平子真子に好感度100のクリティカルな彼女ができたら 作:架鍵キー
夕焼けに照らされる東京を眺め、ゆっくり初めのフロアを周り、カフェで休憩を取ってから更に100メートルをエレベーターで昇ると、そこは遥かな遠くまで続く夜景の世界です。
縦に並ぶ光が建物の高さを表し、黒い帯が川を示します。
車のライトが祭りで走る子供が持つ提灯のように光の道を滑っています。
これに類するものを見たことがない棗は言葉を失いました。
ちょっと平子はからかってみました。
「今度は『あなや』出えへんの?」
「ああっ……! すみません我が家の祖母があのような感じで話すので行儀を仕込まれている最中に移ってたまについ出てしまうんです恥ずかしいとは思っているのです……!」
やっと言い訳ができました。物凄い早口でした。
ツッコミはしてあげたほうがよかったようなので平子は悪いことをしたと反省しましたが、やはり別に平子は悪くありません。
棗が時代がかったなまりなしに感動を述べたあと、フォトサービスで写真を撮りました。
空中を歩いているような長いスロープの回廊を時間をかけて進みます。
この回廊は350デッキまでと別料金なので客が減ります。喧騒が減って人との間隔が空いたので死神的な話がしやすくなりました。
「ありがとうございます、真子さん。今日一日だけで今までの人生に匹敵するほどの経験をさせていただきました。
尸魂界にいるとほとんど生活は変わりませんし、特に我が家のような古い家は変わらないことを誇りに思っている者も多いですから、強烈に新鮮で刺激的な思い出になりました。
この写真も空間回帰をかけながら一生大切にします」
「コラもう帰るような事言うな まだ終わっとらんで。これから夕メシや」
「私はあなたが好きです。それだけで本当に幸せ」
なのに、残念だなぁ。
声にされなかった独り言のような言葉が霊圧を通して平子の心に響きました。平子と手を繋いでいるというのに孤独を感じさせる響きでした。一体何が残念なのでしょう? 楽しそうにしているのが本心でないとは思えません。
彼女は平子の手を握ったほうをブンブン振りました。
「夕餉も楽しみです! きっと美味しいものを食べさせて頂けるんでしょうね!」
「何やこれが最後やと思てるらしいけど、また連れてきたるで?」
「本当ですか? 嬉しい」
これは作り笑いでした。平子には瞬時にわかります。棗は今のはリップサービスで、このデートが最初で最後だと思っているわけです。
当然でしょう。このデートは棗の贈ったタイのお礼とローズや雛森の後押しによって執り行われた約束です。恋人でも友人でもない他隊の隊長に現世へ連れ出してほしいと願い出る四席がどこにいるでしょうか。
そして平子から誘う義理はないのです。棗からしてみればね。
本当に連れてきてあげるつもりで言った平子にしてみると少々寂しい認識のズレです。
「なァ、棗。なんで俺が好きなんか訊いてもええ? ほんま短い時間やったろ、オマエと話したの。顔かて暗くて良う見えんかったのに、なんでそれで百年も熱上げてられてん」
命を救った恩と恋を間違えているのでは? あるいは吊り橋効果なのでは? などとは失礼なので言いませんが、それにしても百年は長い。
棗は意外そうにまばたきします。彼女が平子を好きになるのは当たり前すぎるのです。
全てが好きです、と答えたいですが、平子が求めているのはそういう漠然としたものではないでしょう。
努力して、言語化します。
「話をしてくださったからです。私はとても状況にそぐわない話をしていましたよね? なのにそれを流すのではなくて、お喋りをしてくださった」
「アレ悪いけどちょっと笑うたしな。子供のころ飼ってた白い猫に一箇所だけブチが入ってるのを汚れやと勘違いして洗ってやろうとしつこくしたらめちゃ嫌われて触らせて貰われへんようになったとか」
「あれは悲しい出来事でした……子供心に親切のつもりでやったことなのですが……。でも、あんなときに話すようなことではなかったでしょう?」
「俺はあんま気になれへんかったで」
棗は何故か、どこか寂しそうに笑います。
「そういうことですよ。あなた以外の人だったら『こいつおかしくなっているな』という相応の対応になったと思います。
私はこの身分で、茶会や宴会で人と交流するときはいつも『聞く側』であるべきでしたので、あんなどうでもいい話を自分からすることはありませんでした。それに笑って返事をしてもらうことも。あなたと話すのは嬉しくて、楽しかったんです。時間の長さは関係ありません。
あと、」
「あと?」
「……とてもうぶなことを言っていいでしょうか……」
「ええで」
棗は恥じ入るように口元を手で押さえ、みるみる赤くなっていきます。
「男性に、おぶってもらうのは初めてで……しっかりした背中のぬくもりの心地良さが忘れられなくて……」
棗は父親にもおんぶをしてもらったことはありません。そんなに近い距離で接する関係ではないのです。
「恋をしました。ずっと恋をしています。
ご納得いただけましたか?」
「ん、あァ……」
「これからも好きです。好きでいさせてください」
「棗、」
