ベータからシドが逮捕されたという知らせを受け、アルファは仕事を一旦ベータに任せ、すぐにシドが収容された留置所のほうへ向かった。
留置所の近くにある建物の屋根の上、アルファは旅人が被るようなマントを身に着け、体を伏せ、留置所の方向を見下ろす。
シドのいる拷問部屋に丁度外窓があり、遠くから外窓を通し部屋の中を監視できる。
監視中、シドが拷問されている姿を見せられ、アルファは激怒したが、彼にとってこれしきの拷問痛くも痒くもないことを知っているゆえ、静観に徹した。
その後、シドがノリノリで悲鳴を上げている様子を見て、ほんの少しだけクスッとなったのはここだけの秘密。それはそれとして尋問官に対する殺意だけがちっとも減っていない。
監視を続き、尋問官たちの休み時間、アルファにとって予想外の人物が拷問部屋に訪れた。
シドの世話係――メイド・チョウドクゼツだ。
ふざけた名前だと、アルファも分かっている。しかし、彼女の背景が疑いをかけられないほどに真っ白だ。アルファ自身もミツゴシ商会のアンケート調査を装って、彼女の実家へ聞き込みをしたが、やはり事前に調査した通り――すべての辻褄が合っている。
それでも、「綺麗すぎて逆に怪しい」というシドの言葉で、彼女に対する警戒は解いていない。
メイドはどうやらシドと何か話している、しかしここからだとその内容は聞こえない。
拷問部屋の外窓の下へ移動し、盗聴することも考えたが、バレる危険性を考慮し、動かずに監視を続行することにした。
何もないようにメイドとシドとの会話が続く。この位置だとどうしてもシドの表情が見えにくく、メイドのほうが見えやすい。彼女が笑ったり呆れたり無表情になったりのを見て、会話の内容を気になってしょうがないアルファだが、それでも近付きたい気持ちを鋼の心で押し殺した。
そして、会話の途中、尋問官の騎士たちがいきなり部屋に入った。
会話が中断され、メイドが部屋から出ようも、騎士の二人に止められた。厭らしい顔で、一人の騎士がメイドに手を伸ばす。
次に起こったことは、アルファの理解の範疇を超えた。
騎士の二人はいきなり顔が真っ青になり、何か恐ろしいものでも見たかのように、そのまま意識を失い、地面に倒れた。
「何が起こっている?」
アルファが監視を続く。部屋にいるメイドは足元に倒れている騎士たちに見向きもせず、シドに一礼をし部屋から出た。
彼女が離れたあと、二人が木偶人形のように、ぎごちない動きで立ち上がり、部屋を出た。
「シドの言った通りだわ。あのメイドは何かがおかしい」
メイドがシドにとっての脅威になるかもしれない。そう考えたアルファは監視をやめ、メイドの後をつけることに行動を切り替わった。
メイドはシドが住む寮の方向へ向かい、アルファはその後ろを追跡する。
市街地を抜け、途中市場に入り、そこの人々に挨拶しながら料理などの材料を買う。その立ち振る舞いは至って普通で、拷問部屋内で見せた異常性がまるで嘘のよう。
買い物を終え、メイドが再び寮へ向かう。アルファも続けてその後を追う。
メイドの歩幅はずっと変わらず、一度たりとも後ろを振り向かず、アルファにつけられたことに気付くそぶりを見せなかった。
しかし突然、彼女は進路を変え、人気の少ない路地裏に入った。
『気付かれた?』
アルファが一瞬行動を戸惑う。
相手からの誘い、罠である可能性をも考慮に入れる。
罠だとしても、いっそ相手の思惑に乗じるも、行動せずに逃げられるよりはマシと判断し、アルファは追跡を続行することを選んだ。
すぐに路地裏へ入り、しかしそこには誰もいなかった。
『撒かれた?!』
アルファが周りを見渡すも、やはり自分以外人の気配がいなかった。
『こんな短時間で……』
「初めまして」
突如、誰もいないはずの後ろから人の声が響く。
「ッ!」
アルファが反射的に前へ膝を抜き、身を翻し臨戦態勢を取った。
目の前にいるのは、路地裏に入ってから雲のように消えたメイド・チョウドクゼツだった。
違いがあるとすれば、市場で買い物する時持っているかごは、今の彼女は持っていない。
「シド様のお友達の、アルファ様ですよね」
『私のことまで知られている?!』
アルファが驚く。
相手の得体知れなさが、予想を遥かに超えている。
少し混乱したアルファを前に、メイドは素知らぬ顔で、言葉をつづけた。
「それとも……」
どこからか、風が鳴く。
路地裏を通り過ぎ、風がより勢いを増し、吹き荒ぶ音がメイドの言葉を搔き消す。
「……と呼んだほうがいいでしょうか」
誰かの名前であるはずのその単語のみ、アルファの耳にだけしっかりと送り届けられた。
