黄金樹の麓から   作:シショ

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第4節

 

 翌朝。といっても迷宮内に日の光は通らないのだが。

 迷宮第三層に足を踏み入れた一行を出迎えたのは、不快な湿気を伴う沼地だった。仮初とはいえ太陽が昇っていた二層とは異なり、全体的に薄暗い。

 

斬り断て(ぐらでぃお)

「――ッ……ふぅ」

 

 そして何よりも、合成獣(キメラ)との遭遇率が格段に上がった。二層では運が良かったのだと思わされるほどの連戦。今もまた、四体目の合成獣(キメラ)を、ミリガンの助力を経て討伐したところだった。

 

「流石に数が違うね。すぐに移動しよう」

 

 見渡す限りの湿地帯である三層は、薄く漂う霧のせいで酷く視界が悪い。足場は天井に立つのと同じような要領で何とかなるが、ずっとそうしていると魔力が尽きるため結局汚れないといけない。

 

「勝ったでござるな、オリバー!」

 

 だというのにナナオはますます勢いを増し、先ほどの合成獣(キメラ)とはほとんどミリガンとのタッグで戦っていたようなものだ。今もオリバーに駆け寄って肩を組んでいるが、あの元気がどこから出て来るかは分からない。

 

「……ナナオ、あまりくっつかないでもらえるか」

「――え?」

 

 珍しい。オリバーが誰かを拒むのは、昨夜以外では一度も見たことが無い。さらに固まってしまったナナオの腕の中から抜け出すのを見て、リュディアは別人と入れ替わっている可能性について少し考えた。

 

「拙者が何かしてしまったのでござるか?」

「違う!」

「えぇ、違います。――芳香(パフューム)が辛くなってきましたのね?」

 

 聞き覚えのない単語に首を傾げ、調べた中にあったなと納得した。リュディアには良く分からないが、集中を損なうほどのものなのだろう。

 

「恥ずかしながら、そうだ。もちろん理性を失ったりはしないが、この状況で集中を欠きたくない」

「どのように辛いのでござるか?」

「……ナナオ、その質問は」

「むらむらしているのさ。男の子だからね」

 

 結構無神経な問いだったと思うのだが、ミリガンはしれっと答えた。それを聞いて尚見当もつかないとナナオは首を傾げているが、こればっかりはオリバーにしか分からないだろう。

 というかまたナナオとの距離が近くなってオリバーの顔が引きつっている。……仕方ないか。

 

「オリバー」

「どうした、リュディア」

「動かないでね」

 

 二の句を告げる間もなく、リュディアはオリバーの頭に杖を向けた。そのまま行使するのは魔術【冷静】。脳に氷水を注がれたように、オリバーの思考が一気にクリアになる。

 

「なっ、」

「上手くいった、かな。どんな感じ?」

「靄が晴れたような……何をしたんだ?」

 

 どうやら正常に機能したらしい。輝石の魔術に触れたことがなくとも影響を受けるとなると、一体何に作用しているんだろうか。

 

「リュディア?」

「あ、ごめん。今使ったのは気持ちを落ち着かせる、その、アレ」

「精神に干渉したということか?」

「さぁ……」

「さぁ!?」

「ちょっと診せてくれ」

 

 申し訳ないが本当に原理が分かっていない。この現象を上手く説明できるのはこの魔術を作ったミリアム教授くらいだろうけど、マリアが殺してしまったから聞くに聞けない。

 良く分からない魔法を軽率に使うなとシェラからお説教を受けている内に、ミリガンによる検診が終わったようだ。

 

「特段異常は無い。ただ精神は専門じゃないから、あまり当てにしないでね」

「現状はメリットが大きいか……リュディア」

「何」

「これからも適宜頼みたい」

「分かった」

 

 そう言うことで、また捜索に戻ることになった。しかしこちらも目途が立っておらず、現状合成獣(キメラ)を倒して回っているだけだ。一応芳香(パフューム)は濃くなってきているが、本当にサルヴァドーリの工房が近づいているのかは誰にも分からない。

 

「これ、工房の場所は分かっているの?」

「良い質問だ。オフィーリアとはそれなりに親しいからね。なんとなく見当はつく」

「親しい間柄なのですか?」

「たまに話すくらいだがね。……彼女が私より格上だという話はしたかな。私だったら利便性を取って二層寄りに工房を置くけど、オフィーリアなら四層寄りでも大丈夫だろう」

 

