連合王国南部に位置する港湾都市『ポートマース』。
連合王国の王都、ロンデルに次ぐ規模を誇るこの街は、造船・交易・漁業、その全てで連合王国の海運と経済を支える巨大港湾都市――らしい。
無数の造船所。
林立する帆船のマスト。
昼夜問わず出入りする商船。
そして海路によって運ばれてくる各国からの輸入物資。
少なくとも、リアル半年近くこの街で暮らしている限りでは、その説明も間違っていないように思える。
プレイヤー達にとっても、このポートマースという街は特別な意味を持っていた。
連合王国をスタート地点として選んだプレイヤーが、最初に降り立つ街。
それが、この巨大な港街なのだ。
もっとも――。
「オーブリー! 終わったらまた酒場で一杯やるかい!」
そんな壮大な設定とは関係なく、俺は今日も酒臭い船長と一緒に石畳の大通りを歩いていた。
「何言ってるんですか船長。この前も酒場で飲みまくって大騒ぎしたじゃないですか。それに明日、異界で仕事があるんで今日は無理ですよ」
「ちっ……しゃあねぇなぁ。今日は家に帰ってカミさんと二人で過ごすか」
「そうしてください。あんまり放っとくと愛想尽かされますよ?」
「ガハハハ! オーブリーも言うようになったじゃねぇか!」
昼間から酒瓶を片手に豪快に笑う船長。
ちなみにこのゲームでは、プレイヤーはログアウト中“異界へ帰っている”という設定らしい。
NPC達はその事に疑問を持たない。
むしろ、それが当然という認識だ。
要するにログアウト=異世界帰還扱いである。
かなりご都合主義な設定ではあるが、実際このゲームではログアウト中も時間が進む。
一度落ちれば、次のログイン時にはゲーム内で数日経過している事も珍しくない。
そう考えれば、案外理にかなっているのかもしれない。
そんな事を考えながら、俺と船長は港の中央通りを歩いていく。
潮風に混ざる焼き魚の香ばしい匂い。
屋台から漂う香辛料の刺激的な香り。
酒場から漏れる潮焼けした笑い声。
港湾都市らしい活気が、昼間だというのに街全体へ満ちていた。
道の脇では、商人ギルドの前で商人NPCたちが忙しなく声を張り上げている。
「ウェルーズ産の燃石炭、また値崩れしたらしいぞ」
「そりゃ大陸じゃ魔導炉が普及しちまったからなぁ。今時、重いし嵩張る石炭なんざ俺たちくらいしか使わねぇよ」
「その代わりメリノーシュの羊毛は安定してる。冬前にはまた値上がりするぞ」
「阿呆、今一番熱いのは砂糖だろ。テネルファ諸島産の精糖がかなり出回り始めてるらしい」
「共和国の独占が崩れたからな。これからは俺たち連合王国の時代よ!」
そんな会話が、あちこちから聞こえてくる。
ウェルーズの燃石炭。
かつては連合王国の主力輸出品の一つだった――らしい。
火力が高く、煙が少ない高品質な石炭で、鍛冶場や暖炉用燃料として長年重宝されていたようだ。
だが近年、商業連合を始めとした各国が普及させた魔導具によって状況は一変したという。
魔導コンロ。
魔導ストーブ。
魔導炉。
モンスターからとれる魔石を使った新型魔導具が広まり始めた結果、燃石炭の需要は急激に低下。
輸出量も年々減少しているのだとか。
一方で、“メリノーシュ”は羊型モンスターの一種だ。
この世界では珍しい家畜系モンスターで、その羊毛は上質な毛織物素材として重宝されているらしい。
ただしモンスターだが魔石は極小。
戦闘能力も皆無。
当然、倒しても旨味が無い。
しかも家畜扱いなので、勝手に狩れば普通に犯罪。
そのせいでベータ時代から戦闘プレイヤー達からは『外れモンスター』扱いされていた。
……もっとも。
毛織物市場では普通に重要資源らしいけど。
「しかし砂糖かぁ……」
俺がぽつりと呟くと、隣の船長がニヤリと笑った。
「気になるか?」
「まあ、最近やたら聞きますし」
「そりゃそうだ。俺たち連合王国が共和国からテネルファ諸島を手に入れてから、商会の連中は猫も杓子も砂糖だ砂糖だって騒いでやがる」
テネルファ諸島。
数ヶ月前に行われたゲーム内初の大型国家戦イベントの舞台となった群島地域だ。
