隣の部屋の前に黒ずくめがいたから金○を蹴り上げてやった 作:ハッピーエンド大好きクラブ
「虎次郎さんの髪ってサラサラですね〜」
「そうっすかね」
入院生活十七日目。今日は看護師にヘアセットをしてもらっている。ヘアセットといっても櫛で髪を梳かしてもらっているだけ。
虎次郎はファッション等にはあまり関心がないが前髪のセットにはかなり気を使う。
これは母型の祖父の遺伝で、いつもワックスをほんの少し前髪に塗って形を整えている。
カッコつけるためとか女子からの印象を良くしたいという疚しい考えは一切なく、単純に好きな形で過ごしたいからで、幼い頃はワックスを食べて腹を下した経験がある。
今日もいつも通り前髪を整えようかと思っていたが看護師から「私に任せてください!」と自信げに言われ、こうして任せているわけだ。
「変に前髪を弄るよりそのままの方が似合ってますよ」
「いや、ちっちゃい頃からやってるんで癖づいてるから……」
髪を左耳にかけられた。頭全体を櫛で優しく梳かされる。
「はい。鏡で確認してください」
「おっ、結構良いっすね」
「何もしない方が似合ってますよ虎次郎さんは」
櫛で梳いただけでも虎次郎にはお気に召したようだ。虎次郎は鏡に釘付けで目をキラキラさせている。
前髪が変な感じだがこれはこれで悪くない。流石は看護師だ、患者の好みのヘアスタイルまで把握しているとは。
「あざっす」
「どういたしまして。あ、虎次郎さん」
肩をポンポンと叩かれ、看護師の方へ目をやると彼女は扉を指さしていた。
そこへ顔を向けると母親とあかねが手を振って入ってきた。
「お〜!母ちゃん、黒川!今日も来たのか!」
「今日も来ちゃった。あ、虎次郎君その髪型すごく似合ってる!」
「へへへ、この人にやってもらったんだぁ」
「はうっ!う、うちの息子がよりカッコよく………」
明美はスマホを取り出し、有無を言わさずカメラを起動してシャッターを切りまくった。
虎次郎は恥ずかしそうに頬を掻いた。なにか思い出したのか、虎次郎はベッドから降りてテーブルに置かれている紙袋に手を突っ込んだ。
「見ろよコレ!水上さんから貰ったんだぜ」
虎次郎が二人に見せたのは一見ただのパーカー。その価値に最初に気づいたのはあかねで、目が飛び出るような反応を見せて驚いた。
明美はというと、「それルイ・ヴィトンのパーカー?」と首を傾げながら尋ねた。
そう、あの
その価格、ざっと92万。虎次郎は早速着込んでベッドにあぐらをかいて座り直す。
「いやー、こんなもん貰ってる俺が言う事じゃねぇけどよ。頭おかしいよなあの人」
頭がおかしいというかもう手遅れなレベルで狂っちまってる。
このパーカーと一緒にラブレターも入っていて、開けてみると三十枚の恋文に婚姻届が混入していた。
あとは虎次郎のサインと判子を押すだけ。流石に気持ち悪いのでテーブルの引き出しに封印している。
これが彼女にとっての平常運転で、虎次郎もそれをある程度理解しているのから警察には通報していない。
証拠は向こうから送られてくるのでまだ安心できる。
あかねは大好きな虎次郎と超高級ブランドの組み合わせが抜群なことに変な声を出しかけたが必死に堪え、明美のようにスマホのカメラで写真を撮り出す。
「恥ずかしいから撮んじゃねぇよ」
そう口にする虎次郎は頬をほんのり赤く染めてはにかむように笑った。
────────5分後。
「思ってたより元気そうね。心配して損した」
「うるせぇ妖怪重曹ペロペロ女。オメェの余計な心配なんざ必要としてねぇんだよ」
「なんですってこのバカ虎!人が折角お見舞いに来てやってんのにその口の聞き方は何よ!私の方がアンタよりずっと先輩なのよ!?」
「ハイでた芸歴マウントポジ〜。今度ピーマン体操の踊り方をレクチャーしてくれよ、アクアと一緒に全力で踊ってやるからよ」
「こ、このクソガキ…………!それならアクアと二人っきりの方が50倍はマシよ!────ぁ」
「仲良いなお前ら」
「「誰がこんなバカと仲が良いって!?」」
姫川の呟きに虎次郎と有馬かなはお互いを指さして同時に叫んだ。
今日はいつもの二人の他に有馬かなと姫川大輝、鳴嶋メルトの三人が面会に来てくれた。
久しぶりに口うるさい先輩と顔を合わせると照れくささが出てきて、ついつい口元が緩んでしまう。
それはかなも同じだったようで、生意気な後輩の元気な姿を目にしたら嬉しさを抱いてしまい、押し殺すように口元を尖らせてしまった。
明美は担当医に呼ばれて席を外しているので今の口喧嘩は聞かれてはいない。
聞かれていればニワトリのように喚き散らかしてかなの胸ぐらを掴みかかっていただろう。
「ちょっ、なんでアンタがルイ・ヴィトンのパーカーなんか着てんのよ!似合ってんのが余計に腹立つ!」
「普通似合ってないって言うもんじゃね?ていうか引っ張るな!破けるから、破けちゃう!」
クソ生意気な虎次郎風情が高級ブランドを身に着けているのが気に食わず、脱がしてやろうとかなは裾を握って引っ張る。
とはいっても相手は怪我人。本気は出さず手を添える程度の力で引っ張る。
