それはアイがアイドル活動を続け俺がB小町という名前をようやく把握したとある夜の電話だった
いつもの如くビジネスホテルで就寝しようとしていると端末が震えて開口一番にこう響いたのだ
「鈴木さん。わたし、わかっちゃった。世の中カネなんだね」
自意識過剰の権化たるアイがそんな言葉を溢していたのだった
B小町のメンバーともっと話したいとか、佐藤 (斎藤)社長がわたしに甘すぎるとか、アクアとルビーかわいすぎとかアクアとルビー目に入れても痛くないかもとかやっぱり痛いかもとかのほかにまた何かあったらしい
「どうしたんですか藪から棒に……?」
「うん……がんばってるのに2●万しか貰えないの。これじゃあアクアとルビーを幸せになんかできないよ」
飽きはしない。飽きはしないが……言ってやりたいことは山ほどあった
しかもそんなタイミングでカネの話を俺に対して向けるとは。アイはもしかすると命知らずなのかもしれなかった
「良いですかアイさん。世の中カネです。この世のものはすべてカネで買えます」
「えっ……うん」
ちょっと引いてるなよ。おまえが始めたカネ談義だろう
2●万で何ができるとかは言ってやらないからな。少し付き合ってもらうぞ
「物も買えます。命も買えます。人も買えます。幸せも買えます。夢も買えます。カネはありとあらゆるものの代わりになるんです」
「……。そっか。そんなに買えちゃうなんてびっくりだね」
アイが気を使ってるのがわかった
妻を亡くしてる男がいうと皮肉めいてるのかもな。この方向はやめてやろう
「新曲のオリコンは何位でしたか?」
「え? 二位……二位だった」
電話口の声はさらに沈む
ふむ……同業者に根回しする必要なかったか。多分そんなことしなくても上位はいけたよな。気紛れとはいえ余計なことをしたものだ
「アイドル活動で得たカネはどこへ消えますか?」
「苺プロダクション……あっ。違うよ、鈴木さん。そういうことはされてなくて──」
「知ってます」
苺プロダクションがいかに小さな事務所であろうともアイを蔑ろにするようなことは絶対にあり得ない
これには確信があった。贔屓といえばそれまでだがアイにはそこまでする必要があったのだろう
「じゃあどうしてそんなこと……?」
「アイさんは一人ではないということです」
やや沈黙。言葉を咀嚼するのに時間がかかったのだろう
そうだ。これには皮肉も含まれている
「みなさんで協力しあった結果報酬を分け合っているのですから、アイさんの手元に残るのは物足りないものに思えるのかもしれません」
「そんなようなこと言われた気がするなぁ……」
被ったか。言えるとするとこの程度だからな
俺はあくびを噛み殺しながらアイの言葉を待った
「……アクアとルビーをちゃんとした大人にするためにはこんなんじゃ全然足りないよって思っちゃって」
なるほど。悩みの種はそこか
大変だなぁ。ただでさえ少ないものが三等分されるなんて。身を切る思いだ。俺には絶対に耐えられそうもない
「一人で頑張ることが増えると収益は増えるかもしれませんが。負担は大きくなりそうですね」
「がんばりたいなぁ……」
ふむ。仕事がほしくて堪らないということかな
その気持ちだけはわからなくはない
「時々不安になっちゃって。このままでいいのかなって。二人のためにももっとがんばりたいのに」
「それ、本人達に相談してみて下さい。多分すぐに答えが出ますよ」
確か喋れるらしいし答えてくれるだろう
二人がどんな風に答えるのか興味は尽きないが、これは教えて貰わないのでわからないかもしれない
「それ……なんだか、恐いかも」
アイが本気でそんなこと言っているように聞こえた。へんなところ強情だしなんとなくズレがある。それはわかった
いや、これについては俺が言えた義理はない。彼女がズレた人間なら俺はブレブレ人間である。詐欺師なのだからペラペラ人間かもしれない。風でとんでいくような人間に比べればどんな人間でも上等になってしまうというものだ
「聞いた限りですけどアクアとルビーはどんなアイさんでも受け入れてくれると思いますよ」
「それは……うん。そうかも」
確信していそうだった。気を使う能があるってことなのかもな
