第1節
「──去年はここで十六人が死んだ。各々成果を残してな。諸君はどうだ?」
校長の温度が感じられない声が、朗々と広間に響く。マリアたちはそれを新入生たちの
周りを見渡せば、広間に配置されたテーブルに次々と温かな料理が運ばれてくるのが見える。式の重苦しい雰囲気とは裏腹に、歓迎の準備が着々と進んでいた。
「この場を去る者はいないようだな。……ひとまずは歓迎しよう」
その言葉と共に唐突に足場が消え、新入生たちが落ちてくる。そしてその中から、一人の少女が灰色の髪をなびかせてマリアとリュディアの目の前に降り立った。
「お初にお目にかかります、マリア様。アーシャと申します」
目の前で傅いたアーシャに、マリアは渋い顔を見せた。
「そんなに畏まらなくていいから……」
「はぁ、そうですか。わかりました」
マリアがそう伝えると、アーシャはあっさりと言葉遣いを砕けたものにした。そして何気なく立ち上がったが、ここでマリアは彼女の背が思ったよりも高いことに気が付いた。リュディアに続いて、またしても見上げる形になる。
「じゃあ行こうか。向こうで皆待ってるし」
「姉さんはよくその言葉づかいで許されてますね」
「あたしとマリアは友達だからね」
「……はい?」
後ろから聞こえる姉妹の気の抜けた会話に耳を傾けながら、マリアはシェラ達の待つテーブルに向かった。そこにはいつものメンバーと共に、四人の新入生がいた。近づいて行くとその内の一人と目が合い、その視線を追うかたちでオリバーが振り向く。
「どこに行っていたんだ?」
「人を迎えに」
「人……?」
マリアとオリバーが話している内に他の注意も集まってきた。それに気づいたリュディアが、ちょうどいいとばかりにアーシャの背中を押す。
「というわけで。こちら、あたしの妹」
「初めまして、アーシャ=ムーングラムです」
ぺこりと笑顔で挨拶したアーシャに、驚いたような目がいくつか向けられる。中でもカティの視線はリュディアとアーシャの間を行ったり来たりしていた。その間に、アーシャは椅子を持ってきて新入生の輪の中に滑り込む。
「こんにちは。お名前を伺っても?」
「えっと、リタ=アップルトンです」
「おれはディーン=トラヴァース。んで、」
「ぼくはピーター=コーニッシュ」
「私はテレサ=カルステです。よろしくお願いします」
最後の一人が声を発した時、マリアは少しの違和感を覚えた。マリアと同じくらい小柄な彼女の気配が妙に薄い。さりとて隠しているという風でもなく、自然体で
(アーシャは気づいているかな)
マリアは、にこにこと人当たりの良い笑顔を浮かべて同級生たちと話すアーシャの横顔を見つめる。あれこれと質問をしながら料理に舌鼓を打っている様子からは、警戒は読み取れなかった。しかしラニが一人での行動を主な目的として送り込んで来た以上、その手のことに心配はいらないだろう。
「それじゃあ、後は目一杯楽しんでくれ!」
その声と共に、新入生以外は解散となった。マリアもアーシャに手を振って、外へ向かう列に並ぶ。廊下を歩いていると、ずっとそわそわしていたカティが口を開いた。
「リュディア、お姉さんだったんだね」
「ん? まぁ、そうだね」
「……一人っ子だと思ってた」
その言葉にマリアは無言で同意した。ぼそりと呟いた一言はリュディアには聞こえなかったようで、気にする素振りは無かった。
マリアはその様子を後ろで見ながら、去年の死闘を思い出していた。校長の言う死人には、あそこで命を落とした二人も含まれる。マリアは仲間たちがそこに連なることの無いようにと、決意を新たに歩き出した。
◆◆◆
学年が上がれば学ぶことも増える。それはキンバリーでも例外ではなく、マリアたちは新しい教室に訪れていた。造りはほとんど変わらないが、それだけに机の上の水盆と教室脇の流し台が目立っている。
「……やけに緊張してんな。初めての科目なのはそうだけどよ」
「いえ、これが正しいあり方ですわ。これから学ぶことは、それだけの心構えが必要なのです」
シェラの言葉に、オリバーが重々しくうなずく。これから学ぶ呪術については、リュディアと二人で予め調べていた。しかし狭間の地における呪いとはまるで異なり、マリアの祈祷でも対処できるかは分からない。
マリアはリュディアと目を合わせ、小さくうなずき合った。もしもこちらに矛先が向いた場合は、聖律祈祷によって妨害しながら全力で逃げると決めている。『関わること』自体が危険である以上、それでも間に合わないかもしれないのだが。
