推しの子-偶像になる少女と空想に生きる少年- 作:アルトサックス
世界に暗い帳が完全に落ちた頃、深夜とも夜明けとも言えない曖昧な時間。
束の間の夢から醒めた。寝室の中は愛する家族の健やかな寝息が聞こえる事以外痛い程の静寂に包まれていた。
―――クラゲがふわりとやってくる。
不意に心内で漏れたそれを、我ながら詩的な表現だと思う、まあそれを生業として食べているのだから職業病的な物なのだろう。
カーテンの隙間から零れる街の光がネオンの色を纏って、クラゲとそう覚醒して間もない俺の脳を錯覚させた。
自身の腕を抱いて幸せそうに眠る少女から抜け出して、窓際に立つ。
「……嫌になるな、あの頃とはもう違うとしても」
ふう、と知らず溜息が零れた。
見上げた空は暗闇に染まっていて星すらも見えない、けれども見下ろした街並みは今も燦々と輝いていて宛ら地上の夜空だ。
どこか綺麗で、でもどこか不安を抱く世界。無意識の内に手が嘗てそこにあった“空洞”を抑えた。
「……眠れないの?」
「…ああ。ごめん、アイ起こしちゃったか?」
「うん、抱き締めてた君が居なかったから。私が瑠璃君と一緒じゃないと眠れないの知ってるでしょ?」
小さな声、けれども透き通った声が届いた。その声の先にはこの夜空に咲く一つの星が存在した。
「時間もまだ早いし流石に寝よう、明日はドームライブだろ、体が持たないぞ?」
「ふふん!私がそんな軟なアイドルじゃないのは瑠璃くんも知ってるでしょ?変に目も冴えちゃったし少しお話しようよ」
「…しょうがないな、少しだけだぞ?あんまり煩くしてるとアクアとルビーが起きちゃうから」
そうして寄り添い言葉を重ねる、時間が許す限り。他愛の無い話、これまでの話、これからの話。
「……ねぇ、瑠璃くんは今幸せ?」
「色々あったけど幸せすぎる位で怖いな、アイは?」
不意な最愛の人からの問い。それは嘗ての自分では到底答えられなかった問い。
今では埋まった胸の空洞を抱き締めて、確かに言葉にして宣言する。
「当然だよ。私がいてアクアがいてルビーがいて、私に愛をくれて教えてくれた瑠璃くんがいるんだもん」
愛しい物を抱く様に抱き締められ、嘘ではない心からの笑顔と言葉で彼女はそう答える。
それを肯定する様に、俺も彼女を抱き締める。互いに色々な物を抱えてここまで来た。
「俺もだよ、まあ10代の身で父親になるとはまるで想像もしてなかったけど。現実は小説より奇なりとはよくも言ったものだよな」
そうして、ここまでの歩んで来た道筋が明確に思い出される。
―――そうそれは、愛を知らない少女と愛を諦めた少年の物語。