黄金樹の麓から   作:シショ

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第6節

 

 詠唱は結ばれた。

 回復した七人が辺りを見回すと、風景が一変していた。空は脈打つ肉塊で覆われ、足元には大小さまざまな血管が走っている。いずれもほのかな熱を帯びており、まるで巨大な生き物に呑まれたようだった。

 

「っ!」

 

 不意に感じる、奇妙な懐かしさ。この光景は命の生まれる地――

 

「……子宮か」

 

 油断なく周囲を警戒していたミリガンがそう呟いた。絶界詠唱(グランドアリア)は術者のいる魔法である以上、モチーフが存在する。サルヴァドーリの特性から導いたものであったが、その考えはすぐに肯定されることとなった。

 目の前の空間、だだっ広い肉の平野に次々と瘤が盛り上がる。そして熟れた果物が弾けるように、そこから異形が這い出てきた。

 

終わらぬ式もて(・・・・・・・)答えと成さん(・・・・・・)……」

 

 オリバーは詠唱の一節を口にする。

 元々合成獣(キメラ)とは、完璧な生命を求めて作られたものであるという。どの生物も一つは欠陥を抱えている。その中から『正解』の組み合わせを見つけ出すために合成獣(キメラ)は生まれたのだ。

 しかし、その試みは失敗した。サルヴァドーリの祖である純血の淫魔(サキュバス)は『正解』を見つけられないまま絶滅した。この絶唱はその目標に対して異を唱えたのだ。変化と進化。その先にある適応こそが、生命の本質であると――

 

「ちょっ、何これ! ウソでしょ!?」

「、ステイシー!? あなた、どうして」

 

 焦りを多分に含んだ声に、オリバーの思考が途切れる。声の方を見れば、慌てふためく女生徒と一緒に以前シェラとナナオが戦ったコーンウォリスの姿があった。二人は背格好と、何より髪型がそっくりだった。リュディアたちがミリガンに頼んだように、コーンウォリスも親類を頼ったのだろうか。

 

「状況は九割がた詰みだ。まぁ、やるべきことは分かるね?」

 

 剣を構える。

 返答はそれだけだった。それだけで、十分だった。

 

「そうさ。私たち魔法使いに、絶望なんて贅沢は許されちゃいない!」

 

 リュディアが剣を振りかぶる。ミリガンはその様をこの道中で何度も見てきた。そこから選択するのはこの呪文――

 

地を焼き焦がし(フォルティス) 炎熱は覆う(フランマ)

 

 業火が生まれて間もない合成獣(キメラ)を包む。範囲を広げたために殺すところまでは至らなかったが、炎を耐えた先には氷の大剣があった。

 リュディアが一振りで合成獣(キメラ)を斬り払い、戦場に空白が生じる。

 

「リネット、結界を張れ!」

「この状況じゃ気休め以下よ!?」

「守りに専念してもらうさ。頼むよ」

「っ、あぁもう!」

 

 コーンウォリスと一緒に居た女生徒にミリガンが声を掛け、魔法陣を形成させる。その中に居れば、数分は寿命が延びることだろう。しかしそうしている間にも合成獣(キメラ)は生まれ続ける。広範囲に影響を及ぼせる技があれば、生まれるまでの隙を突けるのではないか。

 

「リュディア」

「ん」

「一番火力のある魔術は?」

「[アステール・メテオ]かな。隕石を出すやつ」

 

 アステール・メテオ。

 重力を操る魔術……だった筈だ。アステールが隕石を落とすのに使っていたものだろう。

 

「それで合成獣(キメラ)を倒せる?」

「たぶんね。サルヴァドーリ一人を狙うよりは簡単だ」

「そう。それなら任せる」

 

 そう言って、マリアは一本の瓶をリュディアに投げ渡した。合成獣(キメラ)を撃ち抜く片手間にそれを受け取ったリュディアは視線を向け、ぎょっとした表情で見返した。

 

