「お疲れ様。鈴木さん」
「はい」
ミヤコがカップを置いてくる。湯気を立ち上らせるコーヒーを一瞥していた
俺はなんとなく苺プロダクションから逃げていてしかし口止め料として報酬はせしめていたのだが一度パソコン操作ができるとバレてしまうと内部に入らざるを得なくなったのだった
まぁなにもしないわけではなかったが暇だったことは確かだ。バレた、というよりはミヤコにメールでバラした側面も強いためこれは別に文句はなかった
「作業効率が上がるとモチベーションもあがるわよね。そう思いません?」
「はい」
姿勢を正しながらキーボードを打つ。デスクの前では基本的にイエスしか言わない
会社の歯車になった機会がないとは言わないが、芸能事務所という場所に対する居心地はとても良いとはいえないところがあった
「……それ片付けたら休んでも良いから。機嫌直して」
どさと書類が上乗せされてから、ぽんと肩に手を置かれる。背筋が凍って俺の世界が止まった
もちろん作業の手も一瞬止まった
腹が立った。もちろんその怒りは仕事にぶつけた
結果的に作業効率がよくなったのはいうまでもなかった
作業が一段落して。別室で涅槃仏のように休んでいるとか弱い存在がてて、と俺の前に現れてちょこんと座った
目を鋭くさせた。ふむ。髪が結んである。こっちはルビーか
「鈴木……おまえかぁ! ママをたぶらかしてる悪いヤツは!」
赤子に指を指された
俺、赤子に指をさされたぞ。堪えたがこれが笑わずにいられなかった
「誰のことかしらないが悪いヤツとは俺のことだ。おじさんはなぁ。とってもとっても悪いヤツなんだぞ。お母さんにもそう言っておけ」
そういって犬歯でも見せてらればどっかいくかもしれない
そう思っての行動だったのだが
「むむ……今さら開き直っても遅いんだからね! この、この……死んだ眼!」
「はっ……くくく、っ」
俺は思わず口元を抑えた。笑わずにはいられなかった
一発で特徴見破りやがった。聞いた通り確かに天才だな
むむむ、とルビーはその小さな顔を一生懸命膨らましていた
「る、ルビー……ダメだろ」
とてとて、ともう一人がやってくる
ああ。こっちがアクアマリン……つまりアクアか。既に目に理性があるように見える。聞いた通り伝説のスーパー赤ちゃんだ
「そんなんじゃダメだ。もっと敗北感を与えないと」
……こいつ赤ちゃんだよな?
目の光が消えているところがあった。錯覚だと思いたかった
「おじさん、将棋持ってきてよ」
「おまえ。将棋が打てるのか!?」
思わず片手で二の腕辺りをつまんでしまう。う、うん。とアクアは頷いた
その歳でか……天上天下唯我独尊並の天才だな
「……やってみろ」
「ふ、ふん。嘗めやがって」
物は試しと俺は立ち上がり誰かの暇潰し用だったのかもしれないマグネット将棋盤を持ってきた
嘗めやがってと聞こえたが赤子を下に見ないで誰を下に見るんだろう
「ぼくの先行で良いよね?」
ニヒルに笑う赤子がいた。俺は胡座をかいて頬杖をつく。赤子の常識が崩れつつあった
もちろん先行は譲った
「3ー4歩」
流石に動かしてあげた。赤子に指摘されるまま将棋盤にコマを並べて打っている俺はまるで道化のようだった
しかしこの赤子、本格的にすごいかもしれん。ちょっと面白くなりそうだな、と予感した
「お兄ちゃん。それ勝ってるの負けてるの!?」
「勝ってるよ。これで詰みだ」
指差した先にある玉はもうどこにも逃げられない
赤子って将棋が得意なんだな。はじめて知った
「負けました」
「いよっしゃー!」
アクアが両手を挙げてド派手にガッツポーズした。後ろ手で頭を掻く。これが赤子に将棋で負けた感覚か。脱力感がすごかった
序盤は手心を加えたところもあった。しかし、まるで目の前の赤子が大人のそれのようだと察してからは本気だった。俺は人類で初かもしれない赤子相手にむきになった男とも言えた
「……賢いな、おまえたち」
俺は今日何度したかわからない感心をした。顎に手を添えて盤面を見る
結局持ち駒はあっちの方が多かった
「お、おじさんがバカなだけだし」
「お、俺は普通に将棋しただけだし」
二人が言い吃る。なるほど。これほど知能が高ければ話をする価値があるかもしれない
俺はひとつ頷いた
「お母さんのこと、どう思っている?」
「ママは神よ! 失礼ね!」
ルビーの即答だった。ふむ。ややこちらの方が純真な気がするな
問題があるとするならこっちだろうな
