ここは、舞台裏。
文明の灯りは、地上に輝く無数の星々の如く、夜の王都を照らす。
だが、光があろうと、すべての陰を照らすことができない。
光の下に陰ありき。
陰の下に、暗流渦巻く。
路地裏。
騎士の死体が二つ分、見るにも無残な姿を晒している。
一つは首に大きな傷跡がおり、出血がとっくに止まり、流れ出た血の乾いた跡しか残っていない。
もう一つは首も四肢もおらず、四肢は死体のすぐ後ろに、首は少し遠い場所に転がり、斬首による即死であることが見て取れる。
現在進行形の王都同時多発襲撃事件と比べれば、この二つの死体は取るに足らないもの。
いわば、脇役の死だ。
彼らに振られたのはそういう役で、そういうシナリオなのだ。
だがしかし、脇役とはいえ、死んだ脇役とはいえ、彼らには彼らの人生があった。
その裏に、己らも知らない壮大なストーリーがあった、かもしれない。
どうでもいいけど。
このまま捨てても勿体ない、再利用させてもらうじゃないか。
死体の下、どす黒い何かが蠢く。
影のような、泥のような、あるいは闇そのもののような。
黒い不定形が、無数な目を開ける。
赤いガラス玉のような、眼白もない、瞳孔もない、機能しているかどうかもよく分からない、目と呼んでいいかどうかですら分からない、空虚な瞳。
テケリ・リ・テ・テケリ・リ……
不気味な鳴き声が路地裏に木霊する。
薄っすらと玉虫色に光る黒い不定形が、死体に潜り込む。
死体に残る血液、組織液、リンパ液、凡ての体液が、屍骸を貪る粘液によって居場所を無くし、死体のありとあらゆる穴から噴出され、血に汚された服をさらに汚す。
血の匂いと、吐き気を催す腐臭が、周りを充満する。
二つの死体が立ち上がる。
首と四肢を失った死体は、粘液によって支えられている。
夜の暗さに相まって、まるで宙に浮いているようだ。
黒い不定形が触手のように粘液を伸ばし、あたりに散らばっている首と四肢を拾い上げ、元の体にくっつかせる。
傍から見るに、不格好なマネキンのよう、一応人の形に成しているが、その首も、四肢も、変な方向に曲がっている。
死体の頭部から、眼球が抜け落ちる。
代わりに、生物の目とは言い難い歪な赤い球体が、元の位置を占拠した。
ゆらりゆらりと、死体が歩く。
ゆらりゆらりと、死体が闇に消える。
暗闇に、邪悪が潜む。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
舞台の上。
漆黒のマスクで顔を隠し、金髪のエルフが夜の王都を駆ける。
デルタたちの陽動が始めてからしばらく、アレクシアの魔力を探知できるようになった。
おそらく今まで、アレクシアが魔封じによって拘束されており、それでその魔力が探知できなくなった。今はその拘束が何らかの原因で解かれたのだろう。
すでにシャドウとベータがアレクシアの方向へ向かっている。
ならばアルファたちはすでに判明されたフェンリル派閥のアジトを潰すのに専念して、アレクシアのことはシャドウに任せばいい。
予想外のことと言えば、アレクシアの魔力が探知可能になる前に、悪魔憑きに似た強大な魔力反応が一つ突如に現れた。
それはゼノン・グリフィが投資した地下研究施設にいる実験体であるという可能性が高い。
実験体を管理している研究者がシャドウガーデンの襲撃に焦って実験を早まってしまい、あるいは他のミスによって、その実験体を暴走状態にさせてしまったのだろうと、アルファが推測する。
ともかく、今は実験体を何とかしないと、更に死傷者が増えるだろう。
なにより、実験体……悪魔憑きが、それ以上苦しまれることを、見て見ぬふりをできない。
アルファは、荒れ狂った魔力反応に向かい、真っすぐに駆けていく。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
現場に、騎士たちが突如に現れた化物の対処に戸惑っている。
民間人の避難誘導は、同時多発襲撃事件が始まってから、王立特務隊実働部隊の協力の元ほぼ済まされた。
指揮系統が違う王立特務隊との協力は、騎士団上層部により実質上禁じられており、現場にいる騎士団団員たちにとって命令なしに簡単に受け入れられるものではない。
命令遵守は団員の務め。が国民の安全を守ることもまた、騎士としての使命であり、責務だ。
故に、国王陛下からの王立特務隊と共同で事態を対処するという勅命が出された時、結構の数の騎士は内心ほっとしている。
協力を受け入れても上層部が文句を言えないからだ。
今、騎士団は王立特務隊と共に化物の制圧にかかる。
