死亡遊戯の蚊帳の外。 作:死亡遊戯で飯を食う。を読もう
スーパーに行こうかな、とぼくは思った。
なぜかというと、食材を買う為だった。先週もらった報酬は、いくつある借金の返済と、忌々しいことこの上ない白士と古詠の胃袋のなかに消えていってしまった。
だから、いまのぼくは日々をつつましく生活していくには困らないけれど、贅沢なんて月に一度か二度かしかできないという、きわめて微妙な経済状況のなかに置かれていた。
それゆえに、家のポストに近所のスーパーで特売がおこなわれるとの宣伝文句が書かれたチラシが突っ込んであったときは、まさしく天啓が下りてきたのだと感じた。
「じゃがいも安いな……」
シワがよったクシャクシャのちらしを片手に、スーパーまでの道を飛ばしていく。
ぼくが住んでいるアパートの部屋には、築三十年、鉄筋コンクリート共益費込みの家賃三万五千円一〇六号室最寄駅まで十五分という名前をしている。
けれどそこに、スーパーまで徒歩云々分とはちっとも書いていなかった。
なのでぼくはママチャリを漕いでいた。ちなみに買ったものではなく、近所に住む一人暮らしの老婆からありがたく譲ってもらったものだ。元の持ち主が老婆というところからも察せられるように、「そろそろ買い換えたら如何ですか」と幽鬼のエージェントに心配されてしまうほどボロい。一漕ぎするたびに錆びかけたチェーンが嫌な音を立てるし、左のブレーキは半分死んでいる。おとといには、なにもしていないのにサドルが勝手に外れた。けれどいまだに使いつづけているのは、そこそこの愛着が湧いているからだった。
考えごとをしながら漕いでいるうちに、今日の献立は自然と決まった。
カレーだ。
おあつらえ向きに、じゃがいもと人参とタマネギが安くなっている。肉は……豚といいたいところだが、鶏もも肉にしておこう。ルーは勿論甘口だ。
おおまかな方針が決まったところで、スーパーに辿り着いた。駐輪場に自転車を停め、入口にぽつんと鎮座しているアルコールに手を濡らしながら、鼠色の買い物かごとカートをともなって、ぼくは色鮮やかな海に飛び出していった。
とはいっても、買うものはほとんど決まっていたので、あまり目移りすることはない。お菓子コーナー──細かく言えば十数個の飴がまとめてはいった袋が陳列しているコーナーでは、ちょっとの間だけ足を止めたけど、自分がいま贅沢できるような立場ではないことをなんとか思い出し、普段は十袋のところを、五袋買い込む程度で我慢した。
さて、後は肉だけだと、生鮮食品コーナーに向かいかけたその時だった。
くいくい、と裾が弱く引っ張られた。
ぼくは背後の気配に敏感である。というより、職業柄敏感にならざるをえなかった。狙撃中のぼくほど無防備な動物は、きっとこの世にいない。
ばくばく、とやかましい心臓をおさえて振り向く。
そこに立っていたのは──
「奇遇、ですね。お兄さん」
「……本当だね。幽鬼」
白士の弟子のひとりであり、ぼくのお隣さんであり、<ゲーム>の常連プレイヤーである──『幽鬼』だった。
〇
ぼくと幽鬼の住むアパートは一緒のアパートだったので、買い物を終えた後、一緒に帰ることにした。せっかくだからと、ママチャリのカゴに幽鬼が放り込んだ袋からは、大きく長いネギが一本まぬけに飛び出ている。その下に見えるのは、缶詰と調味料の山だ。本格的な料理本ではなく、インターネットの海をただよっているときにたまたま目に入った料理サイトに載ってあった材料を、そのままそっくり真似たような有様だった。
ぼくは正直な感想を口にした。
「よくわかんない組み合わせだね。おままごとしたいの?」
「人の袋の中身を勝手にみるな」
すると幽鬼は冷たい口調で言った。いつもの敬語をかなぐり捨ててる辺り、真面目に怒っているらしい。ぼくは素直に謝ってから、無礼なおこないを働いた代償として、ぼくの袋の中身も見せることにした。
「いや、あの、別におかえしで見せなくてもいいんで──……もしかして今日、カレーですか?」
「うん。じゃがいもとか人参とか、タマネギも安かったから、ちょうどいいかなって。肉じゃがにしようかなと思ったんだけど、グリーンピースが無いと肉じゃがと思えないんだよね」
ぼくがつらつらと答えると、幽鬼はじとっと目を細めた。
「……そういえば、思い出しました。お兄さんって、やけに料理がお上手ですよね。ご飯作り出すといっつもいい匂いしてくるし。ムカつく。手首折りたくなってきた」
「そんな理不尽な」
「冗談です」
それなら真顔は辞めて欲しい。
まるで白士みたいな言い草だった。いや、二人は師匠と弟子なのだから、むしろ似ていて当たり前なのか。それにしたってそんなところまで似せなくてもいいのに。そういえば、今ではすっかり当たり前になったお兄さん呼びも、元々は白士の勧めだったなとぼくは思い出した。
白士、曰く。
こいつ(ぼくのことだ)はお前の兄弟子のようなものだから、まあ取りあえず気軽に兄貴呼びでもしてみるといい──彼女は尊敬できる人物ではあるけれど、だからといって弟子になった覚えは一遍たりとも無かった。
それに、
ぼくが彼女に教えられることなんか、最初からなに一つとしてない。ぼくの殺しと彼女の殺しは、陸に住む生き物と海に棲む生き物と同じぐらい違っているからだ。