言葉を失った。
彼女がその名を知っているとは思いもしなかった。
メイドから与えられた衝撃に次ぐ衝撃が、アルファの思考を一時シャットダウンさせた。
何もせず、何も話さず、メイドはただ笑顔のままアルファからの返事を待っている。
ハっと我に返ったアルファはメイドの微笑みを見て、正体不明な相手を前に取り乱した自分の迂闊さに少々腹が立った。
「……どうしてその名を……いいえ、今更そんなこと、もうどうでもいいわ」
首を横に振るアルファ。
「あなたは誰?何の目的でシドの隣にいるの?」
警戒心を最大にし、彼女はメイドに問いかける。
「己はただのメイドです……と言っても納得してくれないでしょう」
淡々と、メイドが答える。
「調整役……と言えばいいでしょうか。この世界における二つの特異点の衝突を誘導、観測し、その影響を調整することこそが、己の役割です」
メイドの言葉が、今のアルファにとっては難解だった。
それでも、アルファは彼女の言葉を噛み砕いて、できるだけ情報を吸収した。
「特異点……それはシドのことなの?」
「はい、その通りです」
「その『特異点』というのは何?」
「お答えできません」
「……『二つの特異点』って言ったよね。もう一人は誰?」
「それもお答えしかねます」
黙秘するメイドに、アルファの表情は険しくなっていく。
「申し訳ございません。少なくとも今はまだ、それをお伝えすることはなりません」
メイドはアルファに向けて一礼をした。
「言えることは、己はシド様に危害を加えるつもりはございませんし、あなた方シャドウガーデンの邪魔をするつもりもございません」
穏やかな口調で、メイドが話した。
「私がそれを信じるとでも?」
アルファが疑念に満ちた目でメイドを見る。
「そうですね……ならば誠意として、もう少しだけ、情報を開示しましょう」
そう言って、メイドは目を閉じた。
少しの間、沈黙が続く。
勿体ぶっているのかと、アルファは疑うが、それでも指摘せずに話を待つ。
夕日が少しずつ堕ちていき、空が紅に染まったその時。
再び、メイドが口を開いた。
「『たとえば……』」
瞬く間に、闇が訪れ、星が昇る。
「『己の一生がすべて定められたものとしたらどうだろう』」
それは、男でもなく、女でもなく、老人でもなく、若人でもない。
「『富める者は富めるように。貧しき者は餓えるように』」
本当にメイドの口から発したのかですらも分からない。
「『善人は善人として、悪人は悪人として』*1」
まるで空間そのものから、響き渡るような声。
まるで時が加速したか、幻覚を魅せられたとしか説明できない空の変化に、アルファが目を疑う。同時に、訳の分からないことを語り、どこから発生したのも判別できない悍ましい声に、言いようのない不快感を覚えた。
「何をした!?」
スライムで剣を形成し、メイドに突きつけながら彼女に問うも、彼女は答えず、ただ話を続く。
「……そして、悪魔憑きは悪魔憑きとして」
幸いと言えばいいか、空の変化が止まり、メイドは目を開き、その声もいつもの声に戻った。
「貴方たちが、シャドウによって救われたことでさえ……」
アルファを見つめながら、彼女が言った。
「黙りなさい!」
怒りを満ちた目で、アルファがメイドを睨む。
「すべてが女神ベアートリクスの思し召しとでも言いたいのか!」
シドとの出会いを汚そうとするその言葉に、アルファは危うく、憤りに耐え切れず、手に持った剣でメイドの喉を貫くところだった。
アルファの怒りに、メイドは最初こそ反応を示さなかったが、最後に来るその言葉をトリガーに、メイドの顔色が変わった。
「女神ベアートリクスの……思し召し……?」
その言葉を反芻しながら、メイドは顔を俯く。アルファの剣がほぼ自分の喉先に当てているにも関わらず。
「クッ」
何かに堪えているように、メイドは腕を抱きながら、全身がビクビクと震え出す。
彼女の影も、体の揺らぎに呼応するように、蠢き始めた。
「ッ!」
警戒しているアルファが、一歩後ずさる。
すると、メイドの影が周りを覆い尽くすかのように蔓延し、月明かりや星明りに昏く照らされたこの路地裏が、より深い闇へと染め上げられる。
『これはスライム?いいえ、違うわ。もっと異質な……』
闇がアルファとその後ろの地面を避け、この狭い路地裏が、不規則に波打つ影によって鮮明な二色に分かたれた。
その次に、目が、無数たる朱色の目玉が、薄っすらと輝きながら、影より浮き出す。
すべての瞳が、アルファにその視線を注ぐ。
テ・テケリ・リ・テ・テケ・テケリ・リ……
目の前の光景に、アルファが自分の正気を疑いたくなってしまった。
