カーテンの隙間から差し込む朝日で目が覚める。
隣には、最愛の人が小さな寝息を立てながら眠っていた。昨晩の出来事ですっかり疲れてしまったのか、日が出てからかなり経っているだろうが、目を覚ます気配は無い。
僅かな倦怠感と体のベタつきで現実へと引き戻された僕は、恵那を起こさないようにゆっくりとベッドから抜け出す。
静かに給湯器のスイッチを押し、シャワールームへと向かう。体のそこらじゅうに着いたものを頭から順番に洗い流す。
全身を洗い終えタオルで体を拭いていると、ふと、昨日の出来事が全て夢だったのではないかという不安に襲われる。
恐る恐る廊下から顔を覗かせると、そこにはさっきと変わらず、すやすやと眠っている恵那が居た。
「ん……うぅん…………」
隣にあるはずの温もりが消えてしばらく経ったからだろうか、何かを探すように手を彷徨わせる恵那。思わず彼女の手を取ると、長いまつ毛を携えた瞼をゆっくりと開く。
「……優太……おはよぉ」
「あぁ、おはよう、恵那」
「よかったぁ……夢じゃなかった……」
存在を確かめるように、彼女は僕の手のひらをしっかりと握る。
「ほら、僕は朝食を作るから、シャワー浴びておいで」
「……一緒に入りたかったぁ」
「それはまた今度ね」
「はぁい……」
ベッドから眠気まなこを擦りながら起き上がると、着替えを適当に見繕った彼女はおぼつかない足取りでフラフラとシャワールームへと消えていった。
「……さて、と」
無事に彼女が行った様子を見届けると、まずは部屋の掃除から始める。匂いの籠った室内を換気するために窓を開ける。春の新鮮な空気を取り入れつつ、ティッシュ等が入ったゴミ箱を新しい袋と交換し、その後はベッドシーツを上から丸々ひっぺがしていく。特に汚れが多かった1番上のシーツだけ、ビニール袋で包みしっかりと口を縛る。
その他はとりあえず畳んで、ビニール袋と共にベランダへと追いやる。
(洗濯は恵那が帰ってからで良いかな)
とりあえず雑な後処理を済ませると、ケーキを平らげてそのままになっていたテーブルを片付け、コーヒーと小さなサンドイッチを作って置く。
「お風呂いただきましたぁ」
丁度全ての準備が整うとまるでタイミングを見計らっていたように、廊下から気の抜ける声を出しながら恵那がやってくる。
「はーい、朝食ならもう出来て……」
時が、止まった。
「ふふ、どう? 彼シャツ〜 ♪ 」
振り返るとそこには、僕の普段着ていた膝丈のスウェットと薄手のシャツを身にまとった恵那が立っていた。
「そ、その服は」
「下着はちゃんと持ってきたんだけど、着替え持ってくるの“だけ”忘れちゃってさぁ」
限りなく棒読みで告げられた彼女のセリフから察するに、こうすることは予め決められていたらしい。
「それで、どうかな?」
「……うん、言葉に出来ないくらい可愛い」
「ふふ〜ん ♪ 」
モデルのようにくるりと回って、彼女は僕に全身を見せつける。本来なら色気も何も無いはずの、唯の男物のスウェットとシャツがここまで扇情的になる物なのだろうか。
上に着ているシャツは、オーバーサイズだと言うのに彼女の女性らしい膨らみを感じることが出来る。そしてスウェットからは彼女の健康的な白い足がすらりと伸びており、その美しさをまざまざと見せつけている。
「なぁに優太、恥ずかしいの?」
「……まぁね」
「昨日は私のぜんぶを見たのに♡」
「それとこれとはまた話が違うんだよ」
「そっかぁ ♪ よいしょっと」
僕の反応に満足したようで、可愛らしいどや顔を浮かべる恵那はゆっくりとテーブルの前に腰を下ろす。僕も彼女の横に座ると、自分と同じシャンプーを使っているはずなのに、やけに良い匂いが隣から漂ってくる。
二人で肩を寄せ合いながら、小さな机に乗せられた朝食に手をつける。
ぴったりと合わせられたお互いの肩は、マグカップに注がれたコーヒーが尽きるまで、離れることは無かった。
ーーーー
「忘れ物は無いか?」
「あってもまたすぐ取りに来れるからいいでショ」
「まぁそうだけど、一応ね」
もう時刻は昼前、朝帰りを通り越して随分とゆっくりしてしまった。流石にシャツとハーフパンツで帰らせる訳にはいかなかったので、彼女に長ズボンとジャケットも貸すことにした。だぼだぼとしたサイズ感だったが、もう多分僕は彼女が何を着ようと可愛いと思ってしまう病に侵されてしまったようだ。
