隣の部屋の前に黒ずくめがいたから金○を蹴り上げてやった 作:ハッピーエンド大好きクラブ
目の前でかざされた「婚姻届」。水上桃衣が勝手に書いて勝手に送ってきたものに間違いはない。しかし、冷静さを欠こうとしているあかねにこの事実が通るかは定かではない。
取り乱しながら答えればそれは彼女にとって「言い訳」になってしまう。
故に虎次郎が取るべき行動は普段のように振る舞い、ありのままの真実を打ち明けること。
一つでも嘘を混ぜれば速攻でバレる。今のあかねが放つ圧にはどんな嘘も見抜く凄みを感じた。
「虎次郎君。もう一回聞くね?これ、ナニ?」
「あぁ……………」
ポーカーフェイスを保った虎次郎が答えるよりも早く、明美が呆れに近い嘆息を零した。
「それねあかねさん。水上桃衣って人は知ってるでしょう?あの有名な小説家の」
水上桃衣という名前には覚えがある。というより知らないはずがない。虎次郎の初出演ドラマ、「ディアボロ」の原作小説を書き上げた人だ。
「知ってます」
けれど解せない。彼女と虎次郎にどのような接点がある?。原作者が撮影現場に来ることはあれど、役者に「婚姻届」を送りつけるような関係性がどのようにして出来上がる?。
「水上さんはどういうわけか、息子のことを────」
「虎キュンー!お見舞いに来たよぉー!」
「う、嘘だろっ!?」
噂をすれば、この空気の元凶、水上桃衣が颯爽と現れた。
御本人の登場に全員が目を見開いて驚き、虎次郎に至っては信じられないと声を上げた。
「ごめんね虎キュン。仕事が忙しくてさ、本当は毎日来たかっ…………た………けど」
目にハートを宿し、周りにもふわふわとハートを浮かばせて虎次郎に近づく桃衣。
近づく手前、桃衣はあかねの存在に気がついた。
「点数稼ぎはもう終わった?ならとっとと消えてくれない?目障りなんですけど。虎キュンの目が穢れるから」
いきなりの先制ボディーブロー。あかねは先の一言で彼女と虎次郎の関係性を概ね把握した。
九割九分この水上桃衣の一方的な恋心。小説家というのなら独創性には大いに優れている。
虎次郎と交際関係にあるという馬鹿げた妄想で自身の欲望を満たしていたのだろう。
虎次郎が怯えるわけだ。彼女を男に置き換えて考えればあかねでも背筋がゾッとする。
あかねは毅然と振る舞い、「婚姻届」を桃衣の目の前で握り潰した。
「私の虎次郎君にこんな汚物を見せないでくれますか?勘違いの恋ほど見苦しいものはありませんよ」
「勘違い?何言っちゃてるの?私と虎キュンは将来を誓い合った仲なんですけど。お前こそ何様だよ。私の前で自分の物みたいに虎キュンの名前を呼ばないでくれる?」
「実際私のものです。日本語分かります?」
「──────ぁあ"?」
握り潰した「婚姻届」を床に投げつけ、右足で思い切り踏み付ける。
グシャグシャと紙が擦れる音がして、その行為に桃衣は眉間にシワを寄せた。
「やってくれんじゃん、処女の癖してさぁ」
「虎次郎君に破ってもらうつもりなのでお構いなく。貴女は…………ごめんなさいお子様にこんな話はまだ早いですね」
ビキィ、と桃衣のこめかみに血管が浮かんだ。あかねはさり気なく小学生と変わらない桃衣の貧相な体付きに侮蔑の視線を送った。
虎次郎はかなの方へ目を向けて、アイコンタクトで「止めてきてあの二人」と言葉を伝える。
かなは首をブンブンと横に振って虎次郎の要望を拒否した。
このまま罵り合っても意味がないと判断したあかねは早々に切り上げるために桃衣から虎次郎との関係性を問いただした。
驚いたことに桃衣は自信に満ちた表情で虎次郎との出会いについて語り始めた。
水上桃衣は物心ついたときから文字を書くのが好きだった。
読書を通じて多種多様な文字を知り、読み方や意味、使い方について学んだ。なにより頭の中で架空の物語を形作るのが得意だった。
自分の才能に気がついたのは小学六年生のとき。人権作文、読書感想文コンテストでどちらも最優秀賞を取ったことで、「私文章の才能あんじゃね?」と感づき出す。