イベント内容は、各国家へ所属するプレイヤーが、大規模戦争へ参加するというものだったらしい。
……らしい、というのも。
その頃の俺は必死に船舶ギルドのランク上げをしていた真っ最中で、イベントには興味もなく一切参加していなかったからだ。
後で掲示板や動画で知った話によれば、正式サービス直後だった事もあり国家戦へ参加したプレイヤーはかなり少なかったらしい。
結果として、戦争の大半はNPC軍同士で進行したという。
そして海戦に強い連合王国が、開幕早々テネルファ諸島へ強襲を敢行。
共和国側の輸送船団や護衛艦隊を次々奇襲し、そのまま制海権を奪取。
最終的にイベント終了時、テネルファ諸島は連合王国領になっていた。
当時は「NPCが強すぎる」だの「海賊国家じゃねぇか」だの散々騒がれていた気がする。
ただ、その結果として砂糖市場へ連合王国が本格参入出来るようになった訳で。
今この街が砂糖景気で沸いているのも、その影響なのだろう。
「まあ、儲かる時に稼ぐのは商人の基本ってやつだな!」
船長は肩を竦めながら笑った。
そんな雑談を交わしながら歩いているうちに、やがて街の中央広場が見えてきた。
巨大な噴水を中心に、人と馬車が絶え間なく行き交うポートマースの中心地。
その一角に建つ三階建ての石造りの建物こそ、俺達の目的地だった。
『船舶ギルド・ポートマース支部』
潮風に晒され色褪せた看板を見上げながら、俺は軽く息を吐く。
『船舶ギルド・ポートマース支部』
潮風に晒され色褪せた看板を見上げながら、俺は軽く息を吐く。
船長は慣れた様子で両開きの扉を押し開け、そのままズカズカと中へ入っていった。
俺も後を追ってギルド内へ足を踏み入れる。
途端に、むわりと熱気混じりの空気が押し寄せてきた。
安物の酒の匂い。
すえた汗の匂い。
窓から香る潮風の匂い。
長く使われた木材の落ち着いた匂い。
沁みついた生臭い魚の匂い。
色んな臭いが混ざった、何とも船乗りらしい空気だ。
魔石を使った貴重な魔力灯に照らされた広いホールでは、多くの船員や商人達が騒がしく行き交っていた。
怒鳴り声。
笑い声。
依頼内容を読み上げる受付係の声。
革靴が床を叩く音。
その全てが混ざり合い、独特の喧騒を作り出している。
壁際には大量の依頼書が貼られた掲示板があった。
『短期北方航路・船員募集』
『短期ウェルーズ行き燃石炭輸送船 水夫急募』
『中期テネルファ諸島航路 操舵手優遇』
『長期南洋捕鯨船 高額報酬』
その他にも景気の良さそうな依頼がたくさん並んでいる。
特にテネルファ関連はやたら多い。
やはり砂糖景気の影響なのだろう。
「やっぱりここは何時来ても賑やかですね」
思わずそう零すと、隣を歩いていた船長が意外そうな顔をした。
「そうでもねぇさ。オーブリー、よく見てみろ」
「……?」
船長に言われ、改めてホール内へ視線を向ける。
すると確かに、集まっている連中の多くが“依頼窓口”側へ偏っていた。
しかも、船乗りというより商人らしい身なりの連中が多い。
上等な外套。
革靴。
装飾付きの帽子。
明らかに金を持っていそうな奴らばかりだ。
対して、依頼受領や達成報告を行う窓口側はかなり空いている。
「……もしかして、依頼に対して人手が足りてない感じですか?」
「だろうな」
船長は腕を組みながら鼻を鳴らした。
「今はどこも船員不足だ。特に上級船員以上は引っ張りだこよ」
「そんなにですか?」
「そりゃそうだ。船は増やせても、船乗りは急に増えねぇからな」
「覚えてるか? 少し前に連合王国が戦争でテネルファ諸島を獲っただろ」
「あぁ……砂糖の」
「そういうこった」
船長は依頼窓口へ群がる商人達を顎で示した。
「今まで共和国が独占してた砂糖市場へ、俺たちも本格的に食い込めるようになった。商会の連中は今必死こいて船増やしてんだよ」
「なるほど……」
「だが船だけあっても意味がねぇ。動かす船員が居ねぇからな」
言われてみれば確かにそうだ。
大型商船を建造したところで、操船出来る船乗りが居なければただの浮かぶ木箱でしかない。