「……本物?」

「? うん」

 

 中に溶け込んだ雫を見て、リュディアの背に嫌な汗が流れる。狭間の地に黄金樹が残っていない今、失われたとされる遺物の一つだ。

 

「来るよ!」

 

 ミリガンの声と共に合成獣(キメラ)が一斉にこちらへ向かってくる。オリバーとシェラの魔法が足を止めさせ、ナナオとマリアの剣が体を削いでいく。

 リュディアはむくりと首をもたげた研究欲をねじ伏せた。出来ることなら使わずに済ませたいが、死んでしまっては何も出来ない。ただでさえ律から外れている身であるのだから。

 

(でも今じゃないな。本体の場所が分からない)

 

 そう、問題はそこだった。

 絶唱を結んだサルヴァドーリの姿がどこにもないのだ。そのせいでマリアたちは終わりの見えない戦いを強いられている。スタミナの回復のため一時後ろに下がったマリアの穴を埋めたリュディアは、暴れる合成獣(キメラ)の向こう側を見渡す。

 

「……ふふ、素敵……そんなに戦えたのね、あなたたち……」

 

 それを見計らったわけではないだろうが、際限なく生まれ続ける合成獣(キメラ)の只中に、人影が立ち上がる。輪郭こそ人のそれだが、実態は肉から生え伸びた上半身でしかない。

 

「まだ人格が残っているとはね! 魔に呑まれる気分はどうだい、サルヴァドーリ!」

「……最悪、よ……思っていた通り。でも、少しはもちそう……あなたたちの死に様を、見届けるくらいにはね」

 

 ぼんやりと自分の体を見下ろして、サルヴァドーリはミリガンからの問いに答える。その様子を見たミリガンは、尚も言葉を畳みかける。

 

「大した往生際の悪さだね。よっぽど未練が残っているようだ」

「……なんですって?」

「四年に満たない学生生活に、心残りでもあったかな? ――そういえば、初恋は散々だったんだろう、君は!」

 

 その瞬間、合成獣(キメラ)の動きが鈍った。それは隙にもならないわずかな時間だったが、ミリガンの言葉は確かに影響を及ぼしていた。

 

「しかしねぇ、いくら若かったとはいえ自分の立場が分かっていなかった。君とゴッドフレイ統括なんて、見合わないにも程がある!」

「黙り、なさい……!」

「君に出来るのは、せいぜい誘惑して子種をかすめ取るくらいのものさ。いやはや感心するよ。同じ魔法使いとして、とてもそこまで卑しくはなれない!(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

「――黙れぇッ!」

 

 母体の怒りに反応したように、合成獣(キメラ)の矛先が一斉にミリガンに向く。そしてそれこそが、ミリガンの狙いだった。

 

光よ目を焼け(マグヌス) 音よ耳を裂け(フラルゴ)

 

 閃光と轟音が合成獣(キメラ)の動きを鈍らせる。白く染まった世界から復帰するまで僅か数秒。しかしミリガンはその隙を突き、箒に乗って飛び上がる。

 しかしサルヴァドーリに切っ先を向ける頃には、視力は既に回復していた。下半身と融合した肉の大地から触手を伸ばし、ミリガンの体を絡め取る。

 

「……っ!?」

 

 ミリガンにとってはそれすらも想定内。前髪の隙間から覗く石蛇(バジリスク)の瞳が、サルヴァドーリを捉えた。

 

雷光疾り(トニト)――

「――馬鹿ね」

 

 ミリガンの詠唱は、自身の口からあふれ出る大量の血液によって止められた。視線を下にずらせば、胸を触手が貫いている。

 

「石化の呪いなんて、とっくに克服しているわ」

「ミリガン先輩ッ!」

 

 オリバーが叫んだ。しかしサルヴァドーリは合成獣(キメラ)をけしかけることもせず、手中に落ちたミリガンを睨みつける。

 

「もう一度、言ってみなさい。……私が何ですって?」

 

