一体どれだけ眠っていたのか。やけに動かしづらい体とぼんやりとした視界の中、マリアは目覚めた。周囲を探ろうとしたが、物音ひとつしない。その代わりどこか懐かしい冷たさが体を包み、思わず目を閉じてしまいそうに――
「おや。気が付いたか、私の王」
その声を聞いて、マリアの意識は今度こそ覚醒した。次第に鮮明になっていく視界に、見知った色が現れる。
薄青の肌に、顔の半分を隠すように浮かぶ霊体。そして身体の下に感じる、慣れ親しんだ温度と硬さ。それは紛れもなく、暗月の女王、ラニであった。
◆◆◆
「私は死んだのか?」
「いや、生きている」
危ういところだったがな。
ラニはそう続けた。そして湖面から結晶鏡を浮かび上がらせ、撫でるように指を動かした。すると鏡面が揺れ、ある場所の風景を映し出す。
「……私?」
そこに大きく映し出されたのは、沼地に倒れるマリアの姿だった。上から覗き込むように映し出されているが、普段そのように自分を見ることはないため、マリアは妙な気恥ずかしさを覚えた。
見ているとぐったりと力の抜けたマリアの体が白い手に抱え上げられ、運ばれていく。
「この映像、どこから?」
「少し前に、遣いをやっただろう。あれの目を使っている」
「リュディアの?」
言われてみればさっき持ち上げてくれた手はリュディアのものだったし、運ばれている今も視点が周囲よりかなり高い。
しかしラニの配下とはいえ、そんなことが出来るのだろうか。ブライブとイジ―の死はいつの間にか知っていたようだったが、あの二人は長年連れ添った侍従だ。それに対してリュディアが仕え始めたのは最近だと聞く。
「以前までは不可能だったが、あれが竜の心臓を受け入れたのでな」
「リュディアが竜餐を?」
「いや。アデューラのことは覚えているか?」
「あれだろう、塔の前にいた」
輝石竜、アデューラ。
ラニに仕えていた竜であり、マリアの前に立ちはだかった結果討伐されている。竜としては珍しく魔術を使っていたため、印象に残っていた。
「心臓は私が持ってたはずだけど」
「一つ残っていただろう。調理しようとしていたやつが」
「あぁ、アレ」
ともかく、ラニに心臓を渡していたのは確かなようだ。だとしても、竜餐以外で力を与えるなんてことが本当に出来るのか?
「そこは問題ない。あの心臓を介して力を与えているようなものだ」
「……それ、リュディアに影響はあるの」
「無くはない。慣れないうちは特にな。しかしあれはかなり頑丈に創られている」
「えっ」
「まぁ負担にはなるだろうから様子を見ておくといい」
「! わかった」
マリアは自分のせいでリュディアが苦しむなどあってはならないと頷いた。
そうしてリュディアに横抱きにされたまましばらく歩いたところで映像は打ち切られた。マリアが顔を上げると、ラニは手を振って結晶鏡を消した。
「さて」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が寒くなった。
対するラニの顔には笑みすら浮かんでおり、何も怖がることなど無いようにも思える。しかし嫌な予感というものは、よく当たるのだ。
「何故ここに
「え……無茶をした、から?」
「無茶という自覚があったのか。それは何よりだ。それから?」
するりと腹に手を回される。一見余裕があるように見えて、その実腰をしっかりと抑えられてしまったマリアは逃げられないと悟った。
「あの祈祷、とか」
「あれは私も想定していなかった。後でゆっくり聞かせてもらおう。それで?」
腕の締め付けが強くなった。マリアはいよいよ不味いかと思いながら、必死に脳を回転させる。
きちんと毎食食べているし、睡眠もしっかりとっている。成績……は気にするだろうか。まぁラニが黒だと思えば白でも虹でも黒なので、考えるだけ無駄かも知れない。
「あと、あとは……」
「……そうだな。私からはあまり言いたくないが、」
言いたくない!