予感は的中していた。中1のときに僅か20分で構成したストーリーとキャラ設定を文に書き換え、ネットに投稿したら思わぬ反響を受けた。
様々なジャンルに手を出し、その全てに凄まじい好評を得たことで桃衣は自分の才能に酔いしれる。
高校生になると小説コンテストへ適当に作った作品を応募した。他の作品を押さえ最優秀賞を受賞し、ウェブサイトへ公開されて瞬く間に人気となった。
これは後の大人気ライトノベル作品「EATER」のプロトタイプとなっている。
二年生になると桃衣はクラスメイトから虐められる。理由は単純、「ガキの癖に調子に乗っているから」。
自分の才能を信じて疑わない桃衣は同級生達を凡人と揶揄して貶んでいた。
無駄にデカいプライドを引っさげて周りを下に見ていれば反感を買うのは至極当然。
それはもう壮絶な虐めに合い、桃衣はプライドを粉微塵に踏み躙られる。
そんな中でもクラスメイトの吉祥寺頼子は虐めを止めようとしてくれた。
けれどたった一人の生徒が集団を止められるはずもなく、桃衣は耐えきれず不登校になる道を選んだ。
高校卒業後、桃衣は小説家としての道を切り開き一年経つ頃にはメディアに取り上げられるほどの手腕を振るっていた。
それから更に年月が流れ、桃衣の出版した作品「ディアボロ〜特別犯罪対策処理班〜」のドラマ化が決定。
桃衣自らキャスティングに携わり、主人公「秋津正義」はハリウッド映画にも出演した経験のあるアクション俳優が務めることに。
その他の役もオファーで集め、全員が超一流の役者揃いとなった。
「ディアボロ」の中で一番のお気に入りキャラ、「悪鬼羅刹」はスカウトではなくオーディションで決めることにし、そこで彼女は運命の出会いを果たす。
「一人だけ無名の役者って……舐めてるよね。絶対親のコネかなんかだよ…………あー腹立つわ。この子入ってきたら速攻で切るから」
オーディション参加条件は14歳以上16歳未満の学生。
参加者は10名、一人を除いた殆どが映画で活躍している実力派俳優ばかり。
その中に一人、無名の役者が紛れていた。桃衣が憤慨するのも無理はない。
彼女から言わせてみれば無名の役者は歌舞伎町を素知らぬ顔で歩く小学生のようなものだ。
危険という言葉の意味すら知らず、無謀な行いにひた走る。
無名というだけあって演技力は未知数だ。けれど期待する道理なんてない。上手かったとしてもキャリアを積んだ状態でオーディションに参加してほしかった。
こんな風に苛立ちを覚えながらも、参加者が待つスタジオへ桃衣へ向かった。
扉を開き、中へ足を踏み入れる。一番手前で立っている無名の役者、「虎次郎」の顔を一目見た瞬間、彼女は足を止めた。
「この子で」
無意識に言葉を発していた。これにて「悪鬼羅刹」役決定、オーディション終了。
どうしてこの子を選んだのかこのときは分からなかった。
ドラマ撮影が始まったとき、彼女は骨の髄まで知ることとなる。
虎次郎の演技は神がかっていた。経験も技術も他の俳優や女優より明らかに劣っているというのに、彼は類まれな表現力と暴力的な演技力でカバーした。
いや、補うどころではない、それだけで他の役者を凌駕していた。
当時14歳の学生、ドラマ初出演、初アクション…………本当なのか?と疑ってしまうほど洗礼された動きで周りの皆を魅せていた。
見れば見るほど惹かれていく。桃衣は確信した。
彼こそ演技の神様だと。「悪鬼羅刹」を完璧以上に仕上げ、二次元から三次元へと叩き落とす演技力。
称賛さずにはいられない。
オーディション時の無礼を侘びたい。桃衣は菓子折りを持って彼が居る楽屋へ向かう。
扉を数回ノックすると「どうぞ」と声が聞こえてきた。
「し、失礼します……」
「何かようですか?」
本物のバタフライナイフを弄りながら、余所余所しい態度の桃衣へ何の用で来たかを尋ねる。
「あ、これ……渡したくて…………」
「菓子折り?…………あざっす」
菓子折りはしっかり受け取ってくれた。桃衣はもう一つある椅子に腰掛け、早速本題に入る。
