「いらっしゃい、ほら入りなさい」
「お邪魔します」
軽い挨拶を交わすと、僕は各務原家の玄関をまたぐ。
リビングで寛いでいた各務原夫妻に挨拶をすると、直接桜さんの部屋へと向かう。突然彼女に呼び出された僕だったが、色々とお世話になった身でもあるため断る選択肢は無かった。
以前、お互い原付の旅という番組という話題で意気投合したこともあり、今日は夜通しでその鑑賞会をする予定なのだ。
もちろん、恵那にもちゃんと話は通してある。
彼女が居る身として、歳の近い女性の家に行くというのは少し気が引けたが、各務原家ということもありそんなに心配は無いとのことだ。
ただ、その話をしてから暫く僕から離れなかった彼女を見るに、何も感じていない訳では無いのだろう。寂しさか嫉妬か、恵那から向けられる感情はそれらが入り交じったものだった。
まぁ小一時間ほど抱き合っていたら、彼女の気も済んだようなので良かった。
「……浮気は許さないからね」
なんてことを最後に言う恵那が、いじらしくて更に愛おしく感じた。ジトっとした眼差しを向けられながらも、僕の笑顔が崩れることは無い。ちゃんと約束をして、彼女をそっと抱き寄せると、安心させるように暫くそのままでいるのだった。
さて、改めて現実に思考を戻すと、そこは桜さんの自室であった。綺麗に整頓された部屋は、シックな雰囲気を感じるインテリアで構成されている。部屋の中央にはテーブルとモニターが置かれており、今日の鑑賞会のために万全の準備がされていた。
「今日はとことん付き合ってもらうわね」
「頑張ります」
「とりあえず、流石に一晩じゃ全シリーズ見るのは物理的に不可能。ということで、今日は西日本と東日本の二シリーズでいくわよ」
「……それって何話ありましたっけ」
「二十五話」
即答しながら飲み物を注ぐ桜さん。なんてこと無いように言い放った彼女だったが、今は夕方の七時、一話約二十五分構成なので単純計算で約十時間半、休憩も含めると終わるのは確実に朝になるだろう。
「……頑張ります」
「ええ、頑張りなさい」
差し出されたマグカップにはコーヒーが注がれていた。後ろに置いてあるクーラーボックスの中身も気になるところではあるが、とりあえず貰ったものに感謝を述べつつ腰を下ろす。
「そういえば各務原さん、いえ、なでしこさんは今日はどちらに?」
「ソロキャンしに行ってるわ」
「彼女もなかなか逞しいですね」
「いつまで経ってもおっちょこちょいは治らないから心配は絶えないけどね。まぁあの子ももう高校を卒業したし、私も就職するからいつまでも一緒って訳にもいかないのよね」
彼女は寂しさと誇らしさを混ぜたような表情を見せる。少ししんみりとした空気になってしまったが、DVDのパッケージを開くと一気に気分を切り替える。
「さぁて、早速前半戦行くわよ」
モニターに繋がれたDVDプレイヤーにディスクを挿入する桜さん。ワクワクと肩を揺らす彼女を横目にコーヒーを啜る。吸い込まれて行ったディスクが読み込まれ、今まで黒しか写していなかったモニターに光が灯る。
リマスターしているとはいえ、映像自体は約二十年前のものだ。懐かしいアナログ放送のアスペクト比が映し出される。今では舞台、俳優業から番組MCに至るまで多岐に渡り活躍している出演者も、この時はまだ北海道で舞台役者の傍らタレント業をしていたのだ。
アフロの髪型をしたこの時の彼は、今の僕とほぼ同じ歳なのに、年上の出演者やディレクターとの子気味良い掛け合いをしている。仕事仲間ではなく、まるでただの友人のように悪態をついたり冗談を言ったりする姿はとても心地の良いものだった。
「何度観てもこの頃は若いわねぇ」
「エネルギーに溢れてますよね」
