Shimokitazawan Rhapsody   作:へんどり

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彼女はロックンロールに救われたのさ

伊地知虹夏にとって、山田リョウはただの友人ではない。親友と言うべき仲だろう。だから、様子が変わればすぐに気がついた。

 

「リョウ、最近、なんか疲れてる?」

 

ギターはいないが、合わせ練習中。視線の先のリョウは、珍しくくたびれた表情だった。ここ数日、同じような表情だった。

 

「いや、今はそれほどでもない」

「……ふーん。なら、いいんだけど。なんかあったなら言ってよね。ほら、あたしとリョウの仲なんだしさ!」

 

(なんて、ちょっと照れくさいかな)

(でも、なんかちょっと心配だなー。無理してないといいけど)

 

「……虹夏の夢、応援してるから」

 

虹夏には、夢がある。姉の分までバンドを頑張って、ライブハウスをもっと大きな場所にして、有名にして、亡くなった母へ見せてあげたい、という夢だ。

リョウが前のバンドと方向性で揉めて脱退してからすぐ、新しくバンドを組む決意をした。その時、虹夏はリョウに少し話したのだった。

 

「? うん、ありがとう」

 

虹夏にはあまり前後の文脈のつながりがわからなかったが、リョウにはしばしばあることだったので、その時は気に留めなかった。

 

 

しばらく合わせ練習を続け、少し休憩を取ることにした二人。水を飲みながら、虹夏が言う。

 

「いや〜、今日も来てくれなかったね、喜多ちゃん」

「……郁代は来ない。代役を探した方がいい」

 

リョウが珍しく強い言葉で否定してきたので、虹夏は少し面食らった。

 

「え? ま、まあ、家庭の事情じゃあしょうがないよ」

「私は、そうは思わない。知り合ってもう1ヶ月以上経つ。連絡先だってお互い分かってる。何かあるなら連絡できるはず。こんな調子じゃ、とても本番を迎えられない」

 

虹夏は、思い至ることがあった。

リョウは、自分の音楽をバンドでやりたいと思っているようだったから、バンドを優先してほしいという思いが強いのだろう。

今回のライブではオリジナル曲をやる訳ではないが、こういう積み重ねがバンドとしての結束力に大きく影響してくることを、リョウは経験から知っているのだろう。

以前所属していたバンドも、辞めるにあたってはかなり揉めたらしいとは聞いていた。そのこともあって、少し厳しくなっているのかもしれない。

 

「うーん。リョウの言うことにも一理あるか。あさって、本番前の最後の練習やるけど、その時にも来なかったら、急だけどサポートギターも探してみよっか」

 

今回のライブで演奏するのは比較的簡単でメジャーな曲とはいえ、練習に1日しか与えないというのは無理がある。3曲やるうちの2曲はすでにやったことがあるとか、そういう人を探し当てないとならないだろう。

 

(3曲だと1週間前に言っても断られるくらいだよね……)

(誰かいればいいんだけど)

 

もちろん、一番は喜多が来てくれることだ。喜多には譜面を渡してあるから、十分練習してきてくれれば、合わせが不十分で多少ズレても形にはなる。

 

「私も、知り合いに声かけてみる」

「ありがと! ……って言うと、なんか喜多ちゃんが来ないって確信してるみたいで変かな。あはは」

 

リョウの表情が歪んだのを、虹夏は見逃さなかった。何かありそうだが、いきなり踏み込むのは何故か躊躇われた。拒絶の意思を感じたのかもしれなかった。

 

「……郁代には、あまり期待しないで」

「んー……。練習、しよっか」

「うん」

 

この話を、なんとなく続けたくなくて、虹夏は練習を再開させた。

その後はいつもうまく行くところで詰まったり遅れたりして、あまり良くなかった。

 

 

練習もバイトも終わり、今は夕食を作っている。ライブハウスは遅くまで営業しており、姉が店長である以上、料理などの家事はもっぱら虹夏の仕事だった。

今日はカレーにした。姉はあまり辛いものが得意ではないので、ルウは甘口と中辛をブレンド。すでにほとんど完成しており、あとは煮込むだけだった。

 