おおよそラニから聞くはずのない言葉が飛び出してきて、マリアは酷く動揺した。そしてそれほどのことをやってしまった自分を責め、記憶を掘り返す。そうして出てきた心当たりは、出会ったばかりのリュディアとの会話だった。
『いっつもあの金髪の子と仲良くしてるでしょ?』
まさかそういうことなのか。ちらと上を見ると、しっかり目が合った。唾を飲んだマリアは、意を決して口を開く。
「シェラと、仲良くし過ぎた……から?」
恐る恐るといった答えには、大きなため息が返った。上を向いたまま固まってしまったマリアを、ラニは不機嫌そうに見ている。
気まずい雰囲気に目を逸らせずにいると、ラニは残りの腕でマリアの頬を包んだ。
「……分かっているじゃないか」
「ぇ、」
「何だ、呆れているのか?」
「い、いや……」
あっさりとした答えに、マリアの中では申し訳なさよりも驚きの方が勝ってしまっていた。
ここまで心の内を明かすとは、余程自分の行いが許せなかったに違いない。そう考えたマリアが口を開こうとすると、ふに、と頬をつままれた。
「送り出した手前言わずにおくつもりだったのだが、危機感を覚えてな」
「危機感?」
ラニはマリアの頬から手を放し、左手に嵌まった指輪に触れた。つられてマリアもそちらを見ようとしたが、もう片方の手で首を押さえられてしまう。
「この指輪は、お前とその近くにいる者を視ることができる」
「そうなのか」
「それでお前の生活を時々覗いていたのだが、」
「うん」
眉を寄せて不満げな視線を寄こすラニが珍しく、ついじっと見つめてしまった。ラニはその態度が気に食わなかったのか、腰に回していた腕を下ろしてマリアの膝を擦った。
「ひゃっ」
「覗いていたのだが。あの金髪の娘と距離が近くはないか?」
「あ、あれは私が」
「世話をされていただけ、か。まぁお前は常識の欠けたところがあるからな」
膝の弱いところをくすぐられ、マリアは身悶えする。そこそこの暴言が聞こえた気もしたが、次の瞬間には頭から消えていた。
ラニは四本の腕を活かして存分にくすぐり倒すと、息も絶え絶えのマリアを抱き上げて向かい合うように座らせた。
「ともかく、お前は私の伴侶として自覚をもつことだ。分かったな?」
「はひ……」
「本当に分かっているのか……? まぁ、そうだな」
「?」
疲れ切ったマリアはそのまま眠ってしまいそうになっていたが、意味ありげに言葉を区切ったラニにむりやり頭を上げた。それを見たラニは膝の上から落ちてしまわないように寄りかからせると、袖口から取り出した鈴を振った。
その音色に呼応して、湖面に一つの人影が浮かび上がる。それは星見の装束を身に纏い、髪を肩のあたりで切り揃えた少女だった。
「
「ふむ」
妹がいる、などという話は聞いたことがない。単に聞かなかったからだとは思うが、何か事情があるのだろう。マリアが起きるまでに覚えておけるか少し不安に思っている間にも、ラニは淡々と説明を続ける。
「今回は従者としてではなく、研究者として送り込む。お前も協力してやれ」
「わかった」
「詳しいことは本人に聞いておけ」
またも手を振って霊体を消し、ラニはマリアと目を合わせた。
「今回の
その言葉を皮切りに、マリアの意識が薄れていく。
こちらを見つめるラニの瞳が、微かに憂いを帯びているように見えた。
◆◆◆
次に目を開くと、石造りの小部屋に寝かされていた。感覚的には二度目の起床だが、気分はすっきりとしている。うん、と伸びをして起き上がったマリアは、真っ先に体の調子を確かめた。痛みも、引き攣るような感覚も無い。誰かは分からないが、綺麗に治してくれたようだ。
マリアはベッドから降りて、大部屋に繋がる扉に手を掛ける。時間によっては誰もいないかも知れないなと思いながら扉を開けると、厨房からものが落ちた音が聞こえた。
「マリア!?」
厨房に立つガイが声を上げたのとほぼ同時に、大広間に繋がる扉が開いた。
見れば白い肌をさらに青ざめさせたリュディアがいた。立ち尽くすリュディアに駆け寄ると、震える手で頬を撫でられる。そしてそのまま腕を回して、包むように抱き締められた。
「ごめん……マリア、あたし……っ」
今にも泣き出しそうな声音に固まってしまったマリアへ追い打ちをかけるように、ガイが他の皆を呼びに行く。
「マリア!」「目が覚めたのか!?」「ちょ、押すな!」「もむむっ!?」「ナナオ、水!」
騒がしくこちらに向かってくる仲間たちに、自然と笑みがこぼれた。月の湖とはまるきり正反対だが、どちらも好ましい。
「ただいま、リュディア」
「……おかえりなさい」
今はこの幸せを享受しようと、マリアは微笑んだ。
「体温、脈拍共に異常なし……気分はどうです?」
ベッドに座ったマリアは、シェラの診察を受けていた。落ち着かない様子で室内を歩き回っていたリュディアは、ナナオとカティに挟まれ固定されている。一応服を脱ぐ必要があるからと、オリバーとガイ、ピートは外で待機している。
「平気」
「それなら良かったですわ。一時はリュディアが荒れに荒れて、」
「その話はいいよ」