「特に最近は、新規参入の商会が多いらしいからな。船は買えても専属船員が集まらねぇ」
「最近は商会同士で船員の取り合いだ。前金積んで囲い込む連中まで出てきやがった」
「景気良いんですねぇ……だから依頼窓口ばっか混んでるんですか」
「そういうこった」
船長はガハハと笑った。
「見習い以上の船員は基本どっかの船へ専属で囲われる。だからオーブリーみてぇに、ある程度ランクがあって日雇いで色んな船を手伝ってくれる奴は案外珍しいんだぜ?」
「……そうなんですか?」
「おう。しかもお前、仕事サボらねぇし操船も上手ぇからな。そりゃ引く手数多にもなる」
そこまで言われると流石に少し照れる。
まあ、中身が元自衛官だから多少慣れてるだけなんだけど。
当然そんな事は言えないので、適当に誤魔化しておく。
「でも人手不足なら、もっとプレイヤー来ても良さそうですけどね」
「来ねぇよ」
船長は即答した。
「連合王国は地味だからな!」
「うわ、身も蓋もない」
「だってそうだろ? 大陸の国に行きゃモンスターだ魔法だダンジョン攻略だって派手な事やってんだぞ? その点この国は、魚獲って荷物運んで船直して終わりだ」
「まあ……否定は出来ませんね」
実際、ネット掲示板でも連合王国は“縛りプレイヤー向け国家”扱いされていた。
派手な戦闘を求めるプレイヤーからはあまり人気が高くない。
ただ、その分競争も少ない訳で。
「だが悪い事ばっかでもねぇぞ」
船長はニヤリと笑った。
「人手不足って事は、それだけ条件も良くなるって事だ。特に今は商会同士で船員の取り合いしてるからな」
「確かに、最近妙に報酬良い依頼増えてますね」
「だろ? 特に上級船員以上は貴重だからなぁ。オーブリーも下級士官まで上がりゃ、もっと待遇良くなるぞ」
下級士官。
その単語に、思わず少しだけ胸が高鳴る。
船舶ギルド公認の操船資格。
つまり、自前の船を持つ為の第一歩だ。
「ま、焦んな。お前ならそのうち上がれるさ」
「だと良いんですけどね」
そんな話をしているうちに、受領窓口側の列もすっかり短くなっていた。
気付けば並んでいるのは俺達くらいだ。
「よし、んじゃ報告済ませちまうか」
船長がそう言って受付の方へ歩き出す。
俺もその後を追いながら、改めてギルド内を見回した。
船乗り達の怒鳴り声。
忙しなく走り回る職員。
壁へ貼られた大量の依頼書。
そして、港町特有の熱気。
……やっぱり、この空気は嫌いじゃない。
そんな話をしているうちに、受領窓口の列も完全に無くなった。
俺と船長はそのまま受付へ向かう。
「あら、ケンさんとオーブリーさん! 二人が一緒に来るなんて珍しいですね」
明るい声と共に迎えてくれたのは受付嬢のケイティだった。
船舶ギルドでも数少ない女性職員。
男臭いこの場所では貴重な癒し枠である。
「よぉケイティ。オーブリーが相変わらず良い仕事してくれてな。依頼主として少し貢献してやろうと思ってよ」
「またそんな事言って」
ケイティは苦笑する。
「オーブリーさんの仕事ぶりはギルドでも高評価ですよ。専属契約の話だって何件も来てますし」
「え?」
思わず聞き返した。
「来てたんですか?」
「来てますよ?」
ケイティは当然のように答える。
「この前なんてブルーム商会の人が直接来てましたし」
「初耳なんですが」
「だって断るだろ?」
船長が横から口を挟む。
「まぁ……断りますね」
「ほら見ろ」
船長が豪快に笑った。
確かに専属契約は魅力的だ。
だが今はまだ色々な船に乗りたい。
色々な航路を知りたい。
将来自分の船を持つなら、その方が絶対に役に立つ。
「それにオーブリーさん、あと少しで下級士官査定ですからね」
ケイティがさらりと言った。
「ようやくそこまで来たんですね」
「順調ですよ。査定条件もほぼ満たしてますし」
少しだけ嬉しくなる。
下級士官。
そこまで行けば正式な操船資格を取得出来る。
自分の船へ一歩近付くのだ。
「んでよケイティ」
船長が身を乗り出した。
「依頼報酬とは別にオーブリーへ色つけてやれねぇか?」
