平子真子に好感度100のクリティカルな彼女ができたら 作:架鍵キー
「い、一週間後はいかがですかと」
大粒の汗をぼたぼた垂らしながら棗は送話口を塞いで尋ねます。聞かなくてもそれが痕跡を探るのに限界な日数であることがわかります。
「しゃァーない。それでお願いしますって言うとき」
「はい!」
ばか丁寧な言葉遣いで棗は通話を続けます。
失礼かとも思いつつ檜佐木は突っ込んでみました。
「ご挨拶で家1件なら結納金とかすげぇ額になるんじゃないですか?」
「なるなァ」
「それどうするつもりで……?」
「尸魂界追ン出される前に貯め込んどった金返せて拳西やローズと提訴してたのが通っとるさかい、手続きに時間かかっとるけど戻ってくる予定や。
その金で棗チャンにエエ指輪でも買うてやってからご挨拶行く計画しとったん、やっ」
と平子は通話を終えた棗のほっぺたをぶにっと突きます。
「纏まった金入るアテもないのにええとこのお嬢さんに結婚申し込むかい」
「ご、ごめんなさい、下手人を囚えるためには急がなければと、そう思って」
嫉妬に狂って錯乱していたせいとはいえ真っ青な棗が少々気の毒だったので、檜佐木は続けてみます。
「金、入ってから申し込んだほうが良かったんじゃ?」
「………………。棗、立ってみ」
「はい」
「気をつけ! ピシィ!」
「はい!」
「これ見てどう思う?」
胸がでっかいなと思います。腰も細いですね。抜群のスタイルです。これにバックハグされていた平子は背中がとても心地よかったのではないでしょうか。
「綺麗な人ですね」
「これが余命一年の命やったら?」
「可哀想だと思います」
「俺を好き好き言いながらそーゆー顔しとってん! そんで俺が傍にいる限りは幸せ感じながら生きてられそうやったらずっといろって言うてやるやろ!? こいつが今スーパーパシリとか呼ばれても『うわ……』ってなれへん感じに仕上がってんの俺のお陰やぞ!?」
「そんなに」
最近棗は「本来誰もが持っている幸せになる権利を手に入れた感がある」と言われます。
本人は「私、決して不幸ではなかったはずですけどなんでかな……」と思っています。
不幸とはちょっと違います。『幸せになれなさそう』だったのです。
でもそこは当然なんですよ。平子が傍にいない彼女が幸せになれるはずがないでしょう。
「はァ、一週間後か。親父さん気ィ遣うてくれたな」
「て、手ぶらでお越しくださいと……」
「アホ言え。一週間でそれなりにご準備くださいてことや」
棗の二の腕を指でぐりぐりします。そのくらいは棗もわかっています。
「何か見繕わな。額はこの際負けてくれるやろ。親父さんどういう人なん?」
「父ですか。優しい人ですよ。怒っているのを見たこともありません」
「よし、修兵一緒に来えへんか!」
「嫌ですよ絶対嫌ですよ! 俺行ったらおかしいですって!」
「ええやん親父さん怒れへんて! オマエおったらいかにも取材デスってなるやろ!」
「親父さんが怒るとか怒らないとかじゃないッスよ! 居た堪れないですって!」
「小遣いやるで!」
「小遣い……いやダメです! 明日檜さんも俺なんかがご挨拶にくっついていったら邪魔でしょ!?」
一瞬小遣いに揺らぎ、いくらか聞きかけた檜佐木でしたが頑としてお断りします。
棗は冷えてきた汗を拭いていました。
「真子さんがそれで落ち着くのでしたら構いませんよ」
「構ってください!」
「棗はそんなん俺がエエて言うたらイヤとは言わん」
「大丈夫ですかその関係も!? 嫌なことは嫌って言っていいんですよ明日檜さん!」
「……。浮気は……嫌ですけど……」
「ハイ修兵は来えへんのな! ノリの悪い奴やなァ!」
ジェラシーモードに戻りかけた棗を引っ張って胸の前で頭をくしゃくしゃします。せっかく別の方へ気が逸れたのに元に戻すことはありません。
檜佐木は余計なことを言って申し訳なくなりました。無茶振りされていたのにここで申し訳なくなっちゃうのが檜佐木の檜佐木たる所以です。
平子は気が逸れ続けるよう話の先を彼女の実家に向け続けます。
「親父さん怒れへん以外に何かないんか? こんなんしてくれたって思い出とか」
「子供のころ、お忙しいのに月に二、三度は私の屋敷に様子を見に来てくれましたよ」
「『私の屋敷』?」
「ああ、所有している屋敷が複数あってもご家族全員で同じ屋敷に住んでいる方は多いらしいですね。うちは両親と五人姉弟一人ずつ、別の屋敷で暮らしていましたので。お父様もお母様も全員の様子を見るのは大変だったと思います」
「なんでそない面倒なことしとんの?」
『上級貴族の暮らし』と紙面のレイアウトを思い浮かべタイトルを考えた檜佐木でしたが、
「姉弟全員がいっぺんに殺されるとまずいですから。それぞれとても大切にしていただいていました」
すぐにバッテンで消しました。
◆
夜。
一度三番隊舎に帰った棗は仕事をしてから平子の元へ戻ってきました。
仕事を切り上げておいた平子と並んでお茶を飲みながら彼に寄りかかって肩にこめかみの辺りをすりすりします。