だからお兄さん呼びなんかしなくたっていいのに、幽鬼は今日にいたるまで、頑なに「お兄さん」とぼくを呼んでいた。ここまで来ると、もしかしてぼくが知らないだけで彼女と血縁関係があったりするんじゃないかと思うが、以前「妹」と呼んだら激しい嫌悪の視線を向けられたので、たぶん師匠である白士がそう命じたからなのだと思う。
ぼくは頭に湧いてきた白いあくまの幻影を振り払うために、話題を明後日の方向に切り替えることにした。
「それにしても珍しいよね、幽鬼がスーパーに買い物なんて」
「珍しい、ってなんですか」
「だって、ほら。いつもコンビニで済ませてるじゃない」
「私だってスーパーぐらい行きます。ばかにしないでください」
「ばかになんてするもんか。一人暮らしの身で買い出しするなんて、偉い。偉すぎる。今年のノーベル賞は全部きみのものだ」
「……ばかにしてますよね、絶対」
割と本気だったのに、幽鬼はたいそう不服そうに頬を膨らませる。ぼくはどうにか誤解を解こうと思った。彼女とはできる限り仲良くやっていきたい。
しかし、幽鬼は足の回転をどんどん早めて、あっという間に遠ざかっていく。地面を歩くのではなく滑るようにして。ぼくはママチャリを押しながら、あわてて幽鬼の後についていった。
その時、午後の六時になったことをつげるための夕焼け小焼けが、どこからともなく聞こえてきた。
ノイズ混じりのそれを聞くたびに、ぼくは幼い頃のことを思い出そうとしては、やっぱり辞めるというのを繰り返している。両親の顔を思い出そうとすると、やすりがけされるかのようなざらついた苦痛が、脳をはいずり回るからだ。
不愉快、きわまりない。
「──です?」
「……え?」
「大丈夫ですか?」
いつの間にか立ち止まっていたらしい。
幽鬼は、「いきなり止まってどうしたんだろう頭おかしくなったのかな」みたいな目でぼくを見ていた。彼女はいつも、同じような光を宿した眼差しでぼくを見つめてくる。見つめてくれる。ガラスみたいだなと時々思う。
いつまでたっても呆けたままのぼくに、とうとう我慢できなくなったのか。幽鬼は気まずそうに端末を取り出した。
「あの……本当に大丈夫ですか? 救急車、呼びます?」
「いや、大丈夫。ちょっと疲れて、眩暈がね。最近仕事が立て続けにあったせいかも」
ぼくの『仕事』がなんなのか、幽鬼は知っている。だから納得してくれるだろうと思っていたら、とんでもない答えが返ってきた。
「あの」
「どうしたの?」
「お兄さんのおうち、行ってもいいですか?」
ほんとにどうしたの?
〇
鍋のなかで、バターで炒めたじゃがいもと人参とタマネギ、それと鶏もも肉がぷかぷかと浮き沈みを繰り返している。それをお玉ですくって、炊きたての白ご飯にかけてやれば、本日の献立であるカレーは完成する。
いつもと違うのは、用意する皿が二枚ということだ。
「いっぱい食べれる?」
「そこそこには」
ぼくはその言葉を信じることにした。というより、いっぱい食べて欲しかった。幽鬼の身体は枯れ尾花めいた細さをしている。色素の薄い肌と相まって、本当の幽霊のようにどこまでも透けていきそうなぐらいだ。それが<ゲーム>において有利に働く場合もあると知ってはいても、それでも見過ごせないのが人情というものだろう。
そういうわけで、運動部に入っている女子高生が食べそうな量にすることにした。皿にご飯を乗せて、ルーをかける。具材はちょっと多めにしておいた。そうして完成したカレーを、幽鬼の目の前に置いた。ぼくは自分の分を持って、その向かい側に腰を下ろす。
「いただきます」
「いただきます」
声を揃えてから、ぼく達はカレーを食べ始めた。甘口のルーだから、カレー特有の辛さといったものは感じられない。それが逆に具材の持つ甘味を存分に引き立たせていた。
火もよく通っていて、噛み応えも充分にいい。安上がりな具材にしては会心の出来栄えにぼくが頷いていると、一秒たりとも手を休めずにカレーを食べている幽鬼の姿が視界に入った。
「美味しい?」
「ふぉいひいれふ」
「そりゃよかった」
正直なにを言っているのかサッパリだったが、顔を見れば一瞬でわかった。あっという間にからっぽになった皿がぼくの前に差し出される。それを受け取って、ぼくはおかわりを入れにいった。
鍋の前に立って、すこし固まったカレーをかき混ぜながら、ぼくは考えた。
こうやって誰かとご飯を食べるのなんて、いつぶりだろうか──辞めておけばいいいのに、頭のなかのぼくが痛みをこらえながら記憶の引き出しを探ろうとした瞬間、幽鬼が声をかけてきた。
「やめてください」
「へ?」
「その、ヘンな顔」
鍋から顔をあげてみると、幽鬼が不機嫌そうにぼくを睨んでいた。ぼくが誤魔化そうとした時と同じ表情をしていた。
ぼくは顎を手でさすりながら、首を傾げた。
「そんなに変に見えるかな」
「見えますよ。そんな不健康そうな顔されると、不味くなるんですから。せっかくの美味しいご飯が」
「あ、ごめん」
「良いからはやくおかわりください」
「あ、はい」
まるで暴君である。白士だってここまでひどく……いや同じぐらいか。
ぼくは、大人しく命令に従った。詳しいことは自分でもわからなかった。けれど、悪い気はしなかった。たぶん、料理を褒めてくれたからなのだと思う。ぼくは意外と単純なヤツだった。
そして単純だったからこそ、気付いた。もしかして彼女は、ぼくを元気付けようとしているのではないか──と。
「あの、幽鬼」
「それ以上言ったら脊椎へし折りますから」
今度は冗談には聞こえなかったので、ぼくは大人しくカレーを混ぜ続けた。