(いない、流石に帰ったのか)
特に危なげなくトイレに間に合った私は、先程までベンチで寝ていた少女の姿が無いことに気付く。そりゃこんな寒い日に野宿する奴なんか居ないか、なんて事を思いながら背中に気配を感じたため振り返ると
まだいた。
真っ暗な闇夜にランタンの光で照らし出される泣き顔の少女が。全く予想をしていなかった光景に全身を身震いさせて身の危険を察知する。それを見た私はなんの躊躇いもなく、逃げ出した。それはもう脱兎のごとくという言葉はこの時のためにあるのでは無いかと言わんばかりの猛ダッシュであった。
ビビり散らかしながら逃げ出した私を、泣き顔の少女は必死に追いかける。やっとの事で見つけた助けを逃がすまいと追走するが、暗くてよく見えなかった入口のチェーンに足を引っ掛けて転ぶ。
「まっでよォー!! 」
必死の懇願が夜のキャンプ場に響き渡るのだった。
ーーーー
「うぅぅ、へぐっ……」
「……」
目の前には半べそをかいている。ピンク髪の少女が一人。どういう状況だ。急に追いかけられて驚いたものの、流石に彼女がコケた辺りで私も心配になったので、彼女の手を引きテント設営した所まで連れてきた。
一旦現状を整理しよう。
「はぁ、今日山梨に引っ越してきて、自転車で富士山を見に来たんだけど、疲れて横になったら寝過ごしたと」
「へゔ」
そしてトイレに行った私を偶然見つけ助けを求めたと……。なるほどわからん。そもそも土地勘の無い場所を、しかも自転車でここまで来るとは一体どんな図太い神経と体力なのだろうか。
このまま居ても埒が明かないので、彼女が家に帰れるようにいくつか提案してみる。
「あっちは坂道だし、下まですぐだと思うけど」
私は行きに通ったトンネルを指差しながら言う。そこには明かりが僅かに光るだけのトンネルが存在していた。場所を隠して心霊スポットと言ってしまえば、疑う人は少ないだろう。
「むりむりむり! ちょうこわい!!」
うん、私もそう思う。女子が一人であの暗いトンネルを抜けるには相当の勇気が要るだろう。
「家に連絡して迎えに来て貰うのは?」
「あ そっか!!」
私の提案に顔を明るくした彼女は、おもむろに自分の体をまさぐり始める。
「スマホスマホ、最近買ったスマホスマホスマホス……」
「マホス!」
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「……」
とりいだしたるはトランプであった。なんでだよ。
自信満々に差し出した少女の手にはどこにでも売っているようなトランプの箱だった。焚火の柔らかな明かりに照らされるそれは、家族に連絡を取るという目的を果たせそうとは到底思えなかった。微妙な雰囲気が二人を包む。その間に出されたトランプも、何かお役に立てなくてすみませんと言っているような哀愁を漂わせていた。
ぐぅぅぅぅ
そんな気の抜けるような音が彼女の方からしたため目を向けると、そのまた後ろに忍び寄る影にも同時に気付く。
「……あの」
「「?!」」
声を上げなかった私を誰が褒めて欲しい。一日に二度、こんなにも驚かされる事が今まであっただろうか。ランタンも何も持たずに近付いてきた青年がいきなり声をかけてきたのだ。対面に座る、彼女も訳が分からず固まっていた。よく見たら例の青年だった。
感情を読み取ることのできない彼の顔が焚き火の明かりに照らされる。
「……どうされました?」
どうやらこちらが困っているのを遠目に感じたらしく、声をかけてくれたらしい。一人でここに来て帰れなくなってしまった挙句お腹が減って力が出ないという雑に要約した彼女の話を彼にもすると、彼の方から思わぬ提案が来た。
「……もし良かったら、私の夕飯、食べますか」
「え! いいんですか!」
昼間に会った時からは想像出来ない提案だったが、どうするか困っていた現状ではとてもありがたかった。彼の提案に私も乗る。バッグから後で食べようと思っていたカレー麺を取り出す。
「ラーメン、食べる?」
「えっ?! ラーメンもくれるの?!」
「1500円」
キラキラした瞳を私に向ける彼女に、軽く冗談を混ぜてカレー麺を差し出してみる。驚愕した表情のまま彼女はポケットをまさぐると硬貨を一枚だけ見つけたようで、懇願するように震えた声でこう言った。
「じゅっ、じゅうごかいばらいでおねがいしまぅぅ」
「ウソだよ」
そんなやり取りを見ていた彼はやはり無表情だった。なんだか私がスベっているみたいでちょっと恥ずかしくなった。それでも彼は特に気にすることなく言葉を紡ぐ。
「……私の夕飯も、持ってきますね」
「……そちらはおいくらですか」
「……お金はいりませんよ」