「………………」
これ、本人に自覚はありませんが『したい』のしぐさです。
普段は週一くらいで昼来るときにやるので平子はその日言葉でのお誘いがなくてもめっちゃ急いで仕事を片付けます。でないと『待ち』の恋人が無言で背に寄り添って甘えてくるという地獄みてぇな環境で仕事をするハメになります。
「なァ、棗」
「はい」
「今日も宿行くん?」
「早く真子さんと一つになりたいです」
「昨日も一昨日も散々なっとったやんー、今日はお休みしよ」
棗はめっちゃびっくりしました。
「え? 嫌ですか?」
「精神的には嫌やないんやけどなァー、ちょっとなァー」
霊圧泥棒に遭ってからこっち、平子は毎日宿まで引っ張っていかれてます。
被害直後はさしもの平子も「うげぇ」ってなりましたし、文字通り恋人で口直ししようと思って取ってあった宿に入りました。
寝台に押し倒され、きゅっと結んだ口とうるうるした瞳の棗に馬乗りになられたときは「あ、こういうんもたまには悪ない」と思いました。
5回分抜かれてなお「もっと」と震えた声を聞いたときにはそんな思いは霧散していましたし、それから連日複数回の要望に応えるのは300歳絡みの男にはきっついものがあります。愛があるのと裸になって甘えられると興奮はするため何とかなっていました。
いやいや被害者俺やで? と何回思ったことでしょう。
棗からすると慰めてもらっているつもりはなく、ただただ『盗られた真子さん』を自分の真子さんにし直しているだけです。
独占欲強めです。
平子はもう棗の旦那さまですからね。
今日は檜佐木のお陰で気が逸れはしましたが、それはそれ、これはこれ。
「悪いんやけど、体がキツいんや」
「私が上になりますよ?」
微妙にそういうことじゃないのです。いやそういうことでもありますけどね、ありはするんですけどね。ガッタガタですけどね。しかしそっちは無理すればなんとかなります。隊長やっているのです。そう見えなくても体は鍛えています。
尽きかけているのは精のほうです。そろそろ枯渇しそうです。ここ数日、精力剤を真面目に摂取しているのですがチャージが追いついていません。
『でもダメ』を感じ取った棗はしゅんとします。
この顔に平子は弱いです。元々女の子が悲しげにしているのは苦手ですが、棗のそれは喜も哀も自分の胸三寸なのが堪えます。
「あー……、一回だけや。約束できるか?」
「はい!」
一回くらいならいけるでしょう。恋人が可愛いと男はつらいですね。
自分がどれだけ愛されているかを色々な角度から何度も思い知らされ、する気は毛頭ないながらも絶対に浮気はできないと深く心に刻み込まれる平子です。
■
銀色の瞳が「明日は──明日からはしばらくお休みやで! エエな!」と言いきかせて眠った平子の寝顔をもう長いこと見つめています。
昼間彼は『棗はそんなん俺がエエて言うたらイヤとは言わん』などと言っていましたが、それはあなたこそですよと棗は言いたいです。
嫌がることを無理強いはしませんし、お願いすればほとんどのことは仕方なさそうにしつつも聞いてくれます。今夜だって寝る前に「胸元をはだけていてほしい」と頼めばその通りにしてくれ、棗が胸板を手のひらを置いても何も言いませんでした。
昨日も一昨日も、愛情深く接してくれたのでそこまで大変だったとは気づきませんでした。
とても優しい人です。
彼が不在だった棗の百年は愛というよりもきっと妄執のようなものでした。
でも、帰ってきてくれて、再びその優しさに触れて、彼女は改めて恋をし本当に愛するということを知りました。
こうして直に体温を感じながら彼だけを瞳に映して過ごせることの幸せは何に例えることもできません。
幸福です。
銀色の瞳は眠気で瞼を開いていられなくなるまでずっとずっと平子を見つめていました。
◆
棗の瞳が瞼に隠れた頃、もう一対の銀眼が暗闇に沈む色のない町の清潔とは言い難い小道を映していた。
また一つ罪を重ね、無我夢中で遁走してきたせいで上がった息は足を止めて民家の壁に縋っても一向に静まらない。
「うっ……」
始終苛まれている吐き気が喉元にひときわ強く込み上げる。胃が痙攣するが、何も吐きはしなかった。胃液すら出ない。
何日も胃の中は空だ。腹は空くのだが食べてもすぐに戻してしまう。渇いてたまらないが水さえも体が受け付けない。
それでも生きて動けるのは他人から奪った霊圧の、器から溢してしまった僅かなものを取り込んでいるからだろう。
浅ましい生き延び方をしている。
飢えと渇きに加え、罪悪感と嫌悪感で気が遠くなる。
しかし意識を失うわけにはいかなかった。早く、早く戻って盗んだものを献じなければならない。でなければまた体に傷を増やすことになる。
自分で自分を引きずるようにしながら歩き出した。
息苦しさに胸を押さえると橙の色をした玉に指が触れる。
これも盗品だ。
罪が彼女の魂魄を喰んでいる。
やっとの思いで帰り着いて──傷が一つ増える……。