崩れ落ちたグレンに、悲痛な声を上げてシスティーナが駆けよる。
「先生!しっかりして、先生!」
グレンの肩を掴んでゆすっているシスティーナにロルフはゆっくりと歩み寄る。
「あんま揺らすな。気ぃ失ってるだけだから、すぐには死にやしねぇよ」
必死にグレンを起こそうとしているシスティーナに後ろから声を掛けると、びくりと肩を振るわせて振り返った。
「ロ、ロルフ……」
「とりあえず、近くの部屋に先生も運んじまおう。手伝ってくれ」
「え、えぇ……分かったわ」
二人は協力してグレンの上体をおこすと、ロルフがそのまま背負った。運がいいことに、戦場となっていた廊下の近くには学院の医務室があったので、そこにシスティーナと共に意識を失ったグレンを運んでベッドに寝かせた。
ロルフは念を入れて事務室でも使用した隠蔽と防護の呪文を部屋全体にかけると、グレンの傷の手当をし始めた。
法医呪文は得意ではないが、戦闘慣れしているので応急処置くらいはできる。
医務室にあった包帯を拝借してグレンの創傷の処置をすると、黙ってそれを見ていたシスティーナに話しかけた。
「お前も【ライフ・アップ】は使えるよな?わりぃが代わりに先生にかけてくれないか?今はなるべく魔力をケチりたいんだ」
「わ、私、あまり白魔術は得意じゃないんだけど……」
「それでもやらないよかはマシだ。それに白魔術なら俺もお前とそんなに変わらん」
「分かったわ……」
システィーナは気後れしながらも、指示に従ってグレンに白魔【ライフ・アップ】の呪文を施す。被術者の生命力を強化して傷を癒す術だ。
加えて、効力を調整した白魔【スリープ・サウンド】で麻酔を行う。
得意ではないといっていたが、教科書通りの丁寧な施術だ。
途中、グレンが目を覚ます。
システィーナと一言二言やり取りを交わすと、まだ動く力はないのだろう。一瞬、ロルフの方を見て何か言いたそうにするが、再び傷を癒すために眠りについた。
その様子を横目に、ロルフは教室付近に配置した使い魔と感覚をリンクさせる。視界に映るのは憔悴した生徒達だ。全員、拘束されているためその表情からは精神的な疲労が色濃く見えるが、まだ命はあるようだ。
「今確認したけど、教室のやつらはまだ全員無事みたいだぜ。一安心だな」
必死にグレンの手当てをしているシスティーナに状況を報告すると、彼女も安堵の表情を浮かべた。
「一旦、施術するのはやめとけ。さっきの【ディスペル・フォース】でだいぶ魔力使っただろ。お前もマナ欠乏症になっちまうぞ」
「で、でもそれじゃあ先生が……」
「大丈夫だ。お前のお陰でもう死ぬことはねぇよ。後は時間と専門家の仕事だ……それより、俺も何が起きてるのか全部把握できてないんだ。情報を共有したい」
自分を酷使するシスティーナを制止して、教室で何が起きたのか詳しい話を尋ねる。
システィーナは思い出した恐怖で詰まりながらも、突如として二人組の男が教室に押し入ってきたこと、ルミアが先程打ち倒したコートの男に連れ去られたこと、自分はもう一人の男に襲われそうになったところをグレンに助けてもらったことを話した。
「なるほど……ルミアの姿が見えなかったのはそういうことか」
何故連れていかれたのかという疑問は残るが、敵の目的はルミアだったようだ。
ルミアの魔術師としての能力は、特段高いわけでもないというのがロルフの見立てだ。もちろん、自分のように実力を隠していたということも考えられなくはないが、彼女に関してはその線は薄い気がする。
何か珍しい魔術特性を持っていて組織に目を付けられでもしたのだろうか。
しかし、あの組織がそれだけで動くのというのは違和感が残る。
「貴方が無事でよかったけど、一体どこにいたの?それに、あんなにも強いだなんて……」
得た情報から考えを整理していると、おずおずとシスティーナが口を開いた。
その疑問にロルフは虚実を交えながらもっともらしい答えを返す。
「あの先生のことだから、どうせ今日は遅刻すんじゃねぇかと思っててな。来るまでの間、図書館にこもってたんだよ。そしたら異変に気が付いて探ってたら戦ってるとこを見つけて、後は知っての通りだ。強さに関しては色々事情があってな」
