隣の部屋の前に黒ずくめがいたから金○を蹴り上げてやった 作:ハッピーエンド大好きクラブ
虎次郎は酷く落ち込んでいた。
ジャパンアイドルフェスで新生「B小町」が堂々デビューして数日。妹同然のルビーが自他共に認めるアイドルになれたことを誰よりも喜んでいたのは間違いなく虎次郎だ。
もうこれ以上ないくらいウッキウキかつルンルン気分で過ごしていたのに、今は奈落よりも底へと落ち込んでいた。
──────これにはワケがある。
虎次郎は苺プロに所属する役者だ。恋愛リアリティーが終わってから暫く何もなかったが今回新たな仕事が降ってきた。
その仕事がマズかった。
────「東京ブレイド」。若き天才漫画家、鮫島アビ子氏が手掛ける累計五千万部を誇る大人気マンガ。
アクションに定評のある有名なアニメーション会社がアニメ化を担当したことで人気に拍車がかかり、同時期に制作された映画も大ヒットを遂げた。
それに伴い、イベント運営会社「マジックフロー」代表の雷太澄彰が劇団ララライの協力を取り付けて企画したものが────
「東京ブレイド」舞台化である。
舞台化にあたって重要なのはキャスティング。雷太は鏑木Pを飯に誘い、先のことを持ちかけた。
まずララライから黒川あかねを抜擢。彼女はララライの若きエースで舞台の経験も豊富。なにより彼女の演技にハズレはない。これには鏑木Pも納得の意を示した。
客層的に容姿の整ったイケメンと美女が必須なわけで、何人か外部の子を引っ張ってこないといけない。
その手のパイプが強い鏑木Pならば良い人材を推薦してくれると雷太は踏んでいた。だからわざわざ酒の席に呼び出したのだ。
そこで鏑木Pが最初に薦めたのが虎次郎だった。
虎次郎といえば、一世を風靡した超人気ドラマ「ディアボロ」で主演を置き去りにする狂気とも取れる演技を見せて瞬く間に有名になった役者だ。
彼の演技力の高さは雷太も知っている。故に即決で虎次郎をキャストに加えることが決まった。
苺プロからすれば将来有望な虎次郎に大きな仕事が回ってきて喜ばしいと言える。
しかし本人からすれば地獄以外の何物でもなかった。
「ぁ"ぁ"………………う"ぅ…………」
顔色を悪くし、ソファーに横になったまま何度も呻いている。
「もう虎次郎。いつまでも呻いてないで、さっさと答え出しなさいな」
ミヤコにほっぺを突かれながらボヤかれる。舞台出演の件を説明された虎次郎は受けるかどうか答えを出せずに悩んでいる。
考えれば考えるほど億劫になっていき、スライムみたいに液体になって項垂れた。
「……………ぁ"あ"………ああ"…ああああ"」
「この子もうダメね」
「天才の癖に舞台だけは苦手だもんな」
「俺は天才じゃねぇ…………」
「「あ、しゃべった」」
アクアがいれば説得してくれたんだが…………こればっかりはルビーの頼みでも首を縦には振らなそうだ。
暫く呻いたあと、徐ろに立ち上がった虎次郎はフラフラしたまま事務所を出て行った。
「あなた…………あの子大丈夫かしら」
「心配ないさ。一人で考える時間をやろう、アイツなりに答えを出すはずだ」
壱護社長は顎髭を触りながらいじらしく笑った。彼は虎次郎が舞台に出ることを確信している様だった。
逃げるように事務所を出て行った虎次郎は電車に乗って新宿に向かった。
新宿には舞台を取り扱う劇場がいくつか存在する。「東京ブレイド」の件が降りてきた以上、舞台役者の演技や動き、表情の変化、セリフの読み方などを徹底的に学ばないといけない。それは調べるよりも実際に観た方が解りやすい。
とは言うものの、舞台を観るとどうしても舞台役者に嫉妬心を向けてしまう。
虎次郎はモヤモヤした気持ちを抱えるが、通りかかったクレープ屋さんに目をつけそこで一休みすることにした。
「………………なんで俺なんだよ」
テラス席でチョコバナナクレープを食べながら不満を口にする。
鏑木Pと雷太澄彰の考えていることがこれっぽっちも理解できない。まだ役者としてまともに売れていない自分を舞台に呼ぶなんて。それも舞台化するのは大人気漫画の「東京ブレイド」だ。
────役者としてのスキルを上げるため?
