推しの子-偶像になる少女と空想に生きる少年-   作:アルトサックス

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お久しぶりです。



世界の交差

 

 

 

 

一人院内を歩いて行く。目を向ければ、様々な人々がこの場には居る。

外来で訪れる子供連れの家族、リハビリに向かう入院患者、緊急搬送されてくる急患者。

 

夜中は病院に対し強い死のイメージを抱いたが、元来病院とは生に対する象徴なのだと理解する。

それぞれが、明日を生きようと懸命に生きているのが伝わってくる。

 

 

「…それでも、病院は苦手だな」

 

 

苦い記憶がある。大切な家族を三度も失ったのがこの病院という場所だ。

解ってはいても、やはりは苦手な意識は消える事はない。

 

 

「……ここだよな、505号室」

 

 

中庭で呼び掛けられた声の主が示した病室。ネームプレートには椿坂と書かれている。

ノックをすると中から、どうぞという綺麗な少女の声が聞こえてきた。

 

 

「失礼します」

 

 

許しを得て入った室内、まず目を引いたのはキャンバスであった。

その他にも、私物であろう本棚にはびっしりと本が並べられている。

 

他とは違う待遇に、明らかにここでの生活が長いのだろうと無粋な思考をしてしまった。

頭を切り替えて部屋の主である、ベッドに座っている銀の少女に意識を向ける。

 

歳は自分と同い年か、少し下位の子だろうか。

その容姿の良さが持つ可憐さ、陽光で光を持つ美しい銀髪が少女を幻想的に思わせる。

 

 

「えっと、椿坂さんで合ってるよね?頼まれた作文用紙を持って来たんだけど」

 

「本当に、ありがとうございます。…えっと」

 

 

用紙を手渡すと、彼女は大切そうにそれを抱いた。それ程までに大事な物なのだろう。

言葉に詰まり、藍色の瞳はこちらを何と呼べば良いのか、困惑に染まっていた。

 

銀の髪に藍色の瞳。今気付いたが昨夜、屋上に居た少女はこの子なのだろう。

何故あんな時間にあの場所に居たのか、あんな儚い目で空を見上げていたのか、疑問はある。

 

だが、俺と彼女は出会ったばかりでそれを聞くには関係値があまりにも低すぎる。

 

 

「俺は夜川瑠璃って言います、よろしくね椿坂さん」

 

「……夜川、瑠璃?」

 

「そうだけど、どうかした?」

 

 

名前を聞くと、彼女は言葉を噛み締める様に一瞬思考する顔を見せた。

 

 

「いえ、私は椿坂藍と言います。この度は本当にありがとうございます。…あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

「いいけれど」

 

「もしかして、五年前程前に“桜の下”を書かれたあの天才少年作家の夜川瑠璃さんでしょうか?」

 

 

―――桜の下。

五年前の小説現代長編新人賞の選考を勝ち抜き出版された、俺の処女作である本のタイトル。

 

 

「天才とかは置いといて、まあ一応はその本を書いた夜川瑠璃で合ってるよ」

 

「やっぱりそうでしたか。お顔にどこか見覚えがありましたし、お名前を聞いてもしやと思いまして」

 

「……あー、あの当時はメディアとか、その界隈でそれなりに持ち上げれたからなぁ」

 

 

当時。父親が近代文学者の天才と名高い夜川黒曜。

その息子という事でメディアの露出が多く、かなり持ち上げられた事もあった。

 

……そのせいでメディアとか、ミーハーが嫌いになったのだが。

 

 

「あの!私夜川先生の大ファンで、その…サインとかって貰っても大丈夫でしょうか?」

 

「……うん、良いよ」

 

「ありがとうございます!私この本が、世界が大好きで。その、自分と同年代の人がこんな凄い本を書いたんだと知って初めて読んだ時、凄い感動して、ドキドキして。…まるで恋でもしたかの様に」

 

 

恋なんて一度もした事ないんですけどね、と椿坂さんは年相応の笑みを浮かべた。

そう語ってくれる程に、作家としてこの本の事を好きになってくれた事を心より嬉しく思う。

 

