自宅で朝食を作り終えた自分。ダイニングキッチンから目玉焼きとサラダをローテーブルに移していくその最中にも、2階に続く階段からは聞き慣れない1つの足音が下りてくる。
遠くからでも感じられた気配に振り返っていく。すると、視界の中央にはサイズが若干小さい紫色の寝間着を身に纏う、焦げ茶色のロングストレートを揺らした“少女”が不機嫌そうに目を合わせてきたのだ。
不愉快そうに睨みつけてくる目つきが、もはやチャームポイントとも言える彼女。振り向いてきたこちらの様子に少女は足を止めると、次にも右手で左腕を掴んだ佇まいで、警戒心を強めながらも複雑な心境をうかがわせる表情で言葉を発してきた。
「っ……! そんなじろじろ見ないでよ。早起きして下りてきて、なんか文句ある?」
「いや、文句なんか無いよ。おはよう“菜子ちゃん”。よく眠れた?」
「……おかげさまで。こんな、大層な家でしか住めないお坊ちゃんに心配されるような暮らし、伊達に送ってきてないから……」
視線を逸らし、嫌味を込めた返答で口にしたそれ。
と、次にも菜子の後ろからは階段を下りる音が聞こえてきて、すぐにも姿を現した寝間着レダが菜子に歩み寄りながら喋り出してくる。
「あらぁ~? 憎まれ口を叩く割には、昨日の晩ご飯を3杯もおかわりしたのは誰だったかしらぁ?」
「っ! なに、悪い!? 貧乏人がご飯に執着してる姿が惨めだ、とか思ってるんでしょ。笑いたきゃ笑えばいいじゃん。もう慣れてるから……っ」
「ここにいる全員、いちいちそんな嫌味ったらしい考え方なんかしないわよ。ホントにもう、ムキになっちゃって……カワイイ」
「はっ?! カワ……」
やけに動揺を見せてきた菜子。尤も、それはトラウマというよりも照れの感情に近しい反応とも言えたかもしれない。
一瞬の気後れの隙に近付いたレダは、菜子へと人差し指を伸ばすなり少女の頬をツンツンし始める。この動作に菜子は、最初こそ不快感を示して本気の抵抗を見せてきたのだが……?
「ちょっと、やめてよ!」
「いいじゃな~い。カワイイ反応しちゃってぇ~」
「カワっ……! その、簡単に可愛いとか言わないでくれるっ!?」
「そういうところもすっごくカワイイわぁ。母性本能がくすぐられちゃう」
「い、意味分かんないしっ! 意味分かんないしっ!! ちょ、やめぇっ……!」
段々と抵抗が弱まり、接近を許したレダに頬をツンツンされ始めた菜子。特に、『可愛い』と聞く度にふにゃふにゃになっていった少女は、気付けば顔を赤くしつつ涙目で頬をツンツンされる小動物へと変貌していた。
嫌がる? ような素振りを見せる菜子の様子に、自分は止めに入ろうと一歩踏み出していく。だが、それ以上に垣間見せてきた少女の蕩けるような表情に、思わずドキッと高揚感を抱いてしまったことで止めに入るのが遅れてしまったものだ。
……菜子ちゃん、不機嫌そうに喋る割には柔らかい頬っぺたをしているんだな。
イケメン寄りの輪郭でシュッと引き締まっている印象を覚えたそれだが、触ってみると意外とぷにぷにするらしい。今も弾力でレダの指がめり込む光景を展開していると、すぐにも別の足音が洗面所の廊下から響いてきて……。
髪を流した寝間着メーが、玩具を見つけたような顔で駆け寄ってくる。
「あは、なになにめっちゃオモロそうなことやってんじゃん!」
「メー、聞いてぇ~? 菜子ちゃんねぇ、いつも喧嘩腰で生意気で卑屈で
「マ? チョーウケんだけど。どれどれ? 私もお味見~……おぉ~! ヤバぁ、バリぷにじゃん! マシュマロの化身? げきかわゆす~!」
と言って、メーも頬をツンツンし始めたことで、菜子の両側ほっぺがぷにぷにと蹂躙されていく。
少女の脳内で感情が激しく巡っていたのだろうか。いつの間にか脇を引き締めて縮こまるような姿勢で立ち尽くしていた菜子は、何か言おうと声を漏らすものの、顔を赤く染めながら目をグルグルにすることで混乱してしまう。
恥ずかしくて堪らないけれど、満更でもない。でもやっぱり気に食わないから距離を離したいのに、ぷにぷにしてもらえること自体はそんなに嫌じゃないからこのままでもいい。
……といった具合だろうか?