案外アイから見た二人が大人だったりするのかもしれない
すごいな最近の赤子は。まぁあまり手のかからない子供っているらしいしそんなものなのかもしれない。いや、正直よく分からないし一生わからないだろうが
「……わたし。ちゃんとしたお母さんになりたいよ」
なってる、というと話が最初に戻りそうなので言わないでおく
しかしこの娘は悩みのレベルがおよそその歳の抱えるものではないから驚きだ。そんなものは大人でも悩むものだろうに。これを乗り越えたいなら相応に時間も必要だろうな
「そういえば、オタ芸する赤子の動画、知ってますか? 癒されますよ」
「ああ、あれがアクアとルビーだよ?」
絶句してしまった。そうか
言われてみれば随分面が良いと思ったんだよな。もっと盛っておくか。動画視聴数
「そうでしたか、そうでしたか。あれは堪らないですね。素直に驚いてしまいましたよ」
「うん……かわいいよね。とっても」
変な間があった
これちゃんとしたお母さんになりたいよ、て言ってるヤツの発言なのか? 俺にはもうわからない。母性ってのは有りすぎても自覚しにくいものなのかもしれないな
「あっそれで思い出した。どうして鈴木さん来てくれなかったの? わたし……ちょっと探しちゃった」
「はっきりと行けないと言っておいたはずですよ。わたしも暇ではないのです」
仕事柄恨まれてるし顔が割れるわけにいかないから公の場には行きたくても行けない。そんな事情は絶対に言えなかった
「もしかしたら、と思って」
「自分がアイさんに嘘を吐けると思ったのですか」
えっと、と叱られる準備をするアイがいた。俺が現在に至るまでアイやその周りに嘘を吐いていることは一先ず置いておくことにした
──アイは俺に叱られるのを待っているところがある。これに気がついたのは最近のことだ。しかしそうとわかってしまうと逆に叱る気も失せていくのだった
「目で探しただけでしょう?」
「そうじゃないかもしれないよ?」
これがいやに粘るのだ。アイのことだからなにも問題はないんだろう。それはわかっている
こいつは偶像だ。見るもの全てを狂わせてこそ偶像だ。誰かを目で追う程度なら自然に出来る。それは造作もないことだろう
「無用心。これで良いですか。今後はないようにして下さいね」
「……はーい」
不完全燃焼、といった様子だった
棒読みとはいえ叱ってやったのだから有り難がってほしい
「なんにせよ、焦ることはないんです。急いてはいけません。歯痒いかもしれませんがね。誰もアイさんに焦ろなんて言ってない筈ですよ」
誰かが焦ろなんて言ってたらどうするのだろうか。俺は
「……うん」
小さく曖昧な返事をされた。もしかすると半分寝ているのかもしれない
最近はそんなことばかりだ。お疲れさまだな
「今よりももっと売れるころには今の時期が懐かしく思うようになるかもしれません。お金も大事ですけど……いや滅茶苦茶大事ですけども」
そうかな、とアイは溢す
そうだよ。おまえほど輝いてる偶像みたことないから。素人目からしても異常だよ
「海外進出も夢じゃない人に言ってもしょうがないかなって思ってしまいますね」
「海外……そっか。英語勉強しなきゃだね」
相変わらず前向きなのか後ろ向きなのかわからんヤツだ
いや、若者特有のものかもしれないなこれは。いいなぁ。青春してるなぁ
「二人とのスキンシップも忘れないであげてください。これはアイさんに限り特別といえますかね」
「……わかった」
ぽつり、と残した。ふむ。こんなところだろうか
こんなところだろうな。俺ができるのは
「……本日もありがとうございました。鈴木さん」
「ええ。お疲れさまでした」
「何度もいうようだけど……みんながハマるわけだね。鈴木さんに」
アイに言われると不思議と褒められてる気がしない
きっと褒めているわけでもないのだろう
「わたしね、鈴木さんって本当にいい人なんだなぁって思ってる。感謝しています」
通話切れした音が妙に耳に残った。一方的に切りやがったらしい
良い人でもなければ感謝される謂れもない。最後にどでかい爆弾落としていったな、あの伸び代しかない娘
0時を過ぎた時計を見てやや頭を痛めながら俺は就寝するのだった