ちなみに、遅刻すると思っていたのは本当だった。
その答えにシスティーナは一応は納得したようだった。そして、意を決したような表情を浮かべると、ロルフに縋るように頼み事をする。
「ロルフ……お願い、あの子を、ルミアを助けてあげて……!」
それは、頼むしかない自分の無力さに苛まれながらも、どうか自分の親友を助けて欲しいという心の底からの願いだった。
そんな願いをロルフは、
「助けてやりたいのはやまやまだが……今はまだ動けねぇ」
と、無情にも切って捨てる。
「な、なんで……!?」
断られると思っていなかったのか、システィーナは動揺しながら何故なのかと声を荒らげて詰め寄る。
「相手の戦力が分からん上に敵の手に落ちてないのはここだけの状況で、お前と倒れた先生を置いて俺が出たら、最悪一人を助けるために二人犠牲を生むことになっちまう。言い方が悪くなっちまうが、二人だけで済んだらまだいい方だ。教室のやつらがやられる可能性もある……すまねぇが、俺はそのリスクは取れない」
それは、どこまでも合理的な判断だ。自分が枷だという言葉に、システィーナは何も反論できない。
自分は、グレンやロルフがいなかったら立ち向かうことすらできなかった臆病者だ。この期に及んで自分の身は守れるなどという戯言を吐くことはできなかった。
システィーナは悔しさと無力感に涙を流す。
大事な親友の危機だというのに、自分は何もできない。
「ルミアは私を庇って連れて行かれたのに、私は逃げているだけで何もできない……ッ!子どもみたいに魔術は素晴らしいなんて信じ込んで……先生の言う通り、ロクな物じゃなかったのにそれを見ようともしていなかった……」
声を押し殺しながら泣くシスティーナを見て、ロルフはバツが悪そうな表情を浮かべた。
「あーなんだ、その。あんまり思い詰めんなよ。確かに魔術はこういう血生ぐせぇところもあるし、システィーナはそれを見ていなかったかもしんねぇけど、それだけじゃないだろ?お前が使い方を間違えなかったらいいだけなんだからさ。だから、あんま泣くなよ」
慰めの言葉なのだろうか。あまりにも不器用な気遣いだったが、今はその不器用さが心に沁みた。
「ルミアも、先生の目が覚めたら助けに行ってやる。それまで無事なことを祈ってな」
「ありがとう、慰めてくれて……」
感謝の意を述べると、ロルフは顔を背けた。
「俺は魔力の回復に集中する。敵が来たら結界が反応するようになってるから、お前もちょっと休んでおけ」
ロルフはシスティーナの返答を待たずに、床に座り込んで瞑想の姿勢を取った。外界マナを取り込み、魔力の回復を早めるための基礎的な集中法だ。
システィーナはロルフが瞑想を始めたのを見ると、グレンの方に向き直る。
ロルフには休めと言われたが、そうは言ってられない。自分は立ち向かう力も勇気もないけども、それでも目の前にやれることが一つある。
普段から魔晶石に貯めておいた予備魔力を引き出し、グレンに法医呪文を掛け続ける。
手当をしていたグレンが呻くようにうわごとを漏らす。
その呟きと、どうやら軍の魔術師だったらしいこと。そして対魔術師に特化した固有魔術と魔術嫌い。
断片的な情報を整理すると、おのずと見えてくるものがある。
そして、少し離れた場所で瞑想している二歳年上の同級生。
いつも不真面目だった不良の彼が、あんなにも強いとは露ほども知らなかった。
あのレイクという男との戦闘でグレンに逃がされたシスティーナは、逃がされた際の言葉の裏を読んで恐怖で竦む体を必死に奮い立たせながら、物陰に隠れて【ディスペル・フォース】を剣の魔導器に使うタイミングを伺っていた。
その途中で、絶体絶命かと思われたグレンのピンチに颯爽と乱入して状況を覆したロルフ。
彼の戦いぶりは、グレンと同じく戦いに慣れた者のそれだった。
「グレン先生とロルフ……か」
今まで不真面目なやつらだと思っていた二人に思いを馳せながら、システィーナは切れた呪文をもう一度唱え始めた。