隣の部屋の前に黒ずくめがいたから金○を蹴り上げてやった 作:ハッピーエンド大好きクラブ
水上桃衣は恋愛小説や漫画、アニメや映画が心底大嫌いだった。結局はくっ付く主人公とヒロインに強烈な嫌悪感を抱き、ならそれまでの過程は要らないじゃんと身勝手な価値観を押し付けてしまう。
だから彼女の作品には多少の恋愛要素は含まれていても、恋愛100%の作品は一つもない。
街なかでリア充やカップルを見かけると包丁で八つ裂きにしてやりたいと殺意を向けるほどだ。
なので彼女の恋愛経験は皆無だというのは容易に想像がつく。
人を認めることはあれど好きになることはこれまで絶対になかった。きっと自分は誰も愛せないのだなと思っていた。
なのに、彼女は虎次郎に「恋」をしてしまった。
それからの彼女は人が変わったように恋愛作品を読み漁った。あれだけ嫌っていた恋愛ドラマを幾つも見漁り、男を虜にする仕草や口調、声のトーンなどを学んだ。
生まれ変わった気分の桃衣は当時ブームだった洋服を着飾り、お気に入りの香水をちょこっと付けて意気揚々と虎次郎の楽屋へ突撃する。
「お疲れ様虎君!撮影はどう?困ってることはない?何でも私に聞いてね?」
バレエのように優雅に舞い、椅子に座っている虎次郎の近くへ歩み寄る。
フローラルで透き通る心地の良い香りが虎次郎の鼻を突く。
途端に眉を寄せて、とてつもなく嫌そうな顔を一瞬浮かべた直後、表情を真顔に作り替えた。
その一瞬を、桃衣は見逃さなかった。
先の嫌悪の表情。間違いない、香水の香りへ嫌悪を示した表情だった。
桃衣はピシッと硬直し、虎次郎に嫌な思いをさせてしまった事へ焦りを感じた。
────嫌われた?いや、彼は香水とかそういうのを苦手としている節がある。まだ焦る時ではない。
とにかく嫌な思いをさせたことへの謝罪が先だ。
「ご、ごごご、ごめんなざぃいいいい!!!!」
「え、いや、ちょっ」
桃衣は泣き叫びながら楽屋を出て行った。
「……………はぁ?」
残された虎次郎は何が何だか分からないでいた。
こんな風に桃衣は虎次郎の気を引こうとあらゆる手を尽くしたが全部徒労に終わってしまう。
三十路を迎えた女性が当時14歳の中学生に熱を帯びていることには目を瞑るしかない。
高級ブランドの服や靴、ひいては海外の有名なお菓子を取り寄せて献上した。
虎次郎は貰ってばかりでは悪いと思ったのか、2万円代のネックレスを桃衣にプレゼントした。
これが悪かった。
「ふへ、ふへへ!プレ、プレゼント!!虎君からプレゼント貰っちゃったぁ!!あはっ、あははははは!!もうこれって告白してるも同然だよね、虎君恥ずかしがり屋だからこうでもしないと私に好きだって言えないんだよね、仕方ないなぁ虎君は、ふひ、くひひひ、うひゃははははははは」
彼女の妄想に拍車がかかる。マネージャーから「貴女がやってるのはホストに金を貢ぐのと同じです。止めてください」と説得を受けるも桃衣は知らんぷりだ。
虎次郎がホスト?なら好都合じゃないか。ありったけの金を貢いで喜んでもらわないと。
もうダメ女まっしぐらな桃衣の姿にマネージャーは落胆し、注意するのを諦めてしまった。
毎日毎日虎次郎の楽屋へ突撃し、少ない時間を彼と過ごす。
正直な所、この状態を維持できれば彼女はそれだけで幸福だった。
真夜中、趣味の一つであるネットサーフィンをしていて、虎次郎の家族関係について調べてみた。
そして、桃衣はとんでもない事実を目の当たりにする。
『大人気女優の夫、幼い息子に暴力を!?』
デカデカとした文面で飾られた記事。内容は立川明美の元夫が幼い虎次郎へ虐待をしていたこと。
