推シ物語   作:すさ

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推しと嘘吐き 弐

 あそこは関係者以外立ち入り禁止だったろう、出会っていきなりサインを求めるとはなにごとだという明らかな正論めいたものから、存在感が無さすぎるんだよおまえという言いがかりまでこんこんとお叱りを受けた

 そうやって叱られている俺をよそに星野アイがお腹を擦って何事か呟いて笑っているそんな2対1対1の様相があった。地獄だった

 

「わたしが不審者であるというのは撤回して頂きたい……ただ、思い出に浸りたかっただけで」

 

「くふ、はははっ!」

 

 そんな口からでまかせがツボだったらしい。信じられないことに彼女はこの地獄を楽しんでいたようで終いには腹を抱えて笑っていた

 俺はその瞬間多分初めて人を軽蔑したのだった。いやこれヒトか? 自信がなかった。いっそ人の上位存在です、宇宙人ですと言われた方が納得できた。星野なんて苗字してるしなんとか星の姫の設定にぴったりだ

 

「──だ、大体だな!」

 

「わかりました」

 

 だから俺は医者に指を指されたここでビジネスの話に移行することにした

 勿論、アイのサインをしてもらった紙を使った裏で。俺はなれた手つきで契約書の内容を作った

 

「そ、それ使うのか……?」

 

 これ以外何があるというのだ。星野アイについての契約にこれ以上はない。あってたまるか。俺は医者を睨み付けた

 おなかくるしーやめて産まれちゃうとの言葉には付き合わない。この場において悪者は俺だ。それはわかっている。少し強引にいきすぎた。今後は慣れないことはしないようにしたい、と願った

 

「やっつけですが……目を通してくれませんか」

 

 契約書の内容は星野アイの妊娠について俺は一切口外しないということと、今後星野アイとの接触は一切しないということ。あとは甲は乙に従うということ。甲はアイであり、乙は俺だ。そこに三百万支払えと書き加えることも忘れない

 最後に電話番号を添えて鈴木の判子を押せば完成だ

 

「えっと。金を払え、と……? 横暴が過ぎるのでは?」

 

 医者、雨宮吾郎との名札を提げるこの青年の声が明らかに険悪なものになったのがわかった

 若く、優秀な医者なのだろう。この状況で星野アイを快く受け入れていることを含め生半可な勇気ではない。少なくとも、俺には絶対に引き受けられない爆弾だ。きっと善良な人物なのだろうと素直に思う

 

「いや……有りかもしれねェ」

 

 それまた意外なところから声が上がった。アイの付き人らしき男からだった

 

「三百万……それだけか。それだけ金を払えばいいんだな?」

 

 カネ、と聞いて頭が冷えたのだろう。その顔は本来の冷静さを取り戻したような、そんな顔であった

 そんな反応になんだもっと盛ってやればよかった、と俺は思わざるを得ない。多分もう百万くらいはいけた

 

「その方が収まりが着くのではと思ったまでです」

 

 頷いてから心にもないことを溢した

 だが男は救世主ここに見たりと言わんばかりの表情の綻び具合だった。あまりの反応によく考えて整理してみてほしいと思わず願った。願わずにはいられなかった。要は当たり屋が当たって金を払えと言っているだけなのだ。それもそいつはすぐに契約書を持ってきている。これは明らかに異常である

 しかし、ここまで状況を拗らせてしまうと人は考えるのをやめるものだ。異常な状況に誘い込み陥れる罠といえた。恐るべきは人間の感情である。俺は異常な状況においてこそ真の人間性が見えると自負している。疑うか、信じるか。この究極の二択を迫られた時ヒトは──

 

「鈴木さんは役者とか興味ないの? 雇っちゃえば?」

 

 それは鶴の一声だった。腹を抱えて笑っていた時とは比べ物にならない存在感だった

 第三の選択肢を提示できるそいつはいかにも異質でしかしどうしようもなく輝いて見えた

 

「……しかし、わたしは」

 

「暇だよね? そこでぼーっとしてたくらいには」

 

 痛いところを突いてくる。それに呆然自失と言ってほしい

 俺は仮にも妻に先立たれた夫である。怒るふりくらいはできる

 

