100年ほど前のワルフガングは大国に挟まれた小国だった。小国は特別な理由でもない限り、大国に生活の一部を吸われる立場にある。当時のワルフガングも例に漏れず、国内に住む民の暮らしは周辺国に比べても貧しかった。
そんな中、あるときを境にして、ワルフガングは大国へと昇華した。その発端こそが英雄蒼騎士とその相棒のラーディウルフである。
しかし、蒼騎士はフーラへと旅立ち、ラーディは100年の御守りを経て、蒼騎士の後を追うようにフーラへと旅立った。今のワルフガングには繁栄と栄華の象徴である蒼騎士とその狼は存在しない。
国が他国からの脅威に脅かされていることは、少し頭を使えば分かることだった。
……俺は今日この瞬間まで少したりとも考えたことなかったけどな。へぇ、ラーディの故郷は今そんな感じになってるのか。
爺さんは手紙を開いて眺めながら目を細めている。ワルフガングに住む人からの手紙らしいが、一体何を接点にしてやり取りをしているのか、それについては爺さんは何も言ってこなかった。文通相手に気を遣っているのかもしれない。
「戦争が始まれば恐らくワルフガングは敗ける。そうなれば、国民は多くの苦しみを受けることになる」
他国での戦争は正真正銘の命をかけた戦いだ。何度死んでも復活できるフーラで行われる争いとは訳が違う。爺さんの立場からすると、文通相手の国で酷い争いが起きることに何か思うところがあってもおかしくはない。
「でもさ、案外大丈夫かもしれないぞ。ラーディが国を出たから問題が起きたってのは考え難いというか……。あいつが何も考えずに国を出るとは思えないんだよなぁ。それ以前の話としても、あいつに一国のオンリーワンの戦力になれるだけの力があったとも思わないし」
所詮は犬ころ一匹が家出しただけに過ぎない。俺には犬が一匹いなくなっただけで一国が大きく変容するとは思えなかった。
「それはどうでしょうか? フーラにおいてはラーディさんの戦力は相対的にそれほど高くはありませんが、フーラの外では大きく異なります。あれの強さは逸材ですよ」
はえ~。フーラが他より強いってのは知ってたけどそんなに違うんだな。ってことは俺もそこそこ強いってことになるのか? ……興味が出てきたな。
俺はワルフガングの国政よりもラーディの立ち位置の方により強い関心を抱いた。
どれだけ綺麗ごとを口にしようが、結局は強い奴が一番カッコ良い。弱い奴は相手にされないどころか背景扱いされるのが世の常だ。クズ共がそうだからわかる。あいつらは弱くて地味なせいで、この街で半ば背景と同化している。どれだけ街で暴れてもおとがめ無しなのは奴らが背景と同化していて、見向きもされていないからだ。
よっぽどの心優しい人でもない限り、弱い奴を相手にはしない。
俺はギリッと歯噛みした。
「あいつは……モテてたのか?」
「……あの~、デルゲンさん? なんであなたはすぐそういう方向に話を持っていきたがるんですか?」
「そりゃ…………だって、気になるだろ。で、どうだったんだ? 今のあいつも結構モテてる感じだけど向こうじゃもっと凄かったりしたのか?」
フィールは欲望を隠そうともしない俺の不躾な発言に呆れて溜息を吐いてきた。俺も大概だが本人の前で失礼な態度をとるのも大概酷いな。だが、似た者同士なのはやりやすい。遠慮しなくても良いということでもある。
溜息を吐かれても俺が一切の反省の色を見せなかったためか、フィールの目がゴミを見るような目に変わって行った。
「そういうところさえどうにかなれば…………はぁ……。まあ今更良いですけどね」
「で、どうだったんだ?」
俺がしつこく再度尋ねると、フィールは確認を取るようにチラリと爺さんに視線を送った。それに対し、爺さんは間をおかずに首を横に振った。二人のやり取りが何なのかは分からないが、爺さんの認識ではダメであるらしい。
「ということなのでラーディさんのモテモテ情報の詳細が知りたいなら本人に聞いてください。私の方からは何とも申し上げられません。これはプライバシーの問題ですから」
プライバシーの問題か……。なるほど、良い事を聞いた。
「爺さんがそう判断したのなら仕方ないな。プライバシーは本人の口から語られるべきってのは俺もそう思ってるし」
他人のプライバシーを又聞きするのは良くないことだが、全くしてはいけないわけではない。他人のプライバシーを何も喋ってはいけないとなると世間話すら出来なくなるしな。要するに程度の問題ってやつだ。本人が気にしてないような軽い内容なら問題ないが、本人が気にしていそうな内容なら喋らない方が良い。
つまるところ、ラーディはこの件に関して少なからず思うところがあるということになる。
モテるモテないの話で本人に話を聞けと……。なるほどなるほど……。これは気になる話になってきたな。……ん? 音がする……。
──バリバリバリバリ!!!!!!
