さて自問自答だ。俺は壱護とミヤ子が経営してるらしい苺プロダクションに興味はあるか? なんとかっていう小町との交流に興味はあるか?
──ノーだ
違う俺の声が聞こえた。寒空の下の心の声だが。それでも胸中に響いた
では鈴木の妻にはどうだろうか。妻は執着してるかもしれない。未だに偶像に執着してるかもしれない
──ノーだ。誰だそいつは。知らん
そいつは俺だが時に辛辣だった
しかし、正気じゃない俺よりは正気ともいえた
ではこれまでの報酬をもって騙されてみるというのは? 交渉によっては或いはもっともっと吹っ掛けることも可能かもしれない
──ノーだ。割りに合わない
学生バイトみたいな賃金だ。それは最もだった。最もといえる判断だった
雨宮とかいう医者には? なにもこのタイミングで行方知れずというのは流石に引っかかる気もしないでもないのでは?
──ノーだ。それをこそ撤退する確固たる理由というものだ
確かに。どうにも胡散臭い
逃げる材料ですらあるな
では星野アイにはどうだろう? 偶像抜きにして、演技抜きにして、剥き出しの星野アイ個人には興味はあるか?
──ノーだ。ロリコンか?
むしろあっちの方から近付いて来ている気がする。人懐っこいのは結構だが業界にロリコンは掃いて捨てるほどいることだろう。捕まらないことを願うばかりだ。捕まったからそうなってるのかもしれないけれど……いや本当に関わり合いたくない。関わり合いたくないなぁ
ううむ……どうあがいても合理的思考をもってここから逃げ出さない理由がない。アイの周りはそれほど胡散臭い。俺は一つため息をついて、しかし、閃いた
アクアとルビー。あの二人はどうするのだろう
容姿は極めて優れて成長するだろう。これは確信があった。そうなればきっと母の背中を追う。不甲斐ない父に復讐を誓ったりもするかもしれない
あの母親ではできないことがある。絶対に。アイは聡いが綺麗じゃないものを綺麗だと真顔で言ってのけるところがある。私ができるんだからできる。そういうところは感じる。天は二物以上も与えた天才といえばそれまでだが、あれは危うい。それに当てられては道を間違えかねない
俺はアクアとルビーのために星野アイを騙し──いわば説得し。必要であれば芸能以外の道をも示す。逃げ道を確保する。そんな無茶とも無謀ともいえることが果たしてできるだろうか?
──イエスだ
自己満足は一瞬で終わり、俺は片手で端末を立ち上げた
ミヤ子にその旨を伝えると早速すぐ来てほしいと言われてしまった
勿論俺はやんわりと断った。疲れてそうだから会いたくないとか最もらしいことをいった気がする。しかし、諦めてくれなかった。アイの辞書にはハイかイエスしかないのかもしれない
これが本当に気が乗らなかった。しかし電話してしまった手前来れませんでした、というのは避けたい。そもそも取引相手だ。俺は部下で彼女が上司。会社員であるならば当たり前にさらされている立場を重んじるってヤツに付き合うことにした
なに。こんなことにも報酬は出るんだ。俺はそれで満足していた
病室に入り軽く壱護とミヤ子に会釈をして。入れ替わるように二人は出ていった
信じられなかった。俺は思わず二人の背中を扉がしまるその瞬間まで目で追ってしまった
「どんな気持ちですか? また不景気な面拝んだ気分は」
ベットの側に設置されている丸イスに腰かけての一言だ。悪態くらいは許してほしかった。しかし言われた当人であるアイは、それでも楽しそうだった
壱護もミヤ子も変な空気を読むなと言いたかった
「鈴木さんは不景気なんかじゃないよ」
そういってわざわざ顔をこちらに向ける。ふぅん、そうやってやるんだ。いっそ感心した
それはそれとして大仕事したんだから寝てろ、と言いたくはあった
「眠れませんか?」
遠巻きに言ってしまってすらあった
ふふ、と彼女は微笑を浮かべて。首を横に振った
「色々がんばったからかな。返って目がさえちゃった」
子供かなにかかと思ったがそういやアイは子供なのだった
うむ。よく頑張ったものだ。しかも二人だろう? すごい。そこは素直に思う
「ねぇねぇ、鈴木さんってなんでわたしに対しても敬語なの?」
おかしなことを言う娘だ。いっそ失礼ですらある娘だ
そんなもの、信用していないからに決まっているだろう