父親の虐待に次ぐ虐待、それを真剣に止めようとしなかった母親。
思わず口に手を当てる。立川夫婦は離婚後、虎次郎は母親の元で育てられることになった。
きっと立川明美は虎次郎のことを愛していない。夫の虐待を止めなかったのがいい証拠だ。
理不尽な暴力は肉体だけじゃなく心を傷つける。
「虎君…………君は……地獄にいるんだね…………」
護らないと。愛してあげないと。虎次郎を悪の手から守ってあげないと。
つまり──────結婚だ。
虎次郎はドラマ「ディアボロ」でのちょっとした休憩時間を有意義に使うために目を閉じて台詞に乗せる感情を復習していた。
この時間は嫌いじゃない。寧ろ安心するというか、落ち着く。
そうしていると扉が開く音が耳に届いた。誰か入ってきた。気配から察するに水上桃衣だと分かった。
目を開けて彼女の方へ顔を向けると、いつもよりしおらしいというか、表情を強張らせて近づいてくる。
「なんですか?」
桃衣はモジモジしながら「あ、あのね……その……えっと……」と呟く。
「ゆっくりでいいから、話して下さい」
すると彼女は顔を真っ赤にして両手をバッと突き出してきた。
「え……これって」
どう見ても「婚姻届」だった。見間違いではない。桃衣の覚悟を決めた顔と「婚姻届」を何度も交互に見る。
その後、絞り出すように「はぁ?」と口を開いた。
「えと、き、君のことが好きだから、お、お付き合いを前提に結婚してくれたらなぁと」
「…………いや、む、無理……です」
困惑よりも恐怖が虎次郎の体を包んだ。
「え、な、なんで?」
「いや、なんでもなにも、俺水上さんのこと好きじゃないし」
「──ハ?」
決死の覚悟で思いを伝えたのに、断られた桃衣は酷く顔を歪ませた。
次第にプルプルと「婚姻届」を握る手が震え始める。
「な、なんで……私じゃ駄目なの?私なら…………君のこと、愛してあげられるよ?し、幸せにしてあげられるよ?わ、私じゃ駄目なの?好きって言ってくれたじゃん。愛してるって何度も言ってくれたじゃん。可愛いねって言ってくれたのに…………」
首をガクッと傾かせ、詰め寄ってくる彼女に更に怖くなった虎次郎は思わず手を前に出してしまう。
そのせいで彼女の握っていた「婚姻届」を叩いてしまった。
虎次郎は本能的に「あ、ヤバい」と感じる。
「なんで私じゃ駄目なのぉ!!!!!!!」
喉が張り裂けんばかりの大声を桃衣は張り上げた。虎次郎に掴み掛かり、床へ押し倒す。
般若のような表情で怒号を叫ばれ、虎次郎は情けない声を上げてしまう。
「私はこんなに君を愛してるのにどうして君は受け入れてくれないの!私を遊んでたの!?私の愛を疑ってるの!?私を愛してないの!?私を好きじゃないの!?ねぇ!!好きって言えよ!!私に愛を誓えよ!!結婚しろよ!!ほらっ!早く!!言えって言ってんだろこのクソガキがぁ!!!!どれだけ私を振り回せば気が済むんだ私はもう君を旦那さんにする覚悟は決まってんのによぉ!!オラ何とか言えよゴラァァア!!!!」
悪霊に取り憑かれたように叫び散らす桃衣。
いきなり結婚をせがまれ、断ればこうして怒鳴られる、恐怖のあまり動けないでいると騒ぎを聞きつけた桃衣のマネージャーとスタッフが楽屋に入ってきて彼女を取り押さえた。
やっと開放された虎次郎は呆然としながらも楽屋から運ばれる桃衣を最後まで見つめていた。
桃衣はこっちに手を伸ばして「虎君を返せ!私が幸せにするんだ!離せよぉ!!」と引き摺られながら叫んでいた。
────────────
「これが私と虎キュンの出会いから別れの話。私ね、あれから反省してもっともっと自分磨きをしてこうして生まれ変わったってわけ。分かる?私以外に虎キュンに相応しい女はいないのよ」