王立特務隊の隊員たちが銃撃で化物の注意を逸らし、騎士団の団員たちは近接攻撃で化物にダメージを与える。
しかし、化物の驚異的な防御力と再生能力のせいで、騎士たちの攻撃は意味を為さない。
足止めするだけでも精一杯だ。
更にその反撃により、負傷者が続出している。
幸いなことに、いまだに死者が出ていない。
とはいえ、どこまで持つか、誰にも分からない。
「ネス隊長!このままじゃ前線を維持できません!」
「見れば分かるよ、ストーン君ー。こりゃ~増援が来ても無駄骨だろう。撤退の準備でもした方がいいんじゃ……」
「な、何無責任なことを、ネス隊長!」
化物を前に、強面で屈強な騎士が一人、魔剣士では珍しい盾を使って化物の巨腕による攻撃を防ぎながら、この状況でもどこか気を抜けているような騎士に声を上げる。
上官であるはずのネスという猫背気味の騎士は、ストーンと呼ばれる騎士の大音量を躱しながら、慎重に化物の爪を対処し隙を伺う。
二人とも実力のある魔剣士だが、魔力も腕力も並の魔剣士を遥かに超える凶暴な化物を前に、彼らは苦戦を強いられる。
化物は巨腕で騎士たちを薙ぎ払い、また数名の騎士が吹っ飛ばされ、意識不明になり、生きているかどうかも分からない。
ストーンも軽く吹っ飛ばされ、何とか立ち直ったが、衝撃で内臓がやられたか、口元から血が零れる。ネスのほうは辛うじて躱したが、剣を持っている右腕が痺れてしまい、これ以上の戦闘が厳しくなる。
「クッソォオオ!!!」
「……まずいなこりゃ」
重傷を負って戦線離脱してしまう者たちだけでなく、猛威を振るう化物を前に、戦意喪失し、腰が抜け、手から剣が零れ落ちる者も出始め、陣形がもはや保てなくなる。
戦力を失っていく騎士たちに反し、化物はまるでその魔力も体力も無尽蔵の如く、騎士たちが一生懸命に付けた傷が目に見える速さで癒されていき、それどころか、抵抗できなくなる騎士たちに襲い掛かろうとしている。
万事休す。
この場にいる騎士たちが全員そう思い始めた矢先、閃光が空より舞い降りる。
「ガアアアアアァァァ!!!!!」
化物が悲鳴を上げ、抵抗する力もない騎士たちに振り下ろそうとするその右腕から血が噴き出し、力が抜けたように垂れ落ちる。
「ごめんなさい。痛めつけるつもりはなかった」
軽やかに騎士たちと化物の間に着地したのは、漆黒のボディスーツを身に纏い、顔を隠した金髪のエルフ。
「だ、誰だ!?」
ストーンはエルフに質問するも、彼女は応えなかった。
化物の右腕に、綺麗な線を描いた傷が残っており、魔力によって癒合が阻害されているようだが、やはり相当な速さで傷口が消えていく。
今の一撃で、化物は目の前のエルフを脅威とみなした。
彼女に惹きつけられた化物にとって、騎士たちも、特務隊の人たちも、すでに眼中にない。
「体内ももうボロボロなのね……」
さっきの一撃で、金髪のエルフ――アルファは、化物の状態をある程度理解できた。
通常の悪魔憑きと違い、この子は後天的な改造を受け、人であるときの面影が辛うじて残ってはいるが、その中身はすでに人おろか、通常の生物からもかけ離れていき、どちらかというと魔物に近い存在に変貌した。
ある意味、肉塊となった悪魔憑きたちよりも取り返しのつかない状態にいる。
今の彼女は、魔力によって生かされている。
悪魔付きたちを苦しむ魔力暴走は、逆に彼女の命綱となっている。
その魔力暴走を解消し、彼女を人に戻したところで、全身の臓器が正常に機能できず、命を落としてしまうだろう。
魔力暴走を治すことは、彼女を殺すことに同義だ。
それでも、苦しんでいる彼女を、アルファは見ていられなかった。
「たとえ手にかけることになるとしても」
終わりのない苦しみから、彼女を解放したい。
手に持つのは黒い剣、次の一撃で、この子に引導を渡す。
一歩踏み込み、アルファは極自然に魔力を汲み上げ、極自然に化物に剣を振り下ろす。
蒼白い閃光が再び化物を飲み込もうとし……
けれど、届かなかった。
「っ!?」
いつの間にか、アルファの手に持った剣が形を失い、泥のように崩壊した。
スライムを剣の形に維持するため込めた魔力が、一瞬にして消え失せたのだ。
アルファの目の前に現れたのは、閃光を受け止めたかの如く右手を掲げ、白に近い薄緑色の髪とエメラルドの瞳を持った青年。
気付かないうちにここに立っていた得体のしれない青年に、アルファは警戒する。
青年はつい最近シドと知り合ったミドガル魔剣士学園の同級生で、平民なのにアレクシア王女と同じクラスに入った謎の編入生。
その名は『ノア・エスポワール』。彼の背後にはおそらくミドガル国王がいる。
アルファが知り得た情報は以上だ。
そんな彼は、なぜ今ここに?
