推シ物語   作:すさ

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わたしの大切なもの

 世の中には騙すのを生業にしている職業がある。アイドル、役者、芸人、マジシャン……色々あるな。だが犯罪者は詐欺師だけだ。罰を受けるのは、罪を背負う権利があるのは俺たちだけだ

 なぜそんなことを考えてるかというと、俺は酷く動揺しているからである

 それはビニールの帽子を被ってマスクをして手袋をして、エプロンをしたそんな完全滅菌のこの姿と関係あるものなのだが──

 

「──いたいぃっ、いたいよおっ!」

 

 星野アイの出産だった。予定日よりやや早めに行われたことにより、この場には俺しかいない。アイが先生と慕う医者ですらいない

 こうなる前まではどうしてもといわれてタオルごしではあるが腰をさすってやったりしていた。全く何をしてるんだ俺は。セクハラで訴えられたら負けるぞ。正直、どうしてこうなったという思いがあった

 

「あはっ、鈴木さん。いたい……いたいいたいッあああああっ!」

 

 絶叫だった。そいつは歯を食いしばって綺麗な瞳から止めどなく涙を溢していた

 なぜ俺が立ち会わなければならないのだろう。わけがわからなかった

 というか、なんとかって医者どこいった。アイについてはいっそドロリとした執着すら見せていたあいつどこいった。最初はそいつを呼んでいたらしいのだが──

 

「いたいよぉ……!」

 

 ことこのことにおいて、男というのは無力であるとは本当のことであった。どこが、と聞くことは論外だ。しかし、がんばれ、と応援することすら烏滸がましい

 馬鹿にしやがって。俺は憤慨していたのかもしれなかった。だから、ただその小さく繊細な手を握った

 

「はい力んで!」

 

「んんんっ!」

 

 助産婦とのやり取りは佳境、といえた。汗ばむアイを見て、別にここにいるのは俺じゃなくても良かったはずなのだ、とすら思った

 それこそ夫でも、壱護でもミヤコでもあのメガネ医者畜生でも。俺は暇であるから捕まったに過ぎない。なんとなくそんな気がして来てみれば──いや、流石にそれは自分でも出来すぎてると思うが

 しかし。最終的になんでも握りたいのだとするアイという母親は最終的に俺を選んだ。それはなんだか悪くない気がした

 

「頭が見えてきましたよ!」

 

「もう少しで会えるぞ」

 

 それは、反射的に放った言葉であった

 その言葉を聞いて苦悶に震えるアイがいっそ美しいほど花開いた

 

「はぁ、会える……もう少し出会えるんだぁ……んんっ!」

 

 母親とは偉大だ。俺はいっそ当たり前のことを感じていた

 人は混沌の中でこそ本性を表す。だから、これは俺の、俺自身のちっぽけな感想だった。俺はこの場においてこんなにも小さい存在だった

 

──ふぎゃあっ!ふぎゃあっ!

 

「元気な男の子ですよ!」

 

 とりあえず一人。しかし彼女の肚にはもう一人いる

 俺はため息をついて眉間にシワを刻む。とりあえずアイの額をフェイスタオルで汗を拭ってやった

 使い続けていたから少し湿っていた。頑張った証である

 

「はぁ……はぁ……。ンンッ! やっぱりいたいよ……鈴木さん」

 

 それはそうだ。そう言ってやるのは簡単だ

 赤子もがんばってるのだから。そう言ってやるのも簡単だ。俺はただ見つめて、意味深に頷いてやることしかできなかった

 俺は無力だ。木偶の坊と罵ってくれて構わない

 

「……がんばる」

 

 手はいっそあっちから強く握られるものがあった。その様相たるや。なんだこれはと息をのむものだった

 汗にまみれ笑みを浮かべるアイは美し過ぎた。俺はいっそアイに見蕩れてるんじゃないかとの錯覚すら感じていた

 

──おんぎゃあ! おぎゃあ!

 

 だから、というわけでもないだろうが二人目が産まれたその瞬間は一瞬に思えた

 アイにとっては長かっただろうが、俺にとっては限りなく短い一瞬に思えた。俺はその瞬間多分口を開けていた

 

「かわいい女の子です! よく頑張りましたねぇ!」

「よく頑張ったな」

 

 助産婦と声が被ったのも仕方がなかったといえるだろう

 

「うん……うん!」

 

 赤子二人に挟まれた母親から、いっそ幼さを覗かせるそんな返事だった

 こんなものだろう。俺はそう締めくくった

 

「あっ……」

 

 手を離した。まさか初乳を覗くわけにはいくまい。とんでもないことに巻き込まれたにしては冴えた考えだった

 アイの顔はなぜか寂しそうにも映ったが、そうであったとしてもここは越えられない壁がある。俺は妻に先立たれたのだ。その設定は生きている。というより、アイと付き合う時には意識し続けている。どこかたどたどしい足取りながらも分娩室を後にした

 

