完成したミートボールを大皿に移し、一息ついた自分は額の汗を拭いながら壁の時計を確認する。
午後9時30分。そろそろラミアが帰ってくる時間だな。
菜箸を片手に、今日も腹を空かせて帰宅するだろう少女のために夕食を用意する。そして、頃合いを見計らうように玄関の扉が開いてラミアが「ただいま戻りましたー」と口にしたのだが、同時のタイミングで浴室の扉も開く音が聞こえてきたものだ。
そう言えば、メーがお風呂に入っていたな。
この日は休みだった、新入居者のメー。その引っ越しも昨日終わり、彼女共々、自分も完全に落ち着けたその心持ちで同居生活を開始させたものだっただが……。
廊下からひたひたと歩いてくるメー。ちょうど帰ってきたラミアへ「ラミアおかえりー」と言葉にし、ラミアも「どーも、お疲れ様でーす」と返事するといった何気無いやり取りが交わされていく。
ただ、メーの格好を目にした自分が仰天のあまりに目玉をひん剥いてしまう。
上半身裸で、タオルを肩に掛けたその状態。片方のタオルで髪を拭いていて、残る長髪を前掛けのようにして平均的な胸を隠している。
しかし、問題なのが下半身だった。どうしてなのだろうか、青色のトランクスを身に着けたメーの姿に自分が突っ込んでいく。
「め、メー!?」
「あ、カンキ君。ご飯できた?」
「ご飯はできたけど、それ俺のトランクスなんだけど!?」
「あごめーん、着替え2階に忘れてきちゃって。取りに行くのにちょうどいい履物がこれしか洗面所になかったから、ちょっと借りさせてもらってる~」
「え、えぇ……。言ってくれれば取りに行ったのに……」
メーの姿に対してラミアは何も言わず、むしろミートボールの匂いにつられてダイニングキッチンへと引き寄せられていく。そうして横を通り過ぎたラミアを気にしない上に、メーは次にもからかうように笑みながらこちらへ言葉を続けてきた。
「あは、それか何かな? カンキ君、自分のパンツを女に履かれて恥ずかしくなっちゃった?」
「むしろ、意識しない男なんているわけないじゃんか……」
「ほほぉ~ん? カンキ君は素直よのぉ~? でもさ~、内心、実は嬉しかったりするんでしょ?」
「んーと……ノーコメントで……」
「お? ええんか? 素直に答えないとパンツ汚しちゃうぞ? ほれほれ」
と言って、メーはあろうことかトランクスの股部分を自身の股に擦り付け始めた。
思わず赤面してしまいながらも、自分は「そ、その格好だと風邪ひくし、もうご飯にするから早く着替えてもらえるかなッ!!」と伝えたものだ。これにメーは小悪魔のように微笑みながら「はいは~い、おけまる~」と答えることで階段へと向かっていった。
……ラミアも平然と裸で歩き回るし、そういう観念が無い人達なのかな。と内心でため息をついてしまう。
それか、女の人って元からこういう感じなのか? という疑問さえ巡ってくる最中にも、振り向いた先でミートボールを摘まもうとしていたラミアへとすかさず駆け寄った。
「ら、ラミア!」
「ナンでしょーか?? ウチに用でも??」
「用も何も、素手だと火傷するかもしれないから箸とか使って!」
「えー、イイじゃないですかーメンドクサイ。ヤケドしてもウチが困るだけなんですから、いちいち細かく指摘なさらなくてもヘーキですよー」
「ラミアを心配してるから注意しているんだよ。というかまず、家に帰ってきてから手を洗ってないよね!?」
「ウチを心配、ですか。……もー、お店を出た時からお腹がペコペコだったんですよー。途中、行き倒れるかと思うくらいに限界で……あーーー、ココでナニか一口食べなきゃ、可愛い可愛いラミアちゃんが飢え死にしちゃうかもー??」
「無事に帰ってきてくれて本当に良かった良かった。じゃあ、洗面所で手を洗ってからご飯にしようなっ」
菜箸を置いて、ラミアの両脇に手を入れていく。それから猫を抱き抱える要領で持ち上げて、少女をダイニングキッチンの前から退けていった。
その際にも、ラミアは「んにゃー」という不服そうな声を上げていく。
猫耳付きの黒色キャスケットを被っているからか、一層と猫っぽい姿に萌えを感じてしまう。だが、心を鬼にしてラミアを退けたことで、彼女はムーッと冗談っぽく頬を膨らませながらも素直に洗面所へと向かっていった。