 少し空気がピリついた。明確にミリガンより上だと本人の口から出たのは初めてだろう。今からそこに侵入してピートとマリアを助けなければならないのだ。

 そこから重い空気のまま五分ほど歩くと、地面の泥濘が酷くなってきた。少し前まではまだ土の様相を保っていたが、段々と水気が強くなってきている。

 

「――着いたね」

「……沼、ですわね」

「むぅ、対岸が見通せぬ」

「あぁ。こここそ三層最大の難所『瘴気の沼地』だ」

 

 その名の通り強い瘴気を発しているようで、息をするだけで肺が痛む。リュディアにとっては二つ目の内臓へのダメージだった。そっと胸元を擦っているとシェラに心配そうな目を向けられてしまう。何でもないと手を振って見せると、目を逸らされた。

 

(そういえば、しばらくシェラと話してないな)

 

 一方的に注意は受けたが、こちらが話し出そうとするとすぐに距離を置かれている。マリアを助けに走ったことをまだ怒っているのかもしれない。

 

「今回は舟を使って対岸まで渡る。リュディア君は箒を持っていないから、もし沈められたら私と相乗りだ。それで良いかい?」

「舟の材料はどうするのでござるか?」

器化植物(ツールプラント)を使おう。少し残してある」

 

 ミリガンとシェラで木を生やし、オリバーとナナオ、リュディアで加工する。全員が黙々と作業を行い、二十分もかからずに舟は完成した。筏にも見える形状だが頑丈で、五人が乗って歩き回れるほどの大きさだ。

 

「いざ出発、と言いたいところだが」

 

 五人がかりで舟を水面まで押し出したところで、ミリガンが一つ指を立てる。

 

「せっかく水場に居るんだから、レッスンといこう」

「こんなところで何をする気ですの?」

「水上歩行、『踏み立つ湖面(レイクウォーク)』だ」

 

 そう言うとミリガンは躊躇なく沼に向けて足を踏み出す。思わず伸ばした手は水面に音も無く立ったミリガンによって掴まれた。

 

「おぉ、水の上に立ってござる!」

「良い反応だね、嬉しいよ。リュディア君も来たまえ」

「わ、ちょ」

 

 ぐい、と引っ張られる。陸上ならばともかく今は足場が悪い。船の上からのぞき込むような姿勢でいたのも相まって水上に倒れ込み、

 

「っと」

「いやぁ、分かっちゃいたけどもう覚えているのかい」

「沼に落とそうとでも?」

「ははは。……さ、どんどん来なさい」

 

 危なげなく水面に立つ。既に踏み立つ壁面(ウォールウォーク)まで習得しているリュディアにとって、単なる応用でしかない。その様子に残念そうな表情を見せたミリガンは、未だ船上でこちらを伺っている三人に声を掛けた。

 

「……あの、失敗したら水中に落ちるのですが」

「その分集中出来るだろう?大丈夫、魔獣に食われる前に助けてあげよう」

「然らば拙者が」

 

 二人の姿を見て興奮を隠しきれない様子のナナオが一歩踏み出し、足首が沼に浸かる。そのまま沈んでいくかと思ったが、リュディアが首根っこを掴んでいた。

 

「ぐえ」

「あ、ごめん」

 

 強く握り過ぎて締まってしまったようなので、早めに陸に上げる。二人分の体重が掛かって少しふらついたが、共倒れになることは無かった。

 それを感心した面持ちで見つめていたミリガンが今度はオリバーに声を掛ける。緊張はあるのか深呼吸をして、オリバーが水面に足を踏み出す。

 

「……っ……」

「うん、君なら出来ると思ったよ。そのまま歩いてごらん」

 

 僅かに水面を波立たせながらも安定した足取りを維持するオリバーに、ナナオがきらきらとした目を向ける。

 

「素晴らしい。上手く体重を分散させて魔力を節約しているね。この技はより高位の『踏み立つ虚空(スカイウォーク)』に至るための必須技能でもある。これは大きな一歩だよ」

 

 いつになく優しい声音に思わずミリガンを見つめてしまった。良く分からないが、後輩の成長を喜んではいるようだ。冷酷な研究者と導き手たる姿のイメージがどうにも合わなくて、いつかシェラたちもこうなるのかと思う。

 

「……ナナオ。君も来い」

「――うむ!」

 

 リュディアがミリガンに対して気味の悪さを覚えていると、ナナオもまたオリバーに手を差し出されて水上に立った。一歩目こそ沈みかけたが、ついさっき派手に失敗したとは思えないほど安定している。

 