「まだ、助けられる」
薄緑髪の青年――ノアは、荒唐無稽を口にする。
背後に、化物はノアに助けられたこと自体も理解できなくなったのか、肥大化したその右腕を大きく振るい上げ、人の腕程の長さのある爪でノアを貫こうとし、振り下ろす。
ノアは振り返らなかった。
気付いてなかったのか、それとも警戒する必要もないのか。
だがきっと、後者なのだろう。
地面や建物をも軽々しく抉り取れる化物の爪甲が、ノアの命を絶とうと彼の頭を目掛けに弧線を描くも、ノアは見向きもせず、ただそっと左腕を上げ……
いとも容易く、受け止めた。
化物が吠える。
悲鳴にも似た声で、理性を失ったはずの眼に、恐怖の色が映る。
巨体が震えながら後ずさり、心なしかその体が何割か縮んだ。
それでもノアと比べれば、両者の体格差は象と人のそれよりも大きい。それなのに化物は、まるで本能的に命の危機を感じたように、ノアから逃げようとする。
「怖がらせてしまったか」
申し訳なさそうに、ノアは呟く。
化物がノアに背を向ける。その先には王立特務隊実働部隊の隊員たちがいて、このまま化物を逃したら、隊員たちとの衝突は免れないだろう。
ゆえに、ノアは動いた。
袖の下、白い帯が飛び出る。
魔力が赤い稲妻のように帯を
化物の真上に、赤く輝く蜘蛛の巣を形成した。
「少しだけの辛抱だ」
この言葉は、化物に向けるものなのか。
蜘蛛の巣は化物を覆い尽くし、その行動を封じた。
見た目からして想像し難い重さで、化物の体を地面に貼りつく。
化物は咆哮を上げ、蜘蛛の巣から抜け出そうとするが、化物を縛る魔力により赤く染められた帯は、その力では破られないほどに頑丈だ。
さっきまで苦戦を強いてきた化物が、こうも簡単に捕まれたのを見て、騎士たちが唖然としている。
膨大な魔力が込められた皮膚が鋼鉄よりも硬く、騎士たちが剣を切り込むだけでも一苦労で、しかも傷口がすぐに回復される化物。
そんな化物の右腕を一瞬で、簡単では回復できないほどの大きな傷を与え、暫く行動不能に陥らせたエルフ。
何名もの騎士を一撃で重傷を負わせた凶暴な化物の爪を、まるで癇癪を起こした子供の拳をあしらうように、左手で呆気なく防ぎ、訳の分からないアーティファクトで化物を捕縛した青年。
二人の強さは、騎士たちの理解を遥かに超えている。
「な、何なんだよあいつら!?」
「俺に聞かれてもね……確実に言えるのは、ありゃー俺らの手に負えん」
地に伏した化物を前に、ノアとアルファが対峙する。
化物――悪魔憑きの実験体を捕獲したノアに、アルファの視線が鋭くなり、わずかな敵意をノアに向ける。
アルファからの敵意を感じ取ったノアは困惑を顔にし、警戒する。
両者の間に、一触即発の雰囲気が醸し出されている。
「あの二人、味方同士じゃねぇんだな」
「そうでありますか?」
「……ずらかるぞ」
「ーーえっ?はぁあ?!!」
いきなりの言葉にストーンが耳を疑い、素っ頓狂な声を上げるも、ネスはストーンの驚愕を無視し、ただ言葉を続く。
「住民の避難はもう済んだ、俺らじゃー対処できんはずの化物も、あの坊主にネズミを捕るように簡単に捕まえられてるんだ。もう俺らにできることがなーんもねぇよ」
「っ!し、しかし……!」
「俺はお前らの命を無駄にしたくねぇんだ。分かってくれ」
普段は前髪に隠されてよく見えないネスの目が、今回ばかりはネスの真剣さを表すかのように、前髪越しでもはっきりとストーンの目に収めた。
いつも飄々としている隊長の沈重な口調に、ストーンは息を呑む。
「それに、向こうさんも撤退するつもりみたいだね」
ネスの視線の先は王立特務隊の実働部隊。
実働部隊のほう、隊長格の男性はネスに合図を送り、それを見たネスは頷きを返す。
「ネス隊、撤収ぅ!」
ストーン含め、ネスの命令に反論する騎士はいなかった。
負傷者たちを連れ、陣形を保ちながらも、騎士団と特務隊は迅速にこの場から撤退した。
残されたのは、睨み合っているエルフの少女と人間の青年と、拘束された化物だけ。
化物は尚も藻掻いている。
しかし奇妙なことに、化物を束縛した網だけでなく、本来なら簡単に破壊できるはずの地面も傷一つつけられなくなった。
蜘蛛の巣に流れる赤い魔力は、地面をも強化したようだ。
それでも化物は藻掻く。
理性を失ってなお、ノアに恐怖しているのか、囚われたことに心の傷が喚起されたか、化物は藻掻き続ける。
肺腑より出でる咆哮が、家族からの離別に悲しみ、見知らぬ地に怯える幼児の泣き声のように、二人の耳奥に響く。
