午後8時20分頃。
陽が落ちた東京の街。その住宅街は都内にも関わらず閑静であり、たまに脇の道路を通り抜ける車の音が唯一とも言える生活音だった。
あとは、鳥のさえずりや虫の鳴き声くらいしか聞こえない。朝方や夕方なら登下校の子供達の声も聞こえてくるものの、他の地域と比べたらだいぶ静かな方だと思える。
尤も、静かな環境でゆっくりしたいという自分にとっては心地良い立地であったことに違いないが。
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この地域が静まり返っている1つの理由として、ここ一帯は富裕層の住民が多いからというものがある。
広大な敷地と、それによって建物同士の間隔が空いた空間。住宅の1つ1つは自己主張するように独自のデザインや工夫が施されており、それぞれの感性や趣向がうかがえる。
よく、オシャレな住宅を紹介するTVなどで映し出される建物を想像してもらえるといいかもしれない。主に、4角形が2段、3段と重なるような外装であったり、外からガレージと車が見える通気性が良さそうな造りのそれだったり、あとはリビングなど家の中が丸見えになっている大きな窓がついた建物だったりと、まるでリフォームの匠の遊び心が詰め込まれたような景観を織り成している。
さすがにそこまで高級ではないにしろ、アメリカのビバリーヒルズを思い浮かべてもらえると手っ取り早い。
これらの様子から、オシャレな住宅の特集なんかの雑誌記者や番組関係者が、ひっきりなしにこの地を訪れていた。彼らが写真を撮ったりカメラを回したりする光景は日常的であり、自分もそれに慣れたことから、たまに取材も受けたりしている。
そんな贅沢な暮らしを送ることができたのも、世界的な芸術家と謳われる親父の財力があってのことだった。
自分自身は、冴えない一般人として相応の働きしかできずにいる。この雲泥の差とも言える社会的な実力差は、親父という1人の存在に対する尊敬を実感させると同時にして、世界的な成功を収める人間との残酷なまでの格差を体感させる、自分にとっての一種のコンプレックスにもなっていた。
……なお、自分がどのようにお金を稼いでいるかはご想像にお任せしたい。(物語的に重要な部分ではないから、そこまで現実的に設定を決めたくない)
ありがたいことこの上ないけれども、それとは別にして自分は、親父ほどの立派な人間ではない現実に劣等感を抱いていた。
物心がついた時から、上記の複雑な念が付き纏っている。今日もそれを胸に抱え込みながら、多忙につき本日も帰宅することのない親父を待つことなく、自分は1人で夕食の支度を進めていた。
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4角形の建物に、半分こされた三角形を上に取り付けたかのような住宅。
白色の壁と黒色の屋根に、浅い茶色の玄関や扉といった造りのそれ。モダンな印象をうかがわせる建物は十分に個性を放っていたものであったけれど、周囲の芸術的な存在感と比べれば、だいぶ落ち着いた雰囲気の非常にシンプルな住宅として、さぞ無個性に映っていたことだろう。
特に、この家主が“幻惑の奇術師”と呼ばれる芸術家の自宅であることを考慮すれば尚更に……。
玄関とリビングが繋がった大部屋。外観から簡単に想像できるモダンな内装は、レンガ造りのような模様が特徴的な茶色と白色の壁に、焦げ茶色のフローリングという穏やかな大人の空間を演出している。
リビングの壁には大きな窓がついていて、白色の天井に大きな照明、部屋の隅やソファの近くなどに配置された観葉植物が開放感を引き立たせている。また、ダイニングキッチンも完備されていることから、自分は1人でも常に余裕のある空間の中で食事の準備を行うことができていた。
L字型のソファを組み合わせて凹の形を作り、透明なローテーブルが雰囲気を醸し出す。その先にはラックと液晶テレビが置いてあり、そこでバラエティ番組を流しながら付近のダイニングキッチンで調理を済ませていく
……スーパーで購入できるソースを使った、手頃で美味しいカルボナーラ。
高級な住宅に住んでおきながら、自分の生活自体は庶民のそれだった。何なら親父も庶民的な趣向をしており、よく2人でカップ麵を啜ったりしている。
親父曰く、社会的な地位と相応の責任が伴う際、時には見栄を張らないといけない場面もある。とのこと。
きっと、親父のそういう視点や感覚が世間でウケている要因の1つなのかもしれない。彼は何かと贅沢を好まず、スーパーの安売りチラシには必ず目を通すようなその意識が、周囲に共感や親近感を与えているのかもしれない。
そんな親父を見て育てば、自分も日曜日の大安売りにスーパーへ出掛けるような人間になるわな。という何気無い思考を巡らせながら、カルボナーラを乗せた皿を持ってソファへ移った。
ちょうど、番組の特集で取り上げられていた
顔を上げるように慌てて意識を向けていくのだが、司会者の『
「あっ……。終わっちゃった」
ボソッと呟きつつ、カルボナーラを啜っていく。