急に話を遮ったリュディアに目を向けると、ふいと顔を逸らされた。しかしナナオが下から覗き込んだため、観念したのか視線を泳がせる。
「……まぁ、ちょっとね。気にするようなことじゃ」
「枕」
「そ、れは違くて」
「?」
ぼそりとカティが呟くと、途端にリュディアは焦り出した。枕がどうしたというのだろう。しかしその時部屋にオリバーの声が響き、その疑問が発されることはなかった。
部屋に招き入れられたオリバーはマリアの様子にほっと胸を撫で下ろし、一緒に入ってきたピートは何やら緊張した面持ちでいる。オリバーに背中を押されて進み出たピートは、深呼吸をして口を開いた。
「助けてくれてありがとう、マリア」
「! ……うん」
真っ直ぐに謝意を向けられ、マリアは照れた。そして恥ずかしそうにはにかんで頬を染めるというまるで年頃の少女のような仕草に、リュディアとシェラが胸を抑えた。
「ごほん。……起きたばかりで悪いが、動けるようなら葬儀に参列しよう」
「葬儀?」
オリバーはマリアを気遣いながら、そう言った。その言葉につられてか、部屋の雰囲気も少し落ち込んだように感じる。
「あぁ。年に一度の、合同葬儀だ」
◆◆◆
静まり返った広場に、押し殺した嗚咽が響く。葬儀に参列したマリアたちは、後方に並んで式を見守っていた。今回の件で犠牲になった者の他にも、魔に呑まれた者や実験に失敗して命を落とした者の名が呼ばれていく。
「……好かれていたのですね、ウィットロウ先輩。本当に、多くの人に」
「あぁ。そうだな」
シェラとオリバーが小さく言葉を交わす後ろで、マリアは安置された棺を見つめていた。遺体が入っていないものもあるというそれには、生前の好物が備えられている。
ふとマリアは、とりとめもないことを考えた。もしピートを助けられなかったら。もしシェラたちが死んでしまったら。
(私は、良い。本当に死ぬ訳じゃない。でも、皆は)
死ねば、終わりだ。顔を合わせることも、言葉を交わすことも出来ない。ブライブやイジ―、アレキサンダーのように、想いだけを遺していなくなる。マリアは膝に乗せた手をきつく握り締めた。
葬儀の段取りが滞りなく終わり、弔問客が少しずつ去って行く中で、マリアたちはまだ残っていた。そこに一人の偉丈夫が近づいてくる。
「君たちも来てくれていたか」
その人物は現生徒会会長、アルヴィン=ゴッドフレイであった。少しこけた頬と暗い雰囲気は、彼を一回り小さく見せていた。
「ゴッドフレイ先輩」
「そう畏まらなくていい。……合同葬儀は毎年のことだ。死人が出なければ行われないが、俺が入学した年からはずっとだ。過去に遡ってもそうなのだろう」
ゴッドフレイは会話の途中から、棺の方に目を向けていた。今まで何人の友人を見送ってきたのか。なぜそれでも戦い続けられるのか。マリアには分からなかった。
「……胸中、お察しします」
「ありがとう。だが、そう悪いことばかりでもない。カルロスが彼女の最期に間に合った。それから、君たちが無事でいてくれた」
そう言うとゴッドフレイはオリバーの肩を叩き、別の弔問客の方に歩いて行った。そしてそれと入れ違うように、一人の女生徒がこちらに歩いてくる。
「やぁ。もう体は良いのかい?」
「……」
「ミリガン先輩こそ、大丈夫だったんですか」
「私かい? 私は体に穴を空けられただけで済んだからね」
マリアが上手く答えを返せずにいると、カティが質問を投げかけた。それに対する答えにカティは戸惑ったが、ミリガンなりの冗談だったのだろう。すぐに謝ると、マリアたちを順々に見やった。
「律儀だなぁ、君たちは。ピート君も含めて全員参加とは」
「先輩は、何故?」
「……彼女に一言、詫びたくてね。酷いことを言ってしまったから」
ミリガンは苦い笑みを浮かべて、サルヴァドーリの棺を見た。戦いの中、隙を作るために放った言葉を思い返しているのだろうか。
「『とてもそこまで卑しくはなれない』か……よく言えたものだよ。あの場で私は、誰よりも卑しく振舞ったというのに」
「……だとしても、あたくしたちはその言葉に助けられましたわ」
自嘲を含んだ言葉に、シェラはゆっくりと返答する。後ろめたさを共有するような、こちらを慮った返答を受けて、ミリガンは眩しいものを見るように目を細めた。
「……あまり、遅くならないようにね」
「はい。また」
それだけを言って、ミリガンは離れていった。マリアがその背中をぼんやりと見送っていると、隣でカティがぽつりと呟く。
「……当たり前なんだね、これが」
「カティ?」
「こうやって、簡単に死んじゃうなんて、魔法使いだからって、幸せになっちゃいけないの? ずっと笑っていられないなんて、誰が決めたの?」
葬儀が始まってから胸の内に秘め続けた思いが、遂にあふれ出す。魔道の宿命に、魔法使いの行き着く先に、カティは異を唱える。
「わたしは認めない。こんなの、絶対に認めない……!」
【マリアの枕】
褪せ人、マリアが用いた枕
ごくありふれた素材で作られている
特定の人物が使用すると睡眠に補正が掛かる
かつて一度だけ盗まれたことがあるようだ
現場には銀色の髪が残されていたという