そんなもの選ぶ理由には含まれない。役者として経験を積ませるが目的だとしてもまだ自分に舞台出演は早すぎる。
劇団ララライの協力を取り付けたということは黒川あかねも出演するはずだ。
彼女の天性の演技力を目の当たりにすればきっと、自分は嫉妬で押し潰されるだろう。
「はぁ…………どうすればいいんだよ…………」
「だーれだ?」
眼の前が急に真っ黒になった。視界が漆黒に染まって虎次郎は驚き、耳元で囁かれた言葉に情けない反応を見せてしまう。
「わ、え、ちょっ、だ、誰だ!?」
「フフッ、びっくりしちゃった?」
目を遮っていたものが無くなって虎次郎は直ぐに後ろを振り返った。
「く、黒川!?」
今まさに彼女のことを考えていたところだった。
「な、なんでここにいるんだよ!」
「ここのクレープ屋さん私もよく食べに来るんだ。チョコバナナクレープ、美味しいよね?」
「あ、あぁ……ビックリさせんなよ。そっか、偶然にしちゃ出来すぎた出会いってやつだな。神様が俺達を監視でもしてんのか?」
気を紛らわせるために大袈裟に言って虎次郎はわざとらしく空を見上げた。あかねはイタズラが成功した子供のような笑みを浮かべて前の席に腰掛ける。
彼女も虎次郎と同じものを頼んだようだ。あかねからSNSに載せる写真を撮ろうと言われて、虎次郎は渋々ツーショット写真に応じた。
「こんな感じでいいかな?」
「あー、いいんじゃね?ていうかわざわざ写真なんて載せる必要あるのか?」
「大事な事だよ?これを見て私達のファンは安心するし、新規ファンの獲得にも繋がるしね」
ファンは推しのプライベートの一部を切り取ったものに非常に強い関心を向ける。
ツイッター等でただ一言「おはよう」と呟けば大量にいいねや返信が送られたりもする。
虎次郎はSNSにそこまで興味がないので適当に返事を返した。
「まあいいや。どうせなら俺の相談に乗ってくれよ」
「東京ブレイドの件?」
「…………やっぱ話通ってたか」
「お世話になってるララライって劇団が中心になってやるから私にも話来てるんだ」
黒川あかねは「
二人は原作で許嫁の関係にあるため、あかねからすればキャスティングした人は絶対に狙っていると胸を熱くしていた。
「虎次郎君は……あまり乗り気じゃなさそうだね」
「ああ。俺が選ばれた意味が理解できねぇ。たまたま出たドラマが大ヒットしただけで俺の演技なんか下の下だぞ?いや、底辺もいいところだな。俺が出たら、お前や他のキャストの人達の足を引っ張っちまう。それは嫌なんだよ」
ドラマや映画と違って舞台は一本勝負。失敗は許されず、たった一回の些細なミスが作品全体の質を大幅に下げてしまう。
何より格下の自分がキャスト陣や観客の人達に認められる演技なんて出来るはずがない。
「……………そっか」
「悪い、黒川。俺今回の仕事は断────」
「じゃあ私も降りるね!」
「わって──はぁあ"!??」
虎次郎は驚きのあまり席から立ち上がった。
「お、おいちょっと待て!それどういうことだよ!なんで俺がオファー断るからってお前まで断る流れになるんだよ!」
「だってまた一緒にお仕事出来ると思ってたのに虎次郎君がいないなら私も出る意味ないし。何より虎次郎と役者として勝負したかったし、あーあ、残念だなー」
最後の言葉が役者にしてはかなり棒読みに聞こえて虎次郎は考え直せとあかねに詰め寄る。しかし彼女の意思は固いようでこのままオファーを断ると取り返しのつかないことになると虎次郎は確信した。
「じゃあ私帰るね!事務所に戻ってマネージャーにこの話しないとだから」
「ま、待て待て待て!分かった、分かったって!受けるから、この仕事受けるから!」
とうとう虎次郎が根負けしてオファーを受けることを約束した。
──────ピッ。
「──────?」
あかねがポケットから長細いリモコンに似た物を取り出した。
虎次郎はソレに指を差して「それなんだよ」と質問する。彼女は満面の笑顔でこう答えてくれた。
「ボイスレコーダーだよ!これで言質取ったから、降りるって言っても無駄だからね?」
「………………………嵌めやがったなこの野郎」