これじゃあまるで、ラミアとメーの保護者だな……。
内心で深いため息をついた自分。困り眉でそれを思いながらミートボールと向かい合ったその瞬間にも、家のインターホンが鳴らされた。
ピンポーン。
聞こえてきた呼び出しに、自分は駆け足で端末を覗いていく。そうして映像を確認すると、そこには女神が如き見慣れた顔の女性が佇んでいるのを目撃した。
ユノさんだ。
タキシード姿ではない私服姿。ただ、全体的な色合いはほぼ同じであったことから、お店にいる風貌とそれほどの変化が無い。
黒色のライダースジャケットに、ボタンを2つ外した赤色のシャツ、黒色のバイクパンツに、膝丈まである機動性に優れた黒色のブーツという格好。イケメン顔と合わさることで颯爽としたスタイリッシュなシルエットは健在で、クールビューティーな存在感に自分はすぐさま扉を開いて彼女を迎え入れた。
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扉を開くと、目の前には腕を軽く組んで佇む凛々しい表情のユノがいる。彼女は柔らかく微笑むと、大人の落ち着きを醸し出す声音で話し出してきた。
「こんばんは、柏島くん。夜分に訪問してしまってごめんなさい」
「いえいえ! 何の問題もございませんよ! それで、どうかされましたか? ラミアやメーの忘れ物でもお届けになられたりとか……?」
「忘れ物、という名目ではないにしろ、2人の様子をうかがいに足を運んだまでのこと。ラミアとメーの顔を確認次第にお暇する関係上、ほんの束の間となるお時間を頂けないものかしら」
「少しだけに限らず、よろしければ上がっていってください。夜も遅いですし、宿泊もできますよ」
「柏島くんのお気遣いは、淑女の不安に寄り添いし配慮に基づいた言動が光るわね。まさに柏島の血筋に相応しい他人想いなその思想、れっきとした紳士であることをお見受けすると共にして、彼が施す教養の高さを再認識とさせられて一層もの敬意が巡ってきたものよ」
……そうだった。この人と会話すると、同じ言葉のはずなのに意味を汲み取れない部分が多発するんだ。
一気に巡ってきた緊張感で両肩に力が入ってしまう自分。だが、こればかりは助け舟とも言わんばかりのラミアとメーがそれぞれ家の奥から姿を見せてきた。
「あー、ユノさんじゃないですかー。わざわざコチラまでいらっしゃって、どーされたんですかー??」
「あ! ユノさんやっほー! こんなとこでどしたん? 話でも聞こか?」
私服姿のラミアと、紺色の寝間着姿と髪を流したメー。駆け寄ってきた2人にユノは微笑を零しながら会話を行っていく。
「貴女達
「ウチらでしたら、カンキさんに面倒見て頂いてますから全然ダイジョーブですよ??」
「私も引っ越してきたばっかだけど、カンキ君には本当に手間かけさせてばかりで申し訳なくなるくらい。ま、それに甘えて優雅に過ごさせてもらってんだけどね~」
「ラミア、メー。住居を改めた故に、新たな環境に未だ手探りである事柄が山積みとなっているでしょう。しかし、一貫として忘却してはならない心掛けは1つのみ」
「
「カンキ君の幸福は
「よく言えました。
「当たり前ですよー。ウチらはカンキさんに“癒し”を提供してますからねー」
「はいはい私も私も! んーと、カンキ君には~……“元気になってもらえる”ように計らってまーす。イェイ」
「殊勝な心掛けね。特にラミアとメーの2人は、
「ありがとーございまーす」
「っしゃーす。あざーす!」
それらの言葉を伝え終えると、ユノは凛とした面持ちでこちらと向かい合いながら言葉を告げてきた。
「用件は済んだわ。私はこれで帰路につくとするわ」
「あ……分かりました。いつでも上がっていってくださいね。歓迎しますので」
「ありがとう。貴方から賜りし本日の心遣いは、この胸に永劫と宿し続けるといたしましょう」
「えっと……まぁ、そこまで大げさに捉えていただかなくても結構なんですけど……」
そっか、帰っちゃうのか。
というこちらの本心を2人は察知したのだろう。すぐにも食い付くようにラミアとメーが顔を覗き込みながらセリフを掛けてきた。