闇の中心、メイドの震えが収まり、そして……
「クフッ、クハハッ……クハハハハハハハッ!!!!!」
哄笑した。
「……何が、可笑しい?」
衝動で攻撃に移さないあたり、まだアルファが冷静さを保っている証拠だ。
「いや、申し訳ない」
メイドの哄笑が止み、闇に覆われた三日月のような笑みをアルファに向けた。
「嗤うつもりはなかったよ。ただ君の言うことがあまりにも面白くて、つい……」
「……面白い?」
現世とは思えないこの不気味な空間で、気が狂いそうになり、さらに相手からの挑発めいた言動をも受けた。アルファは精神を保つだけでも精一杯の中、それでも情報を引き出そうとする。
「どれの……どこが?」
アルファの問いを聞き、メイドの顔から闇が褪せ、感心しているような目を露す。
続いて周りを覆い尽くす闇も、見る人に
ただ、周囲の景色が一見元に戻ったが、微かな違和感が尚も消え残る。
「神の思し召し、ね……もしこの世にすべての運命を決められる神がいるとしたら、それはきっと、碌でもない――邪神なのだろう」
その目は遠く、雲の上を見つめている。
「それは、どういう意味かしら?」
食いつくように、アルファが問う。
アルファからの問い詰めに機嫌を害されるどころか、楽しそうにメイドは笑みを浮かぶ。
「そうね。己が言いたいのは……あなたたちとシャドウとの出会いは、神が御手により紡がれた運命などではなく、『引力』によって引き寄せられた必然と言えましょう」
やわらかい口調で彼女は言った。
「『引力』?」
この単語は、『陰の叡智』で聞いたことあると、アルファが思い出した。
『重力』とも言い換える、森羅万象が持つ互いを引き付ける力。その力は、存在自体の質量が大きければ大きいほど、正比例して強くなる。
シドが言うには、この世界の形状は平面ではなく球体。この球体の反対面に住む人たちが下へ落ちないのは、巨大な質量を持つ球体によって地面に吸いつけられているから。そもそも、我々が認識する『下』という概念は、この世界が持つ重力の方向に過ぎないと。
シドが教えてくれたそれらの知識が、すでにイータの実験によって実証された。
そういえば最近、『陰の叡智』と似た内容の『引力』に関する何本もの論文が学会を騒がせているという情報がベータから聞いたことがある。
シドが語った『質量とエネルギーの等価性』や、ぼんやりと語った『相対性理論』などに関する論文も、学会では眉唾とされているが、誰かによって発表された。中の一部は、あのイータですら眠ることを忘れて読み漁るほどのものだったとか。
『質量とエネルギーの等価性』によれば、質量と
この世でもっとも大きいな『質量』をもつシャドウ、その強大な『引力』がアルファたち『七陰』を彼の隣に引き寄せたというのであれば、納得できるかもしれない。
「その通りです」
アルファ脳裏の推測を肯定するかのように、メイドが言った。
その言葉はアルファを深い思考から呼び戻した。
「シャドウ――シド・カゲノー、彼は正しく無限に繰り返されたこの
どこか狂喜めいた顔で、メイドが語り出す。
「星の如く輝く『超人』たちの中でも、シド・カゲノーはとりわけ大きな
語りながら、漆黒の眼でアルファを見つめる。
「まさか……『特異点』というのは……」
悟ったように、アルファが両目を閃く。
「ああ……であれば、その偉大なる『超人』の周囲に群がる
メイドはそれ以上言わなかった。ただその視線がアルファから離さなかった。
「……ッ!お前は……」
自身の本質をも見通そうとするその瞳に、アルファが一瞬身を怯む。
「少々、語りすぎましたね」
メイドはアルファに近付く。
本能的に距離を取ろうとするアルファだが、何故か体を動こうにも動けなかった。魔力の運行すらも阻害されている。
「これはッ!?」
この期に及んで、アルファが地面の異常に気付く。自分の足が、いつの間にかメイドの影を踏んでいる。
「敵か味方も分からない相手を前に、思考に耽るのはよくありませんよ」
ヒントをあげるメイド。
『まさかあの時に!』
一時とはいえ、相手が提示した単語に気を取られ、アルファはまたしても自分の迂闊さに悔いる羽目になった。
「変に気負う必要はないですよ、アルファ様。たとえ気付いたところで、今のあなたには防ぎようがないでしょう」
微笑まし気に、メイドは語り掛ける。
「気を張っても、人の精神力には限度があります。筋力や体力、魔力と違って、意志の力はそう簡単に鍛えられるようなものではありません」
「クッ!クウゥ……」
『おかしい。体に密着しているのに、この影からは魔力の流れを全く感じられない』