(今日のリョウ、なんかちょっと怖かったな)

(最初は機嫌が悪かったって感じでもなかったけど)

 

明らかに、喜多の話題をだしてから機嫌が悪化していた。あの後も、虹夏が喜多を庇うようなことを言うたび、「絶対に裏切られる」「あんなの何度も見てきた」とでも言うような、かなり強い口調で否定してきたのだ。虹夏も喜多のあり方に思うところはあるから喧嘩になるほどではないが、あんなに熱くなっているのはリョウらしくないと言えば、らしくなかった。

 

(でも、それだけ結束バンドに本気になってくれてるってことだよね)

 

虹夏は、基本的には人を疑わない。というより、原因を別に探す。その人の立場でしか見えないことがある、という理解があるからだ。

 

母が亡くなったとき。

虹夏は、とても悲しかったし、不安だった。だがそれだけだった。後から考えると、それは小学校を1週間ほど休めたからだった。実際の生活と離れたところにいたからだった。

だから、もう母に会えない、ということが現実感を持って襲ってきたのは、次の登校日だった。

 

虹夏自身の中では、整理できたつもりだった。やっていけるはずだった。

だがそれも、もう名前も覚えていない、当時のクラスメイトに、

 

「にじかちゃん、今日はいつものリボンしてないんだね」

 

と言われて、気がつくまでだった。

 

その日はどうしたか、虹夏は結局覚えていなかった。気がついたら家にいて、当時から家を開けがちだった父が困惑するほど泣いて、次の日、姉が家に帰ってくるまでとにかく喚き散らしていたことだけは覚えている。

 

虹夏は当時、ずっと家に帰ってこない姉のことが嫌いだった。

子供らしい独占欲とも言えるが、もっと小さい頃には遊んでくれたのに、遊んでくれなくなったからだった。バンドとかいうよくわからないところで、自分以外と遊んでいるのが寂しかった。帰ってこないことも多かったし、帰っても夜遅くになるから、家にいても会えない。そのことがなんだか、とても悲しかった。

 

虹夏は、母を失くすまで、姉が自分のことをどう思っているか、深く考えたことはなかった。

おそらく、父が連絡したのだろう。急に帰ってきて、喚き散らしている自分を見て、呆然と立ち尽くす姉を見た。

 

その後、姉のライブを見に行って。

姉がただのお遊びでバンドをやっているわけじゃないとわかった。

 

色々な話をした。

 

価値観が違う。

考えが違う。

見えるものが違う。

鬱陶しいと思うこともある。

 

でも、姉妹だ。

 

それから、様々な理由を考えるようになった。

自分の立場ではありえない選択に思えても、その人の立場になって考えると、実は仕方ない選択だったのかもしれない。

そう考えて、姉とも仲良くやっていけるようになった。

大学生の姉には、さぞ鬱陶しかっただろう。

幼い私が構って構ってと絡んできて、自分の友人たちとも気軽に遊べないのは。

 

リョウも、自分と同じくらい真剣にこのバンドのことを考えてくれている。

だから、意見が対立することもある。

 

そのことが、嬉しかった。

 

 

「ただいまー」

「おかえり、お姉ちゃん!」

「虹夏、まだ起きてたのか。いつも寝てて良いって言ってるだろ」

「えー、お姉ちゃん、1人だと食べない時あるじゃん」

 

(今はまだ)

(届かないところにあるけど、)

(いつかきっと……)

 

遅い、けれども暖かな夕食だった。

 

 

数日後、スターリーにて。虹夏は通知のアイコンがないLOINEの画面を開いていた。

 

『喜多ちゃん、今日は来れる?』既読 15:23

『ライブ前最後の練習だから』既読 15:23

『なんとか、来られないかな』既読 15:23

 

返信はない。

それだけではない。

以前にもまして、リョウの様子がおかしいのだ。

今にも倒れそうな思い詰めた顔をして、ぶつぶつと何事か呟いている。虹夏が軽く声を掛けたくらいでは反応を返さない。

 