 肺を貫かれ、腕をもがれ、果てには命を握られている。しかし、ミリガンは激痛の中、血を吐きながら言いつのる。

 

「未練がましい、と、そう言ったのさ。魔法使いとして高みに至ろうというこの時に、あのサルヴァドーリが、生娘のような後悔に執着している。……げほっ、は、ははは。これを笑わないなんて、無理というも、ッ!」

 

 新たな触手が腹を食い破り、全身を締め上げる。

 足元に生まれた血だまりには目もくれず、サルヴァドーリは必死にミリガンを痛めつける。だが、いくら痛みに悶えるミリガンを見ても、心の内に宿った動揺は、かつて憧れた背中は、消えない。

 

「……してない。してないわ……後悔なんて…………!」

 

 

 

 

「母体の感情に影響を受けて合成獣(キメラ)の動きが鈍っている。……最後のチャンスだ。皆、動けるか?」

 

 疲弊した体に鞭を打って、それぞれが答える。

 

「うん」

「……いけるよ」

 

 マリアは聖印と杖剣を握り直し、リュディアが聖杯瓶に口をつける。最後にして最大の勝機だ。出し惜しみなどしていられない。

 

「えぇ」

「承知」

 

 シェラとナナオからも即座に肯定が返る。全力で戦い続けた二人には、体力も魔力もほとんど残っていない。それでも仲間と共に生きて帰るために、気力を振り絞る。

 

「私も……!」

「こうなったらやってやるわ!」

「ボクだって……」

 

 コーンウォリスの姉妹が覚悟を示し、ピートも震えを押し殺して杖を握り締めた。

 視線を戻せば、ミリガンが命を懸けて作った最大の隙がある。そしてオリバーが出した案は、作戦とも呼べない愚直な賭けだった。

 

「俺たちで注意を引く。その間に、ナナオが斬り込む」

 

 目標まで辿り着く箒乗りとしての実力と、敵を切り伏せる魔法剣の腕。それをどちらも併せ持つのは、この中ではナナオだけだ。こっそりマリアがステイシーの姉にも尋ねたが、戦闘は得意じゃないと申し訳なさそうに答えてくれた。

 

「――承知致した」

 

 対してナナオは神妙に頷いた。オリバーを心の底から信頼しているが故の潔さ。

 それを見届けたマリアは一歩前に進み出て、立て続けに祈祷を行使した。黄金の光が傷ついた体を癒し、力を漲らせる。

 

「私たちは地上から攻める。こちらのことは気にしなくていい」

「っ……必ず、生きて帰りましょう」

「あぁ」

 

 ぎゅうとシェラに抱きしめられた。同じように抱擁を返したマリアは、聖印を握り締めて合成獣(キメラ)に向き直る。

 

「行くぞ!」

 

 飛び上がったオリバーたちを見送って、マリアは己の内に集中する。坩堝の諸相、竜餐、狂い火、黒炎、血盟、雷、獣。その全てを一つに宿す。

 肌が鱗に覆われ、その隙間から角が伸びる。全身の血は煮え滾り、雷を纏い、黒炎と狂い火が燃え盛る。マリアとは似ても似つかぬ、変わり果てた姿がそこにはあった。

 

「準備を」

「いつでも」

 

 リュディアから返った言葉を聞くや否や、マリアは全力で駆け出した。合成獣(キメラ)を跳ね飛ばし、引き裂き、燃やし尽くす。それでも尚湧き続ける合成獣(キメラ)は、後方から飛来した小隕石に圧し潰された。

 視界にサルヴァドーリ(目標)を捉え、マリアは力のままに走った。しかしこれだけ開けてしまえば、向こうからの視線も通る。

 

(ナナオは……いた)

 

 討ち漏らした合成獣(キメラ)からの妨害を受け、一人、また一人と地に落ちていく。

 マリアは回復祈祷で自身を保ちながら、ついにサルヴァドーリに迫った。しかし蜘蛛型の合成獣(キメラ)が張った透明な罠にかかり、勢いを殺されてしまう。

 