「わたしはあなたのことを全く知りません」
「ウソ」
言うか言わないかでそう言われてしまった
嘘を吐いたつもりは実はなかった。いや、俺の口というのは時に俺ですら気が付かず勝手に嘘を吐くのだが
「知らないなら、変装したわたしを見抜けるわけないから」
「それは──」
そろそろ止めにしないか、とすら思っていた鈴木の設定は擦り続けることになるらしい
そう覚悟していたのだが
「いやわかる。わかるよ。わたしってどうしても目立っちゃうみたいだし」
それは結構なことだ
その才能にあった職に着けてよかったよな。いっそ投げやりな思いにかられた
「でも。どうしても気になって」
「気になる?」
返してやると小さく頷いた
布団の先をつかんで横になる様は小動物に見えなくもなかった
「誰かが好きだったものってそこまで好きになれるものなのかなって」
それは言わば禅門答のようでもあった
そして叶うならばそれを俺に聞くな、と言いたかった
「かわいいは正義です。全人類共通です」
であるから解答は適当なものになっていた
人類って、と大口開いて笑ってくれていた。適当も捨てたもんじゃないな
「それに、大好きだった人が好きだったものってやっぱりそれなりに興味をそそられるものじゃないですか?」
「ん。そうかな……?」
小首を傾げている。今度はつれなかった
バカめ。アイはそうかもしれないが大概の人間そうなんだよとは口には出さない
「それに、これはわたしから見た所感なんですけど」
うん、と彼女は相槌を打ってくれる。きらきらとした瞳を向けて関心を持ってくれている
俺この状況知られたらファンかなんかに刺されるよな……やめよう。いやにリアルな想像をしてしまった
「アイさんにもできてますよ。それは」
「えぇ?」
惚けてるわけでもないらしい。ぽかん、としていた
基礎を一足跳びにするからそうなるんだ。これだから天才は。俺は舌打ちすらしそうになった
「ファンサービス。してるんでしょう?」
「ああ。それはうん。そっか……あれで良いんだね」
片手で口許を隠してしまったアイはいっそ寂しそうにすら映った
どうやら物足りないらしい。ならボランティアにでも参加したら良いんじゃないか。そんなインスタントな考えがよぎる始末だった
ボランティア……一蹴したにしてはありかもしれないが、アイの体は華奢である。労働より踊ることに特化してる言わばアスリートだ。向いてるとは口が裂けても言えない
大体、目立って仕方がないだろうし
「それで良いんです。がっかりする結果かもしれませんが」
「……わたし、がっかりさせちゃったの?」
潤んだ瞳が向けられた。妙な煌めきをもった瞳が向けられた
こいつ……思ってもないことを言いやがって。大人をなんだと思ってるんだ
「がっかり、というよりは残念ですね」
「ザンネン……?」
芸のないおうむ返しだった
おいおいそんなことは俺でも出来るぞ。誰だこいつは。現役スーパーアイドルだ。Bなんとかのセンターだ。そうか、きっと大物になるに違いない
「妻に生きたあなたをもっと見せてやりたかった」
ああ、とアイはいっそつまらなそうに唇を尖らせた
ふふ、してやったりだ。ちょっと大人気なかったかもな
「──奥さん、どんなヒトなの?」
ざくっ、とした。胸を刺された
まずい。妻の設定あまり詰めてなかった──
「随分な変わり者でしたよ。わたしを選ぶくらいには物好きでした」
「物好きって……奥さん可哀想。そんなことないのに」
すごい。なんとかなった。俺は自分で自分がすごいと思った
だから多分、アイの言葉は聞いてない部分があった
「存分に可哀想がってやってください。妻が喜びますから」
「へえ。そんなに愛してくれてたんだ」
多分な
「あなたは目立ちますからね」
「……うん。知ってる」
大した自信だな
いや、事実か。大した事実だよな
「鈴木さん。今日は本当にありがとう」
「いえ」
そういって瞳を閉じるのだからまぁ寝るのだろうとわかった
アイは誰よりも疲れているはずだ。すぐに寝入ってしまうことだろう。俺は席を立とうとした
「ひとりにしないで……」
寝言、だったのかもしれない
なんだか動きにくくなってしまった。こんな時メガネ医者畜生がいればな、と思わずにはいられなかった