福音の風を帆に   作:ミヤフジ1945

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第3話 潮騒の風26/05/26修正

 

 

光のトンネルを抜けた瞬間。

 

真っ先に鼻腔を掠めたのは、潮の香りだった。

 

「――っ」

 

思わず息を呑む。

 

視界へ飛び込んできたのは、重く曇った空の下に広がる巨大な港町。

 

灰色の石造りの建物が隙間なく立ち並び、無数の帆柱が空へ突き刺さるように並んでいる。

 

港には大小様々な帆船が停泊し、忙しなく人々が行き交っていた。

 

荷物を運ぶ人夫。

 

怒鳴り声を上げる船員。

 

酒場から漏れ聞こえる笑い声。

 

そして、潮風。

 

冷たく湿った海風が頬を撫で、どこか懐かしい塩の匂いを運んでくる。

 

……あまりにもリアルだった。

 

石畳を踏み締める感触。

 

風が髪を揺らす感覚。

 

肺へ流れ込む海の空気。

 

ここがVRゲームの世界だという事実を、一瞬忘れそうになる。

 

「……ステータス」

 

小さく呟く。

 

すると視界の端へ、半透明のウィンドウが浮かび上がった。

 

 

【Status】

 

Name:オーブリー

 

Race:ヒューマン

 

Nation:連合王国

 

Lv:1

 

HP:30 / 30

MP:10 / 10

 

Class:異界の旅人

 

【Title】

 

無し

 

【Main Skill】

 

測量 Lv1

 

【Sub Skill】

 

観天望気 Lv1

 

 

「……本当に最低限だな」

 

もっと数字だらけの画面を想像していたが、これはどちらかと言えば冒険者手帳か航海日誌に近い。

 

だが、嫌いじゃなかった。

 

むしろこの簡素さが、“この世界で生きる”という感覚を強めてくれる気さえする。

 

気付けば、口元が自然と緩んでいた。

 

慌てて表情を引き締める。

 

そして俺は、石畳の道へ一歩踏み出した。

 

目指すのは、自分だけの帆船。

 

誰にも邪魔されず、好きな海を好きなように渡ること。

 

その為の第一歩が、今始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そう思っていたのが、約半年前の事。

 

では現在、俺が何をしているのかと言えば。

 

「オーブリー!面舵だ!このまま東風を捕まえるぞ!」

 

「ジャック!ウィル!帆桁を回せ!」

 

「「了解!!」」

 

……絶賛、NPC船員達に混ざって帆船乗りをやっていた。

 

いや、正確にはゲーム内時間で約一年近く、だろうか。

 

『New World Online』では、一部環境で現実の二倍近い時間加速が行われている。

 

最初は、自分の船を買う為の金稼ぎ程度に考えていた。

 

だが気付けば、すっかり船員生活が板についてしまっている。

理由は単純だった。

 

連合王国には、他国のような“初心者向け狩場”が殆ど存在しないのだ。

 

敵対的な魔物が少なく、効率良くレベルを上げられる環境ではない。

 

その結果、連合王国のプレイヤー達は自然と

 

商業

 

生産

 

航海

 

などへ流れていった。

 

そして俺は、その中でも完全に船乗り側へ染まった訳だ。

 

「帆を張れぇ!港へ入るぞ!」

 

船長の怒鳴り声が飛ぶ。

 

潮風を受けながら、俺は慣れた手付きで舵輪を切った。

 

最初はまともに船も動かせなかったが、今では多少マシになっている。

 

何となく、ステータスを開く。

 

 

【Status】

 

Name:オーブリー

 

Race:ヒューマン

 

Nation:連合王国

 

Lv:5

 

HP:38 / 38

 

MP:14 / 14

 

Class:上級船員(異界の旅人)

 

【Title】

無し

 

【Main Skill】

 

測量 Lv10

 

【Sub Skill】

 

観天望気 Lv5

 

操舵 Lv3

 

製図 Lv1

 

 

「……地味だなぁ」

 

思わず苦笑する。

 

半年――ゲーム内時間でほぼ一年近く海へ出ている割に、数字だけ見れば実に平凡なステータスだった。

 

このゲームには、他のRPGでよくあるSTRやVITみたいな身体能力値も表示されない。

 

だから余計に簡素に見える。

 

他国で戦闘中心に遊んでいるプレイヤーなら、今頃レベル二十や三十へ到達していてもおかしくないだろう。

 

HPだってもっと高い筈だ。

 

もっとも、このゲームはレベルだけで全てが決まる訳じゃない。

 

