隣の部屋の前に黒ずくめがいたから金○を蹴り上げてやった 作:ハッピーエンド大好きクラブ
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数秒の逡巡の後、通話をかけてくれたあかねに対して無視するのはあまりにも失礼だと判断した虎次郎は決死の覚悟で「応答」に指を置いて滑らせた。
「もしもし?どうしたんだよ、急に電話かけてきて」
あくまでも冷静を装う。内心心臓がはち切れそうなほど緊張しているが男としてかっこ悪い姿は見せられない。
それにこれは収録じゃない。今の自分の姿が放送されるわけじゃないし、気楽にリラックスしていこう。
『ごめんねこんな夜遅くに……その……虎次郎君の声が聞きたくて』
「────み"っ」
虎次郎は膝から崩れ落ちた。
────声が聞きたい。ただそれだけのことで電話をかける普通!?
そういうのは好きな男子にやることで俺にやったって意味ねぇだろ!!
ここでハッと我に返る。ならばあかねの好きな人は自分なんじゃないかと疑問が浮かんでしまった。
その瞬間、壁に思い切り額を打ち付けた。
────ゴッ!!!!
『虎次郎君?大きな音がしたけど大丈夫?』
「気にするな、壁に頭突きかましただけだから」
『頭突き!?な、なんでそんなこと……』
「腐りきった自分の心を正すためだ。気にしなくていい。折角だしなんか話そうぜ」
『うん。虎次郎ってさ、舞台とかには興味ないの?』
そう聞かれた虎次郎は視線を右斜上にしてはっきりしないながらも「いや、あんまし」と答えた。
『劇場で見たことはない?』
「それはある。正直嫉妬するんだよな、舞台役者って。ドラマや映画と違って一回ポッキリの本番でえげつない演技するんだから」
『ははは、虎次郎君も嫉妬することあるんだ』
「そりゃあるに決まってんだろ!お前の演技もすげぇし、どうやってんだって考察することもある」
舞台劇はドラマや映画と違ってやり直しが利かない。一度幕が上がれば失敗は許されないのだ。観客が満足できるような演技を要求される状況下で、台詞と動きだけで全てを表現するのは感嘆に値する。
同時に耐え難い嫉妬心に包まれてしまう。虎次郎は舞台役者の表現力の塊のような演技が出来ないと思っているからだ。
劇団ララライの若きエース、黒川あかねの演技力も想像に難くない。
虎次郎は舞台を観る度に舞台役者に嫉妬してしまうし、嫉妬するほど下手な自分に腹が立ってしまう。
だからあまり観たくない。
『じゃあ私の演技にも嫉妬してくれるんだ』
「ああ。めっちゃ嫉妬する」
『────────っ』
フックを仕掛けたのにカウンターを喰らったあかねは枕に顔を埋めて足をパタパタさせた。
気がつけば一時間を超える時間通話していて0時を回ったところで虎次郎が小さくあくびをした。
『もう切るぞ、明日収録あるし』と言ってきて、あかねはまだ話したい気持ちに蓋をする。
「うん。また明日、おやすみ虎次郎」
『おう。おやすみ』
通話を終了する。あかねは仰向けになってスマホの待受に言葉をこぼす。
「もう少し話したかったなぁ」
具体的にはあと二時間半ほど。明日また会えることを楽しみにあかねは眠りについた。
「今ガチ」の収録は朝早くから始まる。虎次郎はクッキーの件とあかねとの通話による緊張のせいで一睡もできなかった。
今日は校庭で散歩するメンバーのやり取りを目的として収録が始まった。
それとなくあかねは虎次郎に近づき隣を歩く。気づいてくれたのか虎次郎があかねの歩くペースに合わせてくれた。
「あそこのベンチに座ろうぜ」
桜の木の下に置かれているベンチに二人は座る。時期が春だったなら綺麗な桜が舞っているのを見れていたのに。
「……………………」
「……………………」
あかねの視線はじっと虎次郎の横顔に。虎次郎の視線は二時の方向に向いている。
定点カメラは会話のない二人を撮っている。中高生が今夢中になっているカップリングは虎次郎とあかねだ。
純粋な虎次郎と恥ずかしながらもアピールするあかね。
二人の距離が縮まらないかとドギマギしながら視聴者はこの番組を観てくれている。
SNSでは虎✕あかが熱いと話題になっているし、番組としてもこのままくっついてくれたら高視聴率を望めるだろう。
──────それを、あかねは理解している。
「ねぇ虎次郎君、昨日は」
「ん」
虎次郎はチョコレート・クッキーの入った袋をあかねに突き出した。
早く受け取れと鋭い目つきで睨む。
「ん!」
「えっと、これ、この前のお返し?」
コクリと頷いた。
「あ、ありがとう。今食べてもいい?」
「ダメだ。帰って食え」
「…………………」
袋を開けようとしたら虎次郎が慌ててあかねの手首を掴む。
「ばかっ、帰ってから食えつったろ!」
