ファルダニアは鼻が曲がりそうな生臭い激臭に耐え、目の前の海の国では一般的だという【魚醬】の作り方を一挙手一投足見逃すことなく、観察していた。
というのも魚醤は異世界食堂における未知の美味の一つ〝ショーユ〟に酷似しており、色の澄んだ高級品ともなれば見た目では判断がつかないほどだ。
アリスには対魔王戦にでも施すかのような付与魔法を何重にも掛けてなんとか平静を保ってもらっている。
魚を容器の中にぎっしり入れ塩漬けにし、空気を入れないよう密閉した瓶がいくつもならんでいる。そして半年ほど〝熟成〟させた瓶は幾層にも分離が生じており、そこから液体を抽出すれば完成というものらしい。
(工程そのものはいたって単純なのね……。ただ同じ工程であっても薄い色から濃い色まで、多種多様な魚醤が出来上がっているのは何故かしら?濾過するための技術や、〝発酵〟までの機序……。これはショーユを作るうえでも勉強になりそうね。)
「とまぁここまでが魚醤の作り方だけれど、参考になったかい?エルフのお嬢ちゃんたち。」
人のよさそうな人間族の男が笑顔で問いかける。
「ええ、また立ち寄らせてもらうかもしれないわ。お礼はこれでいいかしら?」
「いやいや、お礼なんていらないよ。エルフがこの工房に入ってくるなんて余程の覚悟だ、それほど情熱を持っている若い子から金なんて取れないさ。
そう言ってガハハと笑う男に苦笑しながら既に限界を迎えつつあるアリスと一礼をして工房を出た。
「ふぁる~~~。何回水浴びしても匂いが落ちないよ~~。」
エルフの嗅覚は敏感だ。工房へ行くにあたり二人とも使い捨ての服を買ってはいたが、身体や髪についた匂いは高価な香油を使っても中々落とすことが出来ず、数時間におよぶ水浴びを余儀なくされた。
「ふぅ……。だいぶマシになったかしら」
「う~……寒かったぁ。」
「少しあったまりに行きましょうか。それと……あの店ならありえそうね。もし今日は無理でも7日待てば。」
ファルダニアはひとつの覚悟を決める。
「さぁ〝扉〟よ!私の前に現れなさい!」
これから注文する料理が出されるか、不安と期待を込め、ねこやへの扉を召喚し、チリンチリンという音を鳴らした。
「いらっしゃいませ!ようこそ洋食のねこやへ!」
「アレッタ、少し体が冷えているからまずはコンブダシのミソスープを2杯、大盛でちょうだい。」
「かしこまりました。ご注文ありがとうございます。」
ファルダニアはテーブルに着く前に一つ注文を行う。そして着席から1分と経たないうちにトーフと未知の海草が泳いだ温かなミソスープが目の前に現れる。
(相変わらずおいしいわね。)
ミソスープひとつでも大きな御馳走だ。良い香りが湯気からも伝わり、トーフステーキとは違う製法で作られたであろう柔らかなトーフは口腔内でほろほろとほどけ、海草はしっかりとした食べ応えを与えてくる。
最高の前菜を終え、ファルダニアはいよいよ用意していた注文を伝える。
「ショーユの味と素材そのものの味をしっかりと感じることのできる料理はあるかしら?」
店主は最初に自分に作ってくれたトーフステーキや唐突にアリスを伴ってきた時のライスバーガーもそうだが、肉・魚・乳・卵を使わないお任せメニューをいとも簡単に作り上げる。人間の恩情に甘えるなどエルフの誇りが邪魔をするが、店の味をすべて盗み超えようとするファルダニアにとっては誇りこそ乗り越える壁なのだろう。
「かしこまりました。マスターに確認してきます。」
「……という注文がきたのですが、ありますか?」
「なるほどねぇ。」
店主は少しの間考えこむ。第一の候補となる料理はあるが、相手はエルフ。肉・魚・乳・卵が食べられない種族だ。
(そういえば仕入れている豆腐屋さんから〝よろしければこちらをどうぞ〟ってもらってたな。確か俺が食う用の冷蔵庫にあったはず。あとはカルパッチョに使うものを……。これはいけるか?)
「よし、アレッタさん。クロ。少し店番頼む。」
……洋食ではないけれどなぁ。そんなことを考えながら店主はエレベーターのボタンを押した。
「大変お待たせ致しました。湯葉とカブのお刺身御膳です。ライスときゅうりの漬物を一緒にどうぞ。」
「わぁ~~。おいしそう!」
(ん~。カブはまだわかるわ。おそらくは大きな根菜の類ね。でもユバとやらが謎ね。見た目は薄く切った肉や魚に似ているけれど……。薄く切ったというよりも本来薄いものを何重にか重ねたみたいだけれど……。まずはカブからいきましょう)
向こう側が透けて見えるほど薄く切られたカブなる野菜は、醤油にくぐらせるといっぺんに馴染み、別の顔を見せる。そして一口。
(美味しい!!これだけ薄くありながら確かな歯ごたえ、嚙めば嚙むほどショーユの味が滲み出る。そして根菜の水分を吸い込んだショーユの味は程よく舌の上で調和され、ライスで追いたくなる。)
目の前に座るアリスも未知のサシミに驚きを覚えている様子だ。
(さて、次はこの未知なる品……ユバだけれども。)
フォークを刺すとトーフともライスとも違うプルプルとした食感が伝わり、そのまま口腔に入れると一瞬の歯ごたえを最後に舌の熱で溶け、とてつもない旨味を余韻として残し、ショーユの味とともに消えていく。ここでファルダニアはこの料理がエルフ豆を使ったものだと理解する。しかし作成する工程が全く分からない。
「ふぁる!これなに!?口の中で溶けた!!」
アリスはユバの味に驚愕しているようで、その不思議な感覚が故いっぺんに食べきってしまう。ファルダニアは残り数枚あるユバを観察する。確か人間と冒険者まがいのチームを組んだ時、牛乳を沸騰させている場面に出くわしたことがある。熱した乳はなぜかある臨界点を超えると膜を張っていた。
おそらくこの品は【エルフ豆のクリーム】で同じことをすればできるのではないだろうか?しかしここまでの美味に仕上げるにはどうすればいい?そもそも保存法は?
「あ~。ファルまた病気が始まってるー。」
アリスは目の前の師匠は出された料理が美味しければ美味しいほど難しい顔をして思考に耽る癖があることを知っている。食事くらい楽しく食べればいいのに。アリスはそんなことを思いながら、未知の美味に顔を緩ませた。