ノアは後ろを向いた。
拘束された化物に近付き、
「その子に何をするっ!?」
ノア目掛けに飛来したのは蒼白の閃光を纏う漆黒の斬撃。
躱すことなく、ノアは右腕をあげ、その軌道を遮る。
人の肉体を簡単に切り裂けられるはずの斬撃が、又しても溶かされた。
閃光が消え、漆黒の剣から魔力が失われ、元の不定形に戻されてしまう。
二度もこの現象を目にするアルファは、流石にスライムによって出来た剣では不利だと気付いた。
形を失ったスライムに魔力を流し何とか回収し、他のスライムを触手のように伸ばし、騎士たちが落ちた剣を拾い、剣を手にする。
ミスリルの剣では魔力の減衰はスライムより遥かに大きいが、今は他の選択肢がない。
剣に魔力を込め、再びノアを斬る。
いつの間にか、ノアは右手の手袋を外している。
体を両断する勢いで放たれた袈裟切りに、ただ掌で迎え撃つ。
キィーーーーン
金属と金属がぶつかり合うような鋭い衝突音。
それは到底人の肉体を切り裂くときに発生しうる声ではない。
アルファは目を見開く。
ミスリルの剣を受け止めたノアの右手。
手袋を外され月の明かりに照らされたそれは、人間の皮膚とは程遠い、冷たい光を帯びた
「義手?」
義手にしては、動きに違和感が無さすぎる。
鋼で出来たその手に関節部はなく。それなのに指が曲がれるし手首も回れる。
現に、ノアの右手はアルファの剣をがっしり掴まっている。
掴まれた瞬間、剣に込められている魔力は何かに吸い取られたかのようになくなった。
否、実際に吸い取られているのだ。
剣の強化に使われたアルファの魔力が、謎の力によって流れを変え、ある一か所へと集まる。
集まる先は、ノアの右手だった。
魔力を練り直し、制御を強まろうにも、ノアの右手から発生した引力はアルファの魔力制御力をはるかに上回り、一時しのぎにもなれず、魔力が奪われていく。
「ッ!」
静電気でも触れたように、アルファは大袈裟に柄から手を離し、ノアから距離を取る。
あのまま剣を持ち続けば、自分の魔力が吸い尽くされるという錯覚に陥った。
ノアは反撃しなかった。
手に持った刃を放し、剣がカランとした音で地面に落ちた。
鋼の手は当然血が出ることもなく、おそらくさっきの斬撃も、彼の手に傷一つつけることもできなかったのだろう。
今までディアボロス教団との抗争にも、かつてテンプラ騎士団との戦いにも、このような相手と出くわすことがなかった。
アルファの剣、その本来の威力なら鋼鉄を切断することだって容易い。
しかしノアの手と接触したその一瞬、魔力が吸収されるだけでなく、斬撃本来の勢いも殺され、威力がひどく落ちた剣は呆気なく止められてしまう。
さりとて、本来の威力も果たしてノアに通用するだろうか。
ノアの右手を形作った
それは、自分の知りうるどの金属とも異なる何かであると、アルファは直感する。
騒動する心を落ち着かせる。
目の前の青年は慎重に対処せねばならない相手だと、アルファは理解した。
ノアはアルファに向き直る。
刃を向けられたのに、彼からはまるで憤りをも殺意をも感じない。
アルファを見るその目は、果たしてどのような感情を抱いているかを、アルファは判断しかねる。
そして、アルファの動揺を前に、青年は、ノアは彼女に。
腰を折った。
「すまんかった!」
耳を疑った。
呆気を取られた。
それもそのはず、状況的にこちらが一方的に危害を加えようとする相手が、逆にこちらに謝ってくるなどと、常識外れにも程がある。
警戒は一応解けてないが、アルファは唖然としている。
「その子を傷つけるつもりはない。俺は、その子を助けたいんだ」
自分の首を差し出しているかのような無防備な姿勢のまま、ノアは言葉を続く。
「助け……たい?」
油断させるための戯言かもしれない。
そう疑う一方、アルファはノアからの敵意を感じずにいる。
彼の言葉は真摯そのもの、そこに虚勢も偽りもないと信じたいという思いも、いつの間にかアルファの心に芽吹いている。
「どう助けるつもり?」
確認するように、アルファは問う。
「この子を、彼女を人間に戻す」
上体を起こし、再びアルファと目線を合い、ノアは迷わず答える。
やはり彼は知っている側の人間だと、アルファは判断した。
「あなたはディアボロス教団の人間なのか」
続けて問うアルファ。
「違う」
即答するノア。
「俺は、教団の敵だ」
こうもはっきり言う彼は、気狂いか、大嘘つきか、それとも本気の本気で、教団に仇をなすものなのか、判断するにはイマイチ決定打に足りない。