「――!」

 

 左手を起点として、全身から炎が噴き出す。自分ごと罠を焼き尽くして顔を上げたマリアは、ナナオの剣がサルヴァドーリの首の皮一枚を斬り裂いて虚しく堕ちるのを見た。

 瞬間、加速したマリアが左半身を削り取った。そして再生しながらこちらに向いたサルヴァドーリと目を合わせる。

 

「ッ、ァアアアッッ!?」

 

 サルヴァドーリの眼球から狂い火が噴き出した。大きくのけぞった体に、発狂伝染が効いたことを確信してさらに攻め込もうとしたマリアだったが、急激に全身から力が抜けていく。

 

我が身に戻れ(ドゥーケレ)

 

 オリバーが膝をつきかけたマリアを引き寄せる。抱きかかえられたまま横を見れば、ぼろぼろのナナオが倒れていた。

 

「怪我を!?」

「いや……時間切れだ」

 

 鱗と角に覆われた腕が元の白さを取り戻し、体表を奔っていた炎が消えていく。こほりと咳き込めば、手のひらが真っ赤に染まった。

 元々、どれか二つを同時に使うことすら無理難題だったのだ。まして竜餐と坩堝の祈祷は体を作り変える都合、長時間使い続けるのは危険だ。

 

(元に戻っただけ、良しとするか)

 

 マリアは力の入らない体で無理やり立ち上がった。サルヴァドーリを挟んだ向かい側では、今もリュディアが戦っている。こみ上げた血の塊ごと青雫を飲み下し、三度マリアは剣を構えた。

 

「死ぬ気か、マリア」

 

 ナナオの治療を行っていたオリバーが投げかけた言葉に、マリアは返事をしなかった。一度は死ぬだろう。こちらではもう会えないかも知れない。――それでも。友達が死んでしまうよりは、何倍も良かった。

 じりじりと狭まる合成獣(キメラ)の包囲網をぼんやりと見ながら、狂熱の香薬を取り出す。蓋を斬り飛ばし口をつけようとしたその時、

 

「――間に合ったか」

 

 オリバーの背後から一筋の光が差した。そしてそこから二つの影が歩み出る。

 

「カルロス……?」

 

 サルヴァドーリが呆然と呟く。光の中から現れたのは、アルヴィン=ゴッドフレイとカルロス=ウィットロウだった。

 

「随分遅れてしまったけれど……迎えに来たわ、リア」

 

 カルロスがマリアの横を通り過ぎて前に出る。ふらついたマリアの体を支えたのは、ゴッドフレイだった。彼はマリアをナナオの隣に横たえて、歩を進める親友の背中をじっと見つめる。

 一歩、一歩と歩むカルロスを半狂乱のサルヴァドーリが打ち据える。しかしカルロスは反撃も防御もせず、ただひたすらにそれを受け入れた。そして、

 

「ごめんなさいね。約束したのに、笑顔にしてあげられなくて」

「……馬鹿じゃ、ないの。あんなの、忘れなさいよ……っ」

 

 マリアは薄れつつある視界に、抱き合う二人を捉えた。カルロスの魔声によって綻んだ世界が、光となって降り注ぐ。

 

「愛してるわ、リア。ずっとずっと、愛してる」

 

 答えは、聞こえなかった。それでも、サルヴァドーリがそれを拒まなかったことだけは分かった。最後の瞬間に一人でなかったのは、幸いだったのだろうと思った。

 カルロスの歌声によって、閉じた世界は終わりを迎える。それを見届けることなく、マリアは深い眠りについた。

 

 





【旧き律】

褪せ人、マリアの祈祷
最後にして最大の切り札

習得した祈祷全てを身に宿す
使用中は常にHPとFPを消費する

全てが混ざり合ったその姿は原初の混沌に似ている
それは古の、秩序無き在り様である
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