あかねのいいようにやられてしまった。虎次郎は悔しがりつつも席に座り直して他のキャストについて彼女に尋ねた。
「主人公のブレイド役が姫川大輝さんで、あとそろそろ決まりそうなのがつるぎ役かな。誰になるんだろうね」
「私よ」
どういう訳か有馬かながクレープ片手に立っていた。
「……有馬、なんでお前がここに?」
「リアルタイムの投稿は止めなさい。こういう投稿から悪質なファンに追いかけられてストーカー被害に遭うこともある。外での写真は予約投稿が基本」
口を開けば即説教。虎次郎は頬杖をついてかなが言ったことを全部右から左へと聞き流した。
彼女なりの配慮だと思うが現れて早々言葉にするのはどうかと思う。
「また変な揉め事で周りに迷惑かけたいの?学習しないわね、黒川あかね」
だがかなの言うことは何も間違ってはいない。虎次郎は「へいへい」と気怠そうに返事をしようとしたが、先にあかねが口を開いた。
「かなちゃんがつるぎ役かぁ」
あかねから重々しい雰囲気が流れる。
「競演するのは何年ぶり?てっきり役者辞めたんだと思ってた。今はアイドルだもんね?」
「…………黒川?」
「ずっと板上に引き籠もってお金にならない仕事してても仕方なくない?あっそういえば最近恋愛リアリティショー出てたっけ?私生活を切り売りして人気出てきたらしいじゃない良かったわねー」
「おい……あ、有馬?」
お互い嫌味全開で物を言って火花を散らして睨み合う。
「ま、近くだったから注意しに来ただけよ。お仕事デートの続きはよそでやることね」
「いや、別に仕事として付き合ってるわけじゃねぇから」
「あかねはどうかしらね。点数稼ぎのためにアンタと付き合ってるかもよ?まあ私には関係ないことだけど」
「かなちゃん、どうでもいい話する気ならさっさと消えてくれる?目障りなのが分からないかなぁ?」
正直なところかなの顔面を地面に叩きつけて気が済むまで殴ってやりたい気分だが、虎次郎の前でそんなことをするわけないにはいかない。心の中で猛烈にブチ切れているあかねは一切顔に出そうとはせず、言葉に怒りを乗せて言い放った。
「はいはい。お邪魔虫は消えますよ」
かなは何のことはない様子で立ち去ろうとしたが、虎次郎が声をかけて呼び止めた。
「なに?私こう見えて暇じゃ────」
「ありがとな。気をつける」
ムカつく先輩だが、立ち寄って注意しに来てくれた行動は紛れもない善意によるものだ。
なら感謝しないと。虎次郎の言葉にかなはこれでもかと目を見開いて、数秒遅れてから「あっそ……」と返した。
「別にお礼なんか言わなくていいのに…………」
「忠告しに来てくれたことにはちゃんと礼言わなきゃだろ。それより、アイツとなんかあったのか?」
あかねは静かに頷いた。
「私達は同い年で子役の時からこの業界にいるから…………それはもう」
震えながら淡々と話すあかねの様子を目にして虎次郎は過去にどんなことがあったのかをなんとなくだが察した。
「役………ほぼほぼ持ってかれたんだな」
「想像してよ、あの天才子役と同じ年に生まれちゃった子役の気持ちを…………でも、今は負けない」
あかねは有馬かながピーマン体操という舐め腐った曲を出している間もずっと稽古を続けてきた。
現時点で世間からの評価はかなよりもあかねのほうが高いし、認知度も勝っている。
「積年の恨みを晴らすチャンスがやっと来た………負けないぞ…………」
それはかなも同じ。舞台の上で、最も優れた役者は自分だと胸を張って言えるように徹底的に叩き潰す。
やる気に溢れているあかねの姿に虎次郎は肩をすくめた。
役者は与えられた役に殉ずるためにあるのであって、勝負に賭けるためにあるわけではないのに。
「役者ってのはどいつもこいつも負けず嫌いが多いな」
虎次郎はラインで壱護社長にオファーを受ける旨を一言にまとめて送った。
次回はメルトきゅんが登場!?ピュア次郎の演技のヤバさが垣間見れるかも!!
これは余談ですが虎次郎が出演したドラマ「ディアボロ」の主演を演じた超人気俳優さん(綾野剛みたいな人)はインタビューで「もう二度と虎次郎君と共演したくないですね。アレはレベルが違いすぎて自分の演技がショボく見える」と笑いながら言ってたそうです。
演技の才能は母親譲りです。