空が青く澄んでいるのはこの国が太陽の下にあることの証だ。この星に住む生物にとって、その証はとても大きなものだ。それはフーラの国外に限った話ではなく、フーラでもまた特別な意味を持っている。
空の彼方にある太陽が放つ波はフーラの大地に光と熱を与え、そこに住む生物達に様々な恩恵を与えてくれている。それら恩恵が無ければフーラの生物達は生きていけないだろう。
だが、ことフーラの国民に限って言うなら、太陽の恩恵だけで生きていくことは不可能だった。生きるのに必要な恩恵は他にもある。
女王フーラとの契約によって得られる不死の能力がそうだ。
フーラのこの土地は他国よりも遥かに過酷で、生半可な生物が生きていけるような肥沃の地ではなかった。肥沃どころかこの地に足を踏み入れた者の全てが死んでいくほどに過酷な地だった。そのせいで、女王フーラとの契約によって得られる特別な耐性がなければこの土地で生きていくことはできない。
だから、フーラ国で生きる人間は皆が女王フーラと直接的であれ、間接的であれ契約を結んでいる。
しかし、これは人間に限った話だ。
人間ではない……それこそ野良の魔物や魔蟲などは女王フーラと契約を結んでなどいない。だが、彼らもまた今日を明日を生きている。この生物が生きるには適さない過酷な大地で元気にエサを狩って生きている。
それは彼らが真に生物として強いからだった。
軟弱な種族人間とは異なり、何世代、何十世代、何百からそれ以上の世代をかけて己の遺伝子を組み替え、なんとかこの大地の環境に適した身体になるように改良を続けたのだ。フーラの国民のように神の如き力に頼ることなく、コツコツと世代を重ねて環境と共に歩んでいった。
だからこそ彼らはこのフーラの大地にて、人間よりも絶大な力を有している。環境に適応できなかった人間と争えば勝つのは彼らの方だ。
青い空を埋め尽くさんとする影の嵐がそれを証明している。
人と同程度の大きさの巨大な蜂がフーラ都市の上空を暗く染め上げようとしていた。青々とした空はもう半分以上呑まれており、大地には黒い粒の嵐が作り出した巨大な影が蠢くように這っている。
イベント開始の告知から今現在、お天道様を満足に拝むことはできず、それどころか目の前の恐怖を如何にするかばかりに忙殺されて他には何もできていない。ブゥゥゥン、ブゥゥゥンと脳を振動させる羽音に思考を乱される中、住民たちは蜂の対応に追われていた。
”対応”、フーラ風に言い換えると”戦闘”だ。
しかし、普段なら我先にと戦場に赴く闇の民は数少なく、まともに蜂と交戦できている者は一握りしかいなかった。その一握りも大群の巨大な蜂を相手にしてはなすすべもなく、蜂の尻にある人の腕のように太い針に刺されては死んでいく。
結果、戦闘員の庇護を受けられない非戦闘員の光の民は逃げるしか選択肢がない状況に置かれていた。
空を見上げると大群の蜂が作り出した影が段々と空を支配していくのが見える。同時に、その影が人を襲っているのも見て取れる。そして、その影が凄まじい速度で目の前に襲ってきているのも見えてしまう。
空を叩く音が響く。人間大の蜂が生み出す音の波は随分と騒がしい。潜伏することを一切考えていない攻撃的な音だ。
「みんな! 来るよ!」
来るから何だというのか。何が出来るというのか。
だが、襲ってくる音が聞こえるのだから叫ぶしかない。戦うことが出来なくても叫ぶことは出来る。叫ぶことが出来るなら戦うことが出来る人に伝わるかもしれない。その一縷の望みを捨てきれないから叫ぶのだ。
「逃げるよ! あなたも!」
ミルキィは近くに居た年端もいかない少女へ手を伸ばした。
ここは危険だ。いや、ここだけじゃない。この街は今危険だ。どこか街の外か、街の地下に避難しないといけない。
少女は怯えていた。
「う、うん……。でも私走るの遅くて……」
「そんなの良いから! ほら、手を繋いで!」
少女は僅かに躊躇いを見せたが、ここが危険なのは知っていて、ミルキィが自分と手を繋ぐまで避難しないだろうと思い、ミルキィの手を掴んだ。少女の小さな手がミルキィの手とぎゅっと結ばれる。
「よし!」
と、ブゥゥゥゥン!!!
その二人を目掛けて蜂が飛んできた。人間程度の大きさの蜂が持つ針は人の腕ほどもある。生身で喰らえば骨折どころの騒ぎではない。当たる場所によっては一撃で死に至るだろう。二人を目掛けて描かれた一直線の軌道を遮るものはない。当然、非戦闘員の二人にはその攻撃を避ける術もない。
ミルキィはとっさの判断で少女の身体を覆うようにかぶさった。
「ダメッ…………!」
闇の民のイベントが開始されてからはや数分、既に多くの犠牲者が出ている中、その犠牲者のカウントが更に二人分進む………………ことはなかった。
針が弾かれる。
一直線の軌道を描いていたはずの巨大な蜂の身体が直角に大きく横に飛ばされた。壁にぶつかり、蜂の身体が壁にめり込む。まだ命はあるようで羽根はうるさいぐらいに動いていた。そこに一人の少年が近づいていく。手に持つのは片方にしか刃がない剣だ。
何が起きたのか、それを確認しようとミルキィが額を上げて、首を動かす。少女もミルキィに釣られてそちらへ目をやった。
その後姿はミルキィが何度も見たことのある見慣れた姿だった。
「デル、ゲン?」
……ミルキィの命は俺が守る。ミルキィだけじゃない。光の民の命は俺が守って見せる。
俺は後ろ姿のまま軽く手を振ってあいさつをした。羽根を必死に動かしてめり込まれた壁から脱出を試みる蜂の傍に立つと、刀を逆手に持ってその切っ先を胴体へ向けて、降ろした。
──GEEERRREEEE!!!!