棗は平子が呼びかけるのを遮るようにして手を引き、前方を指差します。
「あそこが最も高いところみたいですよ。行きましょう!」
スロープを登りきり、最高到達点から夜景を眺めます。
棗が最高度の夜景を楽しむ一方、平子は窓の外を美しく思うどころではなくなっていました。腹の中のゴツゴツの正体が見えてきました。
望遠鏡を覗いて、再び350デッキに戻ります。
ガラス床を踏んで、土産の店をひやかし、下に戻るためのエレベーターを他の客と待ちます。
なぜか棗が腰……尻? を触ってもぞもぞしました
「何そわそわしてるん?」
「いえ……初めに昇ってくるときに誰かにお尻を触られていたことを思い出しまして。気持ち悪かったなと」
「ハァ!? 痴漢に遭うてたんか!? 何で言えへんの!?」
そうなのです。あのとき棗は平子をおっぱいで誘惑していたのではなくて、痴漢からできるだけ遠ざかろうとしていたのです。
「見知らぬ方に臀部を触られた経験がなく、どうしたらいいのかわからなかったので……」
「そらそうやろうなァ……俺が気がつくべきやった、すまん」
一回おっぱいに集中しちゃった男の子が他のことに気を回すなんて摂理的に無理ですけどね。
でも平子は根が善良なので性犯罪に遭っている最中の女の子のおっぱいにドキドキしてたことに途轍もない罪悪感と羞恥を感じました。
同時に棗の尻を触った奴がいることに腹が立ちます。触りたくなる気持ちはわかりますが。触りたい尻ではありますが。
「もし次遭ったら助けェ言うてええからな。俺がなんとかしたる」
「一般人からの被害に隊長へ助けを求めるなんてとんでもない。次は自分でなんとかします。これでも四席ですから」
「…………」
何かズレていますね。
平子はほぼ確信を持ちました。
「……なァ棗チャン。話飛ぶけど質問や。例えばやで? 俺がここで好きや彼女になってくれって言うたらどないする?」
「困ります、私そういった冗談には慣れていませんので、どうお返事したら笑っていただけるかわかりません」
平子はその反応を咀嚼します。
「もう一つ、これからホテル行こ言うたらどないする?」
「もう一日現世で遊びたい気持ちはありますが、明日は仕事ですので……」
「おゥ、解った。ちょい二人きりでデカい声出せるとこ行くで」
連れて行ったのはリッチめのカラオケ屋です。
夜のお店の方向ではなく、見た目高校生の二人が夜に食事ができる範囲ではちょうどいい価格帯で、AV機器やDVD・BD再生機が充実しており、歌わなくても個室の使い道がいろいろとあります。ご飯も美味しいです。
先程買ったジャズを再生しながら食事をしようと思っていた店だったのですが状況にジャストフィットでした。
「そこ座り」
「は、はい……」
受付で頼んだ飲み物を運んでくる店員が去るのを待ってから、平子はスツールを引き寄せて彼女の前に膝を突き合わせて座ります。
「確認や。朝オマエ俺に好きや言うたとき、付き合いたいとかやないし返事は要れへんて言うとったが、あれマジなんやな? 今日だけやのうて、これからず───っとそれでエエて言うてたんやな?」
「はあ……」
棗は困惑気味に頷きます。そのつもりで言いましたが何かよくなかったですか? とでも言いたげです。
「そんでさっき下品なこと訊いてごめんな。あの質問二つ、俺から誘うてるて条件やったのに『付き合う』と『エエことする』て選択肢1コもなかったやろ。っちゅうかオマエ意図的に答えズラしたな?」
フイと棗の視線が逸れます。
はい。棗は自分は好きだ好きだと言いながら、嘘偽りなく、期限もなく、本心から平子の返事を頑なに拒否していたのでした。
昼、「他の男と結ばれるつもりはない」と彼女が言ったとき、さすがに平子は何か言うべきでした。彼女の人生を懸けた言葉を黙って聞いているべきではなかった。
しかし何も言えなかったのは彼女のほうが『言わせなかった』のです。彼女は強烈に返事を拒絶していました。先程の話ででもです。
腹に凝ったのは無意識的な苛立ちでした。こっちにもなんか言わせろや、と。
「目ェ逸らすな。なんでそないなことすんねや」
「だ、誰だって拒否の言葉は、き、聞きたくないものでは」
「俺から誘うてるて質問に拒否も何もないやろ」
「……でもそれは仮定のご質問ですよね?」
彼女は悲しそうに呟き、手を伸ばして平子が着けているネクタイに触れます。
棗が贈ったタイです。
「平子隊長、このタイをお渡したときおっしゃっていたではありませんか。『値が張るから貰えない』と。自分でいうのもなんですが、私を金銭的価値に置き換えたときの値や受け取る面倒さはこのタイの比ではありません。
そして平子隊長はそのことを強く意識なさっていますね」
「それは──否定でけへんけど」
「『貴族のお嬢さんなんか相手にできない』とは、聞きたくありませんもの。本当に」
「……ほんなら、オマエが貴族でもええ、全部ひっくるめて面倒見たるって言うたら受けるんか?」
「お願いですから、あなたの言葉でそんな幸せな想像をさせないでください」
平子は片手で顔を斜め半分覆い、深く息をはきます。
「よし、腹括った。棗、俺ンとこ嫁に来い」