Shimokitazawan Rhapsody   作:へんどり

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ハートに火をつける、ような。

「喜多ちゃん、この前のスタパの写真ってある?  機種変のときに引き継ぎミスってさ〜」

「えーっ、スマホ変えたの!?」

「そうそう! 私もついにリンゴの女よ〜」

 

そう言って真新しいスマホを見せる友人に喜多は曖昧に笑った。

こんなことをしている場合ではなかった。

 

スマホを操作し、LOINEを起動する。その瞬間、嫌でも目に入る、結束バンドのグループロイン。

未読の赤い通知マークがついたままのそれから目を逸らし、友人とのトーク画面を開いて、何枚かの写真を共有した。

 

「このへんとか? あっ、これかな?」

「あっ! これこれ〜。ありがと、喜多ちゃん!」

「いいよ、このくらい」

 

秀華高校の最寄り駅から程近いファストフード店で、喜多は1人、焦っていた。

今日は、結束バンドの合わせ練習の日だった。3時間前に始まるはずだった。いや、始まってはいるだろう。そこに自分がいないだけだ、と喜多は思った。

 

5月5日。木曜日。祝日、こどもの日。もうすぐ18時になる。

ギターを持ってすらいない自分が、今から下北沢に行ったところで、できることはない。喋っているだけの時間も多いが、学校の課題をやっているということになっている今の時間の方が、まだ有意義だ、と喜多は思い込むことにした。

 

「喜多ちゃーん、問3の答え教えて〜」

「あっ、そこ私も聞きたい!」

「問3ってどんなのだったかしら? ……ああ、これね。ここは——」

 

時間が過ぎていく。そのことが喜多には、ただ、苦しかった。

 

「喜多ちゃん、今日はありがと! 急に言ったのに、みんなも集まってくれてありがとね!」

「ううん、ウチらも助かったし。ねー!」

「ねー!」

「じゃあまた明日、学校でね〜!」

 

(明日こそは、ギターの練習をするわ!)

 

喜多郁代は、昔から要領が良い人間だった。運動も勉強も、そつなくこなす。運動はともかく、勉強の方はもっと頑張ればもっと成果を上げられるだろう、と自覚していた。実際、中学までの定期テストでは、その結果が如実に現れていた。すなわち、テスト対策に勉強をした回では高得点を取れたし、そうでない回ではやや低い結果だった。それでも、平均点を下回るようなことはほとんどなかった。

 

クラスで一番になりたければ、全てを擲って勉強に力を注ぐ必要があっただろう。喜多にそんな気はなかったし、普段の授業をしっかり聞いて、課題もちゃんとこなしていれば、概ね平均点程度の点数は取れた。

こうなると、勉強を頑張るという気があまり起きなくなった。

 

勉強に限った話ではない。運動だって同じだ。バスケやバレーなどの複数人で競うスポーツでは、体調不良や補習などで欠員が出ると練習に支障が出る。そのため、友人が多い喜多が補欠として呼ばれることがしばしばあったが、その度に勧誘されていた。

 

「喜多さんが本気になれば、全国だって行けるのに!」

 

喜多はそうは思っていなかったが、それを口にしないだけの社交性はあった。

自分が本気になったところで、県大会くらいが関の山だろう。

 

それ以外の活動にも精を出していた。委員会活動、体育祭の実行委員、林間学校の余興……。

どれも、しっくりくると言えばしっくりくるし、しっくりこないと言えばしっくりこなかった。

喜多はやり方を身につけるのが早かったし、上手かったため、頑張った分は結果として帰ってきた。

しかし、どれも燃え上がるような情熱を持って取り組めるほどではなかった。

 

だから、常に喜多を悩ませていたのは、どこまで頑張るべきか? という問題だけだった。全身全霊を尽くして頑張っても、精々クラスや学年で1番になる程度。

SNSで軽く調べるだけでも、自分より上手い人はいくらでもいる。100万人に1人のような才能はない。

そんな自分が、それでも全力で取り組むべきことなんて、あるんだろうか。

 

むしろ、なくてもいい。

苦手なことはないが、得意なこともない。

そんな自分に満足している。

 

そう思っていた。

 

あの日、あの路上ライブを見るまでは。

 

 

その日は、いつもの友人たちとたまたま下北沢に来ていた。古着屋が新しくオープンしたとかで、友人と喫茶店に行きつつ行ってみようか、という話になったのだった。

 

その帰りだった。下北沢の駅前で、どこかのバンドが路上ライブをしていることに気づいた。

下北沢は音楽の街でもある。そういうこともあるだろう。そう思いつつ、ちらりと目を向けた瞬間。

ある奏者に心を奪われたのだった。

 

「あ……」

「ん? 喜多ちゃん、どうしたの?」

「ごめん! みんな、先帰ってて!」

「え、うん、いいけど……じゃあね?」

 