桃衣から虎次郎との関係性を全て聞き終えたあかねはくるっと体の向きを変える。
ベッドの上でバツの悪そうな顔をしている虎次郎をそっと胸に抱きしめて、髪を梳くように頭を撫でた。
「ただの犯罪者じゃないですか!」
桃衣へ怒りの視線を向けて叫んだ。桃衣は鼻で笑いながら髪を手で払う。
「だから何?虎キュンは許してくれた。それは私のことが好きってことだからだよね?ていうか私の彼ピから離れてくれない?虫唾が走るんだけど」
「それは虎次郎君の優しさです!それと虎次郎君は私の彼氏です。勘違いもここまで来ると滑稽ですね」
「言ってくれんじゃん炎上女の癖に。また虎次郎君を傷つけて注目を浴びようって魂胆?女々しい女はこれだから、私が一番虎次郎君を愛せるし幸せに出来るの。分かったならとっとと消えて。虎キュンはアンタじゃなくて私に抱きしめてほしいんだから」
「いや、黒川に抱きしめられる方が良い…………」
ぼそっと呟く虎次郎にあかねは嬉しくなってより体を密着させる。
二人の親密度合いに憤りを感じた桃衣はあかねを引き剥がそうと服を引っ張った。
「離れろつってんのよこの豚女!虎キュンが穢れるんだよ!!」
「離れません!虎次郎君のことを一番大好きなのは私だけだから!!」
二人は私のほうが虎次郎を愛していると口喧嘩による水掛け論をおっ始めた。
もう見てられないと思った虎次郎はベッドから降りて止めようと身を乗り出した。
「止めなさい二人共!」
明美の鋭く威厳のある声が室内に響いた。ピタリと口を止めたあかねと桃衣へ、明美は人として、母親として諭す。
「虎次郎を好きなのなら彼の迷惑になることは絶対にしてはいけません。ここは病室、虎次郎は怪我人。二人はそれを分かっていません。本当に好きだと言うのなら、ここではその気持ちをぐっと抑え虎次郎と他愛のない話をするのが普通でしょう」
素直じゃない母親でもマトモなことを言うもんだなと虎次郎は関心する。
明美は正論を叩かれて苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる二人の目の前まで近づく。
「一つ訂正します」
自分に親指を突き立て、自信満々にこう叫んだ。
「虎次郎を一番愛してるのはこの私よ!!」
「「────────!?!?」」
三人の水掛け論が始まってしまった。ワーワーキャーキャーとひたすら虎次郎のことを話題に出して口論し合う。
そんな様子を呆然と見つめる有馬かなの瞳は死んだ魚のように濁りきっていた。
「有馬、お前もう帰れ。目が腐る」
「そうさせてもらうわ」
どうしようか迷っていた所で助け舟を出してくれた虎次郎に感謝しつつ、かなはそそくさと病室から出て行った。
騒ぎ立てる彼女と、母親と、性犯罪者を前に虎次郎は静かにナースコールを押した。
「婆ちゃん…………助けてくれ」
あの屋敷の縁側で緑茶を飲んでいるであろう祖母へ助けを求めた。
だが頭の中で浮かんだのは返事ではなく祖母の快活に笑う顔だった。
次回は虎キュン退院し、稽古場復帰の回です。あと四話ほどで「東京ブレイド」編を終わりにしようかなと思っています。
次はですね、アク×かなのために完全オリジナルストーリーを考えています。
大人気少女漫画のドラマ化のために主人公役に抜擢されたアクアとヒロインに選ばれたかなの二人の視点を主に構成しております。
そしてそんな二人の間に挟まれてこき使われる虎次郎。
なんだかんだ虎次郎とかなは仲良いですからね。あと前に言ってた「学園祭」の話だけど「東京ブレイド」編が終わったら箸休めで本編にぶち込もうかと思ってます。そこら辺お楽しみに。