「──スーツを貸してほしい?」
リビングでソファに座る兄貴は、そう言ってこちらを見た。
「ああ」
「理由はなんだ」
「ええと……女の理解を深めるため……?」
事前にどう嘘をつくか考えていなかったため、目が泳ぐ。
「はぁ……いつ必要になる」
「今日だな……」
「もっと早く言え。デートならもっと前から分かってんだろ」
「え!?」
ため息を吐きながら兄貴は立ち上がる。
流石兄貴と言うべきか、察しが良すぎる。
「どうして分かったんだよ!?」
「おまえがやけにソワソワしてるからだ」
「へ!?」
オレがソワソワしている?
そんなはずはないと、イノセンテからデートの誘いを受けた日からの行動を振り返る。
「そ、そんな風にしてたか……?」
「ああ」
自覚はないが、兄貴から見てオレはそんな行動をしていたようだ。
なんだかみっともない姿を見られたような感じがして恥ずかしい。
「スーツは用意する。だが……お前に言わなきゃあいけねえことがある」
兄貴はオレの方に歩み寄り、オレの鎖骨の中心あたりを人差し指で突く。
「深入りするんじゃあねえぞ。そいつはいつか敵になるかもしれねえ……敵のスパイだという可能性もある」
「……ああ、分かってるよ」
兄貴と目が合わせられず、下を向いて答える。
──分かっている。分かっているはずなんだ。
──でも、イノセンテがスパイとは思えない……思いたくない。
「どうにもお前は他人に深入りしちまう性分のようだな。それじゃあ、裏切られた時にもたねえぞ」
兄貴はオレの様子を見てため息をつく。
そして少し考えるような素振りを見せた後、「でも」と言葉を続けた。
「いい経験になるかもしれねえ。行ってもいいが、それ以上深入りすんじゃあねえぞ」
「ああ! ありがとな、兄貴」
兄貴は部屋のクローゼットを開け、無数のスーツを取り出す。
「これだ」
そう言って渡されたものは、前回とはまた違った紺色のスーツだった。
兄貴に礼を言って部屋を出る。
そしてその時、あることに気づいた。
「そういえば……場所を聞いてなかった……」
急いで自分の部屋でスーツに着替える。
もしイノセンテが先に待っていたらと思うと、ゆっくりなんてしてられなかった。
その途中で、部屋の扉がノックされた。
「アフェット、入ってもいいか」
「兄貴? 大丈夫だ」
兄貴は部屋に入ってくると、オレに手を出せと言った。
「これは必ず持っておけ」
兄貴に渡されたものは、二枚のハンカチだった。
二枚も何に使うのだろうと思ったが、聞く前に兄貴が部屋を出て行ってしまった。
ハンカチも向かう場所は分からないが、とりあえず前回イノセンテとばったり会った場所に向かうことにした。
「ちくしょー、兄貴ならこんなヘマはしないんだろうな……だからカッコよくてモテるんだろうなぁ〜〜ッッ!」
現地に着いてもイノセンテの姿はなく、嘆きながら壁に手をつく。
「ああ〜〜〜クソ、どうしような……せっかく前の詫びをするチャンスだったのに……」
「あ、いたいた、アフェット!」
肩を叩かれてその方に向くと、汗だくになりながら安堵の笑顔を浮かべるイノセンテがいた。
「ごめん! アタシ、場所伝えてなかったよね? こういうの、あんまり慣れてなくてさ……本当にごめんね」
「いや、オレは大丈夫だけど……お前の方が大丈夫か? 汗だくだぞ」
「はぁ、はぁ……アフェットを探しにここら辺を走ってきたからね! 見つかってよかった〜〜ッ」
彼女は額を必死に拭う。
よく見ると今日はメイクをしているようだが、汗で少し崩れていた。
──なるほど、こういう時に使うものか。
兄貴から貸してもらったハンカチを取り出し、汗でドロドロになったイノセンテの顔を拭いた。
「ちょ、ちょっと、アフェット!? そんな高そうなハンカチで拭かなくても!」
「イノセンテ、メイク道具持ってるか?」
「え? うん、持ってるけど」
「ちょっと貸してくれ」
イノセンテはおずおずとメイク道具が入った小さなポーチを取り出す。
「じっとしてろよ」
前回の任務でメイクという技術に感動し、オレはメイクを趣味として始めた。