彼を信じていいのか。アルファは困惑する。
「まだ俺を信じなくていい」
迷うアルファに、ノアが言う。
「俺たちこれからやろうとしていることを、少しの間見届けてくれ」
「俺たち?」
この場に、教団の実験体であるあの子と、アルファとノア以外、他に誰かがいるのか?不意に顔を強張るアルファ。
「頼めるか、シャエレ?」
『もちろんだ。吾輩を誰だと思っている』
直接脳裏に響くような不思議な声と共にノアの隣に現れたのは、鳥のような翼を生え、マゼンタ色の縞模様を持ち、空中に浮遊する奇妙な黒猫。
「魔物?しかも言葉を……」
おそらく今日でいの一番驚くアルファ。
『吾輩は魔物なんかじゃない!』
シャエレと呼ばれる黒猫は全身の毛を立たせアルファを威嚇する。
『まったくー、なんで問答無用襲ってくる相手に頭を差し出すような真似をするの?帰ったら説教ものだぞ!』
「仕方ないさ。あの子を怖がらせてしまったし、この人……」
呼称に困るようで、ノアはアルファに目をやる。
「……アルファだ」
軽く溜息をし、アルファは名乗った。
「アルファさん……俺はノア、ノア・エスポワール」
名乗られたら名乗り返すのが礼儀だと言わんばかりに、ノアも自分の名前を伝えた。
ここで「知ってる」とかを言い返しても話がややこしくなるし、アルファは黙って頷いた。
「アルファさんもあの子のこと助けたいみたいだ。あの子が俺に怯えているのを見て、誤解しただけだろう」
『助けたいねぇ。吾輩たちが到着したとき、どう見ても止めを刺そうとしか見えないけど』
皮肉たっぷり、敵意マシマシな目をアルファに向けるシャエレ。
中々感情表現が豊かだ、猫なのに。
まだ突如現れた怪生物に戸惑っているのか、反論しても埒が明かないと思っているのか、睨み返すもなく、アルファはただ口を噤む。
アルファの無反応さに面食らったか、シャエレは「フン」と鼻息をして、ノアのほうに向く。
『で、どうして吾輩に頼るわけ?ノアがやった方がいいじゃないの?臓器の修復くらいノアの術式もできそうだし、そのほうが【英雄】っぽいし』
シャエレの問に、ノアは首を横に振る。
「シャエレも知ってるだろう。俺の存在自体が魔物にとって毒のようなもの。すでに半分魔物になったこの子が、俺に触れた後あんなに怖がっているの、多分そのせいもある。俺が治療する場合、どうしてもリスクが高くなる」
『ノアならそんなリスクも回避できると思うが……』
「お願いだ、シャエレ。臓器の再生はシャエレのほうが俺より上手くやれる。それにリスクなど、最初からなかった方がいい」
ノアの頼みに、シャエレは「やれやれ仕方ない」のような顔をした。
『まあ、吾輩に任せなさい』
猫なのに空中で直立するような姿勢をし、前足で胸をポンと叩く。
『余計な手を加えられた悪魔憑きだから少々面倒だけど、吾輩にかかればちょろいもんさ』
「ああ、頼んだ」
話が纏まり、シャエレがまだ藻掻いているあの子の頭付近まで飛ぶ。
『動きまわされるとやり辛いし、一旦眠らせよう』
そう言って、シャエレの体から緑色の葉っぱが浮き上がる。
奇妙な魔力を帯びた半透明な緑色の葉っぱがシャエレの体から離れ、網の下にいるその子の頭にくっつく。
緑色の輝きによる影響か、その子の動きが段々と鈍くなり、やがて瞼をも閉じ、眠りについた。
『ノア、治療には参加できないけど、余計な魔力を吸い出すのを手伝うくらいはできるよね』
「ああ、分かった。それは俺がやる」
ノアもその子に近付き、左手の手袋を脱いだ。
左手のほうは右手と異なり、鋼ではなく、人間のそれである。
眠りつくその子の頭部に左手をかざす。
すると、その子の体内に荒ぶる魔力は、ノアの左手に吸い取られていく。
体内にある過剰な魔力はその子の命を繋いでいるはず、それが吸い取られたら……
「待ってッ……」
本来苦しまずに介錯しようとしたアルファは、その子の命を奪いかねない行動を前に、矛盾にも、今度は逆に止めようとする。
「大丈夫だ」
落ち着いた口調で、ノアは言った。
『安心しろ。吾輩がいるんだ、死なせはせん』
尊大な口調で、シャエレは応えた。
アルファは足を止める。
命を取ることしか解決策を見出せなかった自分、今だけは、見守ろう。
魔力を失うのと共に、巨体が段々と縮み、やがて地下で狂った男に試作品を注射される前と同じくらいの大きさになった。
外見は化物のままだ。余分の魔力を吸い出しただけで、悪魔憑きはまだ解呪されていない。
その子を拘束した蜘蛛の巣は、すでにノアによって回収された。