「そうなのよ! 今の彼らも素敵なんだけど、昔みたいな無茶な企画は立場的にも体力的にも出来ないじゃない。だからこそ、過去の思い出が余計輝いて見えるのよね。原付で日本縦断よ? 酒の席での思い付きで出たレベルの無茶な案を実行してしまう行動力、ただ道を往くだけでなくしっかり視聴者を楽しませてくれるトーク力、どこをとっても非の打ち所が無いわね。さらにーー」
(……何やら彼女に火をつけてしまったようだ)
彼女の放った言葉に何気なく相槌を返すと、思った百倍の返事が帰ってきた。如何にこの番組が面白いかという内容を永遠と語り続けているが、それをする桜さんの視線は画面から一切離れない。
ようやく東京での企画説明が終わり、小言を言いながらも画面の中の彼らは原付に跨り、札幌というゴールを目指し走り始めた。これまた同じくらい人気のシリーズであるサイコロの旅に比べれば、まだ確実にゴールへ向かうことができるため、そういう面においてはまだマシかもしれない。
しかし、彼らの身に降りかかる苦労や災難を考えると、まだ元気な姿が何時まで持つのか楽しみになる。
ーーーー
……どれだけの時間が経っただろうか。時計の針が深夜三時半を指している。東日本編が終わり休憩を挟んで、西日本編へと移行した暫く経った我々だったが未だモニターにかじりついていた。
番組の内容はもちろん面白い。かの有名なだるま屋ウィリー事件が写った際には、柄にもなく二人ではしゃいでしまった。時折挟まれる桜さんの豆知識、もとい原付の旅雑学もダレずに長時間見ていられる要素の一つでもあった。
ただ、如何に面白い番組でも、肉体的な疲労が無視される訳では無い。長時間同じ体制で座っていると当然体は固まってくるし、普段は日をまたぐ前に床についている僕は睡魔に何とか抗いながら視聴を続けていた。
いつしか飲み物はコーヒーからエナジードリンクへと変わり、カフェインの暴力でなんとか瞼を開いたままにしている。
(……桜さんは大丈夫だろうか)
チラリと横を見ると、そこには視聴を始めた時と何ら変わらない楽しそうな表情の桜さんが居た。普段から夜更かしをする事があるのだろうか、彼女の目は未だ爛々と輝いており、数多ある名シーンを一つも見逃すまいと画面に釘付けになっていた。
後半も後半に差し掛かっており、残り数話となった時にふと彼女に話しかけられる。
「優太くんさ、今幸せ?」
「眠気に抗う状態を幸せというならそうかもしれません」
「そうじゃなくて、さ」
「?」
何か意味ありげな事を言う彼女に顔を向けると、先程まで画面を食い入るように見つめていた瞳と目が合う。
「最初会った頃の優太くんは、なんだか放っておけない雰囲気を纏ってたから。ふっとどこかに消えてしまいそうな、そんな感じ。今日呼んだのも、あなたがちゃんと生きてるか確認する為でもあったのよ」
「確かに、桜さんが卒業してから会うことも無くなりましたもんね。でも、以前会った時にも僕の雰囲気が変わったって言ってましたよね、そんなに心配でした?」
「最初の頃を知ってる私からしたら、またいつあんな様子になってしまうか分からないと思って。年上の先輩、お姉さんとして心配してんのよ。……まぁ、今のあんたの表情見れば杞憂だったわね」
そう言うと彼女は、再び画面へと視線を移した。
「彼女できたらしいわね、おめでとう」
「え、あ、はい、ありがとうございます」
「大事にしなさいよ」
「勿論ですよ、気にかけて下さってありがとうございます」
「良いのよ、別に」
眠気まなこを擦りながら、僕も同じように画面へと視線を向ける。姉というものは、お節介ながらも優しいものなのだろう。まるで本物の姉のような優しさに触れた僕は、少し笑顔を浮かべながら画面の中の旅を見届ける。
もう、ゴールは近い。
ーーーー
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
「どうする? このままここで寝てく?」