「──来た」
オリバーの呟きと同時に教室中の視線が入り口に向けられた。そして、音も無く開いた扉から闇が流れ込む。その瞬間、強烈な悪寒がマリアの背筋を襲った。
(これは、駄目だ)
矛先や関心などと言っている場合ではない。ただ生きているだけで呪いを振りまく。
「まずは、ごあいさつ」
床を滑るように動いたそれが教壇に立つと、内側から青白い顔と手が浮かび上がった。そこから発されるのは喉を潰された羊のような、不安定な声。それを聞いてマリアは不思議と納得した。あれが発するのに、これより相応しいものは無い。
「呪術担当の、バルディア=ムウェジカミィリだよぉ。みんなとおんなじ年頃に見えるかも知れないけど、実際はバナちゃんと同い年。呪いで体が成長しないんだぁ」
バナちゃんっていうのはバネッサのことだよ、などと付け加えそれは教室を見渡す。そしてゆっくりと言葉を続けた。
「今日はふつうに概論だけど、その前に注意してほしいことがあってね」
息を詰めていたマリアは、ハッと顔を上げた。集中し過ぎて気づいていなかったが、空気が段々と澱んできている。その原因は、やはりバルディアにあるように思われた。
「わたしには絶対に触っちゃだめ。わたしが触ったものも、歩いた跡も同じ。それから同じ空間に二時間以上いるのもね。じゃないと
マリアは突然湧きあがって来た吐き気に、シャツの胸元を握り締める。視界の端で観葉植物が枯れていくのが見えた。
「わたしは見ての通り筋金入りの呪い持ちでね、ほら」
バルディアが後ろを指さす。そこには枯れ切って崩れていく植物があった。シェラは振り向いた先でマリアと目が合い、その顔色の悪さに目を見開く。
「耐性の無い植物とか動物は、ああやって枯れちゃうんだ。きみたちもさっきの注意を忘れたらそうなるから、気を付けてね」
その言葉が終わるかどうか、といったところで何人かの生徒が口元を押さえた。魔法使いとして未熟な体が呪いに拒否反応を示しているのだ。
「気分が悪くなったら、横の流し台に吐いてね。わたしと同じ空気を吸ったら吐きたくなるのが当たり前。我慢なんて、しなくていいんだよぅ?」
何人かの生徒がたまらず席を立ち、ピートもそれに続く。オリバーが介抱に向かうのを横目に、リュディアがそっとマリアの背中に手を添え、耳元で囁いた。
「大丈夫?」
「……うん。このくらいなら、治せる」
じわりと聖印から魔力が漏れた。マリアは体内の呪詛を打ち消しながら、蝕まれた体を治療していく。そしてピートにも同様の処置を施そうとした時、普段の様子が噓のように黙り込むガイが目に入った。
「ガイ……?」
「んー? そこのきみ、我慢はだめだってば」
バルディアもほどなくそれに気がつく。しかしガイは動こうとしない。マリアが聖印を持った手で触れようとすると、小さく声を絞り出した。
「……やめときます。人の面見て吐くなんて、やりたかねぇんで……」
「──へぇ?」
バルディアが動き出す。黒衣が滑るように教室を移動し、ガイに近づいて行く。
「うれしいなぁ、そんなことを言ってくれるなんて。お名前はなんていうの?」
「…………ガイ、グリーンウッド、っす」
「ガイくんかぁ、かっこいいねぇ。でも、」
バルディアが迫るほど、ガイの吐き気が増していく。口元を引き結んで必死に我慢しながらも限界を感じたその時、黄金の光が彼を包んだ。背中に触れた感触に振り向くと、マリアが手を伸ばしていた。
「……呪詛の中和? ううん、完全に消してる。きみ、お名前は?」
「マリア=ターニッシュ」
「ふふ、覚えたよ、マリアちゃん。いつかお話したいなぁ」
やけにあっさりとバルディアは身を引いた。マリアがそのまま治療を続けていると、大きな手が頭に乗せられた。
「ありがとよ、マリア」
まだ顔色は悪いものの笑顔を浮かべたガイに、マリアも薄く笑みを返した。戻って来たピートにも軽く治癒を掛けて席に戻ると、バルディアも教壇に立つ。
「みんな落ち着いたみたいだねぇ。それじゃあ概論──呪いって何? ってところから」
何事も無かったかのように話し始めたバルディアに、教室中から視線が集まった。身の回りで起こることを些事だと感じているか、これが当たり前なのか。奇怪なものを見る目に囲まれながらも、バルディアは平然と話し続ける。
「呪いはねぇ、すっごく簡単に言えば病気だね。非物質的な繋がり──家族とか、恋人とか──を元に伝染するの」
