後悔はしてないが反省はしている。
私──当時は俺、だったか。
それは所謂前世、と呼べるものだったかもしれない。
特筆すべきもののない、施設暮らしで身寄りのない平々凡々な男としての俺の人生の終わりは流行り病に侵され、治療の甲斐なく終焉を迎えてしまった。
最後の光景は病院の白い部屋に天井。繋がれた機器から発する機械音のみが耳に入り、素顔すら判別のつかない防護服に身を包んだ医師らに看取られながら、前世の最後の記憶は意識が薄れて次第に暗闇に支配されていくことで幕を下ろした。
──どのくらいを闇の中で過ごしたか。
とてつもない時間のような、それとも夢のように一瞬だったのか。それすら分からないまま、次に光を得た時に視界に広がったのは見たことのない女性の泣き顔だった。
俺よりも若く見えるその女性は汗で張り付いた髪をそのままに、涙を浮かべて私の身体を抱き寄せると、嬉しそうに破顔する。
「生まれてきてくれて、ありがとう。愛してる」
震える声で紡がれた言葉が、ストンッと私の中に落ちた。
俺としての生が終わる時に感じていた、途轍もない寂しさ。孤独の中で暗闇に落ちていく絶望感。
そんな私を暗闇の世界から光の下へと掬い上げ、愛を告げる彼女の慈しむような目を見て、ようやく私は暗闇から解放されたのだと実感し、その安心感から自分でもびっくりするほど大きな泣き声を上げるのだった。
そんな私もこの世に再び生を受けて早五年が経った。
前世の俺としての記憶を保持していることもあって年不相応な大人びた子供に育っている私。だがそんな子供特有の可愛げの欠片すら見せない私に対しても母は勿論、父も母に負けじと私へ溢れんばかりの愛を注いでくれた。
「麻里亜は本当に可愛いなぁ」
「あら、私と貴方の子なのよ。可愛くて、それでいて凛々しいのなんて当たり前じゃない」
「それもそうか。本当、麻里亜は僕らに似て凛々しくて可愛いなぁ」
そんな歯も浮くような台詞を真面目な顔して2人揃って言うんだから、私も反応に困ってしまう。
だけど私もそんな愛情を注ぐ両親と同じように、ううん。それ以上に彼らに愛を返したい、愛してるを伝えたい。でも直接伝えるのは、ちょっと恥ずかしい。
二人の愛がどれほど私を救い、心を満たしてくれたのかを伝えるには、どうすればいいんだろうか。
そうそう。私は五歳ということで幼稚園に通っている。純粋無垢な子供達の中に入って馴染めるのか最初は不安だったけど、年長組となった今、自分で言うのも烏滸がましいが私は幼稚園で一番の人気者になっていた。
なんら特別なことはしていない。ただ私は両親からされたように普段から子供達へ愛を振りまいていた。勿論、先生達にも同じ分だけ。
君のことを愛している、私と出会ってくれてありがとう──って。
両親には恥ずかしくて直接言えないけど、他人には言える不思議。
私の心が満たされたように。みんなの心を愛で満たしてあげたくて。だって愛に満たされた毎日はとても充実していて、それをみんなに知って欲しかったから。
私が愛を前面に出して接してくることに最初は戸惑っていた子供達も、人の感情に機微で無垢故に直ぐに伝わったようで私はみんなの中心にいることが多くなった。
そうして過ごしているうちに、私が通う幼稚園でお遊戯会を披露するという話が出た。
園児の演劇なんて台詞も少なく、みんなが殆ど平等に目立つように舞台に上がるもの。誰か一人だけが目立ってしまうのは御法度だと分かっている。
だけど私はこの機会を逃すことは出来なかった。
両親に愛を伝える。それも最高の舞台で最大限の愛を表現するため、私はみんなに劇の主役をやらせて欲しいと願った。そしてみんなから快く了承してもらった。
次に先生達に私が考えた劇の内容を見せた。
普段から大人びた子供という印象を抱いていたみたいだが、さすがに園児が劇の内容を考えたとあって驚いた様子を見せた先生達。
そして私が用意した劇の内容を聞いて、子供達も快諾しているという点を考慮して、私の劇を採用してくれた。