人の顔にメイクをするのは初めてだが、なんとかなるだろう。
イノセンテの汗が止まったのを確認して、パウダーでメイクが崩れた部分を馴染ませる……
「意外となんとかなったな。これで大丈夫だ」
そう言うと、彼女は静かに顔を上げた。
「ありがと、惚れ直したよ」
「は、はぁ!? そんな大したことはしてねえよ」
彼女は自分のバッグから鏡を取り出し、自分の顔を見る。
「すごく綺麗。手慣れてるんだね」
「一応、趣味だから……」
そう言いかけてハッと口を閉じる。
イノセンテがオレのことをどう思っているか分からないが、今の風貌でメイクが好きと言うとおかしいと捉えられるかもしれない。
「趣味!?」
そう心配するオレをよそに、イノセンテは話に食いついてきた。
彼女の穢れのない目の輝きに耐えられない。
「……女装、男装の趣味があるんだ」
「ふ〜ん。アフェットって中性的だから、どっちもできるんだ! 素敵だね」
「素敵……素敵、か。ありがとな」
オレはあまり外に出ないが、この土地では「男は男らしく、女は女らしく」というものが一般常識だということは分かる。
だからきっとオレはチームのみんなに認められていても、一般的には異質な存在なのだろう。
それを受け入れてくれるイノセンテは……やはり変わっているようだ。
「じゃあ、今日は色んなメイク道具とか服とか見に行かない? アタシ、そういうの全然分からなくて……教えて欲しいな!」
「ああ、前にもそういうのは苦手だと言ってたな。でも今日はどうして苦手なのに……」
そう言ってメイク道具に視線を向けると、目の前にいる彼女は頬を膨らませた。
「もーう、言わせるんだ? 恥ずかしいなあ」
「ご、ごめん?」
「あははは、いいよいいよ。アフェットらしい。キミとのデートだからだよ」
イノセンテはそう言ってオレに笑いかける。
「深入りするんじゃあねえぞ。そいつはいつか敵になるかもしれねえ……敵のスパイだという可能性もある」
──ギャングなら、暗殺者なら……きっとそう考えるべきなんだ。
しかし、自分にとってイノセンテの存在が大きくなっていくのが分かる。
兄貴のように振る舞うのが正解だと分かっているのに。
──兄貴のようになるには、まだオレは未熟すぎる。
……そう感じた。
イノセンテと話しながら街を歩き、様々なメイク道具を漁り、様々な服を見てお互いの好みを話し合った。
夕方になると、イノセンテは弟のご飯を作るために帰る必要があるらしく、解散する流れになった。
「今日はなんだか不思議なデートだったね。こんなに楽しいのは初めて」
「お? そ、そうなのか?」
少なくとも今日が初めてのデートだったオレよりかは、イノセンテは経験があるはずだ。
それなのに「こんなに楽しいのは初めて」と言われればもちろん嬉しいが、戸惑いもある。
──オレみたいなやつと一緒にいて、本当に楽しかったのか?
そんな疑問を持ってイノセンテの顔を見ると、彼女は初めて会った時のように歯を見せて微笑んでいた。
それを見て安心する。
「アフェットは楽しかった?」
「ああ、楽しかった!」
イノセンテは「よかった」と言って胸に手を当てた。
「じゃあ、次は二週間後の日曜日にまたデートしよう! 集合は今日と同じところ、時間は今日と同じくらい! 大丈夫?」
「大丈夫だ。次も楽しみにしてる」
「アタシも! じゃあまたね!」
彼女は手を振って離れていく。
──イノセンテが悪い奴なわけがない。
彼女の笑顔を見ると、そんな確信が持てた。
「オレも帰るか……」
そう呟いて歩き出そうとした時、違和感に気づいた。
──また……石か?
視界に映った石は、材質や色が前見た時のものと同じだ。
でも、形だけが違った。
何かが掘られている。
「誰かの……顔……?」
近づいてよく見てみる。
そこに掘られていたのは……
「──!?」
銃弾のようなもので額を貫かれた、イノセンテだった。
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