影に拘束されたアルファは必死に藻掻くも、すべて徒労に終わる。
『いえ、路地裏に入って、彼女が私の目の前に姿を現した時から、魔力自体は感じられるのに、魔力の流れだけが不気味なほどに安定している』
今のアルファは、思考を回転させることしかできなかった。
メイドは一歩ずつ近づき、高まる緊張感がアルファに冷や汗をかかせる。
『たとえイプシロン……いいえ、シドでさえ、魔力を必要とする大立ち回りを行うとき、魔力が高まったら、流れを感知されることは免れない』
違和感の正体に辿り着こうと、アルファの思考が更に加速する。
『なのに彼女が、あの影を操ってあれほど派手に動いたのに、魔力の高まりも、魔力の流れも、彼女自身やその影からですら、これぽっちも感じられなかった』
魔力に対する知覚と目にした現象の矛盾、その先に答えがあるはず。
今まさに目と鼻の先にいる張本人、まるで魔力はまだ霧散せず死んで間もない屍のように、その体にある魔力は波打つことなく凪いでいる。
『違う。そもそも……』
そこで、アルファはようやく気付く。
『
「お前は……一体……」
体の大半が闇に飲まれ、アルファは喋ることさえ難しくなった。
「今宵の邂逅は
詠いながら、メイドの手がアルファの眉間に触れる。
「何……を……」
なされるまま、思考が霞んでいく。
「然るべく時、また思い出してくれよう」
最後の言葉と共に、アルファが完全にメイドの影により覆い尽くされ……
意識が、暗転する。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
目を覚ますと、そこは路地裏だった。
日はすでに昇り、太陽と影の方角を見るに、時間はおそらく早朝。
旅人姿のアルファは陽の当たらない陰の中で茫然と立っている。
「私……どうしてここに……」
アルファは記憶を振り返る。
覚えているのは、シドが逮捕されたことを知り、その様子を見に、留置所まで行ったこと。そして、彼が拷問される様子を見て、尋問官の二人に殺意を覚えながらも、彼の演技に思わず笑ってしまうこと。
その後は、誰かがシドのいる拷問部屋に入って……
「駄目……思い出せないわ……」
目が覚めたら忘れ去られてしまう夢のように、記憶に靄が掛かり、そこに誰がいて、その後自分に何が起こったといった具体的な内容をどうしても判明できない。
「アルファ様!」
突然、後ろの上方からアルファを呼ぶ声が伝わる。
「この声は……ベータ!」
振り返ると、私服を着ているベータが建物の上から降りてきた。
「探しましたよ、アルファ様!」
慌てる様子で、ベータが言う。
「探す?どうして?」
「アルファ様が昨日拠点から離れたきり戻ってきませんでした。今朝になっても帰ってこなかったから、流石にちょっと不味いと思って、探しに来ました」
端的に、ベータが説明した。
「昨日……そうか……ごめんね、ベータ。心配かけちゃって」
申し訳なさそうに、アルファが謝る。
「いいえそんな!たださっきまではアルファ様の魔力を全然感じられなかったのに、いきなりこの路地裏に魔力反応が現れたので、ちょっとびっくりしました」
ベータが頭を横に振りながら言う。
「私の魔力を感じられない?」
「はい、でも今は全然感じられます。おかしいですよね……私の感覚が鈍ったのでしょうか」
首を傾げて唸るベータ。
「……」
沈黙するアルファ、彼女の中に何かが引っかかっている。
「どうしましたか、アルファ様?」
「……いいえ、何でもないわ」
結論を出せないまま、アルファが応えた。
「ガーデンに帰りましょう。私がいない間の報告は拠点でお願いするわ」
気持ちを片付け、まずは仕事に戻るとアルファが決めた。
「はい。しかし、シャドウ様のところは……」
「私の戻る間、監視は一旦ほかのメンバーに任せましょう。報告が終わったら、また見に来るわ」
「かしこまりました」
話を終え、アルファとベータがそれぞれ飛び上がり、路地裏を出て帰路に就く。
心に、微かな疑問を抱きながら。
どうも、厨二設定大好き侍です
今回は設定開示回
本筋との関連性は比較的に薄いので挿話にしました
この二次創作の世界観設定は、書籍版四巻で公開された魔界に関する世界観設定をベースに、他作品とのクロスオーバーができるように魔改造されたものです
シド関連の設定は完全に独自設定&独自解釈です。原作読んだことある方は当然分かるが、『特異点』などという単語は一度たりとも出たことないですよね
質問や指摘、意見、誤字報告などがあればぜひ感想欄へ
挿絵追加:
【挿絵表示】