「おや、出来ちゃったね。オリバー君からコツを見て取ったか、或いは単に彼と同じ場所に立ちたかったのかな?」

 

 からかいを込めた口調でそう言ってのける。そしてミリガンは最後に残ったシェラにも視線を向けた。もちろんシェラもそこに甘んじる気は無く、その両足は水面を踏みしめた。

 

「ふぅ……あたくしも来ましたわよ」

「おぉ、シェラ殿も!」

「流石だ、シェラ」

「おめでとう」

 

 何か言って置いた方が良いかと思って声を掛けると、ハッとした顔でこちらを向き、苦し気に目を伏せてしまった。ここまで露骨に反応すれば周りも気づくようで、オリバーが訝し気な視線を向けて来た。こんなことになるならここまで来る間に話しておけばよかったのだろうが、後の祭りだ。

 誰も口を開こうとしないままでいると、唐突にミリガンが声を上げた。

 

「全員無事に習得してくれて助かった。さぁ、そろそろ出港といこうか」

 

 その目はリュディアとシェラを捉えており、話は後にしろと語っていた。

 

 

 

「――帆船(ヨット)も魔法使いにとっては便利な乗り物でね、魔法陣と呪文で風の精霊を招いて帆の周りに居着かせるんだ。こうすれば放っておいても先に進む」

 

 ミリガンが饒舌に語る間にもシェラの様子を伺うが、生憎オリバーに遮られてよく見えない。最後尾に立つ形で離れさせられてしまったが、今話しても収集つかないだろうし、せめて陸に上がった後にしたい。

 

「大きな魚が泳いでござる」

 

 この雰囲気そっちのけで水面を見つめていたナナオが、舟の側を通って行った魚影を目で追って呟く。

 

「気をつけろ、ナナオ。いつ襲ってきてもおかしくない」

「うむ……しかし、塩を振って焼いたら美味しそうでござる」

「食欲を湧かせていたのか!?」

 

 ここまで来ても相変わらずの様子に、空気が和らぐ。手持ちのゆでカニを渡そうかと考えていると、不意に周囲から音が消えた。辺りを見渡すと他の生物の姿が無くなっている。

 

「……気配が消えましたわ」

「うん。ここまで来て、襲われないのはおかしい」

 

 異様なほど静まり返った沼の中心部で、舟は動きを止める。リュディアも背負っていた盾を下ろし、柄に手を掛けた。

 

「? 今、ぅおっ!?」

 

 視界の端に、白いものが映った。オリバーも同じ物を見たのか声を上げたが、舟が急発進したことでその声はかき消されてしまった。

 三人の視線が舟を操るミリガンに向くが、リュディアは後方を注視していた。巧妙に魔力を隠しながら水中がら立ち上がったそれは、二十メートルは超えるだろう巨大な海蛇――の骨格(・・)だった。

 

「は?」

「サルヴァドーリとは別口の使い魔だ! ――しっかり掴まりなさい!」

 

 帆に呪文を重ね掛けし今までの倍以上の速度で進み始めた舟を、海蛇竜骨(シーサーペント)が追いすがる。

 

「ここは逃げの一手と洒落込もう!」

「迎撃は?」

「足止め優先! 地上までは追って来られない筈だ!」

 

 その言葉を受け、リュディアは杖を取り出した。オリバーとシェラの押し出し呪文で動きを鈍らせている間に、底から大岩を浮かび上がらせる。それらを上手く鼻先にぶつけてやると、明らかに動きが鈍った。

 

「舟を真面目に作った甲斐があったね! これなら逃げ切れ……あ、不味い」

 

 経過を見届けていたミリガンは不敵な笑みを浮かべ、再び前方を見てその笑顔が固まった。見れば進路上に無数の骨片が浮いている。あの程度なら突っ切れそうなものをと思ったが、相手はそう甘くは無かった。

 

「――集い形成せ(コングレガンタ)

 

 詠唱と同時にバラバラに散っていた骨が、生物の姿をとっていく。後方の使い魔と同じような形だ。じわりと魔力が充溢する。

 さすがのミリガンでも突然現れた障害物に対応することが出来るはずも無く、咄嗟に舵を切るのが精いっぱいだった。

 

「いきなりご挨拶だね、リヴァーモア先輩!」

 

 使い魔よりもさらに奥。肋骨の隙間から見える沼の上に、甲羅のようなものに乗った男が立っていた。常人よりも死に近い在り様が、言いようのない威厳を醸し出している。

 