レベルアップでHPやMPは多少増えるが、その伸び幅はそこまで大きくない。

 

むしろ重要なのは職業や技能熟練度、そして実際の経験だ。

 

実際、船員仕事ばかりしている俺でも、以前より長時間舵を握れるようになったし、荒れた海でも酔いにくくなっていた。

 

恐らく、そういう部分も含めて“成長”なのだろう。

 

……だからだろうか。

 

ネット掲示板やプレイ動画で映る他プレイヤーの派手なステータスを見ても、不思議と羨ましいとは思わなかった。

 

毎日海へ出て。

 

風を読んで。

 

船を動かして。

 

港へ帰る。

 

そんな生活を、俺は案外気に入っていた。

 

「しっかし、船舶ギルドの連中も助かったぜぇ。最近の見習いは、ちょっと波を被っただけですぐ音を上げやがるからな!」

 

上手く風を捕まえたところで、背後から豪快な声が飛んできた。

 

振り返れば、酒瓶片手にドスドスと歩いてくる大柄な男――この船の船長だった。

 

日に焼けた肌。

 

分厚い腕。

 

そしてやたらと通る大声。

 

如何にも“海の男”という風貌をした人物だ。

 

「俺の方こそ世話になってますよ、船長」

 

「ガハハッ!口だけじゃなくちゃんと働くから気に入ってんだよ!」

 

そう言って、船長は満足そうに笑う。

 

この船は、かなり古い。

 

竜骨も簡素で、マストは一本。

 

帆も補修跡だらけ。

 

お世辞にも立派な船とは言えない小型のコグ船だ。

 

だが、その分だけ船長の腕は確かだった。

 

風の読みも。

 

潮の流れも。

 

船の扱いも、一級品だ。

 

「後は風任せで問題ねぇ!オーブリー、お前は少し休んどけ!」

 

「そうします。天気もしばらく崩れなさそうですし」

 

そう返しながら、何となく空を見上げる。

 

分厚い雲に覆われることが多い連合王国では珍しく、今日は雲の切れ間から青空が覗いていた。

 

澄んだ青。

 

高く流れる白い雲。

 

それだけで少し得した気分になる。

 

「……観天望気」

 

小さくスキル名を呟く。

 

途端に、感覚がほんの少しだけ研ぎ澄まされた。

 

潮風の湿り気。

 

帆を押す風の流れ。

 

遠くの雲の薄さ。

 

鼻を抜ける海の匂い。

 

まるで長年海へ出ている船乗りになったような、不思議な感覚。

自然と視線が空を追う。

 

嵐の気配は無い。

 

時化の前兆も無い。

 

風向きも安定している。

 

……ただの、気持ちの良い晴れ空だった。

 

「……良い天気だな」

 

「はぁ?どこがだよ」

 

酒瓶を片手に船長が呆れたように笑う。

 

「連合王国で空見上げて晴れだなんて言う奴ぁ初めて見たぞ」

 

「そうですか?」

 

「そうだよ。曇ってねぇだけで十分晴れなんだわ、この国じゃな!」

 

ガハハッと笑う船長につられ、俺も小さく笑った。

 

「おう!ヘンリー!代わってやれ!」

 

「了解です!」

 

船長は酒瓶をこちらへ放り投げると、そのまま他の船員達の所へ歩いていく。

 

どうやらまた絡みに行くらしい。

 

「オーブリーさん、代わりますよ」

 

「悪い。少し休憩してくる」

 

ヘンリーへ舵輪を任せ、俺は甲板の端へ腰を下ろした。

 

軽く酒瓶を傾ける。

 

安酒特有の雑な味が口へ広がった。

 

……嫌いじゃない。

 

連合王国には、他国のような冒険者ギルドが存在しない。

 

代わりに存在するのが、職業ごとに分かれた専門ギルドだ。

 

その中でも、島国である連合王国において特に力を持っているのが船舶ギルドだった。

 

船の斡旋。

 

船員募集。

 

漁業管理。

 

輸送依頼。

 

ありとあらゆる“海の仕事”が、ここへ集まる。

 

海と帆船に関わりたい俺にとって、そこへ登録するのは必然だった。

 

何より、自前の船を持つにはギルド内で一定以上の信用とランクが必要らしい。

 

つまり――避けては通れない。

 

だから毎日働いた。

 

甲板掃除。

 

荷運び。

 

帆の修繕。

 

ロープ整備。

 

最初は雑用ばかりだった。

 

それでも、不思議と苦ではなかった。

 

むしろ楽しかった。

 

憧れていた帆船での生活。

 