「今度の幼稚園のお遊戯会、私が主役なの」
夕食時に私が両親にそう告げると、大きく目を見開いて二人の手からカチャンと音を立てて箸が落ちた。
見たことのない両親の反応にこの時ばかりは年相応に戸惑っていると、そんな私を他所に彼らのテンションが爆発した。
やら新しいカメラを買わなきゃとか有給取らなきゃと歓喜しながら騒ぐ二人をぽかんと眺めながら、私は楽しみにしてる様子にホッと安堵した。
お遊戯会の当日。
発表会をするステージの影で、私はそっと集まったステージ下で椅子に座る親の集団を見渡してみた。どの親も頬を綻ばせながら、ステージの幕が上がるのを今か今かと待っているようだ。
そんな中、ふと視線を向けた先に両親を見つけた。
宣言通りの新しいカメラを三脚にセットする父と、他の親と会話する母。二人も楽しみにしているのか、表情をこれ以上見たことがないほどに緩ませていた。
「あっ」
何かに気付いたように、母がこちらに視線を走らせる。コッソリ覗いてたので私の姿が見える筈がない。
だけど母はにっこりと笑みを浮かべると、小さく手を振ってきた。父も母の様子に気付いたのか、カメラを操作する手を止めてコチラに視線を向けると同じように笑みを浮かべる。
『頑張って』
聞こえるはずのない母と父の声が聞こえたような気がした。
ドキッと胸が高鳴った。胸の奥が満たされるような気がした。
──そうだ。この気持ちを二人にも伝えなきゃ。
ゆっくりと上がる幕の向こう側、私は一つ深呼吸しながらステージへと躍り出た。
「うぉぉぉ……やっぱり麻里亜は僕達の天使だよ!」
帰りの車の中。
父は何度目かも知れない劇の感想を述べながら鼻を啜っていた。
「まったく、いつまで泣いてるのよ」
そうは言いつつも母の手には先程まで行われていた劇を映したカメラ。帰りの道中で何度も再生されたそれを飽きもせず再び巻き戻して見始める母。
そんな二人の様子に呆れながらも、どうやら私の想いは二人にちゃんと届いたようで、つい頬を綻ばせてしまう。
「ママばっか見てないで僕も見たいんだけど……ねぇ、次のコンビニで運転替わらない?」
「嫌よ。私だってまだ十分見てないんだから。それよりほら、信号青よ」
「ちくしょう!」
あっさり却下された父の悲しげな悲鳴と共に、車が発進する。それがなんだか可笑しくて、私と母がふふふっ、とお互いに見合いながら笑みを溢す。
──瞬間。
激しい衝突音と共に身体に途轍もない横殴りの衝撃が走り、私は意識を手放した。
◆
「うっ、くっ……」
ズキッ、とした痛みに意識が徐々に覚醒していく。
額に触れると、ぬめりとした感触。その手を確認すれば真っ赤な血に染まっていた。
──何が、起こったの?
頭の中が混乱する中、車内がぐちゃぐちゃとなっていることに気が付いた。ガラスは全て割れ、破片が辺り一面に散乱していて私が身動ぎする度にジャリジャリとした音が響いた。
「……ま、りあちゃ」
隣から聞こえた声。
絞り出すような痛々しい声に私の身体が無意識に震えてしまう。
──嫌だ、嫌だ。見たくない、そんな、まさか。
気持ちとは裏腹に、私の身体は声の聞こえてきた方へと向いてしまう。
そして、見てしまった。
父の座る運転席と母の座る運転席側の後部座席。
そこに別の車が突き刺さるようにぶつかっていた。ひしゃげたフレームが父と母の身体を押し潰している。
「ぁぁ、あぁぁっ、ママッ、パパ!? なんで、嫌ッ、嘘っ、嘘だよ!?」
ぐったりとした二人の足元には私の手に付いた血と同じ、それでいて夥しい量の血溜まりが出来上がっていた。
私は身体を締めていたジュニアシートのベルトを外して、歩くスペースすら潰れてなくなった車内を這って二人に近付いていく。ガラスの破片が剥き出しになった私の肌を傷付けていくが、構ってなどいられなかった。
投げ出された二人の手をギュッと握り締め、ヒュッと息を呑む。
