翌日、ロルフはグレンがこのクラスに来てからでは珍しく、一時間目がはじまる前に教室に入った。
今日に限って時間を守ってきたのは、昨日あんなことがあったのでグレンが来るのかが気になったからだ。
昨夜も遅くまで起きていたので、いつもの指定席へと向かいながらあくびをする。
その道中で表情のすぐれないシスティーナが視界の端に映る。
こうしてロルフが授業に間に合った時でも「今日はちゃんと間に合ったのね。普段からそうすればいいのよ」といったように何かしらのお小言をぶつけてくることが多いのだが、今日はそれもない。
多分ルミアがフォローしているだろうから大丈夫だとは思うが、自分に突っかかってくる元気もなさそうで少し心配だ。
ロルフはシスティーナのお説教は面倒くさいと思っているが、本人のことは別に嫌いではない。
むしろ魔術に対しての熱意には感心していた。
ただ、どれだけ言われようと自分には授業より優先すべきものがあるためその言葉を聞き入れることはなかったが。
あまりにも暗い顔をしているので何か声を掛けようかと一瞬悩むが、普段不真面目でシスティーナの説教も適当にあしらっている自分がなんて声をかければいいのか分からない。
これだからロッタにも朴念仁だと言われて、「これを読んで女心について勉強しろ」とハマっている恋愛小説を押し付けられそうになるんだろうなと考えながらシスティーナの座る席を通り過ぎた。
彼女に関してはルミアがきっと、なんとかしてくれるだろう。
そう思って、いつも通りの席に着くとすぐに机に突っ伏した。
(さて、あの先生は来るのかね……)
まどろみながらも予鈴を待っていると、まだ授業が始まっていないのにグレンが教室に姿を現した。
恐らく、グレンが来てから初めてのことだ。
昨日のことがあったからか、教室は緊張感と静寂に包まれる。
グレンは一直線にぼーっとしているシスティーナの方へと向かっていくと、その傍らで立ち止まる。
「おい、白猫」
グレンがシスティーナにそう呼びかける。
確かに、システィーナは猫っぽいところがあるし、その髪はキレイな銀色をしている。
白猫とは言い得て妙だ。
システィーナが動物扱いされたことに反発すると、グレンは昨日のことで言いたいことがあるという。
まだ続きをするのかとシスティーナは敵意に満ちた視線で身構え、ロルフ以外のクラスメイト達の緊張も高まる。
教室全体が二人の一挙手一投足に注目している中、予想を裏切ってグレンの口から出たのは、
「……昨日はすまんかった」
という言葉であった。
意外な言葉にシスティーナは硬直する。
グレンはぼそぼそと、気まずそうに謝罪の言葉を述べほんの少しだけ頭を下げる。
言い終えると、戸惑うシスティーナを置いて教壇の方へと向かっていった。
一体どういうつもりかとシスティーナはその背中をにらむ。
様子を見ていた生徒達も皆困惑と猜疑の視線を向けるが、グレンはそれを無視し腕を組んで目を瞑ると黒板に背を預けた。
(へぇ……流石は学院の天使様とか言われてるだけあるなぁ)
ロルフは一連の流れを見てそう思った。
恐らくだが、昨日グレンとルミアが一緒に帰っていた際に何か言ったのだろう。
昨日グレンが言っていたことは正しいが、言い過ぎだったし大人気がなかった。
そういった点をやんわりと、相手の気に障らないように諭したのだろう。
これじゃどっちが大人か分からない。
そうこうしていると、予鈴が鳴った。
来たはいいものの、どうせ黒板にもたれ掛かって寝ているのだろうと生徒達が思っていると、グレンは閉じていた目を開いて教壇に立った。
「それじゃ授業を始める」
その言葉に、教室がどよめく。ロルフも驚きに目を細めて、「へぇ」と口元に笑みを浮かべた。
グレンは、呪文学の教科書を手に取りペラペラとめくる。なぜだか、ページをめくるごとにその顔が苦いものになっていく。
教科書を閉じてわざとらしい溜め息を吐くと、教室の窓に近づいて行った。
グレンはガラガラと窓を開き、手に持った教科書を、
「そぉい!」
という掛け声と共に、勢い良く放り投げた。
この十一日間嫌というほど見てきた奇行に、あぁやっぱり変わらないのかと生徒達は各々自習を始めようとする。
そんな生徒達を見やり、グレンは高らかに言い放った。
「さて、授業を始める前にお前らに一言言っておくことがある――お前らって本当に馬鹿だよな」
一夜にして講師としての評価を一変させることになる、グレンの授業が始まった。
「やれやれ、超過労働分の給料は申請すればもらえるのかねぇ?まぁ、いいや。今日は終わり。じゃーな」
グレンは懐中時計を取り出し、授業の終了時間が既に過ぎていることを確認すると、そう言って教室から出て行った。
昨日までのグレンのやる気の授業とは違う、真に知識を有する者による本物の授業に圧倒されていた生徒達は、その退室が合図だったかのように我を取り戻して一斉に板書を写し始めた。
「やられたわ……まさか、あいつにこんな授業ができるなんて……」
手で顔を覆いながらそう言ったのはシスティーナだ。彼女にとって衝撃は一際大きいだろう。
「そうだね……私も驚いちゃった」
ルミアは目を丸くして言うが、その表情は嬉しそうにニコニコと微笑んでいる。
そんな嬉しそうなルミアに気付いたシスティーナが、どうしたのかと追及するがルミアはなんでもないとのらりくらりとかわす。
教室内ではどこもかしこもついさっきのグレンの授業の話で持ちきりだ。
ロルフも、彼にしては珍しいことに授業中に居眠りせずに受けていた。
(やるなぁ……そこら辺の魔術師の大半が流しがちな理論をここまで分かりやすく解説するとは。普通にアイツより教えるの上手いんじゃね?)
自分にとって魔術の師ともいえる人物のことを思い浮かべながらグレンの授業をそう評価する。
今の授業の内容について始めからある程度の知識を有していたロルフからしても、グレンの解説は勉強になるものだった。
実はロルフは、この学院の学士課程三年生相当の知識を持っている。
ではなぜ二年次に編入してきたかというと、学院の制度の問題と、協力者が用意してくれた偽の経歴が理由である。
スノリア地方に存在するとある魔術学校で優秀な成績だったため、よりレベルの高いアルザーノ魔術学院に編入してきた、というのがロルフの表向きの経歴だ。
色々と後ろ暗い事情があるのだが……ともかく、ロルフは魔術に関してかなりの知識を持っている。
授業中よく居眠りしているのは寝不足もあるが、学院の習得呪文を増やすことが目的の授業がつまらなかったという理由もあった。
(これならしばらくは授業を楽しく受けれそうだ)
目的の魔導書探しは封印書庫に入るための算段がつくまで休むつもりだった。
都合の良いことに二週間後、帝都で開催される魔術学会に合わせて学院関係者が一斉に留守になるタイミングがある。
それまで授業は寝るかと考えていたが、これだと少しは楽しめそうだ。
ロルフは上機嫌にグレンが出て行った教室の扉を見てそう思った。