「それは──」

 

「わかるよ」

 

 それは蠱惑めいた笑み。一瞬にして脳を蕩けさせる瞬間だった。その歳にしては粋すぎた奉仕だった

 まるでどんな愛を求めているのか見透かしているようでいて、おぞましかった。もちろんこれも初めての感覚であった

 

「そんなに……愛してたんだね、奥さんのコト」

 

 閉口。輝く瞳にあてられて。それが眩しくて。ようやく俺の口は閉まった。この身重の少女に更なるストレスを与えるとはなにごとかという義憤にも似た思いが胸を突きあげた。そんな異常事態があった

 この力は、この才覚は、この嘘は、命あってのもの。少女に、少女の中に宿る命になにかあればこの話は終わりであると。いっそその瞬間悟ったかのような錯覚を覚えた

 先立たれた妻が夫の名を騙るものを呪ってきたといわれた方がよかったのかもしれない。荒唐無稽ではあるが理にかなってそうで、いっそ感動的ですらある

 

 残ったのは言い淀んだだけの能もない男の姿だった

 小娘にフォローされて誰がプロだって? プロの仕事という理想が俺の中で崩れていく音がした

 

「この人暇だって。社長」

 

 ばっさりとした物言いがしかし有り難くはあった。俺は結局、少女に指差されてやることにしたのだった

 その少女の笑顔が年相応の子供じみたものだったからかそこで敗北感に苛まれることはなかった

 

 

 

 その後、ヤのつく男改め壱護という男に連れ去られてお返しとばかりに契約を迫られることになった

 バレたのであれば囲い込め。こんな形で看破するヤツは俺以外には現れない。彼女を護る人数は多い方が良い。そんな打算がひしひしと感じられた

 しかし、内容だけ見ればいっそ合理的な契約であるといえた。俺に対する誠意は欠片もなかったがカネはでるので、仮契約という歪な形ではあるが握手を交わした。そういわれてみるとなんだか商談のようだ。命が芽吹く病院の待ち合い室でやることであるかは別として

 

 これは人に話すと意外に思われるだろうが俺は芸能人を相手に仕事をしたのは初である。初めてであるからこその荒削りな仕事だったといえるだろう。しかし、これについてはそれでいいと思ってさえいた

 この業界に関わることは嘘吐きの俺であってすら割りに合わないと感じていたからだ。感じていた、というが予感ではない。ある種の確信があった。実際ろくな目にあってないのだからこの推察もあながち間違ってはなかったということだろう

 

 リスクは承知だった。だからもしも関わるのであれば一回にしようと決めていた

 嘘は一回だけつくのであれば絶大な威力を誇る。どんなホラでも大概は受け入れられる。その筈だった

 

「ああ……助かるよ。鈴木」

 

「病室戻らなくて良いんですか」

 

 良いんだ、と壱護は机に置かれた珈琲缶を手に取り両手で器用に回して眺めていた

 そこだけ見ると分娩を待つ家族に見えなくもなかった。不安にかられるお父さんに見えなくもなかった

 

「おじさんの顔は見飽きたとよ」

 

「……それは気の毒に」

 

「本当に。かわいくねぇ」

 

 言外に俺も来るな呼ばわりされたと思った。そんなやり取りを紡いだか紡がないかは別として俺はこれを皮切りに壱護と仲良くなったのだった

 というよりちょっと愚痴を聞いてやっただけなのだが、これが存外にクリティカルだったようだ。というか医者との面会長くはないだろうか。あれ大丈夫なのか。獲物がクライアントに変わるとこうも見方が違ってきた

 

「──やっぱり本気で壱護さんを避けてるとも思えません」

 

「……そうだといいな」

 

 そもそも俺は聞き上手である。壱護の人のよさは伺えていたし俺は人の懐に飛び込むことを得意としていた。星野アイの破天荒や業界への愚痴を聞く役としてはこれ以上なかったことだろう

 しかし同時にこの一回だけで思ってしまってもいた。これが終わったら綺麗サッパリ名前を消す。もう絶対に業界には近寄らないしこいつらとも関わるまい、と

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