「おや?? おやおや?? ナニやらカンキさん、とっても悲しそーですね?? ナニかザンネンなコトでもありましたー?? このラミアちゃんがお話しをおうかがいしますけど??」
「分かってて訊ねるなんて、ラミアも悪魔よのぉ~。……ねぇカンキ君。一目惚れしたユノさんが帰っちゃうのが寂しいんでしょ? そんであわよくば、私達のような流れでしれっと住んでもらお~とか、考えちゃったんじゃない?」
「い、いやいやいやいや!! 悲しいとか寂しいとかは、まぁ正直否めないところはあるけれど……! ユノさんには、ユノさんの生活がありますから! 移住を期待するなんてむしろおこがましいというか……!」
変に焦ってしまったこちらの反応に、メーが「なんか急に早口で喋るじゃん? あは、図星だった?」と悪戯な笑みで訊ねてくる。
そんな3人のやり取りを眺めていたユノは、呆れたように苦笑しながら彼女らへ言葉を掛けていった。
「ラミア、メー。くれぐれも柏島くんを困らせないように」
「はーい」
「あーい」
た、助かった……。
救われた気持ちに、ふぅっと息をつく自分。胸に手を当てて心底から落ち着いたこちらをユノは真っ直ぐ眺めてくると、次にも彼女は申し訳無さそうな表情でそう説明を施してきたのだ。
「本来であれば、私も恩返しの一環として貴方の世話に尽くしたいと考えているわ。それは起床から就寝までを尽力にサポートする召し使いとなり、貴方の命令であればどのような内容でも付き従う覚悟を以てして取り組ませて頂きたいと、私の恩義を体現できる全力の奉仕を柏島くんに施せたらどんなに幸せなことかと、その意図を常に秘め続けているものよ」
「え、えぇっと……。つまり、ユノさんも機会があればこちらへ移住されたい、と……?」
「その解釈で十分でしょう。ただ、今現在の私には同棲するお相手が存在している以上、私は彼女の幸福を約束し、有限なる時を共に歩む誓いを立てざるを得ない。故に、今現在においては貴方の世話となる以上の相応なる責務を、ラミアとメーの2人に任せている。それらの事情をどうか、ご了承願えるものかしら」
「同棲するお相手、ですか……」
この時ばかりは、さすがに自分はひどいショックを受けた。
まぁ、そうだよな。こんな綺麗な人に恋人がいないなんてあり得ないくらいだ。もちろん、その相手の方を優先することは至極当然であり、彼女となる人物と過ごす時間を大切にしたいという気持ちも、人としてよく分か…………。
…………待て、“彼女”?
傍から見れば、すごく落ち込んでいたのだろう自分の俯き。しかし、何かに気付いたよう顔を上げる素振りをうかがって、ラミアが珍しく優しい声音で可憐に訊ね掛けてくる。
「気付かれました?? ユノさんのお相手さんは、“女性の方”なんですよ?? 良かったですねー。どこぞのウマのホネか分からないオトコのヒトじゃなくて、一安心しましたよね??」
「あ、安心というか、何というか……。いや、俺は所謂“ストレート”ってものだから、その関係でどうしても理解が至らない部分もあると思う。……要はあれです。俺の身近には“親父”という
社会的に度々と話題になる、性別にまつわるデリケートな問題だった。
この際だからハッキリと申してしまうが、俺の親父
で、先ほどの話からうかがうに、ユノという人物は同性愛者、つまり“レズビアン”なのだろう。
女性同士で育む人間らしい愛情。共に紡ぐ赤い糸には様々な形があるということを改めて実感させられたところで、ユノは最後に別れの挨拶を口にしてきた。
「それじゃあ、私はこれで。ラミア、メー。柏島くんのサポートを引き続き全うするように。……柏島くん。お父様によろしくお伝えくださると嬉しいわ」
「分かりました。夜遅いので、どうかお気を付けて」
「その心遣いに敬意と祝福を。こちらや
それを告げて、ユノは穏やかに笑みながら踵を返して歩き出した。
敷地の外に出て、ビバリーヒルズみたいな通路を辿り始める彼女の姿。その背が完全に見えなくなるのを見届けた自分は、ラミアとメーに「じゃあ、ご飯にしようか」と伝えながら扉を閉めていった。