まるで血が通ってないような、酷く冷たい感触。普段の二人から感じられる温かさがまるで感じられなかった。
「ダメ、よ……麻里亜ちゃ、怪我しちゃ、ぅ、でしょ」
「まり…ぁ? ははっ、よかった……動ける、ん、だね」
弱々しい二人の声。血濡れの顔は凄く痛々しくて、私なんかよりも重傷なのに、それでも二人は心配するような目で私のことを見ていた。
「ママ、ママ、お願い……パパ、パパ、私のビデオ見るんでしょ……? ねぇッ!?」
涙で揺れる視界に映る二人は私の叫びに応じることはなく、ただその身体から流れる血が広がって漂う鉄臭い匂いが、嫌でも私の意識をある結論へと導いていく。
──このままじゃ、二人が死──
「っ、誰か! 誰か助けて!! パパとママを助けて! お願い、誰かパパとママを助けてよっ!!」
声の限りに思い切り叫ぶ。
喉が裂け、咽せた瞬間に口から血が飛び散った。
だけど構わずに叫び続ける。
「誰か、ヒュッ──、お願いだから、ゲホッ、助けて……」
「おい、子供は無事だ! 早くスプラッダーを持って来い!!」
どのくらい叫んでいたんだろうか。
車の外から聞こえてきた声。
それと同時に慌ただしい複数の人達の声。
「ママ、パパ、助けが来たよ……もう、大丈夫だから」
涙がポロポロと頬を伝い、落ちた雫が二人の血溜まりに混じっていく。
「……私ね、二人にまだまだ言いたいこといっぱいあるの。今日の劇はね、その始まりだったの」
私側の車のドアが大きな音を立てて壊されていく。
「……私を暗闇から救ってくれて、ありがとう。愛を教えてくれて、ありがとう」
ドアが外され、救急隊の人の手が私の身体を持ち上げる。繋いでいた手が離される。
「愛してる」
ようやく直接伝えることの出来た『愛してる』
だけど二人は私を捉えておらず、空虚な瞳がただ開かれているだけだった。
「うっ……うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
遅すぎた愛の言葉は、きっと二人に届かなかった。
私は取り返しのつかない後悔とともに、意識を手放した。
◆
「……はぁ」
その日、あの子の通う幼稚園は暗澹たる雰囲気に包まれていた。
先生達の机の上には一面に昨日の事故が載っている新聞が置かれている。
あの素晴らしい劇の日、ステージの上で星のように輝くあの子が交通事故に遭ってしまった。
不幸中の幸い、と言っていいのだろうか。
彼女は重傷を負いつつも命に別状は無かったらしい。
だが彼女の両親は事故で亡くなってしまった。
そして身寄りのなくなってしまった彼女は祖父母のところに引き取られることになると連絡があった。
「麻里亜ちゃん……大丈夫かしら」
「大丈夫、な訳ないでしょ。目の前でご両親が……うっ」
彼女のことを憂い、一人が涙を流せば伝播して職員室が悲しみの渦に飲み込まれていく。
そんな暗い雰囲気を壊すかのように、職員室の扉が開け放たれた。
「失礼しまーす」
入ってきた園児に、先生は慌てて涙を拭って対応する。
「あら、どうしたの?」
「工作で使いたくて。新聞紙とか貰えますか?」
先生の机に置かれている新聞紙に視線を走らせながら、その子が聞いてきた。
「え、えぇ。いいわよ」
その視線に気付かぬまま、先生は新聞紙束の中から不要となった新聞紙を取ろうと席を立ち上がる。
「ありがとうございます。それでは」
「あ、コラ⁉︎ それは違うから!」
園児は机の上に置かれた新聞紙を取ると、用は済んだとばかりに職員室を後にする。先生が慌てて追いかけようとするも、部屋を出る頃にはその後ろ姿は見えなくなっていた。
「まったく、後で返してもらわないと。えぇっと、あの子の名前、なんだったかしら?」
自分の担当の子ではないため、パッと名前が出てこなかった先生が他の先生に問うように視線を向ける。すると一人の先生がそれに答えた。
「あの子ね。 あの子は──
カミキ ヒカル君だよ」
「……ふぅん。あの子、生きてたんだ」
カミキヒカル君がアップを始めました。←