 

本棚より見慣れた装丁の本とペンを差し出され、それを受け取り思考する。

……正直、サインなんて書いた事はない。だから自分のサインなんて決まってない。

 

かと言ってファンと言ってくれた子の手前、適当に済ませるのは些か失礼が過ぎる。

 

 

「―――よし、これでいいかな」

 

 

フィーリングに任せて、筆を走らせた。

出来上がったサインは即興とはいえ、自分でも自賛出来る仕上がりだった。

 

 

「わぁ!ありがとうございます、大切にしますね!」

 

 

心から嬉しそうにサインの入った本を抱き締めた。

見ていて本当に文学が好きなんだと、温かい想いで心が満たされる。

 

面と向かってファンであると言われるとむず痒いが、悪い気はしない。

何か一つでも誰かの胸に響くモノを書きたい、それが作家を志した理由だった。

 

 

「……これで一つ、心残りが減りました」

 

 

小さく、本当に小さく、噛み締める様、目の前の少女は儚い笑みを浮かべる。

聞き取れるか否かの声色で発した独り言。けれどそれは瑠璃の耳へと確かに届いた。

 

 

「…椿坂さんは、本が本当に好きなんだね」

 

「はい、大好きです。私って体が弱くてこの病院からあまり外に出た事が無いんです。昔、私に文学の素晴らしさを教えてくれた人が居て、その人の事を師匠って呼んでいたんですけど…師匠のおかげで私の世界は広がったんです」

 

 

本を優しく愛でて、当時を思い起こしながら藍は言葉を綴る。

 

 

「―――文学はとても美しい。こんな小さな紙媒体に書かれた文字の羅列であるのに、そこには確かな世界が色彩を放って広がっている。そうして私に命ある世界の風景を見せてくれる」

 

 

……書き手の数だけ世界があり、読み手の数だけ世界は色を変える。

 

この世に書かれ生まれたあらゆる物語は、筆者の心象から生まれる。

だからこそ、筆者は新たな命の様に優しく抱き、育み、そしてそれが生命となる。

 

その言葉を俺は知っている。

 

 

「そっか。良い人だったんだね、その師匠は」

 

「名前も教えてくれない人だったんですけれど、此処から居なくなる前まで私に良くしてくれた恩人です」

 

 

自分の事の様に語るその姿に、師匠との関係性の良さが伺えた。

 

 

「そういえば、不躾ですみませんが夜川先生はどこか悪いのですか?」

 

「いや、ただ過労で倒れただけだよ。…後、夜川先生って仰々しい呼び方は止めて欲しいな。桜の下以降、俺は満足に作品を書けていないし。そんな柄じゃない」

 

「……えっと、じゃあなんとお呼びすれば?」

 

「瑠璃でいいよ。見た所、歳も近いだろうし」

 

「…瑠璃さん、とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

 

 

おずおずと、不安そうに椿坂さんは名前を呼んだ。

それに応える様に、俺は確かに頷く。

 

 

「じゃあ俺も藍って呼んでもいいかな?」

 

「はい!是非そう呼んで欲しいです。…えへへ、お友達が出来たみたいで嬉しいです」

 

 

藍は向日葵が咲く様に、可愛らしい笑顔を浮かべる。

 

 

「藍が迷惑じゃなければ、友達になろう。俺もあまり友人が多い方じゃないし、文学を語れる子が友達になってくれると嬉しいよ」

 

 

藍に俺は手を差し出す、友好の証の様に。

 

 

「迷惑なんかじゃないです!…凄く、嬉しいです。私はこんな身体なので、小学校にも数える位しか行った事がないんです。瑠璃さんが私にとっての初めてのお友達です」

 

 

藍が手を重ねる。

その手は驚く程に冷たく、そして病的なまでに華奢であった。

 

二人の世界が交差する。

そうして、時間が許す限り互いに言葉を尽くす。互いを知る様に、心に刻み込む様に。

 

 

 

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