優太の匂いがするぅ と、服を着せる度に匂いを嗅がれるのは少しむず痒かったが、すんすんと鼻を鳴らす彼女を見ていると、まるで子犬だな、なんて感想が湧いてくる。
最後に荷物を全て持ったことを確認すると、二人で玄関をくぐる。
「今日もいい天気だねぇ〜 ♪ 」
「だんだん寒い日を感じる事も少なくなってきたしね」
僅か十分程の帰り道だったが、彼女はとても楽しそうに、着替えと制服が入っている紙袋をゆらゆらと揺らしていた。
未だ昨晩のの影響が残っているのか、彼女は若干の歩き辛さを感じているようで、その足取りは少しおぼつかない。
それでも、繋がれた手に安心して身を任せているようで、恵那の温もりがじんわりと伝わってくる。
「あ、そうだ。野クルのみんなと卒業旅行に行こうって話になってるんだけど、優太さんも是非一緒に来て欲しいってみんな言ってたよ?」
「そうだったのか、でもいいの? 恵那たちの卒業旅行なんだろ、僕が行ったら邪魔じゃないかな」
「そんなことないよ! もう優太もみんなの一員なんだから。……それに、前回の伊豆旅行も楽しかったけど、やっぱり優太が居ないと寂しいよ……」
「そんな顔しないで、分かった、是非ご一緒させてもらおう」
「っ! ほんとに! やったぁ!」
しゅんとした顔から一変、太陽のような満面の笑みを浮かべた彼女はもう我慢出来ないと僕の腕に抱きつく。
「ありがとぉ、優太 ♪ 」
「どういたしまして」
じんわりと汗をかくほどの温かさを腕に感じながら、ゆっくりと斉藤家に向かって僕らは足を進めるのだった。
「わざわざ恵那を送ってくれてありがとうね優太くん」
「いえいえ、そんな」
今日は卒業式の翌日。平日ということもあり旦那さんは仕事で家を開けていたため、奥さんが出迎えてくれた。
正直前日に致した事実を含め、直ぐにまた斉藤夫妻と会うのは少し気まずかった為、若干の安堵を覚えたのは内緒である。
奥さんは恵那の服装といつもと少し違う様子を見て何かを察したようだったが、特に言及することなく迎えてくれた。
「それでは、僕はこれで」
「あらあら、もう帰っちゃうの? もう少しゆっくりして行ったらどう?」
「ありがとうございます。お言葉に甘えたいところではありますが、僕はこの後少し用事がありまして」
「そらなら仕方ないわね。また何時でもいらっしゃい」
「はい、またの機会によろしくお願いします。それじゃ、恵那、またね」
「うん ♪ また連絡するね」
「ちくわも、またね」
「ワンッ!」
いつの間にか隣へやって来ていたちくわの頭を軽く撫でると、僕は斉藤家に別れを告げる。
爽やかな春の風が吹き抜ける道を歩いて、自分の住処へと戻っていく。
(とりあえず、洗濯からだな)
祖父母と両親へ報告をしに行く前に、目の前の仕事に意識を向けるのだった。
ーーーー
「優太、ねぇ」
「……なにさ、お母さん」
「なんでも〜」
何か言いたげなお母さんをやり過ごし、洗濯物をカゴに放り込むと自分の部屋へと戻る。
まだ現実感が薄い。それでも、そうしようと思えば昨日のことは鮮明に思い出せる。昨日、ついに私たちは一線を超えたのだ。
私は大好きな人の匂いに包まれながら、一緒に部屋へやってきたちくわを膝に乗せてしみじみと回想を続ける。
(優太、かっこよかったなぁ)
どこかぽわぽわとしているご主人様に疑問を抱くも、ちくわは撫でてくれるなら今は良いだろうと大人しくしている。
彼女が纏っている匂いはいつものご主人様とは違っていたが、嫌いでは無い、むしろ好きな匂いだったので特に不満も無かった。
「あれは完全に、そうよねぇ」
一方こちらにも一人、一階のリビングで考えを巡らせている女性が居た。
「……子の成長は思うよりも早いものね」
お茶をすすりながら、嬉しさと、ほんの少しの寂しさを混ぜた表情を浮かべている。
電源の入ったテレビからは、今年の桜前線の予想が静かに流れ続けていた。
山梨の開花は、例年より数日早めにやってくるらしい。
幕間引き続き投稿です。昨晩の様子が気になった方は、R18版をご覧下さい。次回は卒業旅行編でお会いしましょう。