友人にうまく返事ができたかどうかも、喜多は覚えていない。

そのくらいに、惹きつけられていた。

そのバンドの音楽に、ベーシストに。

 

最初は顔からだったが、聴けば聴くほどそのバンドの音楽に夢中になった。SNSを見つけ出し、路上ライブのたびに聴きに行ったし、時間が許せばライブハウスにも足を運んだ。

青臭い歌詞だと思った。気取った曲調だと思った。

だが心地よかった。

 

喜多自身、こんなふうに熱狂する自分に困惑もあった。自分の冷静な部分が勉強や友人たちとのコミュニケーションに時間を割くべきだと言っているのを、喜多は感じ続けていた。

 

でもハートは止まらない。

 

自分が持つ情熱の力を信じてみたくなった。

確かに、心に炎を灯されたのだ。

 

驚くことに、喜多が虜になったベーシストは、自分のたった一つ年上なだけだという。すでに自分が要領の良い方だという自覚のあった喜多は、自分も本気になってやればバンドで音楽ができるに違いないという確信があった。

ただ、普段の友人たちはそうではないだろうと思ったし、何より、当時の喜多は受験生だった。

高校に入学したら、ギターでもなんでも買って、必死に練習しよう。

そうすれば、あの人の隣に立てる!

 

喜多には初めて、それ以外の全てを賭してやりたいと思えることができた。

 

 

無事に高校に合格したあと、かのバンドが解散したということを知り大いに悲しんだが、あのベーシストが別のバンドに加入し、メンバーを募集していると知った時は運命を感じずにいられなかった。

 

こんなチャンス、2度とない。募集中のギターとして加入すれば、きっとうまく行く。

喜多はそう確信し、通販でギター(ベース)を購入した。それと同時に、SNSを通じて"結束バンド"に連絡を取り、加入したい旨を知らせておく。

 

喜多にとっての不幸の始まりは、購入したギターが6弦ベースだったことと、それを指摘できる友人がいなかったことだった。

 

届いたベースをギターだと思い込み、チューニングを始めたところで違和感に気づく。

 

チューニングが合わない。

 

「ギター 練習」でヒットしたサイトの通り、初めはスマートフォンアプリのチューナーを使ってチューニングしていたが、それが良くないのか。

そこで市販のチューナーを使ってみたが、どうもうまくいかない。

 

無理にペグを操作したことで、弦が切れたときは泣きたい気分になった。金属の弦が跳ねてしたたかに手を打つのは、想像を絶する痛みだった。弦も、メーカーや太さの違いで何種類もあり、説明書やネットを見ながらなんとか購入して交換できたが、正しいのか分からない。

 

それに、弦だけでも2000円以上するのだ。すでにかなり無理をしてギターを購入しているだけに、喜多は焦り始めた。

 

ひとまずチューニングを諦めてコードを押さえてみることにしても、鳴るのは当然、不協和音ばかり。

 

喜多は、打ちのめされた気分になった。

 

必死で頑張っても上手くいかないというのは、初めてのことだったから。

 

そうこうしているうちに4月が終わり、喜多は自身の情熱が冷めていくのを感じてしまっていた。本当はちゃんとしたい、あの先輩と本気になって音楽を追い求めたい。

 

だが、できないのだ。

自分には、音楽の才能がないのだ。

 

喜多は、ギターの演奏なんて右手をシャカシャカやるだけだと思っていた自分自身を思い切り引っ叩きたかった。

 

この大きな絶望は、自分の能力を過信した馬鹿者には、相応しい罰だと思った。

 

結局、"結束バンド"としての練習に参加することがないまま、今に至るのだった。

 

 

喜多は、自室の一角に置いてあるギターを眺めた。

 

触れるのが、怖い。

自分が、本当は何もできない人間なのだと見せつけられるような気がして。

 

(音楽なんて、出来ても出来なくても社会に出てからは関係ないわよね……)

(なんて、諦めの言い訳が直ぐに出てくるのが情けないわ……)

 

泣きそうな顔で手を伸ばして、ギターを取る。

左手の指先が、だいぶ硬くなってきた。フリだけでも、コードを押さえることはしているからだ。

もう何十回も試して、記憶に定着しているCコードを押さえて、鳴らしてみる。

 

鳴るのはどこか間の抜けた不協和音。

 

喜多がウンザリしていると、スマホが鳴って通知が来た。結束バンドだ。

 

『喜多ちゃん、今日は来れる?』

『ライブ前最後の練習だから』

『なんとか、来られないかな』

 

文面から伝わってくる必死さに、喜多は苦しんだ。

 

(ライブ。って、私が行かなかったら、どうなっちゃうんだろう)

(……私、最低だ)

 

知らず知らずのうちに涙が頬をつたい、ギター(ベース)に落ちた。

燻る埋火のような情熱を感じながらも、喜多は苦悩していた。

 




誤字報告ありがとうございます。
修正しました。(23/5/2)
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