 着替えてから俺は分娩室前で座っていた。心此処に在らずである

 命が産まれてくるところに立ち会うという一生に一度もないだろうと思っていたことを体験したツケはそんなものだった

 当たり前かもしれないが予想より凄まじいものだった。同時にいろんな意味でアイを捨てたらしい夫を殴りたくなった。おまえがいない間に立ち会ってやったぞざまぁみろと言って殴りたくなった。俺が地獄に落ちる際には道連れにしてやりたい思いすらあった。とんでもない正気であった。いっそ狂気だった

 母親になる瞬間を見てはなにものも清くなるらしい。それがいつか地獄に落とされる男であったとしても例外はないようだった

 

 そのあと、壱護とその妻らしいミヤコが遅れるように分娩室に入室して。しばらくしてなぜか一度戻って二人して俺に頭をさげつつ入室していった

 混沌が過ぎる。キャパシティーはとうの昔に越えていた。痛くなる頭を抱えるばかりであった

 

 赤子に付けられた名前が愛久愛海 (アクアマリン)、瑠美衣 (ルビー)なんていう名前でもそうなんだと頷いてしまうほどにはやられていた

 というかあのメガネ医者畜生どこいった。あいつがいない、と知ったアイはそれはもう動揺していた。最初からこの場にいない夫よりも憤りを覚えたかもしれない。本気でどこかに蹴り飛ばしてやりたかった

 

 やや早産だったためか赤子が保育器にいったりしたがこれはよくあることだとの説明を受けそんなもんかと思い。俺は病院を立ち去ることにした

 いうなれば潮時ってヤツを感じていた。今すぐ高飛びする準備はある。準備は怠ったことがない。端末を取り出してバッテリーを抜こうかといったその時、その端末が震えた。マナーモードだ

 

「はい。鈴木です」

 

 もはや俺は本当に鈴木なのではないかと錯覚する始末だった

 冗談じゃない。だから、この冗談じゃない状態から逃げたくなった

 

「アイが鈴木さんに電話をかけてあげてと聞かないので、かけてみました」

 

 女性の声。ミヤコだった

 彼女は壱護という芸能事務所社長の夫人でもある。蔑ろにはできないところがあった。いっそ聞こえるようにため息をしてやろうかと思った

 

「アイさんのお陰で踏ん切りつきました。妻がいないことにも──わたしはもうこの街から出るつもりなんです」

 

 適当なことをいって逃げる

 さもなければ、俺は正気を無くしてしまう。もう堪らなかった。それはある種のパニックといえた

 そしてこれには予感めいたものがあった。これ以上関わってはならないという、長年の直感がそう告げていた

 

「……そうですか。なら調度良いかもしれませんね」

 

「んん?」

 

 意味深なことをいってはぐらかそうとしてもそうはいかないぞ。俺は数秒前の俺を平気で棚に上げた

 

「鈴木さん。あなたやっぱり芸能に興味ありませんか?」

 

「いいえ。微塵もありません」

 

 即答であった。これは本当だ

 芸能には例え天地がひっくり返ったとしても関わるまい。俺はもう懲りたぞ。そして一般人相手に騙くらかしていた日々に帰るのだ。各地を転々とする日々に戻るのだ。地獄がいっそ天国にさえ思えた

 

「……アイには?」

 

「は?」

 

 どうしてその名が出てくるのかまるで理解が及ばなかった

 俺はこういう時にもどうしようもなく無力だった

 

「実はうちのアイに多分逃げちゃいそうだから捕まえてきてって頼まれちゃいまして」

 

 真相はそんなものだった。俺を蝶かなんかだと思っているらしい

 とんでもない。俺は蛾だ。火に群がる蛾だ。そんな綺麗なものなどではないのは確かだった

 

「そういわれましても困ってしまいます」

 

 声が震えなかっただけ上等というものだ。ここで焦るのは三流だ。そう。俺は一応付け焼き刃ではあるがプロなのだ。齢十六歳に行動を見透かされているがプロなのだ。頭を回せ。誰しもアイほど聡くはないのだから

 

「あの娘に必要みたいなんです。どうしてかはっきりとそうは言ってくれないんですけれど」

 

 そう言われてしまうとなんだかアイの母親のようで。調子が狂った。というか狂いっぱなしだった

 

「失礼かもしれませんが、意見は変わりません。わたしはもう気持ちの整理が付いてしまった」

 

 存外冷静に告げることができたそれで折れたのか、ふぅとため息をついている

 

「それにアイさんについては口外しませんよ。わたしの口からは絶対に漏れません。天国の妻に誓います」

 

 そうそう。鈴木の口からは広まらんさ。鈴木の口からはな

 いいぞ鈴木。このまま逃げ切ってしまえ。ミヤコなんて置き去りにしてしまえ。自分を鼓舞してなければやってられないところがあった

 

「わかりました。強制という形には致しません。あくまで良かったらという話だと思って頂いて結構です」

 

 ミヤコは妙にへりくだるのだった

 さらに逃げたくなってしまう。俺は天の邪鬼なのかもしれなかった

 

「ほら、あの娘も存外に飽きっぽくてそこまで人に興味を寄せることがなかったものですから──嬉しくて。その、ありがとうございました」

 

 はい、と短く返事して一方的に電話を切った。押してダメなら引いてみる営業の手本のようなものを見せられて。なぜここまで動揺を覚えるのかわからなかった

 こんな筈ではなかったとすら思っていた

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