──あれから、どのくらい時間が経ったのだろう。
もう自分が何のためにここに来たのかも忘れた。このままでは必死に保ち続けている正気すら失ってしまいそうだ。
身体中が悲鳴を上げ、力を入れることすら叶わなくなっている。
オレは目の前に立つ男に、本日だけでもう十数回目の許しを求めた。
「も、もう無理だって! もう一ヶ月くらい経ったろ!? そろそろ休ませてくれよ!」
「何言ってんだ、まだ二時間しか経ってねぇぞ」
「んなわけねぇだろッ! 時計を見せて証明しやがれッ!!」
ん、とプロシュートは腕をオレの前に差し出す。彼の手首に巻きつけられた腕時計は、彼の言葉が正しいことを証明していた。
アジトにある個室でみっちり指導され続けて二時間。既にオレの体は限界を迎えていた。
「嘘だろ……」
別に休憩が無いわけではない。
彼らしいと言うべきか、体を壊すような酷いトレーニングではない。
オレにとって苦痛であることに間違いはないのだが、それでも必ず身につくようなトレーニングといった感じだ。
しかし、オレは開始十分で根を上げるくらいには体力がなかった。
喝を入れられ頑張っていたものの、もう体に一切力が入らない。
「思っていたより体力が少ねぇな。
あの時、とは恐らく初めて出会った時のことだ。
自分でもなぜあんな風に動けたのか分からなかったが、彼の言う通りただの生存本能だったのだろう。
「そりゃそうだ。オレ、ずっとろくなモン食ってなかったんだぜ」
「奴隷だから当たり前と言えば当たり前だな」
「あ、でも元主人はオレが栄養失調で死なないようにって多少気遣ってくれてたぞ」
「んなもんは気遣いじゃあねぇだろ」
それはそうかも、と苦笑いしながらチラリと扉を見る。
──出たい。ここから早く出たい。
どうにかして出れないか、と頭を回転させた。スタンドでプロシュートをぶん殴ってでもここから脱出したい。
「おい、てめー今何考えてた?」
「わーッ!! 違う違う、何も考えてねーよ! 悪かった!!」
そうだった、と猛省する。相手はプロの暗殺者。良からぬことを考えればすぐにバレる。
仲間になったとはいえ下手に行動すれば、殺されることもあるかもしれない。
急いで頭を下げる。
「はぁ……仕方ねぇ、その様子じゃ訓練にならなさそうだしな」
「お、終わる、終わるのか!」
その言葉を聞いて安心すると同時にその場に倒れ込み、良かった、助かったと目を閉じる。
「何寝てんだ。立て、買い出しに行くぞ」
「か、買い出し!?」
「帰ったら飯を作るからな」
「飯を作る!?」
オレが驚いている間に、プロシュートは部屋を出てリビングにいるメローネに向かって大きな声を出した。
「おいメローネ、アフェットに足りてない栄養が知りたい。手伝え」
「ちょ、ちょっと待てよ、アイツと話すのはあんまり……!!」
……というオレの言葉は無視され、リビングから出てきたメローネがいいぜ、と部屋に入ってきた。
「少しくらい我慢しろ。確かにコイツは多少変だが、持っている実力や知識は確かだ」
「し、信じるからな……!」
仕方ないと割り切って立ち上がり、メローネと向き合う。
彼は至って真剣な表情をしている。しかし先ほども真剣な表情をしたかと思えば、おかしな質問や舌なめずりをされたので、油断はできない。
「そんなに身構えないでくれ。正しい診断ができなくなるかもしれないだろ?」
「誰のせいだと思ってんだ」
これでもかというくらい嫌味を含ませて言葉を返す。メローネは不服そうな表情を浮かべた。
「少し顔を触らせてくれ」
「……プロシュート、お前を信じるからな」
これで何かされたら責任取れよ、と視線でアピールする。プロシュートは面倒臭そうな顔をした。
オレが体中の力を抜くと、メローネはオレの顔に手を伸ばしてきた。
彼の手はオレの頬を包み込むように掴むと、そのまま親指でオレの下瞼を下に引き伸ばす。
「ああ、ひどい貧血だな」
「お前は医者なのか?」
「いいや、人体について少し勉強しているだけの素人だ」
「素人だと? それは謙虚すぎるんじゃあねぇか?」
プロシュートが口を挟んだ。
彼が言うように、少しという割には慣れた手つきをしている気がする。
「この技能で働いたことはない、素人だ。アフェット、口の中も見せてくれ」
言われるがまま口を開くと、メローネはオレの下瞼を引っ張っていた親指で、次は口の端を引き伸ばして押さえた。
「これは酷いな。歯がほとんどやられてる。痛みは感じないか?」
「ん、どっかおかしいか?