「虎次郎君だって私があげたクッキー目の前で食べたくせに」
「うぐっ、そ、それは…………」
「あむっ…………ん、これ美味しい!」
どうやらチョコレート・クッキーはあかねのお気に召したようだ。
あっという間に平らげてくれて「凄く美味しかった!」と笑顔を見せてくれた。
虎次郎は満足してくれたとホッと胸を撫で下ろす。
あかねへのお礼はちゃんと返せたし、安心したせいか急な眠気に襲われる。
収録中に寝るのは不味い。ちょっと全力疾走でもして眠気を吹き飛ばそうかと考えていたとき、
「虎くん!こっちでお話しようよ!」
鷲見ゆきが声をかけてきた。
「話って言われても俺今────」
「いいからいいから!」
「ちょっと、ちょっと待って虎次郎君…………」
ゆきに連れて行かれてしまった。一人になったあかねは静かに下唇を噛む。知っている、これは恋愛リアリティショーだ。一人の男性を巡って複数の女性が取り合うこともある。
この番組が中高生に人気になったのは大部分が虎次郎のおかけだ。その純粋な性格から番組は序盤から大いに盛り上がった。
彼に上手くアピールすれば良い反応をくれる。ゆきは自分が一番目立つように虎次郎に近づく。
鷲見ゆきの小悪魔っぷりは見事に炸裂し、虎次郎を巡ってのあかねとゆきの戦いが終盤に近づくにつれて激しくなっていった。
二人の間に立たされた虎次郎の心労は察するに余りある。
「今ガチ」ももうすぐ終盤。
ゆきは姉がネイリストをやっていてやり方を教わったからとMEMちょの爪へネイルを塗ってあげた。
興味を示したあかねにも塗ってあげるとゆきは席に座るのを促す。
折角だし、一番派手なデコレーションをしてあげよう。
「虎次郎君は渡さないから」
いきなりの宣戦布告。ゆきは驚いた感情を表に出しかけたがなんとか堪えて小悪魔っぽく受け流す。
「ふーん、それはどうかな?虎くんは私に熱がありそうだけど」
「負けない。私は結果を残すために目立つ」
塗られたネイルはデコレーションも相まってキレイに見えた。
「ありがとうすみさん」
「あかね、私は私が一番目立つように戦うから。悪く思わないでね」
二人は同時に席を立つ。目的は虎次郎だ。さっきアクアと一緒に廊下へ出たのを確認している。
どちらが先に声をかけられるか、二人は虎次郎の元へ急ぐ。
「なぁアクア、俺さ最近思うことがあるのよ」
「黒川あかねと鷲見ゆきに囲まれて肩身が狭いのか?」
虎次郎は図星をつかれ、アクアの脇を軽く小突いた。
「……………まあな。SNSとか見ると俺、黒川、鷲見の三角関係の行方が気になるって奴が殆どなんだよ。けどなぁ……なーんか、俺、二人のおもちゃにされてるような気がするんだよなぁ」
あかねとゆきが上手く目立つための道化を演じているような気分だ。
そんなことを考えていると、ゆきが教室から出てきて虎次郎を見つけるなり駆け寄ってきた。
彼女の後ろを、あかねが走ってくるが急いでいたせいなのか足がもつれて前方へ倒れるように傾いた。
「──────」
声を上げる暇もなく、無意識に手が前へ伸びる。虎次郎は反射的に前に出て、あかねを受け止める。
その時、彼女の右手の爪先が頬へ喰い込む。虎次郎はあかねを受け止めて尻もちをついた、収録は一旦中止になりマネージャーやアクア達が駆け寄る。
「ふぃー、危なかったな黒川。怪我ねぇか?」
「うん、大丈夫…………あ、ありがとう、虎────」
言葉が詰まるほど絶句した。虎次郎の頬からは薄っすらと血が滲んでいたからだ。
自分の右手を見てみると、爪先には血がベッタリとこびりついていた。
「ぁ……………ち、ちが…………私…………虎次郎君私そんなつもりじゃ」
「ん、お前ネイルしたのか?」
左手を取って、虎次郎はじーっと見つめてから「似合ってんじゃん、これ」と快活に笑った。
「これくらい唾付けとけば余裕に決まってんだろ。なにメソメソしてんだ、俺より一個年上のくせにみっともねぇ」
これは事故。誰でも起こりうることで、虎次郎からすればあかねに怪我がなくて良かった程度のことだ。
頬の怪我?ほっとけばそのうち治るし唾を付けとけば十分。
そう、虎次郎の頬に傷がついたのはただの事故なんだ。
だから放送できる。当人間で解決した事故なんだから。
「今ガチ」最新話放送後、一人のネットユーザーが黒川あかねを激しく批判するコメントをSNSに投稿した。
そのコメントは拡散され、澄み渡った湖に真っ黒な水滴が一粒落ちて波紋を広げていくように、あかねへ罵詈雑言を浴びせるネットユーザーが急増した。
とうとう、純黒に染まった湖にガソリンが撒かれ、火が放たれた。
時間をかけて積み上げた信頼や人気ほど、ちょっとしたことで簡単に壊れるんですよね。
次回は虎次郎くんが大活躍する回です。お楽しみに。