福音の風を帆に   作:ミヤフジ1945

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第1話 思い馳せる風 26/05/24修正

 

 

 

0と1の信号で形作られた、エメラルドグリーンの電子の海。

 

その海原を、数千トンはあるだろう木造の巨体が、重く叩き切るように突き進んでいく。

 

切り裂かれた海は白く泡立ち、飛沫となって風と共に舞い上がる。

その一滴が頬を撫でた瞬間、俺は思わず小さく目を細めた。

 

生ぬるい潮風。鼻を抜ける塩の匂い。口の端に残る海水のしょっぱさ。

 

――何もかもが、本物と見分けがつかない。

 

船乗りにとって心地良い追い風を帆いっぱいに受けながら、巨体は快調に海を駆けていく。

 

俺は舵輪に手を添え、満足げに小さく後方を振り返った。

 

遥か後方、白い航跡の向こう。

 

沈みかけた一隻の帆船が、黒煙を噴き上げながら海へ傾いていた。

 

半ばからへし折れたマスト。砕け散った船板。海面を漂う積荷の残骸。

 

つい先程まで俺たちに襲い掛かってきた海賊船――その成れの果てだ。

 

その光景をぼんやり眺めながら、俺は自分の腕へ視線を落とした。

 

電子信号で構成されたはずの肉体。

 

なのに、指先に触れる肌の感触はあまりにも自然だった。

 

此処は『New World Online』。

 

全く捻りのない名前の、フルダイブ型VRMMORPG。

 

だが、その中身は“ありふれたゲーム”なんて言葉では済まされない。

 

自己学習型AIによって動くNPCたちは、人間と見分けがつかないほど自然に振る舞い、この世界そのものが現実と錯覚するほど精巧に作り込まれている。

 

今や、日本で最も人気のあるVRゲームと言っても過言ではないだろう。

 

「いやぁ!今回も大戦果でしたね、提督!」

 

背後から、弾んだ声が飛んでくる。

 

振り返れば、セーラー服を着たNPCの男が満面の笑みを浮かべていた。

 

「これなら女王陛下もきっとお喜びになりますよ!」

 

「そんなことより、さっさとトリムを合わせろ。風を逃がすな」

 

「あっ、アイ・サー!」

 

慌ててロープを引く船員の背中を見送りながら、俺は小さく肩を竦めた。

 

相変わらず不器用な奴だ。

 

最初はロープの結び方すら怪しかったくせに、今ではそこらの熟練船員より余程動ける。

 

自己学習型AI。

 

その一言だけで片付けるには、こいつらはあまりにも人間臭かった。

 

俺は小さく息を吐き、再び曇り空を見上げる。

 

……まったく。

 

今日は南西から吹き込む風が少し重い。

 

この時期の湿気を含んだ風は帆に余計な癖を作る。トリムが甘ければ船足はすぐ鈍るし、舵の入り方にも微妙な遅れが出る。

 

……まぁ、その辺りまで気にしているプレイヤーなんて、この世界にほとんど居ないんだろうが。

 

俺は、もっとのんびりこのゲームを楽しむつもりだったんだがな。

 

気付けばNPCたちからは重要な役職を任され、他のプレイヤーからは『海賊提督』だの『成り上がり者』だの、妙な二つ名で呼ばれる始末だ。

 

「はぁ……今日も良い風だ」

 

曇天の空を見上げながら、俺はふと思う。

 

そういえば、この世界に初めて降り立った日も、今日みたいな空だった。

 

もし、ゲームを始めたばかりの頃の俺に今の状況を話したとしても、きっと鼻で笑って信じなかっただろう。

 

そんな姿が容易に想像できて、俺は思わず小さく笑ってしまった。

 

あの日の俺は、ただ海が好きだった。

 

ただ、好きな船を作って。

 

好きな海を、好きなようにこの大きな海を旅したかっただけだ。

 

――まさか、それだけで世界がここまで変わるなんて、思いもしなかった。

 

 

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