「まずは一体、あとは……」
そう、格好よく視線を周囲へと向けて気付く。
「あれ? ちょっと、多くね?」
仲間が最後に発した断末魔がよっぽど悲惨だったのだろうか。お仲間さんたちはとても怒っている様子だった。
控えめに言って俺は奴らに目の敵にされていた。大量の針が俺をターゲットにして一心に向けられている。俺のハートは撃ち抜かれる寸前だ。
「デ、デルゲン?」
俺を気遣ってくれるミルキィが有難い。
俺は声にして言うのが恥ずかしかったから、サムズアップして意志を伝えた。
ブゥゥゥゥン……グシャッ…………。
「で、デルゲーーーン!!!」
そして俺は死んだ。
◆
蜂に殺された後、リスポーンして直ぐにミルキィの下へ向かった。ミルキィは少女と手を繋いで走っていて、その後を追うように蜂が群れだって飛んでいる。俺はその蜂共に飛び膝蹴りをかまして注意を引くとミルキィに向かって叫んだ。
「蜂は俺が抑える! ミルキィはそのままその子を連れて避難してくれ!」
ミルキィは俺の声にハッとしたように振り返ってきた。走る速度が落ちて、足を止めそうになっている。ミルキィの優しい心が俺への気遣いのせいで今一番やらないといけないことを忘れさせているのだ。それは光の民が持つ綺麗な正しい心だからこその葛藤だろう。
だが、それじゃダメだ。
「俺のことは良い!」
良いわけがない。ミルキィには俺がカッコよく蜂と戦う姿を見ていて欲しい。だけど、今はそうは言ってられない状況だから仕方がない。
普段ならこのタイミングで闇の民が蜂との戦いに参戦してくれるはずなのに、何故か今日はそれがなかった。あいつらは戦闘狂だから、いつも戦闘が始まると何処からともなく現れては俺と一緒に戦ってくれる。『拝炎祭』でラーディと戦った時のように……。
なのに、今日はそれがない。
いや……。
「おいおいデルゲンよぉ。なに一人で格好つけてるんだよ。俺達も混ぜろや」
「チッ、これだからリア充はいけねぇや。カッコよく決められるってあらあ、勝てもしない戦いに平気で突っ込みやがる」
「それがお前の悪いところだ」
おまえら……。居たんだな……。
俺は感動で涙を流しそうになった。日頃は何だかんだと闇の民をクズ呼ばわりしていたが、こいつらは俺には必要な戦力で、俺はこいつらを正しく評価できていなかった。
だが、
「数が少ないな……。お前らそれで全部か? 手を抜いてんじゃないのか?」
十人かそこらしか居ない。いつもなら突発的でも数十人は集まるはずだ。ラーディの時は最大で数百人から千人単位で集まったのだ。こんなはずじゃない。
バッと屋根の上から周囲を見てみても、明らかに戦っている闇の民の数が少ないように思える。
一体何が起きてる? 血気盛んなあいつらがこんな大イベントで血を抑えて大人しくしていられるわけがないのに……。
俺と一緒に蜂と戦おうと出てきた闇の民も俺と同じ疑問を抱いているようだった。
「お前こそ知らないのかよ。てっきり俺はお前らなら知ってるかもって思ったんだが」
俺がお前らの生態を知るわけないだろ。俺はお前らのママか? お前らみたいな出来損ないを産んだ覚えはないぞ。……今回のイベントに何かあるのか?
このイベントは、闇の民が主催でやってるイベントだったな。確か、リスディスみたいに大きなイベントを開催したいってんで集会を開いて人を集めてた奴だ。俺はその集会に参加したが、闇の民の杜撰さに呆れて俺もガンザイもイベントからは手を引いた。でもシャルルは何故かイベントを警戒してて……。
いや、待てよ、闇の民が主催? そうか、だからシャルルは失敗するはずのイベントを過剰なまでに警戒してたのか──
ブゥゥゥゥン……。
チッ、今はそんなことを考えてる暇はないな。ミルキィを狙われても面倒だ。こうしている間にもミルキィは他の避難民らと合流して、多くの光の民たちと身を寄せ合って逃げている。ここで俺達が戦わなければこの人たちも一緒に死ぬことになる。
だからこそ、俺達が蜂のタゲを取ってる間に蜂を処理しなければ……。
俺は再度蜂の群れを見て苦笑した。太陽を覆う積乱雲の如き群れだ。
…………処理、できるかぁ?
俺とクズ共の周囲には数十から数百の蜂がたかっている。そのどれもが人間と同程度の大きさもある巨大な蜂だ。
俺は苦渋を顔に浮かべた。
「おいデルゲン! やるんだよ! 俺達が!」
クズの激励が飛んでくる。あいつらは俺とは違って強い熱意を抱いていた。この絶望的な状況で尚戦おうとする意志を抱いていた。
いつもなら俺はそれを闇の民の悪い性質だと言って、切って捨てようとするが、今日の俺は逆だった。
「そうだな、やるか……ッ!」
意気や良し。
俺達は避難民達がパラディンと合流するまでの間、避難民達のデコイとなって蜂共に殺され続けることになった。何度殺しても蘇ってくる全自動サンドバッグの完成である。