飽くまで推測に過ぎず、もしかしたらそれ以上の相反する2つの思考がぶつかり合っていたのかもしれない、とも考えられる。とにかく、どれだけ虚勢を張ろうともメーとレダに通用しないことから、菜子はもう、両耳から入ってくる「可愛い」の言葉で顔を真っ赤にしながら、涙目で俯いてしまったものであった。
さすがにイジりすぎかな……。
自分は止めに入ろうと、声を掛けようとする。と、そこで最初からソファで寝転がっていた寝間着ラミアが上体を起こしてくると、むくみを取る小顔ローラーを使用する様子を見せながら淡々とそれを提案してきたのだ。
「あのー、せっかく定休日で今日お休みですので、ウチらで菜子さんの服、見に行きません??」
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差し押さえで、身に着けていた制服と鞄の中身以外を全て失った菜子。そんな少女の凄惨な状況に、しばらくは柏島邸に泊まる方針で話が進んでいた。
引っ越しというよりも、身元を預かるような形であったため、少女の私物が僅かであることも実情。今もラミアの寝間着を借りることで一時的にしのいでいたものだったが、ここから再起するには最低限の私物が必要になってくるだろう。
ラミアの提案に、メーとレダは当の本人を差し置いて好感触な反応を見せてきた。非常にノリ気な空気に菜子は言葉も発せぬまま事が進んでいくと、気付けば一同は食事と準備を済ませ、下着類なども購入するからという理由で自分は留守番を言い渡されると共に、ラミアとメー、レダの3人は菜子を連れてデパートへと向かった。
自分は自分で菜子の個室を掃除し、ついでにリビングも掃除をすることで彼女らの帰りを待っていく。そうして5時間という長時間の末に満足げな彼女らが帰ってくると、見せたいものがある旨をこちらに伝えてきては、購入してきた服に着替えさせられた菜子がそれをお披露目するべく姿を現した……。
腰丈の長さである白色のモッズコートに、薄い黄色のブラウス、ミニスカートレベルで丈が短い白色のコーデュロイスカートに、白色の新品ロングブーツというヤンチャなカジュアルさでまとめられたその格好。
とても不愉快そうな表情で向かい合いながらも、見惚れるよう眺めるこちらの様子に菜子は頬を赤く染めていく。それから自信無さそうな恐る恐るの眼差しを向けながらも、少女はもじもじとした態度でこちらに訊ね掛けてきた。
「……そんなにジロジロ見ないでよ。どうせ似合ってないんでしょ? こんな大人っぽい服……」
「その逆だよ、菜子ちゃん。すごく似合ってる。カッコ良さと可愛さを両立していて、まるでモデルさんみたいだよ」
「なにそれ、意味分かんない……。みんなして可愛い可愛いって……アタシなんかがそんなわけないじゃんか……っ」
不機嫌な顔で卑屈になりながらも、内心は嬉しいのか強張った様子で口を尖らせていく。その反応も男としてキュンッと来てしまい、なんだか自分が照れ臭くなってひとり黙りこくってしまった。
で、大量の買い物袋をリビングに置いていたラミアが、淡々とした調子でこちらに報告を行ってくる。
「カンキさーん。ひとまずですけど、生活で必要になりそーなモノを一通り買い揃えておきましたので、あとで確認お願いしまーす」
「ありがとう、ラミア。ありがとう、みんな。……よし! これで菜子ちゃんが安心して暮らせる土台は整ったかな」
当然のように交わした会話。それを聞いていた菜子は、少しだけ焦る様子でこちらに問い掛けてきたものだ。
「待って! ねぇ、別にアタシ、ここに住みたいなんて言ってないんだけど?」
「まぁ、取り敢えずの仮拠点って感じでここを利用してもらえるといいかなって思ってたんだ。俺の親父にも既に許可を取ってあるよ」
「なんで? なんで、そんな勝手に話を進めるの?」
「菜子ちゃんが不快に思ったのなら、ごめん。ただ、ここで過ごす生活が菜子ちゃんの新しい一歩に繋がればいいなと考えた末の、みんなで話し合った結果なんだ」
「すぐ謝らないでよ。……別に、嫌だってわけじゃないんだし」
「ありがとう。でも、俺達は何よりも菜子ちゃんの意思を尊重したいと思っているから。ここに住みたいと言うのなら俺達は菜子ちゃんを責任持って面倒見るし、菜子ちゃんが違う所に移り住みたいと言えば、俺達は全力でそのお手伝いをするつもりでいるからさ。今はそれだけでも分かってもらえると嬉しいな」
「…………っ」
自分を始めとして、私服姿のラミア、メー、レダが菜子と向かい合ってくる。
皆、見守るような穏やかな表情をしていた。
この、目の前に広がる現実を受けて、菜子は目に涙を浮かべながら訊ね掛けてくる。
「……なんで? どうして……みんな、アタシなんかに優しくするの……? 体が目的なの? それか労働者として働かせるため? どうせ組織ぐるみでろくなこと考えてないんでしょ!? ねぇそうなんだよね!? アタシ知ってるんだから!!」
「菜子ちゃん。どれも違うよ。俺達は、菜子ちゃんを保護したいと心から思っているから、こうして菜子ちゃんのためになるよう動いているんだよ。……今まで散々苦労してきた菜子ちゃんに、何も心配しなくていい人生と、豊かな暮らしを送ってもらえたらいいなと願っているからこそ、みんなで菜子ちゃんに安心してもらえるように、こうして優しくしているんだ」
「っ……なにそれ。意味分かんない……。意味分かんない……!」
「菜子ちゃん、今日は記念日になるよ。菜子ちゃんにとっての新たな人生が始まる、記念すべき再起の日。……親父は、菜子ちゃんのような可哀想な子を救うために
「……っ何なのそれ。そんなに……優しくしないでよぉ……っ」
次にも菜子は、大粒の涙をボロボロと流して号泣してしまった。
それだけ、苦しい人生を送ってきた証拠でもあるのだろう。
自分らは菜子に駆け寄って、みんなで慰めた。そうすると菜子は余計に感情が溢れてしまい、その場に泣き崩れてしまったものだ。
菜子の姿を見て、自分は親父の気持ちを心から理解できた気がした。
救わなければならない。救わずにはいられない。こんなにも身近でありながらも、自分では気付けないような知らない場所において、自身の運命に翻弄されし不遇の人物は今も死に物狂いで存在し続けている。
菜子の件は、その一部にしか過ぎない。だからこそ、親父は1人でも多く救済するために
この日、正式に新たな住人が増えた。
蓼丸菜子、15歳。絶望の淵に立たされていた救い無き1人の女子高生は、この時を以てして僅かながらの希望を手繰り寄せた。