「いえ、流石にそこまでお世話になる訳にはいきませんので」
「あらそう。なら、気をつけて帰るのよ」
「ありがとうございました」
朝の五時半。のべ十数時間に及ぶ原付の旅鑑賞会は、朝日と共に終わりを迎えた。テーブルの上を片付け終えると、彼女からここで寝るかという提案をされた。ただ、これ以上は流石に恵那の機嫌を損ねてしまうだろうと予想した僕は、疲れた体に鞭を打ち家に帰ることを決める。
もうとっくに限界を迎えていた僕の頭であったが、一周通り越してクリアになっており、ギンギンに開かれた目を擦りながら持ってきた少ない荷物を纏めた。
まだ早朝ということもあり、寝ている各務原夫妻を起こさないよう慎重に部屋を出て玄関へと向かう。靴を履き扉を開けると、朝の澄んだ空気で肺がいっぱいになる。彼女もカーディガンを羽織り同じように玄関を出る所を見ると、どうやら見送りをしてくれるようだ。
家の外の門まで来ると、僕は彼女の方へと振り返る。
「桜さん、今日は色々とありがとうございました」
「いいのよ。優太くん、これからもしっかりやりなさいよ」
「…………はい、桜さんもお元気で」
恐らく、これから就職する彼女は山梨から出ていくのだろう。こちらに向けられた眼差しと、お別れの声のトーンで何となく察することができた。永遠の別れという事にはならないだろうが、またしばらく彼女と会うことが無くなることは想像に難くない。
それでも僕は、これまで彼女に貰った優しさを忘れることは無いだろう。
「そうね、お互い頑張りましょ」
そう言って彼女はくしゃくしゃと僕の髪を撫でた。一人っ子だった僕に姉という存在は居なかったが、彼女の乱暴に頭を撫でる仕草に胸の奥から込み上げてくるものを感じる。
「今度会ったら、お酒でも飲みましょう。奢ります」
「お、言うじゃない。……えぇ、楽しみにしてるわ」
お互いの自宅へ、示し合わせたかのように背を向けて歩き出す。もう振り返ることはない。
それでも、これからの行き先が交わることもあるだろう。まるで姉のような存在の桜さんに、胸を張って再会できるような生き方をしようと心に決めた。
ーーーー
「…………優太から他の女の人の匂いがする」
彼女から告げられたこの言葉は、ある意味最後通告のようなものだったのかもしれない。
あの後、僕は家に着くや否やベッドに飛び込んだ。ほぼ気絶するように睡眠を取っていたのだが、夕方頃に恵那が家に来ることを知っていたためギリギリで起き上がることにした。
約束した時間になると呼び鈴と共に画面が点灯し、彼女の来訪が僕に伝えられる。玄関を開けて彼女と対面すると、おはようという挨拶と共に胸へ飛び込んでくる。
最初は嬉しそうに額をぐりぐりと当てていた恵那だったが、段々とその顔から笑顔が消失していった。事前に伝えてあったとはいえ、やはり恵那にとっては気分の良いものでは無かったのだろう。
僕は改めて謝罪を伝えるために視線を下へと降ろし、覗き込むように彼女の瞳を見る。いや、見てしまった。
「…………」
そこには、笑っているのに笑っていない、様々な感情がごちゃ混ぜになった目を向ける恵那が居た。
(あっこれは…………ダメなやつかもしれない)
彼女の後ろから、ガチャリという鍵のかけられる音がいやに鮮明に聞こえた。
「……行こっか♡」
彼女の意図していることが分からない、いや分かりたくないのだろうか。彼女に対してこんな事を考えるのは初めてだ。
何も分からない。僕は彼女に手を引かれながらゆっくりと廊下を進む。
ただ、これから自分の身に降りかかる出来事が何であれ、それから逃げることは不可能だということだけは理解出来てしまった。
イイハナシダッタナー(現実逃避) 某番組は僕も全て網羅済みです。めっちゃ好きです。皆さんはどうでしょう?
追記 その後のお話をR18版にて更新致しました。結末が気になる方は覗いて見てください。