画面には、日常生活で使える裏技の紹介が流れている。それを遠い意識でボーッと眺めていると、次にも自宅のインターホンが鳴らされた。
ピンポーン。
こんな時間に? という疑問を浮かべつつ、自分は玄関付近の壁に取り付けられた映像を恐る恐ると確認した。
すると、そこに映っていたのは見覚えのある“少女”だった。
「この子、
ヴァイオレットカラーの長髪と瞳に、お人形のような可憐な風貌が印象的。ただ、その服装は私服なのだろう、新たな一面とも言えるラフな姿を見せてくれたものだ。
萌え袖になっている前開きの黒色ポンチョに、清楚な雰囲気を演出する白色のブラウス。サスペンダー付きの黒色スカートに、黒色のオーバーニーと黒色の厚底ブーツというその格好。
所謂、量産型というコーディネートに身を包んだ少女。特に、チャームポイントとも言える猫耳付きの黒色キャスケットというワンポイントは、彼女の可憐な容貌に一段とキュートなアクセントを加えている。
とても可愛い子だなぁ……。
なんていう感想をよぎらせながらも、どうして少女が急に訪ねてきたかの理由が分からないため、自分は取り敢えず話をうかがうことにした。
素足でひたひた歩き、リビングと一体化した玄関のサンダルを履いて扉を開いていく。
「あの、何か御用でしょうか?」
ガチャッ。
扉を開き、街灯が灯る暗闇の中で少女と向かい合う。
適当な眼差しで見つめてくる彼女。よく見たらキャリーケースも持参していて、まるで遠くへ出掛けにきたみたいだ。
と、次の時にも少女はさも当然のようにそう喋り出してきた。
「どーも、こんばんはー。ホントにコチラにお住まいでビックリしましたよー。豪邸が並び立つお金持ちの地域にご自宅を構えているとは、さすがは我らの
「周りと比べたら、ここは豪邸と呼ぶには素朴すぎるけどね。それで君は、
「“ラミア”です。ただ、コチラの名は源氏名であるコトをご了承ください。ウチらの店、こだわりとしてニックネームで呼び合うよーにと決まっていますので」
「親父は人1倍とプライバシーを大切にするからな。なんか納得だよ」
「そーですね。というワケですので、早速お邪魔しまーす」
「え?」
と言って、ラミアと名乗る少女は何の躊躇いもなく玄関へと踏み込んできた。
扉を開くこちらの脇を潜り抜けていく彼女。その様子に自分は慌てながら訊ね掛けていく。
「ちょ、ちょちょちょ待って!! なんで!? いやどうして家に入ってくるの!?」
「?? そんなの当たり前じゃないですか。コチラへ宿泊しに来たんですから」
「いやすごく不思議そうに答えてるけど、こっちからしたら不可解すぎて君のこと怖く思ってるからね!?」
キャリーケースを引いて玄関に入ったラミアは、どこがおかしいのか分からないと言った具合に首を傾げてくる。
「まー、細かいコトはイイじゃないですか。こーして、おひとりで寂しく過ごされているアナタの下に、巷がもてはやす可愛い可愛いラミアちゃんが来てあげたんですよ?? それも、オトコしかいない住居というキケンを承知の上で、こーして単身で来てあげたんですから。むしろ、アナタはウチに感謝するべきなんですよ。分かります??」
「可愛いことはさすがに否定できないけれども……なんかすごく押し付けがましく聞こえるし、というかそもそもとして、どうして俺の家を知っていたんだ……」
「ソレか、アレですか?? アナタまさか、こんな夜の時間帯にか弱いオンナのコを1人で帰らせるつもりですか?? 真っ暗で心細くて、しかも事故や不審者といった様々なキケンが付き纏う夜という時間帯に、ウチというか弱いレディにご自宅へ引き返すようアナタは仰るんですね??」
「た、確かに夜の時間に女性を帰らせるのは危険極まりないけれど、それとこれとは話が違……っ」
「そーいうワケで、お邪魔しますよー」
「ちょ」
ガラガラとキャリーケースを玄関に入れて、家の中を見渡したラミア。少女は感嘆の声を漏らしながら当然のように喋り続けてくる。
「わー、やっぱスゴイですねー。
「えっと……夕食って食べてきた?」
「いえ、何も頂いてないですけど」
「なら、今さっきカルボナーラ作ったから……男の手作りで良ければ食べる?」
「イイんですか!? お泊まりさせてもらえる上にお料理まで出してもらえるなんて、至れり尽くせりですねー!! もー、サイコーです。コチラにうかがって正解でした」
「こっちからしたら、無理やり押し入られて恐怖の一言に尽きるけどね……。まぁ、なんかもうしょうがないからいいや。今日は上がっていって」
変な汗を流してしまいながらも、こうなってしまっては仕方無いと言わんばかりに自分は諦めて扉を閉めていく。
ラミアを迎え入れ、キャリーケースを代わりに持ちながらリビングに案内した。それからソファに腰を掛けてもらい、自分はカルボナーラを用意することでラミアは喜びの歓声を上げてくる。
突然の来客に、未だ動揺を隠し切れないものだった。だからこそ、気持ちが少し落ち着いたであろう彼女の気が緩んだ頃合いにでも、どうしてこちらへ訊ね掛けてきたのかを自分は質問してみることにした。