虎次郎もそれを分かっているので少し大袈裟にリアクションを取った。
「触らないで」
あかねがかなの手を強めに叩き落とす。かなは後退り、叩かれた手を擦りながらあかねを睨み付けた。
「痛ったぁー。急に何すんの?またネットで叩かれたいわけ?ほんと懲りないわねアンタは」
「汚い手で私の虎次郎君に触らないでって言ってるの。私の言葉分かるよね?同じ人間なら」
「メルト、姫川さん。あの二人怖いからどうにかして」
「「無理」」
正に一触触発の雰囲気。虎次郎は咄嗟にパーカーを脱いであかねに頭から被せる行動に出た。
数分しか着ていないとはいえ、内側に残る虎次郎の匂いはあかねの脳内を支配していた怒りを鎮め、多大な幸福感に包み込ませた。
「着心地良いだろこれ」
「うん…………虎次郎君の匂いがする。落ち着く匂い」
かなは肩をすくめて「幸せな奴」と愚痴を溢した。かなの脳内に突如としてアクアの脱ぎたてほやほやの上着の匂いを嗅ぐ自分の姿が再生され、直様ベッド柵の角に額を渾身の力で2回ほど強打させた。
「ちょ、いきなりなんだよ」
「気にしないで。煩悩を祓うためよ。ほんとに気にしないで」
「お、おう…………。あ、そうだ、稽古の方はどうなんだ?メルト、順調か?」
ずっと気になっていたことだ。随分前にあかねから稽古は続いていることを聞いている。それでもメルトに困ったことがないかを尋ねておきたかった。
メルトはニヤッと笑い、グットポーズを見せた。
「お前が復活したら目が飛び出るくらいビックリさせてやるよ」
いつにない強気な発言に虎次郎は思わず笑みが溢れる。
退院するのが余計楽しみになってきた。そうこうしていると明美が担当医と一緒に病室へ戻ってきた。明美の表情が面会に来たときよりも生き生きしている。
担当医が虎次郎の近くまで寄ってきて単刀直入にこう告げた。
「虎次郎さん、順調にいけば来週には退院出来ますよ」
「────えっ」
明美を除くこの場にいた全員が絶句した。今日は水曜日。来週ということは月曜日には退院できるということ。つまり最低でも四日後にはこの病院からとんずらしていることになる。
「え、いや、でも先生、まだリハビリは」
「君の健康状態と体の調子を鑑みるにリハビリの必要はないと判断しました。だって君、意識が回復した翌日には廊下を全力疾走していたじゃないか」
虎次郎はギクッと肩を震わせ誤魔化すために口笛を吹いた。
「退院しても暫くは通院してもらいます。少しずつお薬の量を減らしていきましょう。虎次郎さん、退院したあと、体に何か異変があれば直ぐにここへ来てください」
担当医は自分の胸に手を当てる。
「体は正直者です。どんな怪我も正しい治療をすれば治ります。ですが心の傷は、どれだけ時間を費やしても治る保証はありません。殺されかけたことに対してのショックは、何かしらの形で現れるかもしれません。退院したあとは…………そうですね……………三日ほど体を休めてください。舞台稽古はその後に。いいですね?」
虎次郎はコクリと頷いた。担当医の言う通り、殺されかけたショックは少なからず心に傷として刻まれている。それ以上に、リョースケを殺してしまった事実を受け入れることはまだ出来ていない。
虎次郎が来週には退院することに皆は飛び上がるほど喜び、明美は「良かったねぇ……!」と泣きついた。
かなはというと、クソ生意気な後輩が復活することに悪態を付きながらも、テーブルに置かれている贈り物を眺めていた。
「千羽鶴…………よくもまぁこんなもの作れるわねぇ、虎次郎の奴、なんでこんなに人気なんだか」
テーブルの引き出しを何気なく開けてみた。するとハートのシールが貼られた手紙が沢山入っており、これをファンレターだと勘違いしたあかねは一番上の手紙を手に取った。
「ちょっと虎次郎、アンタも罪な男ねぇ〜あかねがいながらファンレターなんか貰っちゃって」
ニヤニヤしながら虎次郎の方へ振り返り、ファンレターを開けてみた。
するとハラリと折りたたまれた紙が床に落ちた。それを拾い上げて、広げてみるとかなは自分の目を疑った。
紛れもなく「婚姻届」だった。あまりの衝撃にかなは「婚姻届」を手に持ったまま固まってしまう。
虎次郎はかなが封印したはずの「婚姻届」を持っていることに気が付き、気絶しそうになるほどの衝撃が全身を駆け抜けた。
「あ、いや、有馬!それは────」
「かなちゃん。それ渡してくれる?」
あかねがかなの前に立ち、「婚姻届」を渡してくれるよう呼び掛けた。
「いやでもこれは……」
「かなちゃん。いいから、早く、渡して」
「ヒュッ………!」
目の奥が真っ黒に染め上げられ、微笑んでいるというのに恐怖心が掻き立てられる表情にかなは小さな悲鳴を上げた。
震える手であかねに「婚姻届」を渡す。受け取ったあかねは虎次郎の元まで歩き、目を見つめながら問い詰める。
「虎次郎君。これ、ナニ?」
全ての元凶こと水上桃衣が病室に入るまで残り二十秒。
尚、姫川とメルトは既に逃走に成功している。
「次回〜劇団ララライの若き天才エースVS超弩級変態酒飲みロリ」
あかねの拗らせが加速する。