「何、あまりに場違いな光景だったものでな。若い肉と連れ立って一体何をしている、蛇眼」

 

 その問いにミリガンは帆の下でしゃがんだまま答える。

 

「彼らの友人がオフィーリアに攫われてしまってね。奪還に行く途中なのさ」

「遠回りな心中か?」

「できれば生きて帰るつもりなんだけどね」

 

 平然とうそぶいて見せるミリガンに、リヴァーモアは不可解そうに眉を顰めた。

 

「お前はもう少し賢いやつだと思っていたのだがな」

「耳が痛いね」

 

 それには反論出来ずに苦笑したミリガンをちらと見て、シェラが一歩前に出た。止めようとしたオリバーを逆に抑えたあたり勝算はあるのだろうが、あまりにも危険すぎる。

 もしも話を蹴って襲ってきた場合に盾になれるように構えていると、ミリガンの足元に奇妙な魔力を感じた。まるで何かを誘っているような――

 

「――オフィーリア=サルヴァドーリの工房を見つけるまで、協力しませんこと?もちろん研究成果はお譲りしますわ」

 

 サルヴァドーリの研究成果が欲しくてここまで来ていると踏んで、シェラはリヴァーモアに交渉を持ち掛けた。こちらは仲間たちさえ取り戻せればそれで良いと。しかし、

 

「外れだ、生憎とな。俺とサルヴァドーリでは目指す場所が違い過ぎる」

 

 想定外の答えではあったが、シェラがそれで止まることは無い。こんなところまで来る以上、相応の理由があるはずなのだ。

 

「理由か。……いや、そんなものがあるのかどうか」

 

 自嘲。それは初めて見せる、人間的な仕草だった。利などなく、情で動く自分をあざ笑っていた。

 

「……まさかと思うけど。『お迎え』かい?」

 

 今まで後輩に話を任せていたミリガンが唐突に口を開いた。しかし魔力の放出は止めていない。ここに来て、リュディアにはミリガンの意図が計れたような気がした。もしそうであるならばと、手元に小さな壺を握り込む。

 

「馬鹿を言え。そんなものを俺などにはさせんだろうよ。だが、そうだな。弔問客ぐらいは任されてやってもいい」

 

 誰にも理解はされぬと、諦念のこもる声色でリヴァーモアは呟いた。しかしそれに気をやることは無く、淡々と杖剣を抜いた。

 

「両の指では足らぬほど殺し合った後輩への、義理のようなものだ。これで分かったな、マクファーレンの娘」

 

 もはや交渉の道は断たれた。苦々しい表情でシェラも杖剣を抜く。激突まであと幾ばくも無いというところで、リヴァーモアの両脇の水面が揺れ、何十本もの触手が飛び出した。リュディアもそれに合わせて小壺を宙に浮かべた。

 

「水棲の合成獣(キメラ)!?」

「良い時間稼ぎだったよ、シェラ君!」

「貴様、」

 

 全員の注意が合成獣(キメラ)に向いた瞬間、リュディアは小壺を投擲した。狙いはリヴァーモアと足元の甲羅だ。

 ぶつかる一瞬前に壊されてしまったが、おおよそ企みは成功と言って良いだろう。飛び散った中身が制服にこびり付くと、合成獣(キメラ)は躍起になってリヴァーモアを襲い始めた。

 

「お先に失礼、リヴァーモア先輩!」

「食わせ物め……!」

 

 舟は再び最高速度に到達し、リヴァーモアの姿が霧の向こうに消えていく。さすがのリヴァーモアでも、合成獣(キメラ)に襲い掛かられながら舟を追うのは難しいらしい。

 

「どうにか凌いだね。リュディア君もよく私の意図を読んでくれた」

「いや……」

 

 真正面から褒められるとどうにもむず痒い。予備の壺をしまい込んで意味も無く襟元を直していると、ずっと背後を見つめていたナナオが口を開いた。

 

「ミリガン殿、『お迎え』とは何でござるか?」

 

 問われたミリガンは、軽い驚きと共に振り返った。それからナナオの出自を思い出して、納得の色を浮かべる。

 

「魔法使いの慣習のようなものでね。――魔に呑まれた者の元には、その最期を看取る者が向かう。時には命を賭してでもね。それを、私たちは『お迎え』と呼ぶのさ」

 

 

 

 

 




【冷静】

魔術教授、ミリアムの魔術

発狂、睡眠の蓄積を軽減する

抑圧はいずれ忘却に変わる
今はそれすらも忘れられているのだが
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