口の中を意識しても、何も違和感はない。
舌で歯を触ってみても痛みを感じるどころか、
「コイツの体はオレたちが思っているよりボロボロだ。特に歯がここまでやられているのに痛みを感じないのはおかしい」
「そうか。神経がやられているのか……それともスタンドによるものか」
またオレの理解が追いつかないうちに話が進んでいく。オレのスタンドは死体を操る能力のはずだ。
「オレ、死んでるのか!? それをスタンドで操ってるとか……」
「いいや、普通は本人が死んだ時点でスタンドも消えるはずだ」
「『普通じゃない事態を引き起こすこと』がスタンドって言ってたじゃねーかよ」
「それでも『死んでも発動し続けるスタンド』なんてモンはオレでも見たことがねぇ。それに、てめーの体温は生きている人間のものに違いねぇぜ」
そう言われ、自分がまだ生きているということに安堵する。
自分の鼓動を感じようとして胸に手を当ててみる。
しかし、体が生きていればあるはずの鼓動が一切感じられなかった。
「う、嘘だろ……心臓、動いてねぇぞ……!」
「お前……」
「生きてねーじゃねーかよ……オレ、死んでんじゃねーか!」
涙ぐみながらプロシュートに向かって叫ぶように訴える。一瞬沈黙の時間が流れ、彼は何も言わずただ咳払いをした。
その後、目の前に立つメローネがオレに言葉を放つ。
「大体の人間は左に心臓があるもんだぜ」
──ん?
思考が止まる。
自分の手元を見てみると、オレが触れていたのは……右胸だった。
恐る恐る、左胸に触れる。
「……生きてるぜ」
「どこかで頭を打ったか?」
メローネはからかう訳でもなく、真面目な顔で言ってきた。
「お前にだけは言われたくねーよ! 馬鹿にすんじゃあねぇ!」
「馬鹿にしたつもりはない。そのおかしな行動に疑問を持っただけだ」
「お前、無自覚で人を煽るタイプの人間かよ」
「あぁ、そう受け取ったのか。悪いな、煽ったつもりはない」
自分がおかしな奴と思っていた人間におかしな奴と判定されてしまい、行き場のない怒りが脳内を駆け巡る。
チーム配属初日にして、既に二回目の痴態だ。
プロシュートがこちらに近づいてきて、オレの頭を小突いた。
「体力よりつけなきゃいけねーモンが見つかったな」
「うっ、うるせー!」
「……お前のスタンドは、本当に『死体を操るだけ』なのか」
「へ?」
彼の言葉に首を傾げるが、彼は「いや、ただの勘だ」と会話を終わらせた。
「それよりもだ。貧血か」
「ああ。歯のことは医者に任せて、まずはそこから治していった方がいいだろう」
メローネはプロシュートに効率良く鉄分が摂れる食材、その調理法を細かく教える。
「メローネ、今日は特別にお前の分も作ってやる。また晩飯をチョコレートバーで済ます気だろ」
「別にそれでいいだろう。オレは前線に出て戦うタイプじゃあない」
「それじゃあいざという時に対応できねぇだろうが。ちょっとはギアッチョを見習え」
プロシュートはオレにしたのと同じように、メローネの頭を小突く。
チーム内の仲は良いようだ。見ているだけでもほっこりする。
「買うモンも決まった。行くぞ」
「はぁ、もうちょっと休みたかったんだけどな」
「甘えてんじゃあねぇ」
その後、オレとプロシュートはアジトを出て買い物に向かった。色とりどりの野菜や果物を見るのは久しぶりだったので、どれも輝いて見えて美味しそうだった。
「うわ、こんな色とりどりの食べ物を見るのは久しぶりだ!」
「今まで何食って生きてたんだ」
「うーん、よくわかんねぇぐちゃぐちゃしたの食ってたぜ!」
「もういい。それ以上話すんじゃあねぇ。食欲が失せちまう」
今まで元主人に食べさせられていたものを説明しようとしたが、遮られてしまった。
買い物を終えた後、買った荷物は二人で半分に分けて持ち帰ることにした。
アジトに戻る道中、夕焼け空を見て足を止める。
「兄貴……」
「あ?」
先を歩いていたプロシュートも足を止め、こちらを振り返った。
「オレ、なんか……昔兄貴って呼んでたヤツがいたような気がする」
「家族か?」
「いいや、他人だ。オレが勝手に兄貴って呼んでたんだ。強くて、かっこよくて、憧れてたのに……名前が思い出せねぇ」
名前だけではなく、声や顔も思い出せない。
でも、オレは確かにその「兄貴」と夕焼け空の下を歩いた。
オレンジ色に染まる海、魚の生臭い匂いは微かに覚えている。なのに大事なところが何一つ思い出せない。
心に穴が開いたような喪失感が襲う。
「忘れた方がいい。大切なものがあればあるほど、傷つくのはお前だ」
「え?」
「オレたちがいる世界は、大切なものを守り通せるほど生易しいところじゃあねぇ」
「お前でも守れなかったのか?」
「……どうだろうな」
そう言って彼は背中を向けて再び歩き出す。
どうやら自分のことを話す気はないようだ。
彼の背中は、広かった。
オレじゃあすぐに潰れてしまうほど、重い何かを背負っているかのような。
それは力強く、気高く、かつてオレが憧れたものに限りなく近かった。
「置いていくぞ」
そう言われ、ハッと我に帰る。前を歩くプロシュートの背中に見惚れてしまっていたようだ。
彼はいつの間にか何歩も前を歩いていた。
オレは彼の背中を追うために走り出した。
更新が遅くなり大変申し訳ございませんでした。
特にメローネの過去や口調、人格に大変苦戦しましたが、個人的にはこんな反応をするんじゃないかなと思いながら描かせていただきました。
次回のお話も近いうちに公開できるよう頑張ります。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。