水の中に沈んで漂っているような。身体が軽くて、心が軽くて、今にも消えてしまいそうな。今にも死んでしまいたくなるような。いや、今の俺は死んでしまっているんだったな……。
水の中に段々と沈んでいくのはまるで死んだ魚のようだ……だれが死んだ魚のような眼をしているって?
……はは。
そんな冗談を言えるのは俺が死に慣れているからだろうか。
ここは恐らく生と死の境目だ。誰かにそう教えられたわけではないから、本当に生と死の境目なのかはわからない。でも、俺は何度もこの場所に来ているから、この場所がどんな場所なのか、おおよその見当をつけることができていた。
俺の後ろ、水の奥深くには死の世界があるのだ。身体が、いや、魂のようなものが引き寄せられるのを感じる。死んだ俺の魂を回収しようとしている奴がいるのだろう。俺の魂が段々と水の奥深くに沈んでいくのを感じる。もし俺が水面に上がろうと抵抗をしなければ、俺の魂は奥深くに捕えられ、俺は二度と故郷フーラに帰ることができなくなるのだろう。
それは、それはとても悲しい話だ。俺にはその選択を取ることができない。だが、偶に、極々稀にだが、その選択を取れる奴がいるようだ。
フーラの住民は不死の性質を持っているが、時折帰ってこない奴がいるらしい。死んだ奴はリスポーンしてくるはずなのに、何故かリスポーンしてこない不思議な奴がいるらしい。不死の住民が暮らすフーラにおいて、それはとても不可解な現象だ。光の民が必死になって探し始めるのも無理はない。
でも、この水の中に何度も来たことのある奴には、そいつがリスポーンしてこなくなった理由がわかる。恐らく、そいつは水の中で水面に向かうことなく、底に沈む選択を取ったのだろう。
再び復活する権利を放棄して、そいつはこの世界から消えることを選んだのだ。そいつがどうしてその選択を取ったのか、俺にはわからない。
でも、底に沈みたくなる気持ちは分からなくもない。単純に楽なのだ。水面に向かって手を伸ばして、必死になって浮き上がろうとするのはどうしても疲れる。底からは引っ張られているのに、それに反した行動を取るとなると綱引きをしているようなもので、気力を必要とするのだ。
対し、底に沈んでいくのは何の気力も必要としない。何もせずにただただ引っ張られる流れに身を任せているだけで全てが解決する。苦しくもないし、疲れたりもしない。それに、もし底に辿り着けたなら、自分を引き寄せている奴に会うことが出来るかもしれない。
底に沈みたくなる気持ちは分からんでもない。
だが、俺はその選択を取らない。
水中に漂っている中で、俺は水面に向かって手を伸ばした。
水面の向こうから、何やら楽しそうな声が聞こえてくるからだ。ガヤガヤと騒いでいる。きっとまた街でイベントが開催されているのだろう。フーラでは毎日のように誰かがイベントを開いているから、今日も誰かがイベントを開いていてもおかしくはない。
……というか、イベントがないほうがおかしい。
俺は盛り上がっているフーラを見るのが好きだから、イベントにはいつも積極的に参加している。
背中から俺の魂を引っ張ってくる奴のことは気になるが、俺はイベントの方が気になる。今日のイベントは一体何のイベントなのだろうか。何か面白いことがあったから参加者たちは騒いでいるのだろうが、一体、どんな面白いことがあったのだろうか。
ああ、気になる。俺もお前等に混ぜてくれ。一緒に騒がせてくれ。
俺は水面に向かって伸ばした手を掻いて、必死に上昇を試みた。
そして、ガバッと俺は水面から顔を出した。
「ぶわぁはぁっっッ。……はぁ、はぁ」
死んだ人間は全てフーラの街の中、またはフーラの街近郊にリスポーンする。今日は街の中だったようだ。俺は路地裏の誰もいない場所で自分の身体を確かめる。
リスポーンした人は自分の服以外に何も所持できない。俺が死ぬ瞬間に持っていたはずの刀も爆弾もお金もここにはない。全て森林の中に置いてきてしまっている。今の俺は正真正銘の無一文だ。懐は空っきしの素寒貧である。
リスポーンしてくる場所は決まって路地裏になる。繁華街の人通りの多い場所にいきなりリスポーンしてきたら邪魔だから、周囲に人がいない場所にリスポーンしてくるようになっている。
だから、今の俺の周囲には誰もいない。
手持ちは何もなくて、隣には誰も居なくて、空は暗くて、さっきまで俺は死んでいたから、身体は怖いぐらいに冷えている。
でも、そんなのは大した問題じゃない。少なくとも俺にとっては悲しむようなことじゃない。
俺は生成された身体の調子を確認しながら表通りに足を運んで、手を伸ばした。さっきから騒がしい声が聞こえていたから、俺は惹かれるように身体を寄り付かせていく。
声がかかった。
「よう、お前もこのイベントに
そいつは闇の民のようだった。首に巻かれた真っ赤なバンダナはそいつが闇の民である証だ。
「まあな。お前らが楽しそうだったから気になったんだよ」
「そうか……って、誰かと思ったらお前はデルゲンじゃねぇか」
あ? 何で知らない闇の民が俺のことを知ってるんだよ。
そいつはまるで俺とは旧知の仲かのように急に馴れ馴れしく肩を組んできた。
「いやぁ、話は聞いてるぜ。お前、パラディンと一発やりあったんだってな? 多勢に無勢だったってのに孤軍奮闘で善戦してたんだろ?」
噂ってのは広まるのが早いな。まだ一日も経ってないってのに、もう俺の武勇伝が語られてる。有難い話だ。
でも、今はそんなことはどうでも良い。
「まあまあ、そんな野暮な話は後にしろ。それよりも、このイベントは何だ?」
そいつは素っ気ない俺の態度を咎めることなく、「ふっ、そうだな」と笑って指をさした。
「大食い大会だよ。誰が一番多く毒を食えるのかっていう、参加者の胃の強さを比べる大会だ」
「…………面白いことを考える奴がいたもんだな」
「だろ? やっぱりイベントはこうじゃないとな」
会場では次々と参加者たちが毒を喰らって、のたうち回って死んでいた。誰かが死ぬ度にそいつを讃えた観客達が歓声を上げる。一人で十皿も食べている化け物じみた奴もいるようで、そいつが一皿食うたびに大きな歓声が上がっていた。
俺も観客に混ざって歓声を上げた。
このイベントが闇の民による闇の宗教のようなイベントであることは分かっているが、皆と騒ぐのが楽しかったから、俺は闇の民どもを咎めることなく、一緒になってイベントを楽しんだ。
一人で水の中を漂っているよりも、馬鹿な奴らと馬鹿なことをして騒ぐ方が楽しかったから、俺は水面に手を伸ばすことを選択したのだ。
「お前も台に立ってみるか?」
俺は首を縦に振った。
「ああ、俺にも挑戦させてくれ」