俺たちが団欒を楽しんでいると、急に屋根が吹き飛んだ。灰色の砂埃が室内に入り込んでくる。天井が消えたことで俺たちは青い空の下に晒された。イベントの余波だろう。避難してないのだからこういうこともある。
俺は茶が砂埃に汚染されるのを嫌ってズズズと飲み干した。爺さんとフィールもすぐさま茶を飲み干していた。
俺の見解はこうだ。
「ラーディはワルフガングでは今以上にモテていた。そして、そのモテ具合はとんでもなかった。大体この辺りか?」
「どうでしょうね。私の方からは何とも」
十中八九当たりだな。
部屋の壁にぶち当たった魔蟲が呻き声を上げた。治安維持組織の奴らがとどめを刺すために一斉に剣を差し込む。
──GhAAAAAAAAAA
うるせぇな。こんなとこで断末魔を鳴らしたらどうなるか分かってねぇのか? これだから素人は困る。っぱ俺が居ねぇとダメだな。
「爺さん、そろそろ俺も出てくるよ。こいつらだけだといつまでもイベントが片付きそうにない」
「おお、行ってこい。病には気を付けるんだぞ」
「そりゃこっちの台詞だぞ爺さん。もう大分疲れてるように見える。孫もいるんだ。あそこから戻ってこれないことが無いように用心しておいてくれよ」
女王フーラと契約をすれば不死にはなれるが、不老にはなれない。不老を手に入れるためにはまた別の工程を経る必要がある。
不老ではないから、老いを止めることは出来ず、やがては老いて床に伏す時が来る。その時にどちらの択をとるのが正しいのかは俺には分からないが、後悔のない選択をしてほしいと切に願う。
爺さんは俺の心配りを笑った。
「はっはっはっ。デルゲンや、私はまだまだ死なんぞ。少なくとも孫が育つまでは死ねん」
「それは良かったよ。俺の知らないところで逝ってもらったら面倒だからな。なあ、ラーディもそう思うよな?」
俺はいつの何か隣に座っていたラーディに同意を求めた。
がうがう。
「だよな。やっぱ一言ぐらい欲しいよな。っていうか、おいラーディ、お前ちゃんと玄関から入って来たか? もしかして屋根がぶっ壊れてたからってそのまま他人の家に上がったわけじゃないだろうな。はあ、いくら屋根がぶっ壊れてるからって行儀が悪いぞ。飼い主の俺の評判が下がるじゃないか」
がうがう。
「いやいやイベントがーじゃなくて。お前の躾がなってないって怒られるのは俺なんだからな。ペットの責任は飼い主の責任だ。だから俺はお前を躾けないといけないんだよ。『屋根が破壊されてても玄関から入る』はいっ、復唱して!」
べしッ。
俺はラーディに頭をぶっ叩かれて襟を咥えられた。ラーディが爺さんとフィールに向かって吼える。
がうがう。がうがう。
言葉が伝わるのはラーディと契約している俺だけだ。仕方ねぇから俺が通訳してやるか。そう思った矢先。
「ラーディさんはこいつの力が必要だから借りていくと謝罪しています」
狐人もラーディの言葉が分かるのか……。
フィールの通訳を受け取った爺さんがうむと頷く。
「良い良い。丁度今そっちに向かわせるところだった」
わふっ。
「んじゃ、爺さん達者でな」
俺とラーディは僅かに灰色が混じった空を跳んで激戦区に向かった。