「あのね……その…………オーディションのとき、私……本当は君のこと馬鹿にしてたんだ。なんの実績も経験もない役者だったから。でも今は違うよ?まさか私のお気にキャラをあそこまで完璧に演じるなんて」
「完璧じゃない」
「────え?」
「あんな演技、糞もいいとこだ。俺が演じる羅刹は完璧じゃない。水上さんがそう言ってくれたとしても、監督が親指を立てても、俺は納得できない。俺のことを馬鹿にするのは何も間違ってないっすよ。俺はまだ…………俺の演技は脆い」
「そ、そんなことないよ!君は私の理想とする悪鬼羅刹を完璧に演じてるんだよ!?君は知らないと思うけど、君の演技を見て心が折れたって言う人も沢山いるんだよ!?君は自分のことを過小評価しすぎだよ!」
虎次郎は自分を信じられていない。自分の演技に自信が持てていない。
けれど彼の価値に気づいている人がいる。それは桃衣だ。桃衣だけが、虎次郎の才能を知っている。
それでも、虎次郎は己を疑う。
「いいや、違う」
「違わない!私は知ってる、君の凄さを!私だけが、この私だけが、君の全てを理解できるんだよ!」
「……………なんか話逸れてないですか?」
「逸れてない!真面目な話をしているの!」
この日から桃衣は毎日虎次郎と少しの間お話をするようになる。日を追うごとに虎次郎の演技は磨かれていき、史上最高の輝きを放つダイヤモンドへと変わっていく。
桃衣は虎次郎から目を離せなくなっていた。彼から羅刹について質問されたときは親身になって教えたりしていた。
ドラマ撮影開始から4ヶ月経過した頃、桃衣は高校時代からずっと悩んでいたことを打ち明けた。
彼女の悩みは小学生と見間違えられる体のせいで彼氏が出来ないこと。
そもそも好きな人すらできたことがない。
どうすればこんな貧相な体でも男を作れるか、当時14歳の虎次郎へ三十路超えの彼女は平然と聞いてみせた。
虎次郎は視線を斜め上へ向けて暫し考える。数十秒してやっと向き直してくれたと思ったら、フッと鼻で笑われた。
「俺には荷が重いっす」
「えっ──!そ、そんなぁ……私真剣に悩んでるのに!虎くん酷いよ!どうせ私のことメスガキだって思ってるんでしょ!」
「うん!」
「すんごい肯定!逆に嬉しいわ!」
清々しいくらいメスガキだと肯定された桃衣。まだ14歳の子供に大人の恋愛相談は早かったかと後悔するも、虎次郎は頬杖をつきながらこんなことを言い出した。
「人は見た目だけじゃないでしょ。外見は小学生でも、内側にあるモノに惹かれる男を捕まえたらいいんじゃないの?」
「要するに性格ってこと?でも……そんなの居ないでしょ……私の中身を見てくれる人なんて」
「俺は水上さんのこと良い女だって思ってますよ。中身も外見も、魅力的だと感じます。だから居るよ、水上さんのことちゃんと好きになってくれる奴」
「──────えっ」
この瞬間、桃衣は胸の奥にある「心」の揺らぎを感じた。
「わ、私のどこが魅力的なの?」
「どこ?んーっと…………」
虎次郎は顎に手を当てて桃衣の魅力的な部分を探す。といっても全然見当もつかない。なので適当に口にすることにした。
「顔?………あとは…………尽くしてくれそうだなって思ってる」
「あ、あはは……う、うん!私、私すっごい尽くすよ!え、えええへぇぇえへへうぇっへへへへへへあへへへへへへあははははははははははははぁ………」
顔全体が上気する。息が上手くできない、彼の顔を見つめると心臓の鼓動が激しく動く。
胸いっぱいに愛しさが込み上げてきた。そして理解する。
"ああ、私──君のことを愛してるんだ"
恋は突然。水上桃衣の初恋はここから始まった。
高校時代、桃衣は唯一頼子のことを凡人とは呼びませんでした。頼子の漫画家としての才能を高く買っていたためです。
桃衣は物凄く気持ちの悪い性格をしており独創性に優れ過ぎているためか酷い勘違いを起こしやすいです。
後すぐ調子に乗ります。
次回、「後編」得意の笑顔で脅かす変態。お楽しみに。