ミルキィ診療所。
フーラ国の技術が独自の進化を遂げているというのは知られた事実であるが、その中でも最も優れているとされている技術は医療魔術だ。
だが、そんな誇り高き医療魔術を行使できる魔術師の数は少ない。何故と思うかもしれないが、理由は言わずとも知れているだろう。
そう、この国の住人は死んでもリスポーンしてくるからだ。手足が千切れても、頭がもげても、内臓が壊れても、死んでリスポーンしたら全て綺麗に治っている。
だったらわざわざ金を払って医者の手を借りる必要はない。
などという不健全な理由のせいで、フーラ国には医療魔術を扱える魔術師が少なかった。
しかし、住民たちの中には、リスポーンできるとはいっても死にたくはないと考える人が居る。そう言う人のためにミルキィは治療魔術を学び、診療所をやっていた。
「うう、先生、最近俺の肺の調子が良くないんですが……」
診療所を訪ねた男はどうやら肺を悪くしたようだ。
「うーん、そうですねぇ、確かに悪い感じがあるようですねぇ。ちょっと開いてみましょうか」
「え、それは、大丈夫なんですか?」
ミルキィ先生の発言に男は無礼にも若干の驚きを見せた。
ミルキィ先生は大丈夫だと強く頷いた。
「皆さん終わった後にはいつもすっきりして帰って行きますよ。怖いかもしれませんが、これが一番確実なので安心してください」
ミルキィ先生の心強い言葉と微笑みは天使を思わせるものだった。
「はい、わかりました。先生、お願いします」
「ではそこに横になってくださいねー。はい行きますよー」
男が白いシーツのベッドの上に横になるとすぐ、ミルキィ先生が、ヌッと両手で手刀を作った。
男の顔色が恐怖を表すように僅かに青くなる。先程の決断に今更後悔したのか「あの、やっぱりその……」と、弱弱しい声を漏らした。
だが、ミルキィ先生は一瞥もくれずに入刀の構えに入った。男の胸に爪が添えられる。
「ではいきますねー。ちょっと痛いですけど直ぐに終わりますからじっとしていてくださいねー」
ザクッ。と、血が吹き出た。
声にならない声が響き渡る。
「はいはい静かにしてくださいねー。大丈夫ですよー。すぐに良くなりますからー」
ぐちゃ。ぐちゃ。ぐちゃ。
ミルキィ先生の手が男の胸の中で様々な動きを見せ、その度に肉と血の擦れる音と男の絶叫が鳴った。
しかし、その絶叫は施術が始まって一分も経つ頃には静まっていた。
「ああ……。ああ……」
くちゅり。くちゅり。くちゅり。
施術が始まって五分。ミルキィ先生がやっと男の胸から手を引き抜いた。
「はい終わりましたよー。静かに大人しく出来ていてとてもやりやすかったですー。ありがとうございますー」
魔術を行使して男の胸の傷を塞ぐ。
男はミルキィ先生に感謝を示すために、治ったばかりの肺を酷使して声を絞り出した。
「ああ……。ああ……。ありが……とう……ご……」
それから更に数分後。
男は施術中の呻き声が信じられないぐらい元気に回復していた。
「ありがとうございます、ミルキィ先生! お陰様でとっても調子が良いです!」
これにはミルキィ先生も大喜びである。
「それは良かったです。また何かあればいらしてくださいね」
完全に回復した男は元気な顔で診療所を後にした。
……などという一部始終を見ていた俺はミルキィの強かさに度肝を抜かれて放心してしまっていた。目の前に白衣の天使がいるというのに、俺はミルキィに可愛いねと言うこともせずに身を震わせてしまっている。
なんだあれは……。あれがミルキィなのか? いつも戦闘が好きじゃないと、他人の血を見るのが怖いと言っていたミルキィなのか? 信じられない。手術をしていた時のミルキィの顔は完全にアレだったぞ。
ちょっと楽しそうというか、例えるなら俺がスロットをしているときというか、いや、玩具で遊んでいるときの子供の純粋な笑顔が近いか……。ともあれ、人の血を見ながらする顔ではない。
「あっ、デルゲンだ! いつから来てたの!? 来てるなら来てるって言ってくれれば良かったのにー」
咄嗟に声をかけられて俺はビクッと肩を震わせてしまった。
「お、おう、ちょっと驚かせようと思ったんだよ……。でも、俺が驚かせるよりも先に見つかっちゃったな……。はは、これは参ったよ」
まさかミルキィを驚かせようと思って構えてたら、逆に俺が驚かせられることになるとは思いもよらなかった。
ミルキィは俺がイタズラしようとしていた事を聞いて咎めるように頬を膨らませた。