ノアはシャエレとその子から離れ、アルファから少し距離を取った場所に立った。
『ここからが本番だ。そこで見ていろよ』
地面に横たわるその子が、シャエレの力によって宙に浮く。
シャエレの体から青い
『消毒!』
黄緑色の光が奔る。
放電するような現象が過ぎ、だけどシャエレとその子のどちらも無傷だ。
『調律!』
緑色の光が照らす。
心なしか、眠っているその子の表情が少し穏やかになった。
『再構築!』
紫、緑、青、マゼンタ色の光が同時に輝く。
その子の体が虚ろになり、光と共に、その形が少しずつ変わっていく。
地面に何かが落ちる。
赤い宝石の入った短剣と、写真の入ったペンダントだ。
『遺伝子構造把握、異分子を排除、修復、成長周期に符合した肉体を再形成』
一番複雑で念入りに行わなければならない手順故か、シャエレは工程を整理するように呟く。
『マゼンタを複製、再発防止と生体強化の機能追加……』
化物の体が少女の体に戻され、実体化する。
長い銀髪を持った幼い少女、前髪の左側に、一縷だけ他の髪と違ったマゼンタ色のメッシュが一際目立つ。
少女はゆっくりと地面に下された。
シャエレと少女を囲った透明な壁も消え、シャエレは猫なのにドヤ顔をしながらアルファとノアのほうへ向き直る。
『これで出来上がり。どうだ、すごいだろう!』
ノアとアルファは少女の隣に近寄る。
アルファは指を少女の鼻に添い、確かな鼻息を感じた。
「生きてる……」
アルファは驚きを禁じ得ない。
気付いたように少女の隣にあるペンダントを拾い上げ、写真を目にした。
中年の男性と幼い少女の写真だ。
少女はその子と同一人物だとすぐわかる、問題は隣にいる男性。
男性の顔を見て、アルファの表情が複雑になる。
『吾輩にかかればこんなもんよ。ギャフンと言えよギャフンと!』
「シャエレ……」
『はい?』
シャエレは首根っこを掴まれ、笑顔をしているノアと目を合わせられる。
「これ、なんだ?」
ノアは少女の前髪にあるマゼンタ色のメッシュに指さす。
『あ……あ、これね!これは、その……良かれと思ってぇ~』
「良かれと思って人に本来なかった器官を追加するヤツがいるか!」
『すみませんでした!』
流石にシャエレもやってしまったという自覚があるようだ。
『いやだって、悪魔憑きが解呪されたって、何らかの外部要因で再発する可能性もあるんでしょ?世の中物騒だしもうちょっと強くなった方が安心できるんでしょ?せっかく治してあげたのに、吾輩たちの知らないところで死なれたら困るというか勿体ないというか……』
ぺらぺらと言い訳を並べるシャエレ。
「本人からの同意もなしにやるもんでない!」
『ごもっともです!』
見事なしょんぼり顔をするシャエレ、猫なのに。
二人(一人一匹?)のやり取りを見て、アルファは少し、さっきまで自分の抱いた決意も、葛藤も、馬鹿馬鹿しくなった気がする。
「ごめんなさい」
アルファはノアとシャエレに頭を下げた。
「あなたを疑っただけでなく、対話もなしに剣を向けたことに謝罪します」
「いえ、そんな……」
『そうだそうだ!きちんと反省しろ!』
「シャーエーレー!」
『うッ』
分が悪いからとどこかへ飛んでいったシャエレに溜息をし、ノアはアルファに続けて言う。
「俺のほうこそ、誤解されるような行動を取ってしまってすまなかった。シャエレの言ってたことは気にしないでくれ」
「いいえ、私の判断に冷静さを欠いていたのは事実です」
頭を上げ、アルファはかぶりを振る。
「あなたがいなければ、私はすでにあの子を殺してしまった」
「……自分の判断が果たして正しいかどうか、誰も知る由もないさ」
この言葉は、アルファを慰めるためのものか、それとも……
『ノア!』
突如、慌てるシャエレの声が響く。
『何か……何か嫌なものがくる!』
「えっ?けど魔力探知にはなにも……いや、この気配は……!」
ノアの顔色が変わる。
アルファの魔力探知もなにも感じなかった。
けれど微かに、微かに悍ましい気配が、厭悪感を催す何かが近付いてくるのを感じた。
邪悪が、闇より出でる。
あれは、二人の騎士。
顔に生気はなく、闇に輝く真っ赤な目をし、糸操り人形のようなぎごちない動きで、二人はこちらに近付いてくる。
顔に見覚えがある。
あれは、シドの尋問官だった二人の騎士だ。ベータからは、この二人が今夜シドを誘い出し、おそらくアレクシア誘拐の罪を擦り付けようとの報告を受けた。
シドがこの二人を殺さなくても、ベータは彼らを八つ裂きにしただろう。
なのに何故、この二人がここに?