「リョウ!」

 

大きな声に驚いたのか、椅子に座っていたリョウがびくりと体を震わせた。

 

「あ……、呼んでた?」

「うん、何回もね。本当にどうしたの?  この前からちょっとおかしいよ?」

「……どうせ言っても、」

「え?」

 

リョウはそれだけ言ってハッとして、泣きそうな顔をした。

 

「いま、私、なんて言った?」

「え、いや、よく聞こえなかったけど……」

 

嘘だ。虹夏に言ってもどうしようもない、というようなことを言おうとしたのだろう。それは分かっている。

何があったのかわからないが、おそらく、本当にリョウは追い詰められていて、そのことで私が力になれることは本当に無いのだろう。

リョウは弱みをあまり人に見せたがらない。それは虹夏以外にだと思っていた虹夏は、少し頭に来ていた。

 

「けどさ! あたし達はたった2人のバンドメンバーなんだよ?! しかもただのバンドメンバーじゃない! 幼馴染なんだよ?! なんかあったなら言ってよ! 寂しいじゃんか……」

 

ことここに至っては、もはや虹夏にも喜多をバンドメンバーと認めることはできない。

見通しが甘かった。

もっと前に、直接会って話すことができたのではないか。様々な考えが去来するが、時を戻すことはできない。今できることをするしかないのだ。

 

「……虹夏」

 

リョウが、泣いていた。驚いた虹夏が動けないうちに、リョウが虹夏に抱きついていた。

 

「虹夏、虹夏ぁ……」

「え、わ、ちょっと、リョウ……」

 

虹夏は優しくリョウの背に手を回し、背中をさすり始めた。リョウの方が10センチ近く身長が高いので、(はた)から見れば不恰好なことになっているだろう。

 

でも構わなかった。

ここには2人しかいなかったから。

 

「よしよし、辛かったね……」

 

 

しばらくして泣き止んだリョウが、虹夏に尋ねた。

 

「虹夏はさ。なんで私を選んでくれたの?」

「え? 前も言ったじゃん。あたし、リョウのベース好きだし!」

 

晴れ渡るような虹夏の笑顔に、リョウも自然と笑みが浮かんでいた。

 

「そっか。……ふふ。そうだった」

 

リョウが虹夏の手を握ったまま、言った。

 

「明日。最高のライブにしよう」

「もちろん! そのためには今日、しっかり練習しなくちゃね。もうバイトの時間まであんまりないけど……」

「大丈夫大丈夫。バイトはサボろう」

「ダメに決まってるでしょ……」

 

ギターはいない。何人かに声を掛けたが、断られた。明日までに見つかるということもないだろう。

 

でも、なんとかやれるだけはやろう。

 

 

(今日はついに、結束バンドとしての初ライブの日だ)

(学校でも、ライブハウスでも、サポートでギターやってくれないかって何人かに声かけたけど)

(やっぱり急すぎたかな)

(お姉ちゃんにも探してもらったら良かったかな)

 

姉に頼る、という選択肢も浮かばなかったわけではない。だが、虹夏の小さなプライドが許さなかった。ここで頼ってしまえば、今後もダラダラと頼ってしまうに違いない。姉のバンドはある程度成功していたから、人脈もある。だからこそ頼りたくなかった。

 

幸い、ここのところリョウの調子は良い。先ほど、クラスで話したときも、ベースの弾き方以外全部忘れたなどと言って古文の小テストで0点を取っていた。ライブを前に緊張している虹夏とは対照的に、呑気なリョウを見て、引っ張られるように虹夏も緊張がほぐれていた。

リョウには辛辣な虹夏だが、確かに助かっていた。

 

リョウもあちこちに声を掛けてくれたらしい。それも1週間も前から。喜多が来ないことを確信しているかのような行動は少し気になったが、結局来そうにないので、助かった。とはいえ、サポートが見つからなかったのでは意味がなかった。

 

授業が全て終わり、リョウと連れ立ってSTARRYへ向かう虹夏。

 

その表情は、状況とは対照的に、晴れやかだった。

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