「あー! またそういうの! イタズラはほどほどにしてねっていつも言ってるでしょ!?」
「ははは、悪い悪い。でも、今日はミルキィが頑張ってる姿を見たから、イタズラする気が無くなったんだ」
俺が褒めるとミルキィは頬をほんのりと赤く染めた。俺がミルキィの診療所に来ることは少ないから、普段見られない姿を見られたと知って恥ずかしく思っているのかもしれない。
「ってことは、施術してるところ、見てたんだね……。どう、だった?」
かわいい。今日のミルキィが珍しく白衣を着ているのもあって、俺はミルキィにゾッコンだ。
そんなミルキィ大好きな俺がミルキィの気を損ねるようなことを言えるはずがない。俺は嘘を吐いた。
「カッコよかったよ……。普段見られないミルキィの姿にキュンとした……」
俺の心無い言葉でもミルキィは喜んでくれた。
恥ずかしそうにポリポリとこめかみを掻きながら目を逸らす。
「あ、ありがとうございます」
「こちらこそ」
気まずい……。いつもならこの空気になった時は俺がグイグイ推していくのだが、今日の俺はそんな気分になれなかった。
だが、この空気をほったらかしにするわけにもいかない。俺には早急に気まずい空気を打ち消すための他の話題が必要だった。
が、俺よりも先にミルキィがそのきっかけを作った。
「今日のデルゲンは少し変な気がする」
「そうかな?」
「うん、いつもなら今みたいな空気になった時は直ぐに私にちょっかいかけてくるのに」
俺はミルキィにそんな風に思われてるのか。でも当たっている。ミルキィが俺のことをよく理解してくれていると思うと嬉しい。
「どこか悪いの? 私が診てあげようか?」
診て、あげる? それって……。俺の脳裏には先程の光景が蘇っていた。
俺はすぐさま拒否を示した。
「いや、大丈夫だよ! 俺の身体は至って健康だよ! 全く問題は無い!」
「えー、そうかなぁ。でも、今日のデルゲンは何かおかしいよ? すぐに終わるから大丈夫だよ?」
ミルキィが手刀のポーズを取る。
俺は逃げ道を模索した。
「ほ、本当に大丈夫だって! そう! ついさっきも死んでリスポーンしてきたところだから! 身体は完璧に修復されてる! 安心して!」
「えっと……それはそれで大丈夫なのかな? 頭の病気とか……。うーん」
ミルキィが急に申し訳なさそうな顔をして言った。
「ごめんね、私には頭の病気はどうしようもないの。ほんとはデルゲンの病気を治してあげたいんだけど……。力不足でごめんね」
どうやら俺の頭が抱えている病気を治すことはできないらしい。
俺としては俺が頭の病気であることを否定したかったのだが、俺はここに勝機を見出した。すぐさまこの話題からの逃走を画策する。
「だったら仕方がないな! 俺としては残念だけど──」
「うん、ごめんね。頭を治すのは難しいから、一度殺して作り直すしか方法が無いの……」
言ってミルキィが魔術を行使するように手刀を構える。……マズイッ!
俺は会話的な逃走を諦め、物理的な逃走を図った。ダッと床を蹴ってミルキィから距離を取る。
ミルキィは俺の咄嗟の行動に驚いていた。口をぽかーんと開けている。
そんなミルキィも可愛いと思いつつも、俺は慎重に言葉を選んでミルキィに尋ねた。
「殺すって言ったけど、もしかして、メンヘラ症か?」
「メンヘラ症? なにそれ。何かの病気?」
どうやら違うようだ。俺は安堵したように肩の力を抜く。
良かった。ミルキィが悪の教えであるメンヘラ症に罹っていないようで本当に良かった。
だが俺は一瞬、心のどこかで思ってしまっていた。
メンヘラ症は愛する人を殺すことで己の愛を証明しようとする病気だ。
もしミルキィがメンヘラ症に罹って俺を殺そうと思ったのなら、ミルキィは俺を殺したいほど愛しているということになる。
そんなミルキィの愛情を受けられるとなると、それはさぞかし気持ちが良いだろう。
だが、それは純愛神の教えに反する行いだ。
俺は力強く歯噛みした。
「くっ、まさか、こんな日が来るとはな……」
俺はまだまだ純愛教の信者としての信仰心が足りていないようだ。
診療所のドアノブに手をかける。
「今日は帰るよ。ミルキィ、また、来ても良いかな?」
ミルキィは急に態度を変えた俺に戸惑いつつも俺を歓迎してくれた。
「うん、また来てね。その時はしっかりデルゲンを健康にしてあげるよ」
俺はミルキィに感謝を述べると診療所を後にした。
いい加減、メンヘラ症の正体を突き止めないといけない。