潮風。

 

軋む木材。

 

波の音。

 

そして仕事終わり、船員達と酒を飲みながら馬鹿騒ぎする時間。

現代ではまず味わえない生活だった。

 

気付けば職業も

 

『見習い水夫』

 

から始まり

 

『水夫』

 

『下級船員』

 

そして今では『上級船員』まで上がっている。

 

船の中でも、それなりに責任ある立場だ。

 

舵を任される事も増えた。

 

……まあ、まだ自分の船には程遠いけれど。

 

それでも。

 

少しずつ夢へ近付いている感覚は、確かにあった。

 

俺の次のランクアップまでは、あと少し。

 

次に昇格出来れば、ついに『下級士官』だ。

 

船舶ギルド公認の《操船許可証》を取得出来る、正式な船長候補の階級。

 

つまり、自分の船を持つ為の第一歩でもある。

 

自然と気合も入るというものだった。

 

船舶ギルドのランク制度は案外分かりやすい。

 

冒険者ギルドのような鉄級だ銀級だという分類ではなく、そのまま役職名が使われているからだ。

 

『見習い水夫』

 

『水夫』

 

『下級船員』

 

『上級船員』

 

そして『下級士官』。

 

単純明快で、俺は嫌いじゃなかった。

 

「港が見えたぞぉー!!」

 

マスト上の見張り役が、大声を張り上げる。

 

視線の先。

 

灰色の海と曇天の隙間から、巨大な港町がその姿を現した。

 

石造りの街並み。

 

無数の帆柱。

 

海鳥の鳴き声。

 

そして港を包む、独特の喧騒。

 

連合王国最大の港町――『ポートマース』。

 

ゲームを初めてからずっと過ごしている、俺の拠点だった。

 

「おぉし!入港準備だ!キビキビ動けよテメェら!」

 

船長が、何処から取り出したのか新しい酒瓶を振り回しながら怒鳴る。

 

まったく。

 

遠洋航海でもないんだから、真水が腐る訳でもないだろうに。

 

この船長、何故か毎回大量の酒を積み込むのだ。

 

「ロープ用意しろ!」

 

「帆を絞れ!」

 

「左舷寄せるぞ!」

 

船員達が慌ただしく動き始める。

 

マストへ登る者。

 

接岸準備を進める者。

 

荷を固定し直す者。

 

その様子を見ながら、俺も再び舵輪へ手を掛けた。

 

「オーブリー」

 

指示を飛ばし終えたのだろう。

 

いつの間にか隣へ来ていた船長が、酒臭い息を吐きながら話しかけてくる。

 

「お前さん、入港したらまたギルド行くんだろ?」

 

「えぇ。今日の依頼完了報告をしないといけませんし」

 

「そうかそうか。なら俺も一緒に行ってやるよ」

 

船長はニヤリと笑う。

 

「依頼主の俺が口添えしてやりゃ、昇格査定も多少は通りやすくなるだろうさ」

 

「それは助かりますね」

 

「ガハハハッ!世話になってんのはこっちだっての!」

 

豪快に笑う船長につられ、俺も苦笑する。

 

少し風下へ流されかけた船首を、舵輪でゆっくり戻した。

 

「しかしオーブリーよぉ」

 

船長が感心したように唸る。

 

「お前、やけに操船上手ぇよな。まだ上級船員になったばっかだろ?」

 

「まあ、こういうのには多少慣れてますから」

 

流石に

 

“リアルで護衛艦の操舵やってました”

 

なんて言える訳もない。

 

適当に誤魔化しておく。

 

「そういう船長こそ、風読むの上手いじゃないですか」

 

「そりゃ慣れだ慣れ!」

 

船長は豪快に笑った。

 

「毎日海見てりゃ、風の変わり目なんざ何となく分かるようになるもんよ!お前もそのうち分かってくる!」

 

順風を受け、船は軽やかに港へ向かって進んでいく。

 

大量の商品魚を積んでいるとは思えない軽い船足だった。

 

気付けば、さっきまで遠くに見えていたポートマースの街並みも、随分近くなっている。

 

入港作業。

 

荷下ろし。

 

ギルドへの報告。

 

今日のクエストもまだまだやる事は多い。

 

それでも不思議と嫌じゃなかった。

 

潮風を浴びながら帆船の上で働く時間は、現実より余程充実している気さえする。

 

……早く、自分の船が欲しい。

 

そうすればもっと自由に海へ出られる。

 

俺は揺れる甲板の上で、そんな事をぼんやり考えていた。

 

 

 

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