いいや、そもそもこの二人が……
悪臭が漂う。
血の臭い、死臭、腐敗臭、刺激臭……
彼ら、いや、アレらはーー
先に動いたのはノア。
一瞬にしてその一体に迫り、右拳を突き刺す。
破城槌を撃ち込まれたかのように、死体の胸が大きく陥落し、続いてくる衝撃で斜め後ろに吹っ飛ばされ、後ろにある建物の壁に嵌る。
死体から黒い粘液が飛び散り、落ちる先にある地面が粘液により腐食される。
中の数滴がノアの服にも触れてしまい、蝕まれたような穴を作った。
もう一体は、ノアを無視して走り出す。
アンデッドとは思えないほどの俊敏さで、体から黒い触手を伸ばしながら疾走する。
その向かう先は、地面に眠っている少女だった。
「させない!」
アルファはスライムスーツから剣を創り出し、魔力を込めて真っ向斬る。
鋭い剣圧が触手と死体を諸共両断し、更に蒼白い閃光が奔り、黒い触手も、死体も、すべて小間切れにされた。
スライムにより形成された剣も黒い粘液に腐食されるようで、一撃を刻んだだけで剣がすでにボロボロだった。
「これは一体、なんなの?」
街中でいきなり襲ってくるアンデッドに、アルファは困惑を隠せない。
魔物のアンデッドと違って、アルファにみじん切りにされた死体に魔物ならあるはずの核はない。おそらくもう一体のほうにもないだろう。
それ以上に異常なのは、この死体からも、粘液からも、魔力の流れを感じない。
これらは魔力によって動かされるものでないのを証明している。
テケリ・リ・テ・テケ・テケリ・リ・テ……
死体から、奇妙な声が響く。
聞き覚えのある声だ、だけど、記憶にない。
ズシリと、アルファの頭が痛む。
何かを思い出そうとする痛み、危機が迫ると伝えようとする痛み。
壁に打ち込まれてなお、バラバラにされてなお、死体が動く。
いいや、動くのは死体ではなく、その死体に棲まう玉虫色に光る黒い粘液だ。
ノアは壁に嵌っている死体のほうへ跳ぶ。
迫りくる触手に、ノアは最小限の動きで躱しながら死体のほうへ突っ込む。
右手を伸ばし、死体を掴む。
「ウオオオオォォォォォ!!!!!!」
思いっきり、死体を投げた。
投げられた死体がアルファによってミンチと化した死体に衝突し、黒い粘液が混ざり合い、死体が交じり合い、一体化する。
死体を掴む途中、ノアは躱しようがなく、服の右袖は丸ごと無くなっている。
ノアの服だけでなく、顔にも所々に粘液が飛び散り、魔力で防いではいるが、それら魔力をも腐食し、ノアの顔に派手な火傷を残した。
右腕は無事、というのは少し語弊があるかもしれない。
露出した右腕は見覚えのある金属色。
ノアは右手だけでなく、右腕もすべて鋼によってできているのだ。
「シャエレ!」
『応!』
シャエレから黄緑色のシダの葉がノアの右腕に飛び移り、ノアの右腕を黄緑色に染まる。
電光を伴う高熱が右腕より発し、ノアはこのまま一体化した粘液のほうへ、雷鳴の如く奔る。
極小さな太陽が、地面に顕現する。
眩い光が周囲を照らすも、その熱量は拡散することなく、逆に中心部へと収束される。
ノアの右手に圧縮された魔力の塊は、空気そのものをプラズマ化する。
「消え失せろォオオオ!!!!!」
黒い粘液がノアを襲うも、ノアに触れる前に蒸発される。
死体が動こうも、動く前に焼失される。
光が闇を照らす、そこに陰が残る余地すらない。
黒い粘液も、騎士の死体も、塵も残らず、すべて、無に帰った。
ノアの上半身の服も燃え尽くされた。幸い下半身の服が辛うじて大丈夫そうだ。
鋼の右手は熔かされていないが、高熱の影響で赤く発光している。
肉体のほうは、もちろん無事では済まない。
粘液に蝕まれるときよりも酷い火傷が顔と上半身に残され、火傷というより、もはや焼却痕。皮膚が黒く炭化し、呼吸による肉体の起伏に伴いボロボロと崩れ落ちる。
常人ではショック死するほどの火傷、生きているだけでも奇跡だ。
むしろ、いくら魔力で保護された肉体が頑丈とはいえ、空気がプラズマ化されるほどの高熱を前に、この程度で済ませられること自体が、常識ではありえないことだ。
