(さーてとっ、ここからどうすっかな〜)
勢いのまま彼の家に押しかけてしまった私は差し出された砂糖とミルクたっぷりのコーヒーを目の前に座ったまま無言を貫いていた。
今この瞬間だけは彼と同じくらい無口になっているかもしれない。どうしてこんな状況になったかと言うと、それは海よりも深い理由を語らなくてはならない。
ーーーー
「あ! 優太さん! こんばんは〜」
「……斉藤さん、こんばんは」
今日もいつも通り優太さんと会うことができた。いつもより散歩の時間を少し遅らせて、わざと会えるようにしているのを彼は気付いているだろうか。気付いて欲しい気もするし、気付かれたらそれはそれで恥ずかしいという複雑な気持ちを抱えながらいつものように声をかける。
「いっしょに帰りましょ♪」
「……えぇ、いいですよ」
この会話を交わすのも、もう何度目になるだろうか。私が一緒に帰ろうと提案し、それを彼は何事も無いように了承する。いつもいつも、つい恥ずかしさで顔を赤くしてしまうが、彼は私の体調を心配してくれる。
「……調子はもう大丈夫ですか?」
「あっ! ええっと、はい! もう大丈夫です!」
「……そうですか」
彼はいつもそれ以上追求して来ることは無い。私が大丈夫と言えば、納得してまた前を向く。最初に比べて誤魔化し方が段々と下手になっていることを自覚するも、見て見ぬふりをしてくれているであろつ彼に甘え続けている。
「そんなことより、優太さんってLIME使ってるのにスタンプとか全然使わないんですね」
「……斉藤さんが送っている絵柄のことですか。使うタイミングが、そもそも使い方も分からないですし」
「そうなんですか? それなら私が教えてあげますよ!」
ごく自然に、話題を完璧にすり替えた私は彼のスマホを受け取った。
いつも文面は文字のみ、一言の返事や挨拶しか返信が来ないため逆に新鮮味を感じるが、もうちょっと彩りがあってもいいのでは無いかと思う。デフォルトで入っているスタンプくらいは使い方を教えてあげようと、アプリを開いた時だった。
私の目に飛び込んでくる複数の名前。勝手に交友関係を覗いてしまっているという後ろめたさはすぐに消えうせ、そこに表示される名前に釘付けになる。
「……? どうかしましたか?」
急に動かなくなった私を心配して、彼が声をかけてくれる。ただ、今はそんなことよりも重要なことがあるのだ。
「……リンとなでしこちゃんは分かるよ、でもなんで犬山さんや大垣さんの名前があるの?」
「……いえ、前回知り合った際にせっかくだからと交換したのですが」
「あと、ユリさんって誰?」
「……それは職場の先輩で」
「そうなんだ」
リンやなでしこちゃんからは、優太さんにキャンプ場で知り合った経緯があるため理解はできる。
しかしなぜ他の野クルメンバーの名前があるの。前回知り合った際にせっかくだから? 私なんて数ヶ月も連絡取れない状況で、また会えるかどうかすら分からない時間を過ごしたというのに。それはちょっと卑怯なんじゃないかな?? ぽっと出の子達に優太さんをかっさらわれてしまうという恐怖感に襲われる。
それに謎の女性ユリさん。プロフィール写真から、優太さんより年上のように見える茶髪の綺麗なお姉さん。職場の先輩? それなら仕方ないかもしれないけど……。いや、やっぱり許せない。
一通り目を通した私はある思考に囚われる。
(このままじゃ先を越されるかもしれない)
今まで感じたことの無い感情に支配された私は、今まで出したことの無い自分でも驚く程低い声が口から飛び出す。
「優太さん」
「……はい」
「家、行って良いですか?」
「……はい?」
「良いですか?」
「……はい」
有無を言わせぬ私の雰囲気に、彼は少したじろぎながらも了承するのだった。
ーーーー
というのが今に至るまでの事の顛末だ。振り返ってみれば特に深くは無かったかもしれない。湯気が立ちのぼるマグカップに口をつけて心を落ち着かせる。
(何となく想像はしてたけど、綺麗な部屋だなぁ)
綺麗と言うより酷くこざっぱりとした、言い換えれば生活感のない部屋をぐるりと見渡す。
すると目に入った冷蔵庫に献立表が一枚だけ貼られていることに気付く。可愛らしい文字で書かれたそれを見て、また何か黒い感情が湧き出てくるのを感じるが必死に押さえつける。
「あの献立表可愛らしいですね」
「……えぇ」
「もしかして、彼女さんのものだったりします?」
「……いえ、母が残してくれた物です」
押さえきれなかったよ。まるで浮気を咎めるように追求した私の言葉に、彼はゆっくりと答える。それを聞いて安堵に包まれた私は、もう少し余裕を持って彼と会話することが出来そうだ。気を取り直して家族の話題を振ってみる。話を広げるネタとしてはちょっとありきたりかもしれないけど。
「お母さんはどんな方なんですか?」
「……とても優しくて、笑顔が綺麗な人でした」
へぇ、どんな人なんだろう、一度会ってみたいなぁ。優太さんが綺麗な顔をしてるから、多分お母さんに似たのかもしれない。
あれ? 何かが引っかかる。
「? でした?」
何気なく呟いた私の台詞に、彼は少し考えて意を決したようにそれを口にした。
「……えぇ、両親は私が小学生の頃に交通事故で既に他界しています。」
