
「腐ってんのかァ!!!!」
「「おめえええええええええ!!!!」」
「返す言葉もございません……」
二度叫ぶ。こんな形で院田とコンビプレーツッコミなんかしたくなかった。
おまっ、てめぇ、こちとら結構命がけの綱渡りしてきたんやぞ!! 詳細は言えないけど!!
そんな時にてめぇ、好本とイチャコラしやがって!!
てめえの腐った脳みそを洗ってシワ一つないキレイな脳みそにしてやろうか!?!?
てかアレか!? 前に音声ソフトがどうたらって、好本のためやったんかオイコラァァ!! ……それは良いセンスだ。
「そんな……恋太郎君……!」
「羽香里……!」
あまりの急展開に羽香里が涙を伝わせる。それを見た院田は裏切られた心中を察したのだろう、すぐに駆け寄った。
「別の女の子を好きになったからって私たちをフらないでくださるなんて……! どこまで優しい方なんですか……!♡」
だが残念、そいつは羽香里だ。
「脳みその防腐剤、箱で必要だコレ!!」
「違う!! 二人への気持ちが静ちゃんに移った訳ではないんだ!! ……例えるならそう、今まであった油田からの石油を分けるのではなく、静ちゃんと出会ったことにより新しい油田が発見されたかのような……」
「恋人への愛を化石燃料で例えんじゃないわよ」
「さてはあまり反省してねぇなこいつ」
この後。
アマゾンでドスを発注だの、みんなを幸せに出来なければ切腹するだのと恋太郎が言いだして大騒ぎとなった。
大切な人を傷つける人間に生きている価値はないと言い放ち。
羽香里は涙を流しつつ感激し。
院田は半ばヤケクソ気味に三股を了承し。
好本はオドオドしながら恋太郎を案じ。
おれは……頭を抱えたが、一息ついて思い出す。
そうだ、こいつはそもそも直情的な奴だった。
自分の信じた事を突き進む。その頑張りが傍から見れば笑われるような奇行でも、気持ち悪がられる愚行であろうとも。
だからほっとけない。
羽香里を見る。
『春人さんに対して、悪印象を持っていない』
そんな報告を受けてから、彼女に思いつめた様子もない。
(何かあれば、真っ先におれが動いていけば何とかなるか?)
四人に増えた恋太郎と愉快な仲間たちを見て、少しは肩を降ろしていいかと相貌を崩すのだった。
「ハル! 俺がもがき苦しんでむごたらしく死ぬような武器ってないかな?」
「そんなもん友達に聞くな!」
「……知らないけど、介錯は任せとけ」
「すんな!!」
原作第三話、完結。
副題「花園の裏のクローバー」踏破。
次回もお楽しみに。