「また無茶言いますねぇ」
「こいつの仕事ぶりなら問題ねぇだろ?」
「ギルド長に伝えるだけ伝えます」
ケイティは苦笑しながら手を差し出した。
「とりあえず依頼書をください」
俺はアイテムボックスから羊皮紙を取り出して渡す。
ケイティは慣れた手付きで確認し、達成印を押していく。
数秒後。
視界の端に半透明のウィンドウが表示された。
【Quest Complete】
『沿岸漁業支援』
達成報酬を獲得しました
・報酬金:1200リル
・経験値:150
・船舶ギルド評価:+3
・操舵熟練度:微増
・観天望気熟練度:微増
獲得経験値により成長判定が行われます
見慣れた表示だ。
派手な演出は無い。
だが、塵も積もれば山となるように。
確実に自身の努力が積み重なっている感覚はある。
そっとウィンドウが消える。
「はい、これで依頼完了です」
ケイティがにっこり笑った。
「ケンさんの件は一応ギルド長に伝えておきますけど、期待しないでくださいね?」
「ちゃんと伝えろよ?」
「はいはい」
満足そうな船長とやや困り顔のケイティ。
そんな二人を見て苦笑していた時だった。
止めようと手を伸ばした拍子に、思い切りテーブルへ手をぶつけてしまった。
ゴッ。
「っっっ!」
痛覚設定は強くないはずなのに地味に痛い。
しかも。
【HP -1】
視界の端に表示が出た。
このゲーム、妙な所だけ律儀である。
「なんだこりゃ?」
船長の声が聞こえた。
気になって視線を向ける。
どうやら受付のテーブルの上に置いてあった小瓶が揺れで落ち、それを船長が拾ったらしい。
小瓶の中には黒く粘り気のある液体が入っていた。
ドロリと揺れる様子は、どう見ても食欲をそそる物ではない。
「それはモラセスっていう物なんですけど」
「モラセスだぁ?」
船長は眉をひそめる。
「聞いた事ねぇな。一体なんだそりゃ?」
「一応、お砂糖ですよ」
「これが?」
船長は小瓶を掲げた。
「この真っ黒なドロドロが?」
ケイティは苦笑しながら頷いた。
「甘味はあるんですけど、見た目も悪いですし、やはり白い精糖より人気が無くて……」
そう言いながら蓋を開ける。
途端に独特の甘ったるい香りが広がった。
黒蜜にも似た匂いだ。
「ほら」
ケイティは小さな木匙ですくう。
「少し舐めてみます?」
「おぉ?」
船長が興味本位で受け取った。
手の甲に小さく垂らされたモラセスをぺろりと舐める船長。
数秒。
「……甘ぇな」
「ですよね?」
「だが後味が妙に重いし癖がある」
「だから売れないんですよ」
続いて俺も差し出された匙を受け取る。
舐める。
うん。
モラセスだ。
黒糖シロップをもっと濃くして少し苦味を足したような味。
決して不味くはない。
ただ、白砂糖の代用品として売れるかと言われると微妙だろう。
「なるほどなぁ」
船長は感心したように頷く。
「甘いのに売れねぇのか」
「だから妹の商会も困ってるみたいで」
ケイティはため息をついた。
「捨てるにはこの甘さが勿体無いですし」
そこで俺はふと思った。
いや、思ってしまった。
廃糖蜜。
サトウキビ。
大量生産。
そして海洋国家。
条件が綺麗に揃い過ぎている。
「あのぉ……」
俺が声を掛けると二人がこちらを見る。
「何だオーブリー。お前も何か使い道思いついたのか?」
「いや、その……」
一瞬だけ迷う。
妙な予感がした。
この手の話は、下手をすると面倒事になる。
それに俺は酒造りの専門家でもない。
知っているのは単なる一般知識だ。
言わない方がいい気もする。
だが。
目の前には大量に余っている廃糖蜜。
そして海洋国家。
更に酒好きの船長。
どう考えても結論は一つだった。
「何でそれ、ラム酒に蒸留しないんですか?」
沈黙。
船長が固まる。
ケイティも固まる。
数秒後。
ケイティの目が見開かれた。
「あ」
その顔色がみるみる変わる。
驚愕。
理解。
興奮。
全部が一気に混ざったような表情だった。
(あー……)
俺は内心で頭を抱えた。
(これ、言うべきじゃなかったかもしれない)