そう告げた彼は自分のテントへ戻って行った。その後、彼が持ってきた魚を焚き火で焼きながら、私はシングルバーナーをOD缶の頭につけてお湯を沸かし始める。
「あっちで沸かさないの?」
「魚とかなら良いけど、焚き火でお湯を沸かすと煤で真っ黒になるから」
「へぇーそうなんだーーー、プロみたいだねーー!!」
(何のだよ)
ふと思いついた。彼女がスマホを持っていなくても私が持っている。電話番号さえ聞ければ連絡を取ることができるのではないか。
「私の電話貸すから家の番号言って」
「引っ越したばっかで分かりません!!」
「だったら自分のスマホの番号は?」
「記憶にございません!!」
(本当によくこんなんで一人で来ようと思ったな……)
そんなこんなで魚が焼け、カレー麺も出来上がる。カップ麺ふたつしか持って来てないし、お兄さんに分けるとなるとどうしよう……、という私の考えを知ってか知らずか気を使ったように話しかけられる。
「……私は良いので、どうぞ食べてください」
という彼の提案にピンク髪の少女は異を唱える。
「え! お兄さんも一緒にだべようよぅ!」
「……お気になさらず」
「そっかぁ……、それなら! いただきますっ!」
もう少し粘ると思ったがあっさりと引いた。図々しいだけでは無いのだろう、多分この子は相手の嫌がることや迷惑になる事が何となく分かるのだ。気持ちを切り替えた彼女は、自身の空腹に抗うことなく、せきを切ったように食事にありつく。
フーフー、はむはむ、ゴクゴク、パクパク、
「ん〜〜〜!!」
一通り用意された食事に口をつけた後、一言
「くちの中ヤケドした!!」
(……何故うれしそうなんだ?)
この時ばかりは表情に乏しい横にいる青年とて、私と同じ気持ちであると何故か確信した。
それにしてもキャンプをしに来て焼き魚定食か。律儀に味噌汁と漬物までついてるし。料理好きなのかな?
焚き火で焼いたサバをつまみながら思案する。
「ねぇ、あなたどこから来たの?」
「あたし?ずぅーっと下の方の南部町ってとこ」
(南部町……チャリでよくここまで来たな)
「『本栖湖のふじさんは千円札の絵にもなってる!』ってお姉ちゃんに聞いて来たのに、曇ってて全然見えないんだもん」
少し不満げな顔を浮かべる彼女はその富士山に背を向けながら話を続けようとする。
「ねぇ聞いてよ、奥さんとお兄さん!」
しかし、それに気付いた私は再度彼女に声をかける。
「見えないってあれが?」
「え?」
「あれ」
「あれ?」
指を指す先には、月明かりに照らされる雄大な富士山があった。その大きな存在は湖面にも映されており、優しく暖かに私たちを見守っているようだった。
みえた、ふじさん……とつぶやく彼女はその光景に夢中になっていた。ふと彼はどんな顔をしているか気になった私は彼の表情をちらりと見る。
じっと、真っ直ぐ富士山を見つめている彼が居た。しかし、一緒のものを見ているはずなのに、彼だけは別の何かを見ているのような、そんな気がした。
そんな思考を遮ったのはやはり彼女だった。
「あ」
「?」
「お姉ちゃんの電話番号知ってたよ あたし」
ーーーー
「うちのバカ妹が、ほんっとーーにお世話になりました」
「別に大したことは」
「そちらのお兄さんも、本当にありがとうございます」
「……いえ」
「アンタ、持ち歩かなきゃ携帯電話とは言わないのよ!!」
やがてやってきた彼女の姉が、妹の頭にたんこぶをいくつか作りながら車に押し込む。本当に姉妹なのだろうか、なんだかふわふわとした妹とは対照的にとても美人な姉だった。
やめれぇカレーめんとサバがでるぅ、と悶えながら連行される彼女を見て私は若干引いた。
「おやすみなさーい、お二人とも風邪ひかないようにね」
「「おやすみなさい」」
少女を載せたラシーンが駐車場から出ると、お礼に貰ったキウイを手に持つ二人が残る。
(ラーメンがキウイに化けた)
「ヘンな奴でしたね」
「……そうですね」
特に会話が続くことも無く、各々自分たちのテントに戻ろうとする2人に走り寄ってくる人影が見えた。
「ちょっとまって!」
先程の彼女じゃないか。もう帰ったと思っていたのに。
「はいこれ、私の番号!」
戸惑っている私とお兄さんにひとひらのメモ用紙を手渡す。
「お姉ちゃんに聞いたんだー、カレーめんとお魚ありがとっ! 今度はちゃんとキャンプ、やろーねっ!!」
言うだけ言って彼女は、少し先で停まっている車にかけていく。
(やっぱヘンな奴)
まぁ登録だけしといてやるか。そう思った私の手の中には可愛いメモ用紙に書かれた番号と名前があった。
〇〇〇-◇◇◇-〇〇〇
各務原なでしこ
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