身に焼き付いた跡をどうとも思わないように、ノアはただ呼吸を整う。
そして、体内にある無色の魔力を転換し、体に緑色の魔力光を発しながら、その火傷が目視できる速さで少しずつ消えていく。
その魔力光が、どことなくシャエレの持った緑葉のアーティファクトの輝きに似ている。
拘束術式を行使する時に使われた白い帯がどこからともなく現れ、ノアの上半身を隠す。
すでに跡形もなく消えたこの一帯を照らした小さな太陽、その作り主であるノアを、アルファはしばし茫然と見つめる。
シャドウがかつて見せた、霧の龍を打倒した未完成の技と似て非なる現象を起こしたノア。
彼女の脳裏に焼き付けた忘れられない光景と共に、一つの単語が浮かび上げた。
「『特異点』……」
靄のかかった記憶が鮮明になり、まだあの夜のことを全部思い出していないが、誰かに語られた言葉だけが、一文一句残さず思い出せた。
「彼が、もう一人の……」
「アルファさん」
突然、ノアに声をかけられる。
「……なんでしょうか」
動揺を隠し、アルファが返事する。
「その子は、アルファさんに任せてもいいだろうか」
ノアがアルファの後ろにいる、まだ寝ている銀髪の少女を見る。
「……なぜ私に?」
「アルファさんなら信頼できると思って」
あっさりと言うノア。
「それに俺、この恰好で寝ている女の子を連れ回すのが流石にちょっとまずいかも」
白い帯で服代わりに上半身を巻いている、ミイラのような格好。
半裸よりはマシと思うが、やはりちょっとどころではなく、完全に不審者と思われても仕方のない格好だ。
「分かったわ」
仕方なく、アルファは頷いた。
この子も元は悪魔憑き、シャドウガーデンに預かるのも都合がいいだろう。
ただ、どのような経緯で見つけられ、悪魔憑きがどうやって治されたことだけが、シドと相談してから、明かすかどうかを決める必要があるかもしれない。
ノアは片膝を地面に着き、左手で少女の額に触れる。
何故か、ノアの表情が少し重苦しくなり、暫く経ったら、手を少女の額から離す。
「この子が目を覚ましたら、色々と忘れてしまうかもしれない」
「ショックによる記憶喪失のことですか?」
「……はい」
言い淀むノア。
少し気になるが、アルファは追及しなかった。
「じゃ俺もそろそろ……」
「ーーシャードウウウウゥゥ!!!!!!!!!!!!!!」
遠くから、咆哮が王都に響き渡る。
それと共に、巨大な魔力が二つ、激突しながら地下より地上に昇る。
一つは周囲に暴威を振るう禍々しい赤黒い魔力、もう一つは深遠で底の知れない青紫色の輝き。
前者は正体不明、消去法で考えると一番可能性が高いのがゼノン・グリフィ。
後者は言われるまでもなく、アルファのよく知るシャドウの魔力だ。
「行かないと!」
そう言って、ノアは全力で二つの魔力のほうに向けて走り出した。
取り残されたアルファは一瞬思考が止まって、すぐ気が付いてシャドウのほうへ向かおうにも、眠っている少女のことを放っておくことができず、結局アルファは少女を抱き上げ、スライムで短剣とペンダントを収納し、まずは少女をガンマの所へ連れていくことにした。
「ノア・エスポワール……あなたはシャドウにとって、果たして敵なのか、それとも……」
結局本人にそれを聞くことができず、アルファはこの場を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
舞台はクライマックス。
第一幕もそろそろ幕引き。
これからのシナリオがどう変わっていくのか。
果たして二つの特異点が、今度こそこの終わらない螺旋に終止符を打てるのか。
それは神もが知る由のないことだ。
暗闇に、邪悪が嗤う。
今回の後書きは活動報告のほうに、キャラ紹介や技紹介が入っているので、興味のある方はぜひ下のリンクから:
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=299455&uid=421765
感想、および誤字や文法的な間違いの報告などがあればぜひ、できれば評価も……(乞食)