「アイドルについては?」
「……っ、マッ、ママはアイドルの神なんだから! なんなの!」
ルビーに泣きそうな顔をされた
顔恐いのかな。恐いんだろうな
「正直言って良いか。俺はアイドルが好きなわけではない。いや、芸能という業界全体に疑念を持っている。関わらないで済むんなら関わらない方が良いとさえ思う」
ゆっくりと目を閉じるとそう溢した。芸能業界については勝手にライバル視してるだけであって別に嫌ってるわけではないのだがまぁそれはいいだろう
へぇ、とアクアから声が漏れた
「それは、母さんでもってこと?」
やや険な声色だった
どこかでこんなヤツいたな。どこかで。気のせいだろうが
「いや、俺もアイについては疑ったことはないよ。あいつは下手すると海外にでも脚を伸ばせることだろう。希望するかは別としてな」
アイは世界に通用する。それはわかっていた
この世界で生き残っていれば。生きることが出来さえすればそれも夢ではないだろう
「なぁ、花の命って短いよな?」
「……うん」
目を開けた先にいるルビーが小さく頷いた
良かった。泣かれなかった。泣かれるとミヤコに蹴られそうだからな。一安心だ
「アイドルってのは花に似てる。ずっと出来る訳じゃない。ただでさえ人は必ず枯れていくもんだ。才能も、まぁ顔面も。すべてが枯れていく。そういう生き物なんだ」
「それは……そうかもしれないけど」
アクアは俯いてしまった。初めからそんなに乗り気ではないらしい
実に賢い。俺が負けるだけある
「わたし、わたしはママと共演するんだ! ママと一緒に踊るんだ! そんなの……そんなことない。ママはきっといつまでも──」
こっちの決意は固そうだな
悪いことをしてしまった
「そうか。すまなかった、ルビー。それ誰にも言うなよ。俺も忘れるから」
えっ、とルビーは丸い目をこちらに向ける。俺は赤子に頭を下げていた
未だ純朴で、純真で、純粋にこの世界を生きようとしている。それは否定してはならない。誰にも否定できない
「もしかしたらおまえの夢、叶うかもしれないぞ」
満面の笑みを浮かべてやった。悪魔との契約さながらだな。しかし、この顔。ルビーは本当に芸能の道に進むかもしれない
──まぁ俺が言わなくとも、アイにあてられたらそうもなると言えるが。本人がなりたいのならばしょうがない
「アクア。おまえには夢はなさそうだな」
アクアに無表情を向けるとやや瞠目してからもじもじとしていた
「……。なんとなくはあります」
上等上等。その歳で夢が認識できるのは最早天才という枠を越えている気さえするが
まぁあの出鱈目なヤツの子供なのだからそういうこともあるのだろう
「でも、少し引っ掛かることがあって」
ふむと唸った。どんなことなんだろうな。多分ろくなことじゃないのだろう
でなければ赤子にして死んだみたいな目をすることはないのだから
「そうだな……おまえは人を引っ掛けようとか、嫌がらせしようとか考えないことだな」
「そっ、そんなこと考えるわけ……!」
アクアが立った
……ちゃんと子供っぽいところあるんだな。逆に驚きだ
「ほら見ろ。すぐに顔に出る。将棋持ってこさせたのだってそうだ。あれはダメだろ。すぐにムキになるといえばそれまでだが、おまえは人に嘘を吐いたり人を嫌な気持ちにさせるようには出来ていないのさ」
指差されると顔を真っ赤にしながら座った
……表情豊かだなぁ
「なんか思い違いしているようだから正しておくぞ。俺はそう遠くないうちここを出ることになると思う」
やや小声でそんなことを言ってみた
赤子になに言ってるんだろうな俺は。まぁ赤子相手だからこそ言える本音ではあるが
「えっ……?」
ルビーが俺に顔を向けてきた
そろそろ首と腰が疲れてきた
「言った筈だ。俺は基本的には芸能に良いイメージを持っていないってな。テレビの外からいくらでも応援するよ。お母さんのことも。おまえたちのことも。せいぜい三人キャッキャウフフして仲良く暮らせ」
会社員が板についちまったが俺は詐欺師だ
詐欺師がなにが悲しくて顔割れる恐れのある業界に関係してるのかって話だよな。おかしな話だ
「今は来たばっかりだ。しばらくは我慢してくれ。大人には色々あるのさ。とりあえず、あいつ見なくなったなって思ったらそういうことだと考えてくれ」
アクアとルビーは顔を見合わせている
休憩は終わった。俺はばしりと膝を叩いてから立ち上がるのだった