がりがりとピートがペンを走らせる。その音で我に返ったマリアたちもバルディアの話に集中した。呆然としていても、何も始まらない。
「強固で、密接な関係だと育まれやすいんだぁ。呪いは寂しがりやだから、いつだって呪う相手を探してる。『風邪は移せば治る』なんて普通人の迷信があるけど、呪いに関しては部分的に正しい対処法でもあるんだよねぇ」
そこでバルディアは、おもむろに黒衣の前を開けた。教室のどこからか悲鳴が上がる。マリアも息を吞んで晒された胸元を見つめた。そこにあるのは、人面瘡。青白い肌にいくつも浮かんだ顔には、濁り切った瞳が辛うじて収まっている。
「大きく育ちすぎて誰にも解けなくなった呪いは、こうして適切な器に閉じ込めるしかない。呪い一つで国が滅びかねない。扱いを間違えたら、死ぬのは自分ひとりじゃ済まないってことは、みんなも覚えておいて」
そう言うと服を整えたバルディアが胸の前で両手を合わせた。
「今言ったことを踏まえてわたしの授業を受けること。友達は、大切にね?」
◆◆◆
昼食を終えて友誼の間に集まってからも、マリアたちは先の授業を引きずっていた。自然と話題は呪術の方へと向いていく。
「……今までで一番怖かった」
ぽつりと、カティが呟いた。
「ひどい先生はいくらでもいるけど、あの人はそうじゃない。けど、あの先生と仲良くなるほど、呪いも近づいてくる。悪意の有無なんて関係なくて、繋がってしまえば呪われるんだ」
何よりも相手と真摯に向き合うことを大切に考えるカティにとって、呪いは根本から分かり合えないものであった。気落ちしたカティに紅茶を差し出しながら、シェラが口を開く。
「目の前に相手がいて、姿を認めて、声を聞いている。それだけでも無関心ではいられませんわ。この世に他者との関わりを持たずにいられる生き物は存在しないのですから」
誰もが持つ世界との繋がりを伝って、悪意が忍び寄る。そんな想像に駆られて、マリアは今更になって焦りを覚えた。もし、自分を介して狭間の地に呪いが渡ってしまったら。そう考えて、ほんの少し呼吸が浅くなる。
「……おれは、怖いとは思わなかった」
だからガイがそういった時、マリアは大げさに反応してしまった。
「寂しそうに見えたんだ。マリアに助けられておいて、何言ってんだって話だけどよ」
「ガイ、君の感性を否定するわけではないが、その感じ方は危険だ」
苦虫を嚙み潰したような顔で、オリバーが苦言を呈す。呪者はその性質上、魅力的に映ることが多い。好意を抱かれた方が、呪いを移しやすいからだ。
「分かってる。でもよ、そんなに都合よく嫌いになれねぇだろ」
マリアはふと、ガイがどこかに連れ去られてしまうような感覚を覚えた。呪いを知って、引きずり込まれていくような、不安。マリアは思わずガイを見つめてしまう。
「……ガイは、あの先生を選ぶの……?」
カティがぽつりと呟いた。友誼の間の一角に緊張感が広がる。しかしそれは、他ならぬガイによって破られた。カティの頭に手を乗せたガイが苦笑を浮かべる。
「ンなこと言ってねぇよ。呪い持ちだからって、嫌う気はねぇってことだから心配すんな。お前もだぞ、ピート!」
「なんでボクに振るんだ!最初から心配なんてしていない!」
明るい声にマリアが顔を上げると、ガイは豪快な笑みを向けた。そして抵抗するピートと肩を抱えながら言葉を続ける。
「だいたい人間の好みで言うなら、おれはもっと顔色のいい奴が好きだよ。野菜と同じで多少不格好でもでかくて味がいいのが一番だ」
「ふーん。それって一年生のあの子みたいな?」
あの子、と言われてもマリアは咄嗟には分からなかったが、入学式の時に一人背の高い人がいたなと思い出す。そういえば、アーシャとはあれ以来連絡を取っていないが、うまくやっているだろうか。
「ウチがかかあ天下だからよ、年下はどうもな。こんな風に妹だと思えばかわいいもんだけどよ」
「頭を撫でるな! ボクはお前の妹じゃないぞ!」
二人のじゃれ合いで、一気に空気が弛緩した。ほっと安心して肩の力を抜いたマリアは、ガイの肩越しに誰かが近づいてくるのに気がついた。
「なに、色っぽい話? 私も混ざっていーい?」
「そういう話題なら俺も入れてくれや。Ms.ヒビヤ、お前はどんな男が好みだ?」
初対面の筈が、随分と馴れ馴れしい態度だった。二人の生徒はそれぞれピートとナナオの隣に陣取ると、図々しく会話を続けようとする。何か言わなければとマリアが立ち上がろうとすると、背後からうめき声が聞こえてきた。
「っ、乱暴だね」
「何か用?」