「え……」
私は後悔した。軽々しい雰囲気で彼の、恐らく最も触れてほしくないところに足を踏み入れてしまった。まるで自分の事しか考えていなかったさっきまでの私を酷く恥じた。
先程まで浮かれていた思考が急激に冷えていく。早く、謝らなくては。
「ご、ごめんなさい!」
「良いんです」
頭を下げる私にかけられた言葉は、とてもハッキリとしていた。いつものようにワンテンポ遅れた返事ではなく、いやむしろ食い気味の返事だったかもしれない。恐る恐る顔を上げた私を見つめる彼は、やはりいつもとは違っていた。
「斉藤さんには、聞いて欲しいと思っていたのかも知れません、私の事を」
そう言い放った彼の顔は、一本筋の通ったような力強さがあった。最初に会った時のような儚げな雰囲気はもう彼には無かった。
「……聞かせてください」
初めて彼の方から歩み寄ってくれたような気がした私は、先程までの後ろめたさを頭の隅に追いやり彼の話を聞くことにした。
それから彼は彼自身の身の上話を話してくれた。両親が他界してから感情を表に出すのが苦手になったこと、祖父母に引き取られ両親の故郷である山梨の大学に入学してからもそれは変わらなかったこと、キャンプは両親との思い出をなぞるために行っていること。
これらの事実をつらつらと些事であるように語った彼を見ると、私の胸が強く締め付けられた。
「……優太さんは、そんな過去があったのに、私やリン、なでしこちゃんたちに優しく接してくれていたんですね。辛い気持ちや、悲しい気持ちをずっと表に出せず、一人で過ごしてきたんですね」
「両親に最期、しっかり生きろと言われましたので」
彼の両親はきっとそんなつもりで言った訳では無いのだろう。苦しみ、辛さ、悲しさを全て自分の中に押し込んで、他の人に迷惑をかけないようにその感情に蓋をした。最期の言葉は、まるで呪いのように彼のことを縛り付けている。
「……話してくれて、ありがとうございます」
「……いぇ、私が話したかったから話したんです。そんな顔をしないでください、斉藤さん」
「恵那」
「?」
「恵那って、呼んでください」
私が、彼を支えるんだ。両親の事をずっと忘れないのは絶対に悪いことじゃない。それでも、ずっと囚われていることは、きっと間違っている。
そう決心した私は自分のことを名前で呼ぶように彼に求める。もっと近く、彼の傍に居たい。そんな気持ちの発露だった。
「……わかりました、恵那さん」
困ったような微笑を浮かべた彼の顔はやはり美しかった。お互いにすっかり冷えきったマグカップの中身を煽り、さっきまでの重たい雰囲気を霧散させる。
「……なんだか話し込んでいたらお腹がすきましたね、もし良かったら夕飯食べていきますか?」
「え! いいんですか!」
「さっき斉藤……恵那さんが気になっていた献立表通りですけど」
「今から作るんですよね? 私も手伝います!」
彼の後ろをアヒルの子のように連れられキッチンに入った私は改めて献立表を覗き込む。
朝
パン ハムエッグ コーヒー
昼
ツナサラダ
夜
サバの塩焼き 味噌汁 ご飯 きゅうりの浅漬け
なんて事ない普通の献立表。丸い文字で書かれたその紙は随分と年季の入っている様子が伺えた。とりあえず味噌汁から取り掛かろうかとおもむろに冷蔵庫を開く。
(えっ……なにこれ)
一見なんの変哲もない普通の内容、それでも私は違和感を感じずにはいられなかった。
卵がいくつか、サバの切り身が数切れ、使いかけの味噌のパックが一つ、恐らくきゅうりの浅漬けだろう瓶詰めが一つ。
以上だ。
そう、それだけだった。それ以外に余分なものは一切置かれていない。何となく嫌な予感がした私は彼に恐る恐る問いかける。間違っていれば私の早とちりで済む、だから当たらないでと願いながらゆっくりと振り返る。
「……優太さん」
「……はい?」
「もしかしてこの献立表以外の物は食べていないんですか?」
「……」
「どうなんですか?」
「……そう、かもしれません」
当たりだ。
「いや嘘でしょう?! 優太さん今大学2年生だよね?! ここに越して来てから今までまったく同じものしか食べてこなかったの?!」
「……」
信じたくはなかったが、目を逸らす彼に嫌でも現実を叩きつけられる。私の悪い予感は当たってしまったようだ。成人男性が毎日同じ食事をずっと食べ続ける事を正常だとは思えない。自由を極端に制限されているであろう、囚人ですら恐らく違うものを食べているだろう。
「……同じものを食べている時は、両親を感じられる気がして」
「それにしても限度があるよ?!」
絞り出した言い訳は彼も苦しいと分かっているようで、反論されることも無かった。思わず声を荒らげてしまったが、今のままではいけない。とりあえず現状を変えなくては。
「今度私の家でご飯食べよ、約束」
「……えぇ、わかりました」
指切りをしたのは小学生以来だろうか。それでも、小指を通じて彼との繋がりを感じられるようで、嬉しかった。
ようやく打ち明けられました。良かったね。区切りに向けて着々と進めている気がします。埋める外堀が無いなら作れば良かろうなのだ。皆様からの感想、評価、本当に力を貰えています。これからも頑張ります!