線の細い男子生徒の腕が、リュディアに掴まれていた。微妙に伸びている所を見るにマリアの肩に触れようとしていたらしい。痛みに顔を歪ませながら、その生徒は口を開いた。
「あんまり過保護だと、良くないんじゃないかな? 彼女の出会いの機会を、」
「言いたいことは、それだけ?」
みしりと骨が悲鳴を上げた。リュディアのもう片方の手は、腰の剣に伸びている。男子生徒の頬が引きつるのが見えた。このままでは流血沙汰だ。マリアはリュディアを落ち着かせるべく今度こそ声を上げようとすると、さらにもう一人、割って入って来た。
「調子乗り過ぎやで、ジブンら」
「Mr.ロッシ……?」
「や、オリバーくん。首突っ込む気は無かったんやけどな、もー見てられんくて」
こちらも爆発寸前だったオリバーの横に現れたロッシは、三人の乱入者に目を向けた。
「ジブンらなぁ、よそ様のモンに手ぇ出すならそれなりの順序ってもんがあるやろ。誰か一人でもマトモに向き合ったことあるんか?」
三人がひるんだような表情を見せた。ロッシはいつものようにへらへらと笑っているようで、その目は冷酷に無粋な乱入者を見据えている。
「格の違いも分からんで、人並みに盛っとるんやないぞ。こん中の誰かと五分の口利けると思ったら大間違いや」
「……言ってくれるじゃない」
「そう言うてめぇはどうなんだよ、負け犬」
その挑発に、ロッシは杖剣に手を添えながら獰猛な笑みを浮かべて返す。
「いかにもボクは負け犬や。なんせ戦って負けたんやから。ジブンら最強決定戦の時、何してたん? オナカ痛くて出られんかったんかい?」
痛いところを突かれたと、三人が顔色を悪くする。このままでは負け犬以下だ。何か、この場を切り返せるものを。そう考えを巡らせていると、ロッシが軽い口調で付け足した。
「それとジブンら、周りも見た方がええよ。誰に睨まれてるか、分かっとるんか?」
マリアが周囲を見渡すと、アンドリューズと目が合った。ここからでは顔が見えないが、あの背格好はオルブライトだろうか。
ピートとナナオに絡んでいた二人は、怯えるウサギのように逃げて行った。マリアが改めて後ろを見ると、男子生徒は腕を押さえて後ずさり、走り去る。
「……過保護かな、あたし」
「そんなことない。助かってるよ」
ついさっきまで腕を掴んでいた手に触れて、マリアは言う。自分一人であれば、断るのにも苦労しただろうから。
マリアが椅子に座り直すと、なぜかオリバーがロッシに詰め寄られていた。
「やっぱオリバーくんはちっと脇が甘いで。大事な相手を囲う時は、どうせならリュディアちゃんくらいはやらんとなぁ。でないとこんな風に、」
ロッシはするりとナナオの手を取った。そしてオリバーが止めに入るよりも早く、手の甲に唇を寄せた。愕然としたオリバーに、ロッシはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「横から搔っ攫われてまうんや。気をつけなあかんで?」
「──ロッシ!」
「なはは、やっぱり怒らせてもうた!ほなおおきに!」
すぐさまロッシは身を翻して走り出した。その背中を睨みつけたオリバーは、魔法薬を染み込ませたハンカチを手にナナオに向き直った。
「ナナオ、手を出せ」
「へ?」
ナナオが良く分からないまま手を差し出すと、オリバーはハンカチで手の甲を拭い始めた。
「そこまで過敏にならなくても良いんじゃねぇか?」
「
執拗にナナオの手を拭うオリバーに少し引きながら、マリアはリュディアの手を取った。キスではなく触れただけ、それもリュディアの方からだったが、オリバーがあそこまで警戒するのなら確かめるに越したことは無い。
「大丈夫だよ。何ともない」
「うん。でも、もう少し」
それを見ていたシェラがふむと顎に手を当てた。そろそろ適切な知識を身に着けさせる頃合いかも知れない。ただでさえ世間知らずが一人いるのだから。
「意識を変える必要があるかもしれませんわね」
「あぁ、早速今夜にでも一席設けよう。皆、放課後に予定は入っているか?」
「オリバー、手の甲が痛くなってきてござる……」
ナナオがそう訴えて、ようやくオリバーはハンカチを仕舞った。そのまま真剣な顔でこちらを向いたので、マリアは笑いを堪える。
「今夜八時、秘密基地に集合してくれ。大事な話がある」
【呪い】
世界を蝕む、関わりの病
獣や虫、植物すら媒介し、時に国をも滅ぼす
ある魔法使いは呪いを指して言う
けだし呪いというものは、この世の生命を等しく嗤っているのだと